不思議噺 まだ死ねない 其の二
仔猫の泣き声が、段々と大きくなって来る。
……ああ、煩い……
老人は経管栄養の間に、うつらうつらを繰り返す。
此処に来てからというもの……否、夜中にトイレに起きて目眩を起こし、そのまま気を失ってからというもの、ずっとうつらうつらとしている。
意識を失って救急車で運ばれて、緊急手術を行っていた間に、老人は幽体離脱とかいう経験をしたものらしく、手術室で手術を受けている自分の姿を、病室の天井から見ていた事を夢に見る。脳の血管が詰まって手術を受けたが、半身不随となり口がきけなくなった。
そして意識もはっきりとはしなかった。
最初はできていた飲み込みも、徐々にできなくなった。
それは多分に年の所為だろう。
もはや八十も後半ともなれば筋力も衰えて来るし、己の希望とは異なり、体の方は終焉を迎えたいと切望しているのだろう。
だが……生に対する執着が強すぎるのか、神仏が心良く迎えてくれる気持ちがないのか、老人は医師が思う以上にしぶとくこの世にしがみついている。
……ああ、仔猫か?あの仔猫か?……
老人は、起きている時よりも寝ている時の方が思考がはっきりするのか、ふと思い出した様に気がついた。
あれは以前から、うちのアパートに住んでいる女が、野良猫に餌を与えていたのだが、古い時代の老人は、野良猫が散々居て外で飼っていたりしていた時代の人間だから、女が野良猫に餌を与えていてもごく普通の事と思っていて、全く気にもしていなかった。確かに老後の楽しみの庭の花々を、掘り返されるのは閉口ではあるが、まぁ猫避けをすればいいか……くらいの……。
ところが時代というのは移り変わり、其処に住む人間も当然の事だが移り変わる。今まで普通に生活し、普通に近所付き合いしていた隣人が、野良猫に餌を与えるから、庭が汚されるとか糞で植木が枯れたとか、吐いた後が汚いとか、尿や糞の臭いが臭いとか、それは毎日の様に散々と苦情を言って来る様になった。気の弱い妻はその苦情に鬱気味となり、その隣人との付き合いも険悪となった。だから老人はアパートの女に、野良猫をどうにかする様に言ったのだ。
だが女は野良猫を捨てに行ったりしても、勝手に帰って来てしまうと言っては、数の増えた野良猫を持て余し始めている。
庭や塀には強烈な臭いのする消毒液を振り、野良猫を痛めつけたりもして、その隣人とは険悪な状態が続き、老人とその妻は少し気を病んで行った。
その内隣人が、区長や役所に迄話しを持って行き事を大きくして行く。少しずつ病んで行った老人は、アパートの女に
「野良猫に餌をやるなら出て行け」
と言い渡し、女はやらない事を約束した。
そしてそれから数日、ずっとずっと仔猫が泣いていた。
母猫が餌を貰えず乳が出なくなって飢えて泣き続けて、そして声を小さくしていきピタリと聞こえなくなった。
それが事の始まりだ。