十三夜 ぬし様の別れ 其の四
朝早く救急車のサイレンの 音がする。
近くのようで遠くのようでー。
白河夜船の圭吾には、どちらともつかぬまま音が消えた。
此処最近、おの辺りは頻繁にサイレンの音が聞こえる。
近ければ、当たり前のように母親は出て行く。
祖母が亡くなった時も、近所の顔見知り達は、共に救急車に乗り込む母親を見送ってくれた。
それはとっても嬉しい事では無いが、もはや何処のうちに救急車が来てもおかしく無い程、この辺りは高齢化が進んでしまった。
だが幸いな事に、老人の一人暮らしの家は少ない。それが救いだと母親は言う。
「今日救急車通ったべ?」
昼近くに起きて来た圭吾が、夢うつつで聞いたサイレンを思い出して母親に言った。
「あれ、浜田さんちらしいよ」
「へえーマジ夢じゃなかったんだ?」
圭吾は眠りが深い方なので、殆ど夢を見ない。否、見ていても覚えていない。だから今朝のサイレンも夢の中の事だったのかー?と考えた。なぜなら、本当にサイレンの音がなっていたとしても、それすらたぶん知らずに寝てしまうからだ。だけど今朝は不思議と気がついた。こんな事は一年に数える程度しかない事だ。
「ご主人だってー。だけど、岸和田さんが心配して聞いても、はっきりした事言わないんだって」
岸和田さんとは、浜田さんのお隣の家だ。
「岸和田さんの息子さんが、仕事で家出るの早いから、浜田さんの家の前に救急車止まったの解ったんだって……で、浜田さんが一旦入院の準備じゃない?帰って来た時に、心配して聞いたら、ご主人が入院した事は言ったけど、あとはうまくごまかしたらしいよ」
こういう時の主婦は、表情の読みが早いーというか、勘が鋭い。まさに“神”だ。
「彼処のご主人、煙草を外で吸ってたからね。母さん達の時代じゃ、ホタル族ってやつ……。外で侘しそうに吸ってんのよく見かけたものー。岸和田さんも、煙草辞めれなかったからねえ……って、ちょっと意味ありげに言ってたから、ガンかもー」
こういう時の主婦の勘も〝神〟だし、恐い病名すら平気で口にする。
「へえー」
なんとも主婦の第六感に敬服しつつも、女の恐さも否めない。
そんな気持ちを振り払うように、圭吾は話題を変えた。
「話しちげえけど、友ちゃんちのお墓って林の所にあんじゃん?畑も林も本家のもんしょ?本家って、お爺さんの実家?」
「ううん。友ちゃんのお爺さんのお父さんの実家だって聞いたわよ。ばあちゃんが、今の本家の死んだお母さんと親しかったのよ。確かうちの〝なむなむさん〟の爺さんの方が入院した時に、友ちゃんのお爺さんのお父さんのお兄さんのお嫁さんが、同じ病院に入院しててー」
「ややこしね」
「そう?短く言えば叔母さんに当たる人が入院してて、ずっと農業してたから、腰が凄く曲がってたって。確か老衰だったのよ。当時は点滴で生かされる時代だったから、見てるの可哀想だったって、ばあちゃんが言ってたわ。うちの〝なむ爺〟の方が先に退院しちゃったからねー、そのあとどうしたんだろ?お婆さん亡くなってから数年後に、ご本家のお母さんが脳溢血で倒れて、畑できなくなったからマンション建ったって聞いたわよ。相続税やら何やらで、土地売ってしまったんだろうけど、資産で生活できるから仕事辞めたんだって大森さんから聞いた事あるわ」
「すげえ金持ち」
「ご本家はね。分家の大森さんには、彼処の土地しかくれなかって、亡くなった友ちゃんの曾祖母に当たる人が嘆いてたわ」
彼処の土地だけーっていっても、二世帯住宅にしても、かなりの大きさの家が建ち、尚且つ庭も広い方だ。
小さな頃は、夏になるとよく彼処の庭で、友ちゃんとビニールプールで遊んだものだった。
「曾祖母とも知り合いだったの?」
「ああ。うちの〝なむなむさん〟がね。ほら此の辺家少なかったからね、住んでる人は皆〝親しい人達〟だったんじゃない?」
「なるほど……」
「ローマは一日にして成らずよ」
「なんだそれ?」
「此の家も一日にして成らず!曾祖父が居て、ばあちゃんが居て、私が居るから、圭ちゃんはご近所さんに大事にされたわけよ」
「はあー?何言ってんだか、馬鹿じゃね?」
「あははは……」
「母親の言う事は、あながち間違いではないぞ」
「げっ金神様ー」
圭吾は母親に聞かれはしないかと、慌てて辺りを見回した。
「相変わらずチキンな事じゃのお」
金神様は戯けて言った。
「大丈夫じゃ大丈夫。もう何処ぞへ行ってしもうたわ」
「いやいや、台所だから……ただの台所!」
突っ込む程の事ではないが、性分なのか言いたくなる。
「まあよいじゃろう?どうせ聞こえはせぬし、姿も見えぬ」
「げっ?そうなんすか?」
「自分から見とうないと拒んだのじゃ、余程のものでない限り、理解しようとせぬから見えぬ」
「え?だって、どう見たってあっちの人っぽい人と、平気で話してるっすよ。お陰で巻き込まれてんすからー」
「まあ感が鋭いからのぉ、じゃが見えても理解しておらんから、使われてしまうが害は及ばぬし、相手が余程望まぬ限り見えぬ。相手が望むという事は、なんぞ関わりがあるのじゃから仕方あるまい」
「うーん……?」
「まあよい。わしは望まぬゆえ見えぬから安心せい」
「へえ……じゃあ、いえもりさまは?」
「わしより望まぬじゃろう。なにせ姿を嫌っておるのを知っておるからのぉ」
「そういえばいえもりさまは?」
金神様が来た時は、いつもお側に仕えているのにー。どうした事か姿が見えないし、妙な日本語も聞こえないから、思わず神棚の上を探してしまう。
「ふむ。あやつは今は多忙じゃ」
「あっ……。お月見パーティ?」
「そうじゃー。此処も変わる前は、よう月見の宴を催しておったそうだがー」
「金神様もよく来てたんすか?」
「いや。わしは余り此処へは来んかったのぉー。おお、そういえば圭吾、十五夜を見たら、十三夜も見なんではならんのだぞ。知っておったか?」
「いや」
「そうじゃろう?心しておけよ」
「心しておいてどうすんすか?」
「来年気をつけよ」
「来年すか?」
「そうよ。月見ぐらい楽しむものじゃ」
「はあ……。でも、だいたい十五夜は曇りか雨が多いから、見たくても見れないっす」
「そうなのか?」
「……そうっす……」
「うーむ。どれ……」
金神様が慌ててタブレットで検索し始めた。
「じゅうごや……っと……」
なんだか、ぼやけているのに慌てて見えるのは、不思議だが可笑しい。