青月 薫子様 その九
「今夜の月は、あの時の月と同じです」
枝梨は入り口に立つ、斗司夫さんではなく賀茂を見た。
パッと表情が明るく変わり、雅樹はその変化に目敏く気が付いて、不快な表情を隠せない。
「今夜私は枝梨さん、貴女ではなく、貴女の中に在るお方に会いに来たんだ」
賀茂はそれは冷淡に枝梨に告げる。
それを聞いた枝梨は、再び表情を変えて賀茂を見た。
「だが、どうしてもそのお方は、私とお会いくださる気がない。貴女にそのような表情を作らせながら、自らは会おうとして下されない……」
賀茂は枝梨に静かに、近づきながら言った。
「だからどうか、私にお会いする機会を頂きたいのです」
枝梨は躊躇しながら、後退りする。
「薫子様、実篤最初で最後の願いにございます。今一度……今一度私とご対面くださいませぬか?」
賀茂は膝をついて、枝梨を追った。
「あの時も今宵の月のように、煌々と青白く輝いておりました。貴女が亡くなられたと聞かされた、あの夜……。私はこの月を仰ぎ見て、天子と右大臣とを呪ったのです。丸く大きな月は、どんどん大きく広がり、そして一気に私を包み込みました。そして、私の願いを聞いてくれたのです。私は真っ黒な妖魔と化して、天子を殺し右大臣を殺しました。それでも怒りは収まらず、嵐を呼び大地を割り大雨を降らせました。川は氾濫し田畑は割れ、山は崩れて都を襲い人々を飲み込んだのです……。それでも貴女はもう居ない……私はその時初めて悟ったのです。もはや貴女は居ないのだと、どんなに私が魔物となって怒ろうが、どんなに歳月を費やして悔いようが、貴女は居ない……。どうかお姿を……」
「……よくもたらたらと、その様に仰せられる……」
枝梨は雅樹の知る枝梨ではない表情を、浮かべて賀茂を見た。
「長きに時を費やして悔いたと?あなたは幾度となく私と共に、永きに渡りやり直したではありませんか?
幸せであったではありませんか?なのに、前世であなたは、私に何を仰せでした?この輪廻に疲れた故、今後会ったとしても、もはや〝知らぬ〟としようと仰せられた。 私との愛はもはやあなたには、重い枷にしかならぬのでしょう?……あなたはあの時も、私をお見捨てになり、またそうされたのです」
「見捨てるなどと……」
賀茂は縋る様に言う。
「ならばなぜ、家守り如きが縁を切る様に進言致します?」
「あれは……あれは、家守りが勝手に致した事……」
「そう言付けたはあなたです。故に私はあのものの、主人に罰を与えました。決して許す事などございません」
「あれは本当に、家守りが勝手に致した事なのだ。その主人は何も知らないのだ。知る由のない人間なのだ」
「あなたがどの様に申されようとも、もはやどうにもなりません。あの者は死して償っても、まだ足りません」
「どうか……怒りを鎮め、今一度だけ姿を見せてください」
賀茂は枝梨の足元に、額を付けて懇願した
一瞬枝梨の表情が、和らいだかの様に見えたが、枝梨は再び後退りして賀茂から身を引いた。
「私は如何様な事をしようとも、再びあなたとの縁を作ります」
その言葉に賀茂は、顔を歪めて枝梨の足を掴んで引いた。
「きゃっ」
枝梨は小さく悲鳴を残して仰向けに転んだ。それを賀茂は瞬時に跨って押さえつけた。
「鈴木頼む」
雅樹は頷くと隠し持っていた、清めの塩を部屋中に撒きながら、踊る様に呪文を唱えた。
それに合わせる様に、斗司夫さんも踊る様に呪文を繰り返した。
青白い月明かりの中、清めの塩が呪文に踊らされるように舞い上がり、大きく円を何重にも作り始める。その中で雅樹と斗司夫さんが、大きく時には小さく舞いを見せる様に呪文を唱え、その呪文はどんどんと大きく早くなって行く。
賀茂の下で押さえつけられたままの枝梨が、渋面を作って形相を変えて行く。
「薫子様今一度お会いしたい」