土護り お宝様 其の一
今日はまったりとした休日だ。
朝遅く起きてきたら、母親はパートに出てしまっていた。
茶箪笥の中にチャーハンがラップに包まれて置いてあり、鍋には味噌汁が入っている。
それを温めて食べて、まだ炬燵が出ている居間でごろごろと一日を過ごす。
我が家の炬燵は、暑くなっても梅雨が明ける迄は片付けない。
母親がだらしない……というのも、なくはないのだが、かつて七月に寒い日があったらしく、その時酷く亡きばあちゃんが、片付けた事を後悔したらしい。
その教訓を得て、梅雨が明ける迄は炬燵を片付けない……のが我が家の方針だが、これが意外と梅雨の間は的を得ている。
流石は〝年の功〟というやつだ。
テレビも見飽きて庭に目をやると
「…………?」
圭吾はとても小さないえもりさまを、もはやとっくに花を咲き終えてしまった、庭のつつじの下で見つけた。
自慢ではないが、圭吾は地獄耳だし視力もかなりいい。
このテレビだのゲームだのパソコンだのスマホだのと、目を酷使する事の多い時代に、視力2・0というのはかなりなものらしく、友人達からは〝地元のマサイ族〟と異名を頂いているが、流石にマサイ族様には及びもつかないが、実は面倒くさがりなもので、視力検査も程よい所で手を抜いているが、もう少し見えなくもないのが本当のところだ。
ゲームのやり過ぎは目を悪くするとか、切れやすくするとか言われているが、それは集中能力に長けている人間にいえる事で、面倒くさがりの集中力散漫人間には当てはまらないと、常々思う事だ。
なぜなら、圭吾は後者で視力は今述べた状態だし、切れやすいというよりも、どちらかというとのんびりしているタイプだからだ。
確かに思春期に(今もそうかもしれないが)人並みに反抗期も体験してはいるが、友人達の〝それ〟とは比にならないものだ。
確かに反抗もすれば怒りもするが、世間一般に騒ぎ立てられているような〝キレる〟事は無いのだ。
まあ……。ここで〝これ〟を力説する事ではないのだが……。
圭吾は何やら真剣に話し込んでいる、いえもりさまを凝視した。
……誰と話ししているんだ?……
〝地元マサイ族〟の眼光が光る。
流石に自慢するだけはある……。
圭吾はいえもりさまが、誰と話しをしているのか解った。
……まじか……
ゴロリと炬燵に寝そべっていた圭吾は、のっそりと起き上がってガラス越しに庭をガン見した。
そこには、小さないえもりさまよりもはるかに小さなミミズが、いえもりさまと〝立ち話?〟している。
……あいつミミズと何話してんだ?……ってか、家守ってミミズ食わねえの?……
妙な光景にも、もはや馴染んでしまった圭吾は、小さいもの同士の会話を盗み聞きしようと、ガラスに耳をくっつけたが、流石の圭吾にも聞こえない。
……チッ……
圭吾は舌打ちをして、再び電気の入っていない炬燵に潜り込んで、そのままうたた寝をしてしまった。