彼岸 知己さまのお願い事 其の四
コンサート当日はいろいろと大変だ。
なにせ、圭吾自身が初経験な上に、経験者といっても、二十年以上も経ってしまっていては、もはや初心者同様の母親を連れて、勝手も解らない所へ行くのは、チキンと異名をとる圭吾には、かなり緊張するものだ。
だから、出なくても大丈夫だと思う授業は休んで、コンサート会場となる、大きなイベントホールがある最寄り駅に、母親と早めに待ち合わせをした。
第一朝から緊張で落ち着かないし、授業どころではない。
果たしてその緊張が、ただチキンなだけではない気がして、余計に落ち着かない。
行きたくない気持ちがこみ上げる。
「電車とやらは落ち着きませぬな」
「人々がこうも多くては、落ち着きようもありませぬ」
「なにせ押されて、潰されるかと案じましてござりました」
「ほんに苦しゅうござりましたな」
圭吾が落ち着かない理由が此処にも。
会いたいと心待ちしていた主さまに会えるというので、知己さまはテンションが高いし、初めてのお出かけで、いえもりさまもアゲアゲ状態で、とても五月蝿いのだ。
「ちょっと悪いけど、静かにしてくんね?」
「若さま、若さま。ご覧くださりませ。あんなに人が大勢ー」
「みんなコンサート行くんじゃね?」
「おお!新しき主さまのコンサートでござりまするな。我が知己殿の主さまは凄いお方でござりまするな?」
「なんと……」
知己さまは勘極まって言葉が出てこないようだ。
「あっ、母君さまにござります」
いえもりさまと知己さまは心得たもので、すかさず圭吾のジャケットのポケットの中に身を隠した。
「待った?此処へ来るのも久々だよ。確かけいちゃんが小学1年生の時に、テレビ番組の抽選に当って、友達のこばちゃんとマッキーと来たよね」
母親はめちゃ楽しげだが、此の脳天気で無責任な、ちょい霊感持ちの母親の所為もあって、圭吾だけテンションが上がらない。
「なんだか、前来た時と感じが全然違うわね」
母親はもの珍しさで、本当にお上りさん状態だ。
大きなイベントホールが有るくらいだから、かなり小洒落た新都心で、高いビルが其処此処に建っている。
震災時に、埋め立て地の所為か地盤が沈下したと騒がれていたが、人気は衰えないようで、新しいビルも建っているし、建設中のビルやマンションも多い。
コンサートに来たファンのみならず、仕事や買い物やらで、行き交う人々も車も多い。
「見て見て、同んなじTシャツ着てるわよ。ファンクラブの人達かしら?」
「あのね、指差し無しね」
圭吾の小さい時に散々母親が言った台詞だ。
街並みは綺麗だし洒落ているから、やたらとキョロキョロするのは仕方ないが、指で人を指しちゃまずいだろう。
早めに着いたから、会場時間迄の間ホールの中を歩いてみると、本当だ、小学生の時に来た時を思い出す。
トイレの場所を確認し、軽食を取っていると、人々が流れて行く場所を母親は目ざとく見つけた。
「あれって何かな?」
「グッズでも売ってんじゃね?」
「えっ?いいな」
「グッズはいいよ」
「記念に欲しいじゃん。パンフレットってあるのかな?」
「映画じゃねえし」
ールンルンーとか、鼻歌を歌ってグッズ売り場に入って行く。
なにがいいかー、なんて悠長な事考えていられない程に混み合っている列を外れて、圭吾が母親を待つ事ウン十分ー。
流石、バーゲンで鍛えた母親は、少し大きな袋を手に圭吾を見つけてやって来る。
「流石は母君さまでござります」
「左様で。ほれー、あそこの娘御達はまだ並んでおりまするな」
「それって褒め言葉じゃねえし」
「左様にござりまするか?」
いえもりさまと知己さまが、ハモる様に言うから笑えてしまう。
「凄いよ。柑橘ドロップスだって」
「えっ?そんなの買っちゃった?」
「食べる?」
「いや、いいから」
「それからね……」
「此処で開けるのやめようね」
「えっ?ーそう?」
母親は渋々袋を抱え込んだが、次の瞬間には圭吾に袋を押し当てた。
「そろそろ入れるみたいだからトイレ行って来る」
「じゃ俺も」
「えー?」
母親は仕方なく袋を抱えて女子トイレに入って行った。