不思議噺 あやかし病院へようこそ 其の八
翌日母親は、とても入り組んでいて行きにくかったICUから、一般の病室へと変わっていた。
昨夜も八時過ぎまで居させて貰ったが、ICUなので9時以降には帰宅した。
夕方の5時になると夜勤の看護師が挨拶に来て、丁寧に跪くと
「今夜担当する○○です」
と名乗った。
ICUなので、意識のない患者もいるが、そういう患者には耳元で名乗っていた。
……夜に治療を行う……
と狸……四季先生は言っていたが、このもの達も鼬狸狢狐の類だろうか?
などと疑ったりしたが、四季先生との約束を守って、疑いの気持ちを持たないように、自分に 言い聞かせた。
翌日仕事に行き、遅くなっても大丈夫だと言われていたので、溜まってしまった仕事を終えて、病院に着いたのは八時間際になっていた。
病室は二人部屋で、隣のベッドには母親と同じような、寝たきりの老婆が横たわっていた。
カーテンが閉められていて、外の月は見えないが、来る時に見た夜空には、満月ではないがとても綺麗な月が浮かんでいた。
いつもはバスやタクシーで来ていたが、遅くなってもいいように、一旦家に帰って車で来た。
地理的には、会社からこの病院迄の間に家が在る。
……といっても、家の最寄りの駅がこの間に在る訳ではないので、乗り換えたりといろいろ手間は食うのだが……。
一弥は四季先生との約束を守る様に、一切の疑念を持たずに、未だに意識の戻らぬ母の元に足繁く通った。
徐々に日が落ちていく田畑を見ながら、国道を走らせていると、なんとも神秘な空の変化に感嘆した。
……神が御座す地……
と、いう言葉が頷ける。
夕焼けに染まっていた空から群青色に変わるその瞬間が、とても神秘に満ちている。
そして暗い夜空へと変わり果てずにいる、群青色の空に大きく光る月が、少し朱色を帯びて地平線に浮かんでいる。
その赤みを帯びた巨大な月の周りの群青色には、朱色が絶妙な色合いに入り混じって、天から注ぐ最後の日の光が幾本かの光の柱となって、天に召される人々を誘っているかのように想像させた。
……確かにここは、神が御座す地だ……
最早通い慣れて見慣れた光景となったにも関わらず、一弥は毎回本気でそう思う。
いつも通り、母のベッドの横に椅子を持って来て、そこに腰を下ろした。
「!!!?」
すぐに違和感を覚えて母を凝視する。
『経管栄養』と いわれている、鼻から入れてある透明のチューブが、無くなっていたのだ。
「鼻のチューブが無いんですけど……」
一弥は大慌てで、ナースステーションに走っていって言った。
「川口さんなら、さっきチューブを外しましたよ」
「えっ?だって意識回復してませんよね?」
「どうでしょう?今夜あたりは、月も大きく綺麗なので、見に起きるやもしれませんよ」
「ばかな…….」
「先生は?四季先生……」
「そろそろ病室に伺っている頃かもしれません」
……何をばかな、そんな説明全然聞いてない……
一弥は頭に血が上る感じを覚えて、無邪気に話す看護師を見た。
「えっ?」
看護師達の頭に大きな耳が……。いや稲里ソーシャルワーカーのように尻尾も……。
看護師だけではなく、介護士達も……。
少し頭がクラクラとし始めたので、母の待つ病室に戻ろうと窓の外を見ると、この病棟のみ在る中庭を患者達が、やはり大きな耳と尻尾を持つ理学療法士や作業療法士と、大きな月の下を散歩していた。
「どういう事だ?」
天上には巨大な月が浮かび、満天の星が輝いている。
病院の周りの街灯が妖しく狐火の如くに輝いて、鬱蒼とする森林の暗闇の中、病院を浮かび上がらせている。
なんとも神秘的で、摩訶不思議な世界が一弥を釘付けにした。
……まさに神の域だ……
一弥は呟いて、窓の外の楽しげな姿を見ながら、病室へと歩を進めた。