悪魔、料理教室へ行く:地獄のスパイスと秘密の隠し味
「メフィスト。あなたの料理、美味しいんだけど……最近ちょっと重いのよね」
ある日の夕食後、恵がポツリと言った。
食卓には、メフィストが「滋養強壮に最適だ」と腕を振るった、真っ黒なソースがたっぷりかかった謎の肉料理(味は極上)が並んでいた。
「重い? 軟弱なことを。魂の活力を維持するには、これくらいの魔素を含んだ脂質が必要だ。貴様、最近『推し活』で体力を削りすぎではないか?」
「そうじゃなくて、もっとこう……彩りとか、ヘルシーさとか、インスタ映えするような華やかさが欲しいの! というわけで、明日これに行ってきて。受講料は出しといたから」
恵が差し出したのは、地元のコミュニティセンターで開催される『初心者歓迎! 春の彩り家庭料理教室』のチラシだった。
「……料理教室? この私が、今さら人間に包丁の握り方を教わるというのか? 私の包丁さばきは、かつて一振りで七つの魂を……」
「いいから! 明日のメニューは『ふわとろオムライス』よ。楽しみにしてるからね!」
翌日。
エプロン姿の主婦たちが集まる調理室に、一人だけ「異次元から来た殺し屋」のようなオーラを放つ男がいた。
メフィストは、恵に無理やり持たされたピンクのフリルエプロン(「借り物だから汚さないでね」と言われたもの)を締め、鋭い眼光でボウルを見つめている。
「……よし。まずは鶏卵という名の生命の揺りかごを、撹拌すればいいのだな」
「あ、あの……メフィストさん? そんなに強く混ぜなくても大丈夫ですよ?」
戸惑いながら声をかけたのは、講師の優しい女性だった。
「黙っていろ。私は今、卵白の分子構造と対話している。完璧な『ふわとろ』を実現するには、熱力学的なエントロピーの制御が不可欠だ」
メフィストが指をわずかに動かすと、ボウルの中の卵は、物理法則を無視した完璧な黄金の液体へと変化した。周囲の主婦たちから「あら、あのお兄さん、手際がいいわね」とささやき声が漏れる。
調理は進み、いよいよソース作りの工程へ。
メフィストは周囲がケチャップとコンソメで無難に味を整える中、そっと懐から小さな小瓶を取り出した。
「(……仕上げに、この地獄の最下層『コキュートス』の万年雪で冷やし固めた特製スパイスを一振り。これで、恵の魂は永遠の恍惚へと導かれるはず……)」
「ちょっとメフィストさん! それ、何ですか!?」
講師が飛んできた。
「……隠し味だ。人間には刺激が強すぎるかもしれんが」
「ダメですよ! 教室のレシピ通りに作ってください! あと、そのお肉を炒める時に火柱を三メートルも上げないで! 換気扇が溶けちゃう!」
「フン……。創造とは、常に破壊を伴うものだ。火力が足りぬから、魂の旨みが閉じ込められんのだ」
メフィストは不満げに鼻を鳴らしたが、ピンクのフリルエプロンをこれ以上汚すわけにはいかない(恵が怖い)ため、しぶしぶ火力を「中火」に落とした。
夜、帰宅した恵の前に、一皿のオムライスが差し出された。
そこには、驚くほど美しく、黄金色に輝く卵の絨毯が敷かれていた。
「わあ、すごい! 本当に作ったの?」
恵が一口食べると、その表情がパッと明るくなった。
「……美味しい! すごく優しい味。メフィスト、これ本当にあの激辛スパイス入れてないわよね?」
「……講師の女に止められた。だから、代わりに貴様の好きな『バター』を少し多めに入れておいた。人間界の栄養学に基づいた判断だ」
メフィストはそっぽを向いたが、彼は言わなかった。
卵を混ぜる間、ずっと恵が「美味しい!」と喜ぶ顔を想像しながら、魔力を「愛情」に変換して注ぎ込んでいたことを。
「へぇ、メフィストが普通に料理を作るなんて。……なんか、ちょっと感動しちゃった」
「勘違いするな。私は貴様の満足度を高め、契約を円滑に進めるために……」
「はいはい。ごちそうさま。明日も、期待してるわよ、シェフ」
恵が満足そうに微笑むのを見て、メフィストは小さく指を鳴らした。
(……ふん。魂を狩るよりも、胃袋を掴む方が、よほど高度な魔術が必要なようだな)
悪魔のプライドは少し傷ついたが、空になった皿を見つめる彼の瞳には、地獄の業火よりも温かい色が宿っていた。




