その3
「分かりました――死にます」
「そうそう、『何でもする』なんて言葉は、そう簡単に使っちゃダメだよー……って……ん??」
あやふやな記憶を無理矢理ひねり出そうとしていたためだろうか、子供の返事が自分の予測とはまるで異なったものに聞こえたのは。
ん、今何て言った? えーと、シニマス? 42マス?
HAHAHA まさか、そんな。違うよね? 「アキラメマス」か「それはできません」の聞き間違いだよね??
ぼんやりと子供の言葉を頭の中で反芻し、
「いやいやいや、そんな、ねぇ?」
と一人で否定して首を振る。この歳になってこんなに動揺することになろうとは、思っても見なかった。
先ほどよりは少し引きつり気味の笑顔を、「ニッコリ」という擬態語つきでもう一度子供に向け、問い返してみる。
「えーと、ごめん。その、何て言ったのかな~? もう一度言ってもらっても――」
「死にます。弟子にとってもらえないなら、生きていても仕方ないから」
ビシリ。別段ファンデーションも塗っていないというのに、顔面にヒビが入った――ような気がした。
一体どこまで本気なのかと、子供の表情をうかがおうとするが、伸び放題の前髪に隠されて見えない。
かすかに見えるカサついた口元には、何の表情も見えず。
……そしておそらく、そうやってうつむいていた子供にもルカ・フォルトの表情が変わったのは見えなかったであろう。
すぅっ――と、銀色の瞳が細められ、瞳孔が音も無く開く。かつて誰かに、『絶対零度の氷山のようだね』と表されたことのある瞳(何と失礼な)。
その表現に違わず、直視した人間が思わず身震いでもするのではないか、というほどに冷え切った眼差しに、幸いというべきだろうか子供は全くといっていいほど気づいていない。
「……本気で言ってるの?」
問い返すのは、やや低めの声。
「本気、です」
「……」
思わず額に手を当てて空を仰いだ。ああ、何てことだろうか。
いつもより奮発してとった、居心地の良い宿屋は目と鼻の先なのに。
一階の美味しい食堂でご飯を食べて(ここは焼き魚定食が最高に良い!)、お湯を借りて身体を綺麗にして、ふかふかベッドにゴロゴロ寝そべって、借りてきた本を読み漁る……そんな天にも昇るようなプライベートタイムが私を待っているというのに。
こんな子供のことなど、無視して部屋に戻ればいい。そうした後にもし、本当に子供が自分で命を絶ったとして、それは自分のせいなどではないことなど明らかだ。
これは面倒なことになった。何が面倒かって、自分の割り切れない心情である。
長い年月生きているからといって、人間そう簡単には変われないものなのかも知れない。
これが『優しさ』などという尊い感情などでは無いことは、自分で分かっている。
ただ自分の無力さと汚さを直視することに耐えられないだけ、なのだ。
冷たく冷たく、まっすぐ見るものを射る弓のように引き絞られていた瞳が緩み、元の温度を取り戻す。
変わりに宿したのは、諦観。
そしてやはり、そんなルカの様子にも気づかぬ子供は、顔を上げることなく尋ねてもいないのに話し始めた。
「誰もボクが死んで悲しむ人もいませんし、今のままでは生きていても、何の意味も無いんです。
もし、ボクが死んでも貴方のせいでは無いので――」
そこまで聞いて、イラっとした。つい言葉がこぼれる。
「そうやってワガママを言えば、私が折れるとでも?」
「!」
子供の顔が上がった。怒りに任せた反射だろう。それを気の無い目で眺めながら、『魔女』は呪文でも紡ぐように言葉を発する。
「だって、そうでしょう? 貴方の言ってることは、ただの子供の駄々で脅迫よ。オトナを困らせて言うこと聞かそうとしてるだけ。『オマエが言うことを聞いてくれないのなら、オマエの言葉のせいで、ボクは死んでやるぞ! 阻止したいのなら、ボクの言うことを聞いてくれ』って」
「ボクは、そんな――」
「そういう風に私には聞こえるの。それにね、貴方が死ぬからといって、私は止めないわよ。むしろ好都合よ。だって貴方――」
そこであえて言葉を止める。胸の中に残っていた息を一旦全部吐き出して、一言。
「あの魔法陣を見たんでしょう?」




