空き家 売れない家 其の五
異変に気がついたのは、元晴が死んで初七日も経たない或る日の晩。
その日は夕子も正治も、まだこの家に残っていた。
二人の子供達は妻や夫と帰っていた。
元晴と真知子の子供達二人だけが、懐かしい家の一部屋で両親を懐かしみながら会話をしていた。
カシャリ……と門が開く音がする。
ガラ……開き戸の玄関が開く音がした。
「えっ?誰か来た?」
夕子が立ち上がって玄関に立つ。
「誰だった?」
正治も遅れてやって来て佇んだ。
「空耳か……」
玄関は開いていず、無論誰も玄関に居ない。
それは当然で、考えてみればこの家の鍵は最早二人が持っている鍵だけで、両親が持っていた鍵は戸棚の奥に仕舞い込まれている。
玄関を開けられる人間はいないのだ……。
「空耳って……二人同時に?」
「はっ……だけど確かに……」
「私も聞いた。思わずお父さんかと思った……だって……大体この時間に帰って来てたから……」
「ああ……五分位しか差が無かったもんな……」
心根の優しい子供達はそう言い合った。
なんて良い子達だ。
元晴は定時にこの門を通り、門番代わりの松に微笑んだ。
「元晴お帰り」
「只今……今日は綺麗な月だな」
元晴は、少し若返って笑って言った。
「元晴お帰り」
「お帰り元晴」
元晴が見初めて植えた木々達が、少し嬉しげに騒めいて言った。
「ああ……只今」
元晴はそう言うと、スッと玄関を開けて、何時もの様に家の中に入って行く。
「只今」
変わらずの声を出して、子供達を呼んだ。
それからずっと元晴は、此処に住んでいる。
定時に起きて定時に出かけ、定時に帰って来る。
時たま違う事をするが、それも人間らしくて面白い。
気に入りの松達と、長い年月を過ごした。
元晴の三回忌が過ぎた頃、兄妹で話し合ってこの家を売りに出す事になった。
だが持ち主が存在する家は、売れる筈がない。
それからずっとこの家には、〝売家〟という札が貼られた。
ずっとずっと……売れる事の無い家。
綺麗な花を咲かせ、青々と形良い門の松が存在する空き家……。
或る日元晴が遅くに帰宅した。
門を入って来るその姿勢が弱々しい。
「どうした?元晴」
「正治がそろそろだ……」
「えっ?もうそんなに時が経ったか?」
「ああ……夕子もかなりの歳だしなぁ……」
「そうか?余りに楽しく年を重ねて来たから、そんなに経っているとは思わなかった」
「はは……お前ら植物は此処に立ったままだからな。世の変化が分からないか?」
「いや。我らだって、大きく世の中が変化している事は分かる。この環境の変化に敏感なのは、その変化に適応して生き抜こうとする力が大きいお前ら人間より、我ら植物の方だ……お前らは穢れを知ろうとしないが、我らはそれを正そうとする……第一環境の変化には弱いのだ」
「ああ……そうだったな……」
「元晴よ。お前は我らを思って残ってくれた……だが残念な事に正治の子も夕子の子も、此処には戻ってくれそうに無い……」
「子供達は駄目でも孫が……その孫が……」
「元晴……いいんだ。我らはそれだけでいいんだ……」