悪魔、公園デビュー:砂場の支配者と小さな契約者たち
その日、メフィストはアパート近くの公園で、ベンチに座って「人間界の教育制度と魂の未熟性に関する考察」という論文を読んでいた。恵は仕事で遅く、アパートに一人でいるのは退屈だったのだ。
「ふむ、この国の義務教育は、魂の創造性を阻害する傾向にあるな。もっと自由な……」
彼の完璧な思索は、突如として背後から聞こえてきた高い声によって中断された。
「あ! クロいお兄ちゃんだ!」
「ほんとだー! なんかかっこいいお兄ちゃんだー!」
振り返ると、そこには砂場で遊んでいたらしい三人の園児が立っていた。顔も手も砂だらけ、鼻を垂らした男の子が、瞳をキラキラさせてメフィストを見上げている。
「……何の用だ、小僧ども。私は今、深淵なる真理と向き合っている」
メフィストは威厳をもって言い放った。だが、子供たちには全く響かない。
「ねえねえ、お兄ちゃん、かっこいいね! その服、魔法使いみたい!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! 一緒に遊ぼうよ!」
一人の女の子が、小さな手を伸ばしてメフィストのスーツの裾を引っ張った。
悪魔は固まった。
(な、なんだこの、無垢でありながら、有無を言わさぬ圧力は……!)
「ねえ、お兄ちゃん。このお山、もっと高くしたいの! 魔法で高くできる?」
子供たちの目は、まるで獲物を見つけたかのように輝いていた。
メフィストは一瞬躊躇した。しかし、彼が悪魔である以上、子供の純粋な「お願い」を、特に魔法を使えば叶えられる「簡単な」お願いを断るのは、悪魔の誇りに反する。
「ふん、たやすいことだ。この程度ならば、わざわざ次元を歪めるまでもない」
メフィストが指を鳴らすと、砂場の中央にあった小さな山が、モリモリと盛り上がり始めた。子供たちの目線では遥か高くそびえる、巨大な砂の城へと変貌したのだ。
「うわあああぁぁあ! すごーい!!」
「魔法だ! 魔法だー!!」
子供たちは歓声を上げ、砂の城の周りを駆け回った。
メフィストは得意げに腕を組み、小さく咳払いをした。
「どうだ、小僧ども。私の力は、貴様らが遊ぶ『泥遊び』とは一線を画するだろう」
「ねえ、お兄ちゃん! じゃあ、今度はこのお城に、お姫様を呼んでくれる?」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん! ぼく、怪獣と戦いたい!」
次々と飛んでくる無邪気なリクエスト。メフィストは一つ一つ、魔力で形にしてやった。砂でできた精巧な人形が動き出し、空飛ぶミニチュアの怪獣が現れて、子供たちと「戦いごっこ」を始めた。
その様子は、まるで偉大な魔王が、小さな国民たちのために催しを開いているようだった。
メフィストはいつの間にか、砂場の中心で、子供たちに囲まれながら「これは何ができる?」「これはどうやって動かすの?」と質問攻めにされていた。
「私の魔力は無限ではない! とはいえ、この程度の創造ならば、魂を一つ使えば……いや、それは無駄だな」
二時間が過ぎた。子供たちはメフィストにすっかり懐き、彼のスーツの膝元に座り込んでいた。
「ねえ、お兄ちゃん、また明日も遊んでくれる?」
「お兄ちゃんといると、楽しいもん!」
メフィストは困惑した。彼にとっての「契約」は、魂を対価とする厳粛なものだ。しかし、子供たちの瞳には、それとは違う純粋な「期待」が宿っていた。
「……フン。貴様らが大人になり、魂が熟成した暁には、改めて私のコレクションに……いや、いいだろう。貴様らの『笑顔』が、今日の報酬だ」
そう言って、メフィストは子供たちの頭をポンポンと撫でた。子供たちは嬉しそうに笑った。
その時、どこからか「〇〇ちゃーん! 帰るよー!」と母親の声が聞こえてきた。
「あ! ママだ! お兄ちゃん、バイバイ!」
「また明日ね、クロいお兄ちゃん!」
子供たちは名残惜しそうに手を振り、母親のもとへ駆けていった。
公園に一人残されたメフィストは、静かに砂の城を見上げた。
子供たちが残した足跡や、小さな石ころが転がる砂場。そこには、わずかな時間だったが、たしかに「楽しかった」という人間の感情の痕跡が残されていた。
「……まさか、悪魔である私が、魂を狩る以外の『報酬』を得るとはな」
メフィストはそっと、砂の城の頂点に手を置いた。
(この城は、貴様らが大人になるまで壊させん。そしてその時、貴様らの魂は、必ず私がいただく。……だが、それまでは、この人間界を、貴様らが笑って過ごせる場所にしてやろう)
「そのためには、まずはあの恵の『推し活費』をどうにかせねばならんな……」
メフィストは深くため息をつき、明日のハローワークの予定をスマホに打ち込むのだった。
悪魔は今日も、知らず知らずのうちに、人間として成長していく。




