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その6

――しとしとと降る雨の音で、目が覚めた。こんな雨の日は、あの人のことを思い出す。


一週間は、思った以上にあっという間に過ぎた。

元よりこの街に来た理由は休息のためだ。好きなことだけして過ごす時間は、あっという間に過ぎ去るものである。

明日には宿をチェックアウトして、次の目的地へと旅立たなければならない。いい加減王都にある自宅へ戻り、息子の顔を見たいが、もう少しやるべきことが残っている。

この間やってきた遣いによれば、息子は健やかに成長しているとのことだった。

先日はウッカリと次世代の魔王と遭遇したとのことだが、あの賢い息子のことだから大丈夫だろう。


そういえば、あの子供。息子より少し年が上くらいだろうか。

窓から外をぼんやりと眺めながら思う。約束の期日は今日だ。図書館に行かなければ。

あれから自分は図書館には立ち寄っていなかったが、昨日の閉館直前に少しだけ顔を出して、例の馴染みの司書に様子を尋ねてみた。

子供は毎日図書館へと通い詰めていたそうだ。いつも同じ、一番奥にある席を陣取って、まるで壁か何かのように立ちはだかる本を相手に真剣な顔をして向き合っていたという。

あれだけの書物を目の前にして、全く諦めなかったというのは驚きだ。

毎朝開館時間と同時にやって来て、与えた課題本のうちの何冊かを借り午後三時には立ち去るらしい。図書館の閉館時間は午後5時だから、早めに退館するのには何か理由があるのだろう。

どこに宿を取っているのかは分からないが、最初に来たときよりは身奇麗になっていたとのこと。子供でもできるような日雇い・あるいは住み込みの仕事でもしながら、空いた時間をみつけて通ってきているのでは無いかと司書は言った。


こんなナリではあるが、自分も一児の母であるために全く同情をしないというわけではない。

だがしかし、こんなナリだからこそ、ちょっと同情したくらいで自分の傍に置き、同じ道を歩ませるわけにもいかないとも思う。


そういえばあの日、あの人――師匠、先代の『魔女』は。

あの人は、どんな気持ちであの日、雨に打たれて死にかけていた自分を拾ったのだろう。

遠い日のことを思い出しかけて、やめた。分かるはずが無い、あの人は本当に掴み所の無い人だったのだから。


それほど多くは無い荷物をまとめ、スッカリお気に入りになった宿屋の朝食を美味しく頂いてコーヒーをすすり、宿屋をチェックアウトしてゆっくりと図書館へと向かった。傘を叩く雨はそれほど強くも無いが、止む気配は全く無い。しとしと、しとしと。

鬱陶しいようでもあり、優しく労わるようでもあり。


開館と同時に入った図書館に、いつもの司書の姿が無かった。ここ数日働き詰めだったため、有給をとったらしい。この街を発つ前に顔を見ておきたかったのだが、残念だ。

一番奥の席に、子供の姿はまだ無かった。諦めたのだろうか、と思いかけて首を振る。司書の話を聞く限りでは、それはまず無いだろう。寝坊でもしてるだけかも知れない。

暇つぶしにと書架をうろつき、適当に選んだ本を手に席へと戻る。東の国に関する本だった。旅をしていて偶然流れ着いた誰かが書いた日記を元に構成されている。

いずれ東の国にも行かなければならなくなるだろう。読んでおいて損は無い。

と、これがまた中々面白い内容だったために時間を忘れて読みふけってしまい、トントンと肩を叩かれて我に返った。

振り返ると、目の下を青黒くした子供が分厚い紙の束を手に立っている。

壁にかかっている時計に目をやると、本を読み始めてからはまだそれほど時間が経っていなかったようだ。


「おはようございます」

眠たそうに目をこすりつつ、子供は律儀に挨拶をしてくる。この分だと徹夜でもしたのだろう。少しばかり不憫に思いつつ挨拶を返すと、子供は手にした紙束を両手で差し出してきた……かなりの厚さである。

まさか、本当にあれだけの本を全部読破した上で、レポートを作成したのだろうか。内心で相当驚きつつ、平静を装いながらそれを受け取った。

枚数もさることながら、字もかなり汚い。読めないことも無いが、時間はかかる。

「……あなた、字の読み書きは出来たの?」

「いいえ。なのでまず三日間は、文字や文章を覚えることに時間を費やしました」

「あらそー」

どうということもないフリで返事をしたが、内心舌を巻いていた。そこで諦めてしまうかと思ったら、まさか乗り越えてくるとは思っても見なかった。

しかも残りの四日間であれだけの本を読んだというのか。理解してるかどうかは……これからこのレポートを読めば分かることだが、それを抜きにしても大したものだ。


そこまでして作成されたレポートである。いくらルカが鬼ならぬ「悪ぅいオトナの『魔女』サマ」だからといって、目を通さないなんてことは絶対に出来ないし、半端な気持ちで向き合うことも出来ない。

この子供がどの程度まで理解できたのか、興味もあった。

腹をくくり、少し湿っている紙束を整えなおすと振り向かずに子供に告げた。

「これ、ちょっと目を通すのに時間がかかりそうだから好きにしてていいわよ。そうね、図書館の閉館時間にまたここに来なさい」

これは中々、読み応えがありそうだ。

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