番外編:元上司の視察と、もやし炒めの衝撃
メフィストが人間になり、恵と暮らし始めてから半年。
二人の夕食タイムに、突如としてチャイムが鳴り響いた。
「(……この、硫黄とマンドラゴラを混ぜたような不吉な気配は……!)」
メフィストは箸を置き、緊張で身を強張らせた。ドアを開けると、そこには、目つきの鋭い銀髪の男が、これまた場違いな「紫色のベルベットスーツ」で立っていた。
「……久しぶりだな、メフィストフェレス。いや、今は『羽生(恵の苗字)メフィスト』だっけか?」
地獄の監査役、ベルゼブブ。かつてのメフィストの上司であり、一億の蠅を操る実力者だ。
「ベル……! なぜここが分かった。私はもう、地獄の籍を抜けたはずだ」
「フン。優秀な部下が、プリンのために魂を売った(しかも人間側に)という噂を確認しに来たのさ。……お邪魔するよ」
「あ、メフィストの知り合い? こんばんはー! 今、夕飯の準備してるから座ってて!」
恵は全く動じることなく、キッチンから声を上げた。ベルゼブブは、その「悪魔への恐怖心のなさ」に眉をひそめながら、狭い2DKのダイニングチェアに腰を下ろした。
「……メフィスト。貴様、正気か? 伝説の公爵が、こんなプラスチックの椅子に座り、100円ショップのマグカップで白湯を飲むなど。地獄の威信はどこへ行った」
「黙れ。この椅子は、恵がニトリで一生懸命選んだものだ。座り心地は……悪くない」
そこへ、恵が料理を運んできた。
「お待たせ! 今日は特売だったから、『もやしたっぷり豚キムチ』だよ!」
「……何だ、この細長い植物の根っこは。毒か? 呪いか?」
ベルゼブブは怪訝そうに、もやしを一掴みした。
「ベル、それは『もやし』だ。一袋19円で買える、現代日本の救世主だ。食え。貴様の狭い価値観が壊れるぞ」
ベルゼブブは疑いながらも、もやしを口に運んだ。
シャキッとした食感、ピリ辛のタレ。
「……っ!?」
「どうだ、ベル。地獄の贅を尽くした『罪人の舌煮込み』よりも、よほど生命の輝きを感じるだろう」
「……バカな。こんな……こんな安っぽい快楽に、私が……」
ベルゼブブは、無言でもやしを貪り始めた。
「おい、メフィスト。これの増産は可能か? 地獄の給食に導入すれば、反乱軍も一網打尽にできるぞ……」
「無理よ。これは愛情を込めて炒めるから美味しいんだから」
恵がドヤ顔で言うと、ベルゼブブは初めて彼女を直視した。
「……なるほど。メフィストが、地獄を捨ててまでここに居座る理由が少し分かった。この女、魂が鋼鉄よりも頑丈だ」
結局、ベルゼブブは「もやし三袋」をお土産に貰い、大満足で次元の裂け目へと帰っていった。
「メフィスト、お友達、面白い人だったね。でも、あの紫のスーツはちょっとセンス疑うわ」
「……だろう? 私は常に、彼にファッションのアドバイスをしていたのだ。……さて、恵。皿洗いは私の番だったな」
メフィストは袖をまくり、手慣れた手つきで洗剤を泡立て始めた。
地獄からの視察。それはかつての自分を思い出す機会だったが、今の彼には、目の前の汚れた皿をピカピカにすることの方が、何倍も重要な「使命」に感じられた。
「……次は、あいつも『推し活』に誘ってやるか。案外、ペンライトを振る才能があるかもしれん」
悪魔たちの平穏(?)な夜は、もやしの香りと共に更けていくのであった。




