十三夜 ぬし様の別れ 其の五
大学の帰りにバイトに行き、締め迄やって賄い食を済ませて帰途につくと、もうかなりの時間だ。
最終にはまだ時間はあるが、数本しか無いのは心もとない。
古関と別れて駅からの帰り道、月がいつもより大きくて丸く見えるのに気がついた。
大空に大きく光り輝いて浮かんでいる姿に
「こんなにいつもでかくて綺麗だったか?」
思わず独り言を呟く程だ。
「え?もしかして今日十三夜か?」
なる程、いえもりさま達が騒ぎ立てて、お月見をしたがるわけだ。
こんなに綺麗な月だったら、暫くじっと立ち尽くして見てしまう。見ながら宴会をすれば、さぞかし心地良いだろうと、〝風流〟という言葉すら知らない圭吾にも想像させるものだった。
駅からの帰り道は、運良くというべきか、月が正面に煌々と輝いているのを見ながら歩けた。
自分の中の月のイメージよりも、大きく輝く月は、今迄感じた事がない程に、神秘的で崇高な感覚を与えた。それはたぶん、お月見の話しを聞いているからではないー。
今迄は感じた事が無かったが、見れば見る程、月は不思議な感覚を与える。
真っ黒な大空にポカリと、それも神々しく輝いてー。不思議としか言いようのない何かを、体内から込み上げさせ、溢れ出させる。
一体この感覚はなんなんだろうー
そう思わさせる不思議な何かー。
外灯と玄関だけに灯りがついた我が家に着くと、鍵を開けて中にそっと入る。
バイトを始めた頃は、心配性の母親が起きて待っていたが、流石に圭吾の生活リズムに付き合えず、寝てしまうようになった。
ーまあ、待たれていると、何かしらと煩わしいので、寝ていられた方がありがたい。
それでも、部屋で横になりながら、完全に寝入っていない事はわかっている。
一人っ子の過保護ー。甘やかされて、大事に育てられた、というところなのは否定できない。
「お帰りなさりませー」
「えっー?」
できるだけ静かにー。といっても、圭吾の部屋は下階の奥にあり、両親の部屋は二階にあるので、多少音を立てても大丈夫だが、それでも零時を過ぎて帰宅しているのだ、多少は気を使う。
圭吾が産まれて、地震だの火事だのを心配したばあちゃんが、奥の……今圭吾の部屋になっている部屋に、母親と圭吾を寝起きさせていた。
圭吾が一人で寝たがるようになると、自然とそのまま其処が圭吾の部屋になった。だからかー、圭吾の部屋は持ち主の身体に合わずに狭くて小さいが、住めば都かー下階が意外と便利なのか、二階に移動する気持ちになれなくて、文句を言いながらも寝起きしている。
そんな部屋に入ると、今夜はお月見パーティで居る筈のない、いえもりさまが、天井に張り付いたまま見下ろして、声をかけてきたのだった。
「げっ!いえもりさま?なになにその格好……?」
「ええ??何が……でござります?」
いえもりさまは頓狂な声を発して、己の身体を一生懸命見ようとするが、当たり前の事ながら見れる訳がない。
「マジすげえ……つか、可愛い……つか……」
「如何……如何いたしたのでござります?」
「いやいや……」
「若さま、意地悪をなされずお教えくださりませ。私め如何相成りましてござります?」
いえもりさまはくるくる回りながら、ちょっとパニクりぎみだ。
「いや、全身がピンク色だぜ。マジうける」
いえもりさまは、腹側は真っ赤その他はピンク色になって、出来損ないのおもちゃみたいだ。
「ピ……?ああ、桃色でござりますな?」
「うーん。桃色というより、めちゃくちゃ下品なピンク?エロい色の方」
「エロ……でござりまするか?」
いえもりさまは、まったく合点がいかぬ様子で首を傾げ、素早く降りて来て立ち上がり、自分の吸盤の手?前足?を見て納得したようだった。
「此れはご酒を頂いたからでござります」
「ご酒?」
「若さまがくださりました、ぬし様のご酒を少々頂きましてござります。それで此のように……」
いえもりさまは、ちょっと照れるように言った。照れて赤くなったとしても、今のいえもりさまの状態ではわからない。それ程真っ赤なのだ。少々頂いたという次元とは、到底思えないし、もしそれが本当なら、かなり酒に弱いという事だ。
それより何より、変温動物の筈のいえもりさまでも、酔えば赤くなるのか?第一酔うものなのか?
なかなか、いえもりさまは奥が深い生き物?いや生物?いやいや……?
「まっ、いいか。それよか今夜はお月見パーティじゃねぇの?」
「左様でー。それはそれは美事な月でござります」
「うん。見ながら帰って来たから知ってるけどね。んじゃ、なんで此処に居んだよ?」
「若主さまをお迎えに参りましてござります」
「へっ?だって今夜は、お月見よりも大事な事があるんだろ?……ぬし様の……」
「左様にござります。お別れの宴にござります」
「そんなパーティに行くのやだよ」
「ええ……」
いえもりさまは、圭吾が吃驚するくらい驚いてみせた。
「な、なんだ?」
「金神様もぬし様もおいでになりますのに……。お断りになられるのは、何故でござりましょうや?」
「何故……って、金神様はともかく、ぬし様は知らないし……。それに……」
「若さま、面倒臭いなどと言われずに、どうかお聞き届けくださりませ……」
いえもりさまは、圭吾の性分をよく知っている。
実は、ぬし様は興味あるが、バイトをして帰って来たばかりだし、また出かけるのが面倒なのだ。
「ぬし様がご酒をお気に召され、とても美味く懐かしきご酒をくだされた若さまに、一目お会いして礼を申したいとの仰せなのでごります」
「そんなのいいから」
「いやいや、ぬし様は此処一両日にはお去りになりまするゆえ、どうぞぬし様のお言葉をお聞き届けくださりませ」
「……」
「どうか……」
余りにいえもりさまが困った様子なので、たぶん……不思議な生き物達だけのお月見パーティに呼ばれて行くこととした。
生まれて初めてのお月見が、未確認生命体?それとも妖怪?達とする事になろうとはー。
まあこの先、圭吾が月見などと優美な事をするとは思えないが……って事は、最初で最後のお月見……?
「若さま此方でござります」
そんな事を考えながら、いえもりさまの後を着いて行くと
「此処?」
「此方から行けるのでござります」
「チッ!マジ嘘っぽ」
圭吾が舌打ちするわけだ。だって、なんの事はないー。
圭吾の部屋の窓を開け、我が家の裏庭を覗き見ているのだ。
「嘘だろー?」
窓の外は一面野原が広がっていて、すすき、コスモス、白粉花が咲いている。
「マジかー」
いえもりさまの後をついて外に出ると、辺り一面が青々とした野原が広がっていた。
「嘘だろー」
母親が言っていた、「裏は一面野っ原だった」というのは本当だった。
青々とした野っ原にすすきが一面ではなく、所々に生い茂り、またある一角にはコスモスや白粉花が、とても綺麗に咲いている。
直ぐ裏の鳥羽さんも、村田さんの家も無いー。無論その周りの家もー。
うちの裏手にある家は一件も無くて、兎に角ずーと野原が広がっている。
振り向けば、うちの隣は無く。その隣の今は駐車場になっている所には家が建っている。その隣が大和さんでその隣が川島さんー。一件空いて上田さんはあるー。
それから暫く、野原が続く斜面を下って行く途中に井森さん、そして此の間亡くなった穂波さんの実家があって、今穂波さんの家の辺りは噂通り川縁でその先に川が流れ、その先はどんどん山へと続いて行く。
確かに話しに聞いた通り、古くから居る人達の家が点在している。
そして反対方向の大通りへ目をやると、浜田さんと友ちゃんの家が見えた。その奥にはまばらに家が点在し、駅の方向には松林が暗く広がり、駅から再び我が家の方向に目を向け、其のままずっと先の小学校へと移すと、大きな建物が無く、まばらに点在する人家が散らばり、その先は小学校の授業で先生が言っていた通り、学校の周りは田んぼがあって、今も残る林の山を登る坂の先には、やはり聞いていた通り山が樹々を茂らせ、先程の穂波さんの先にある山と一つになって暗く大きくあった。
ーうちの先の坂の下は川が流れ、渡ると山が続いていたー
と、いうのは本当の事で、そしてうちの裏は、母親の言う通り一面野原が広がっているー。
それを、大きな神々しく輝く月が綺麗に照らし出して、圭吾の眼前に広がっている。