その9
「結論から言うと、貴方を連れ歩くことは出来ないのよ」
タイミングを見計らい、コーヒーをすすりながら『魔女』――ルカ・フォルトは言った。
子供はデザートに出てきた桃を食べていたが、唐突な言葉にピタリと動きを止めて目を見開いた。
しかしそれは一瞬のことで、すぐに落胆と諦めの表情が浮かぶ。予測はしていた、でも辛い。そんなところだろうか。
だが、この話にはまだ続きがある。
子供が桃を食べ終わるのを待ち、片手を上げて店員を呼ぶ。コーヒーのおかわりを注文し、空いた食器を片付けて、テーブルを綺麗にしてもらうと、バサリと子供の作成したレポートの束をテーブルの上に広げた。
「これ――」
「そ、貴方の作ったレポート」
字が汚いから、読むの苦労したわよ~。冗談めかしていいながら、それらをめくりつつサラリと言う。
「正直に言うけれども、貴方は多分、いわゆる『天才』の部類だと思う。
まさかあれだけの短期間に、字も読めなかったのにあの量の書籍を全部読んで、理解して、これだけのレポートを作るとは思ってなかった」
掛け値無しの賛辞に、子供の頬が真っ赤になった。面白い。
「でも、じゃあ何故?」
「だから話はきちんと最後まで聞きなさい。
私は貴方を『連れ歩くことが出来ない』とは言ったけれども、肝心なことはまだ口にしてないわ」
やれやれ、とため息をつきながら、肩をすくめて見せた。子供の表情が驚きに変わる。
別に焦らしているつもりは無い。
ただ、その結論を口にするにあたり、改めて自分の覚悟を決めなければならなかった。そのための間が欲しかっただけで。
――あ。それって結局、子供の立場から見れば時間を稼いで焦らしているってことか? などと思ってはならない。決して。
『魔女』には『魔女』なりに……まぁ、その、色々。そう、色々あるのだ。
すぅ――っと深呼吸して、『魔女』は告げた。
「――合格よ。貴方を弟子にして、魔法を教えてあげる」
ただし、条件付で。
目の前が、開けたような感覚だった。
それこそ、もう死んだっていい。それほどまでの幸福感と高揚感。空も飛べる気がする、とはこういう感覚のことか。
目に見えて希望に満ちた表情の子供を見て、女は苦笑したようだった。ポリポリと右手で頭をかくと、届けられたコーヒーのおかわりをグビリと口にした。
「で、その条件なんだけど、3つあるわ」
「はい、何でもします!」
「だーから、『何でもします』なんて言葉は軽はずみに言っちゃダメだっつの。特に、これから魔法を使えるようになるなら、ね」
喜色満面に思わず身を乗り出すと、ペシっと額を叩かれた。ちょっと痛いが、そんなことは気にもならない。
「さっきも言ったとおり、私には貴方を連れ歩く余裕は無いの。だから貴方には、この街に定住しといてもらわないといけない」
出来る? と目線で問われ、無言で力強くうなずいた。頼るアテなど無いが、自分は知っている。死ぬ気になれば何だって出来る。
すると、女がまたメモを差し出してきた。最初と同じように、数冊分の本のタイトルが羅列されている。
「じゃあ、この街にいる間にここに書いてある本を読んでレポートを作成して、次に私がこの街に来るまでに完全に理解しておいて。そうね、3ヶ月後くらいには立ち寄れると思うから。
作成したレポートは定期的に遣いをよこすから、それに託せば私の手元に届くようにするわ。
これが一つ目の条件」
「分かりました」
「あとこのレポートは返しておくわ。補足や添削入れといたから、目を通しておいて。
あ、『力』の自覚の仕方は、この間読んだ本に書いてあったから分かるわね」
うなずくと、女がコーヒーカップを皿に戻した。すぅっと右手が伸びて、こちらの額に当たる。その手から、何か温かいものが身体に流れ込んでくるような感覚があった。心地よい。
目を閉じて、何事かに集中している。邪魔をしないように、でも睫毛の長さを目の当たりにして内心ドキドキと待っていると、その目がふっと開いた。
額から手が離れていくのが、名残惜しい。
「操ることの出来る力の上限は強め、でも制御は少し不得手な方。色はゴールド、得意分野は炎系だけど水系も不得手では無い――癒しの分野はそれなり、でも補助系にはあまり才が無さそうね」
「ちょっと触れただけで、そんなことが分かっちゃうんですか?」
「うん、まぁ」
言いながら、さらにメモに何かを書き足している。
「『力』の自覚が出来たら、この本の魔法陣と呪文、全部記憶して。簡略化や省略など、もし出来たとしても一切なしよ。最初は基本に忠実に」
覚えても、絶対に一人で使ってはダメよ。最初は制御が効かなくて危険だから、師匠である私の立会いの下でするから。
多分貴方のことだから、待てないかも知れないわね? でももし一人で魔法を使ってたりしたら――クビよ。
隠れてしても分かるから、そのつもりで。これが二つ目の条件。
それまでで一番凄みのある笑顔を向けられて、背中にタラリと冷や汗が落ちるのを感じた。コクコクと首を縦に振ると、表情がふわりと緩む。仕方ない子ね~と肩をすくめられた。残っていたコーヒーを全部喉に流し込み、カップを置くとスラリと長い指を組む。
「それから、これが最後の条件なんだけど」
あなた、一人称の『ボク』っての、辞めなさい。




