不思議噺 あやかし病院へようこそ 其の四
その後直ぐには、ソーシャルワーカーの田部さんからは連絡がこなかった。
〝あそこ〟は雰囲気が気に入ってしまったが、やっぱりどこか引っかかるところがある。
どこか……じゃなくて〝妖しい〟所だ……。
田部さんからの連絡がないままに、仕事帰りに母親を見舞っていると
「あのー」
微かにカーテンが揺れた。
仕事帰りに寄っているので、もう直ぐ八時頃だろう。
一弥はすぐに稲里だと直感してカーテンを見た。
「やっぱり……」
今夜はちゃんと美しいソーシャルワーカーの稲里として、カーテンを開けて入って来た。
「お決まりになりましたか?」
「いえ……田部さんはなかなか連絡くれないのに、稲里さんはよく見えますね……」
「営業という訳ではありませんよ」
一弥が一瞬心の内に思った事を、ズハリ否定して言った。
「はは……そんな風には……」
「私がこうして参るのは、全ての患者さんにしている訳ではありません」
「……そうなんですか?」
「そうなんです」
確かに言われてみれば、相談すれば親身になって聞いてくれるだろうが、相談する事がわからない一弥には、この病院の田部さんと懇意に話しをする事がない。
転院についての話しがあり、田部さんが説明するように、家の近くの病院に聞いてもらい、受け入れが困難だとわかると、ちょっと遠くても田部さんが言う病院に聞いてもらう……。
田部さんはいろいろ手を尽くして聞いてくれるが、稲里ソーシャルワーカーのように、他の病院から来るのはちょっと変だ。
……変といえば稲里が〝変〟なのだが……
「もしも、今稲里さんに転院のお願いをしたら、稲里さんから田部さんに連絡してくれるって事ですか?」
「連絡もなにも……全てこちらにお任せください」
「今田部さんから連絡がないので……」
「だったら、余計にお決めください」
今夜の稲里さんは、何時もよりも強引な感じだ。
「……確かに僕は気に入っているんですけど……」
……稲里さんが狐なので踏ん切れない……
とは言いにくい。
「あなたが気に入っている……という事は、患者さんが気に入っているという事ですよ』
「は?」
「今患者さんに巻き込まれ、あなたは少し違う世界に入っているんです」
一弥は人間ではない稲里さんとこうして話しているので、切実に感じている。
稲里さんを見れる事自体が、最早異常な状態だと思っている。
母のあやふやな状態が、ひとつの異世界と結びついているのだろう。
「それはあなたの事だけではありません。病院に入院している全ての人間が、或る異世界との狭間に身を置いているのです。その異世界に立ち入ろうとすると、危険な状態に陥るのです。ぎりぎりあなたと共に、その狭間に身を置いている患者さんは、時として唯一無二なものと同化する事があるんです。そして己の意思を伝えるのではなく、推し進めるのです。それは計り知れない未知の力です。故にあなたは患者さんの気持ちを分かろうとしておいでなのに、〝あなた〟の〝意思〟が邪魔をしてはいけません」
「え?僕の意思……ですか?」
「そう……あなたの意思です。あなたは、あなたが後悔を残さぬように、決めていく事を無意識の内にしているのです。患者さんにとって良い病院。患者さんに少しでも良い病院……それはあなたが決めて、後でもしも〝あそこ〟なら……と後悔しないように…….。しかしながら残念な事に、全ては〝神の域〟なのですよ。医者や病院を選ぶ事でも、看護の仕方や介護の仕方ではないのです。ただ〝神の域〟なのです。生あるものが〝生と死〟に携わった時は、ただ〝神の御心〟それだけなのです。そしてその〝御心〟に患者さんは従おうとされているのですから、あなたもその〝御心〟に従う事に、疑念を持たれないでください」
「……………」
一弥はなんだか、稲里に丸め込まれそうになっているような、そんな気持ちになった。
そんな気持ちになっているのに
「じゃあ、お願いします」
と口を吐いて言ってしまっていた。