Ep,1 元英雄はその日暮らし
……夢を見てた。
俺が一番イケてた頃の夢だ。
俺は……俺たちは最強のパーティーだった。
マジ強かった。五人揃ってりゃ天下無敵だ。
あの時代……もう十年近く前になんのか……は人類領域はどこも酷い有様でな。
魔王軍の侵略でボロボロだ。
闇の勢力の隆盛に呼応して各地の魔物も活性化してたしな。
そんな魔王軍に対抗するために各国が手を取り合い国の枠を超えて精鋭たちを選抜したんだ。
御触れが出た時は俺は狂喜乱舞したね。
『集え、勇者よ』ってな。
ま、今考えりゃ陳腐な募集の文句だが、それでも剣の修行を積んできた身にすりゃビリッと来たぜ。
物心ついた頃から師匠に鍛え上げられてきた剣の腕をようやく存分に振るえる時が来たんだ。
ブチ上がらねえはずはねえだろ?
人類の連合の各国の王たちの揃った御前試合で俺は見事優勝した。
そん時決勝で戦ったのが聖騎士ランディオス。
剣も上手えし光の魔術も使う。まー……手強い相手だったな。
ムカつくくらい強いしムカつくくらい面のいい男だった。
すぐに俺とは親友になってよ。一緒に組んで最後まで戦い抜いた。
性格はまるで反対だったが妙にウマが合った。
俺たちのパーティーは常に先陣だった。
連合軍の切り込み隊としてあらゆる戦場で戦った。
何年も戦って戦って戦って……。
それで、ついに魔王を倒した。
俺たちが今の平和を築いたってわけさ。
過去の栄光……ってやつだな。
俺の名はウォード、ウォード・ヴァルケンリンク。
英雄と呼ばれたこともあった男だ。
…………………。
……………。
………。
「あら、まだ寝てたのかい。いいご身分だね、まったく」
……低い女の声が聞こえる。
この声はあれだ。宿の女将の声だ。
「どっか行っててくださいよ、旦那。掃除しちまいたいんでね」
こっち温かみの欠片も感じられない視線を向けている不愛想な中年女。
確かに彼女は掃除用具を持っている。
本格的に女将の機嫌を損ねたらエライこっちゃ。
今の俺の生活力でここよりマシなねぐらを見つけられる可能性はほぼゼロだ。
俺は慌ててベッドから飛び出ると着替えて宿から飛び出した。
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……最悪の寝覚めだ。
王都の大通りを歩きながら俺は不景気なため息をつく。
商店の窓ガラスに映っているのはぼさぼさの黒髪に顎に無精ひげを生やした冴えない表情の男だ。
いつから俺はこんな覇気のねえ面をするようになったんだか……。
今さっき女将に厄介払いされたばかりの今の俺の住処は、あの大戦の後に凱旋帰国してすぐに泊った宿だ。
『いやいや! お代なんてとんでもない!! いつまでだってご逗留くださいよ!!』
『ホントにねぇ。「閃光の戦士たち」のウォード様がいらっしゃる宿だなんてこれ以上ない看板になりますよ』
宿の経営者夫妻はそう言って揉み手しながら俺を出迎えたもんだ。
ちなみに『閃光の戦士たち』ってのは俺たちのパーティーの異名だ。
俺が名付けたんじゃねえぞ。
名付けたのは……えーと……誰だったか。今となっちゃどうでもいいか。
……まあ、そんで俺もついついその言葉に甘えちまって、気が付きゃもう五年か。
あれからこれといった職に就く事もなく俺も二十七歳。
巷で俺が騒がれなくなっていくにつれて宿の夫婦の俺への対応もおざなりになってった。
流石に今は宿代は払ってる。
……去年からな。
長期逗留ってこともあって拝み倒して相場よりは相当に安くしてもらってるんであの宿をおん出された日にゃ俺は相当にヤベー事になる。
はぁ~ぁ……。
何でこんな事になっちまったんだろうなあ。
見上げた空は皮肉にも晴れ渡ってやがる。
あの日、凱旋の日もこんな天気のいい日だった。
パレードにパーティーにで連日大騒ぎだった。
俺は英雄だ。
魔王を倒した男だ。
この先何があろうが安泰だろって、そう信じ込んでた。
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「らっしゃい。……ああ、アンタか」
冒険者ギルドの仕事の斡旋窓口。
口ひげを生やした小太りの馴染みのオッサン職員が俺の顔を見て軽く片手を上げた。
ここで簡単な仕事を受けて日銭を稼ぐのが今の俺の日常だ。
「今だと、そうだな……。薬草の採集か、土木作業だな」
ファイルを捲りながら言うオッサン。
今の俺に見合ってるといやそうなんだが、なんともショボい仕事だよ。
昨日デビューした若手にだってやれるだろう。
なんかこう……もうちょい、魔王を倒した男に相応しい仕事がないのかよ。
「歯ごたえありそうな魔物とかは出てねえのか」
「ないない。アンタだってわかってんだろ。ここ何年も危ねえ魔物の目撃例はない。魔王が死んで魔軍がブッ潰れてからすっかり鳴りを潜めちまったからな」
……つまり、今の俺が美味い仕事にありつけないのは昔の俺の大活躍のお陰ってわけだ。
泣けてくるぜ。
「なぁウォード。アンタもそろそろもう少しカッチリした職に就いた方がいいんじゃねえか?」
「あん……?」
目付きが悪くなっちまってるのは自分でもわかった。
今の俺には一番効くやつだ、それ。
このオッサンは悪意とかで言ってんじゃない事はわかってるんで猶更キツい。
「魔王を倒した大英雄様がよ。こんなその日暮らししてたんじゃ昔の仲間にも顔合わせ辛いだろ」
……一瞬。
あの輝かしい日々がパアッと目の前に広がった。
ランディオスが……仲間たちがいて。
その真ん中に俺がいた。
あの時の俺だ。
バリバリでイケてて、輝いてた……俺だ。
「!!? お、おい、泣くんじゃねえよ」
ほんの一瞬の過去の幻影が過ぎ去ってった後、そこには慌てる窓口のオッサンがいた。
「は? 泣いてねえよ」
ヤバいヤバい……視界が霞んでる。
慌てて俺は乱暴に目頭を拭った。
「今日はこれで勘弁しといてやらぁ!!」
「おいっ! ウォード!!!」
もう自分でも何を言ってんだかわからん。
とにかく俺はそう言い捨てるとオッサンの叫びを背に早足でギルドの建物を出た。
それからはもう、どこをどう歩いたもんだか……。
気が付けば俺は運河のほとりにいた。
何をするでもなく目の前を滑るように進む蒸気船をボーッと眺めてる。
夕焼けが水面に映ってそれが揺らめいてて綺麗だ。
「……………………」
腹の虫で我に返った。そういや昼近くに女将に叩き起こされて宿を出てから何も食ってねえ。
ポケットに手を突っ込むと数枚の硬貨の感触があった。
……これが、今の俺の全財産だ。
一食分にも足りてねえ。茶くらいなら飲めるかもしれんが。
黄昏てたって腹は減る。
過去の綺麗な思い出も腹の足しにはなってくれねえ。
「ウォード・ヴァルケンリンク」
不意に俺のことを呼ぶ女の声がした。
反射的に俺は振り返った。
もう何年も忘れてた感覚。
肌を焼く緊張感。
とびっきりヤベえ奴とかち合った時に感じるビリビリした空気。
……すぐそばにソイツはいた。
赤い髪の女がそこにいた。
少しツリ目の、目が覚めるような美女……美少女か?
思ったよりは若い。十代後半くらいに見える。
そして……その魔力。
纏った魔力が濃密でデカすぎるせいで赤く揺らめいて炎のように見えてやがる。
ここまでデケえ魔力を持ってたのは昔戦った魔軍の連中でもほんの数人……将軍クラスのヤツだけだ。
「私を覚えてる? ウォード」
女が問う。そして笑った。
獲物を前にした肉食獣の笑みだ。
「正直……覚えがねえな」
半分は本気で半分はウソだ。
顔に見覚えはねえ。だがそれは魔王軍の将軍はどいつもゴツい武装をしてたからだ。
こいつの殺気、こいつのオーラには何となく既視感がある。
あの時殺しあった内の誰かなのは間違いなさそうだ。
「ふん、あの時は鎧を着込んでいたからね」
それほど気にした様子もなく女は一笑に付した。
「『獄炎星』のエンデビュートよ。私の炎を受ければ私のことを思い出してもらえるかしら?」
やはり将軍……『六凶星』だ。
アイツらは全員がナンチャラ星って星の名を名乗ってたことを今更ながらに俺は思い出していた。
「あの時はやってくれたわね、ウォード。傷を癒すのに随分と時間が掛かったわ。だけど今の私はもう全快してる。それだけじゃない。前は無かった新しい力も得た」
ゴアッ! と炎のオーラを噴き上げるエンデビュート。
復讐か……。
まあ無理もねえ。
俺たちは奴をブッ飛ばして勤め先も潰したわけだからな。
武器がねえのがちとヤバいが……泣き言言ったってどうもならん。
「あの日の借りを返しに……来たんだけど……」
「?」
魔炎のオーラが……縮んでません?
奴を覆った真紅のゆらめきが見る間に縮んでいってそのまま消えちまった。
……お前、なんだその目は。
その視線はあれだ。
雨の日に濡れている捨て猫を見つけた時のやつ……そんな可愛いモンじゃねえって?
んじゃあれだ。
自分を振った女の結婚式に出席した帰りにドブに落ちた男を見たような。
「……まあ、なんか……そんな気分じゃなくなっちゃったから勘弁してあげるわ」
「何でだよ!! 諦めんなよ!! しろよ復讐!!!!」
自分という存在を支えていた最後の割り箸くらい細い何かがポッキリと折れちまったのを感じる。
俺はその場に崩れ落ちただ裏返った声で叫ぶ事しかできなかった。