彼岸 知己さまのお願い事 其の三
「えっ!」
圭吾は耳を疑って手を止めた。
大学から直でバイト先の飲食店に来て、閉め迄やると11時を過ぎる。
それでは腹が減るから、片づけながら賄い飯を食っている。
その一番の至福の時の、実に美味い賄い飯を食う手を休めて、圭吾はバイト仲間の古関の顔を直視したのだ。
「ほら花火の時、うちの両親栃木行ってたじゃん?」
「ああ……」
「それって、じいちゃんが此処ん所調子悪くてさ。ちょくちょく顔見せてたんだけど、今朝死んだって連絡あってさ」
「えっ?いいのかバイトしてて………」
「ああ……。明け方急だったから、誰も間に合わなかったし、死んじゃったからさ……。俺明日から3日間休むんだわ。明後日通夜で明々後日が葬儀ー。で、明後日の此れ行けんわけよ」
「……はあ、なるほど」
圭吾は、古関から渡されたチケットを見つめて呆然としている。
「田川ってこいつら嫌い?」
「いやいや、嫌いな奴いないっしょ?」
「じゃ、貰ってくんね?流石に爺さんの通夜行かないで、コンサート行くのってまずいしょ」
「そりゃそうだろうけどー。此れって手に入れるの大変だったろ?」
「こいつらって、此の辺出身者って知ってた?」
「ああ……」
「こいつらの中の茂木って、俺の中学出身なのよ」
「マジで?」
「まじ!マジでさ。だからずっとファンなわけよ」
「なるほど……。だけどなんで2枚?」
「ああ……。今回姉と行こうと思ってさ……。いろいろとあったから」
「なるほど」
圭吾が物思いにチケットを見つめていると
「やや!なに?お前らコンサート行くわけ?」
宮田が目ざとくチケットを見つけて言った。
「此れすげーじゃん。柑橘類のコンサートかよ?」
「ああ……」
「いやちょっと、田川には世話かけたからさ」
圭吾が何か言おうとしたが、古関が何故だか割って入った。
「いや、世話をかけられた覚えは……」
「なんだ、じゃーしょうがねえか」
ーいや、しょうがねえか……じゃねえし!世話やいてねえしー
「明後日一緒に行くか?」
圭吾はすかさず言う。
「明後日かぁ……。残念学校とバイト。明日ならなぁー」
宮田はかなり残念そうに言う。
「………明日ならなぁ」
宮田は未練がましく言うが意外とあっさりと諦めた。
「なんか……。やな気がする」
圭吾はぶるっと身震いすると小声で言った。
「大丈夫か?」
「ああ……。全然大丈夫。じゃ此れ貰っとくわ」
「急で悪りいけどな」
「いやいや、あざす」
ーとはいえ、圭吾は気になって仕方ない。
帰りの電車の中から、ずっと考え込んでいたから、家に帰って来たら慌てて自分の部屋に向かった。
「若主さま、お帰りなさりませ」
いえもりさまが机の上にいて、丁寧に頭を下げて出迎えた。
「知己さまは?」
「若さまが、新しき主さまがおいでの此の箱をご用意頂きましたので、ずっと元気にしておりまする」
「ああ……」
パソコンに柑橘類のDVDを入れ、再生の仕方を教えておいたら、どうやら一日中見ていたらしい。
長年時を経て生き続けている?だけあって、いえもりさま達はとても利口だし器用だ。
「いえもりさま、今回金神様は関わっていないよね?」
「はい。金神様は若主さまか母君さまが、危害をお受けにならない限り関わりあわれませぬ」
「だよね。だよね………」
自分に言いきかせるように何度も言う。
「けいちゃん」
母親がこんなに遅いのに部屋の外で圭吾を呼んだ。
「なに?」
「此のチケットだけどー」
「えっ?」
慌てて戸を開けると、母親がジャケットとチケットを持って立っていた。
「どうしたのそれ?」
「けいちゃんが、置きっぱなしにしてたジャケットからミーちゃんがー」
「そんなわけ……あっ?」
圭吾は我が家の猫のミーが、ひっ張り出したというチケットを見て固まった。
全く覚えはないのに、ジャケットを居間に脱ぎ捨てて来たようだ。
「これってコンサートのチケットだよね?行くんだ?」
「いやまだー。てか、なんで起きてんの?」
「トイレに起きたらミーちゃんが、あんたの上着悪戯してたから、また怒られるとかわいそうじゃん」
「かわいそうじゃんー。じゃねぇよ」
再び悪寒に襲われて、思わず毒吐いてしまった。
「えっ?」
「いやなんも」
気持ちを落ち着かせようとするが、癖で目が落ち着かない。
圭吾は小さい頃、落ち着きのない方だったから、死んだばあちゃんはいたく心配していたが、幼稚園の時に敬老の日の月に、園児のおじいちゃん、おばあちゃんを招待する会があり、それに来てくれたばあちゃんが、ちゃんと椅子に座ってお迎えする圭吾を見て、えらく感心してホッとしたらしい。
それからは両親もばあちゃんも、落ち着いたと安心していたが、小学校の低学年の時の担任に
「どうにか体を動かさずに座っていられるようになったが、目だけ動かしていた」
と言われ、母親はやっぱり圭吾は落ち着きのない子どもだったのだと、改めて納得したという。
その名残りなのか、大学生になっても動揺したり、不安な時は目が落ち着き無く動くらしいのだ。
ただ圭吾は無意識だから、動いているのかいないのか、本当のところはわからない。
「お母さんもコンサート行きたいなあ」
「はい?」
気持ちを落ち着かせるどころか、何故だか悪寒が増していく。
「だから、コンサート行きたいな」
母親がこんな事言うなんて妙だ。だって、コンサートの〝コ〟の字だって、言った事が無いし、圭吾だって連れて行って貰った事が無いというのに。なんで〝今〟なんだ?
「コンサートーって、柑橘類だよ。知ってる?」
「朝見てる、おめザップのテーマ曲歌ってる人」
「人じゃないからね。言うなら〝人たち〟ね。グループだから」
「ああ……。テーマ曲の人たちね」
「それと、〝歌ってた人たち〟だから。それもだいぶ前」
「あっ、そうかー」
とか言いながら、上の空で言っているのは一目瞭然。
「いいなコンサート。昔とは全然違っちゃったわね、きっと」
「はいはい」
「コンサートなんて、けいちゃん生まれてから行ってないし」
「はいはい、そう」
「お母さんが最後に行ったのは、誰のだったかしら?」
「はいはい、知りません」
「会社の同期の子が、地元の市民会館に来るっていうんでチケットとってくれてー。あの時は確か埼玉迄行ったのよ。ふふふ、私も若かったわ」
「はあ……。わかったからもう寝て」
圭吾は諦めて、両手を上げて言った。
「えっ?連れてってくれんの?」
「明後日だかんね。第一父さんどうすんの?」
「大丈夫、大丈夫。明後日は食べて来て貰うから」
母親は上機嫌で、ジャケットとチケットを圭吾に手渡して行ってしまった。
「はあ……。ぜってぇ、なにかあるー」
圭吾は戸を閉めると、床に倒れ込んだ。
「若主さま?」
ちょっと隠れていたいえもりさまが、心配そうに側にやってきた。
「此れって本当に金神様は関係ないよね?」
「あろうはずがござりませぬ」
「ーけど、ぜってぇ何かあるしょ?」
圭吾は悪寒MAXと違和感で呟いた。
圭吾の言っている意味が理解できない、いえもりさまは小さく首を傾しげた。
机の上で知己さまが、柑橘類のコンサートのDVDを身動きもせずに見つめている。
ー此れってマジやべえんじゃ?ー