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その1 魔法の鏡



 3階から4階へと向かう踊り場の壁には、大きな鏡がある。生徒がそこを通れば、全身が写るくらいには大きな鏡が。

 その鏡に動くものを認知して彼が目線を移すと、最初に青という色を見た。それが美しい装束で、その装束を纏う主はより美しい少女だということも判った。

 それでもまだ彼には判らないことがある。鏡にその少女が写っているだけで、鏡の前、つまり踊り場には、物理法則を遵守するために必要なものが何もない、ということだ。


 しかし、少年はそんなことを意にも介さず、いや、考えもせずに、彼女の美しさに恍惚としているのだった。

 黒髪ロング、白い肌、翡翠のような光を放つ魅惑の瞳、妖精とでも形容するのがちょうどいい。


 少年は階段に座り弁当を膝に乗せているが、突然すぎる美少女の出現に、その箸を持つ手は力が抜け、今にも落としてしまいそう。彼はいわゆるぼっち飯を食らっていたのである。

 少女は少年を視認すると、あからさまに表情をこわばらせ、そのままの体勢で固まった。

 そのままの体勢というのは、どういう訳か知らないが、まるで鏡の前で踊っていたかのように、ドレスの端をつまんだ優美な姿勢であったことが、彼にはどうも面白かったらしい。

「んふ、ふ」

「…な、な、な…!」

彼が申し訳なさそうに笑うと、少女は少年の突然の発声に更に驚いたのか、凄いスピードで目を泳がせた。

 次の瞬間、少女が正当防衛だとでもいうかのように懐から取り出したものは、木の棒、といえば木の棒であるが、流れ的に杖だろうよ。

「いやちょっと待って!」

このままいくとこの杖の先から氷か火が出て、なにか良からぬことになるに決まっている。

「一旦深呼吸しよ。胸に手をあてて、そう、すうー、はあー」

どうやら言葉は通じるようだし、この子も思った以上に素直な子だ。言われた通り手を胸に当てて、深呼吸のリズムも少年にぴったり合わせてくれた。


 彼女が目を瞑って深呼吸している間、彼はたったひとつの事だけを考えていた。いや、その考えに支配されていたと言ってもいい。

 美しい。超可愛い。

 閉じられた目を飾る可憐な睫毛、微かに色づいた唇、艶やかな黒髪…どれも見惚れる程だった。

 身長は少年よりはいくらか小さく、年齢は同年代のようにみえる。正真正銘の美少女だ。

 

 さまざまなゲームやアニメを経験として培ってきた少年は確信した。この鏡の向こうは異世界で、この美少女が鏡の向こうに連れていってくれて、そこでなんらかの能力を開花させて無双しつつ、美少女と戯れることになると。


「あ、あの、あんた、いやあなた、誰、ですか…」

美少女は何度も言葉を詰まらせながら懸命に喋った。

「えっと…あなたこそ誰?」

こんな時に緊張して優しい言葉を掛けてあげられないのがなんだか悔しい。

「いや、あなたこそ誰?」

「え? いやあなたこそ」

「あなたが先に名乗ってください」

「いやいやとんでもない、お先にどうぞ」

なんだこれは。ちょっとふざけてしまった。

「なんなのよこれ! 私はこれから用事なので、失礼します!」

「あ、ちょ! ごめん冗談だよ!」


鏡の中から、彼女の姿が無くなった。行ってしまった。

「最悪だ…何してんだ俺」

いつも仏頂面な彼は、冗談を言っても冗談と受け取ってもらえないことがよくある。不器用、という言葉がこれほど似合う男はいないだろう。

「また来たら、会えるかな…?」

彼の名は、新田心あらた ぶるーす。どういう親なのかちょっと気になってしまうと思うが、彼に罪はないので読者諸君にはこれからも見守ってほしいところである。



     ◇



 新田あらた(ブルース)は自分の心音を聴きながら、階段を昇っている。

 片手には弁当、ポケットにはスマホ。鏡の前に、仁王立ち。

「ハロー…」

鏡を触ってみても、何もない。もちろん美少女は現れない。

 昨日、なんとなく名乗りたくないという理由で空気を悪くして、大切なチャンスを逃した自分を再び呪った。呪うは英語でcurse。どんな時も単語の勉強は欠かさない、虎視眈々とT大合格を狙うガリ勉キャラを取ったら僕には何も残らない。


 わかった。取り敢えず昨日と同じ行動をとってみよう。

 ブルースは踊り場の前の階段に勢いよく腰を下ろした。弁当箱を開ける。昨日の行動を思い出す。弁当を食べていると突然彼女が現れた記憶から、いつも通り弁当を口に運ぶ。

 しかし………まあ、現れない。

 よく考えればそりゃそうだ。いつも通り弁当を食って出てきたら、毎日会えていただろう。昨日にだけ発生した条件を見つけなければ再会は無い。

 

 あの子、可愛かったなあ。でも、怒らせちまったかなあ。もう会えないか。どうにもこうにも、俺は悲しいモンスターだ。

 最近ブルースは大切なことに気が付いた。自分が孤高と孤独をはき違えていたこと、周りの人間は自分を嫌っているのでなく関心がないこと、孤独は自分が孤独だと思えば思うほど強くなること…。

「おれ、孤独だなぁ…」

ひとりぼっちの階段で孤独を嘆くこの状況があまりに惨めすぎて、なんだか笑みすら零れる。


 その時、心は驚きのあまり箸を床に落としてしまった。カラカラ、と階段を転がる音がした。


 鏡に映る景色が変わったのだ。明らかに、踊り場ではない。


 しかし、彼女はいない。


 それでもブルースは、感じたことのない胸の高鳴りを心地よく思っていた。


 ブルースは鏡の前に立って鏡を覗き込んだ。そこは、薄暗い部屋だった。汚部屋とまではいかないが、服が床に脱ぎ捨てられていたりと生活感のある部屋。

 思えば、昨日は美少女に気を取られてあまり注意していなかったが、こんな感じの背景が写っていた気がする。

「もしもーし」

鏡にむかって話しかけるも、返答はない。でも昨日は、あの少女と会話は出来ていたから、こちらの音は向うに聞こえているはず。

「こんにちはー。誰かいらっしゃいましたら答えてくださーい。おーい…」


「おい」

突然背後から低い声が聴こえた。全身が緊張するのを感じた。振り向くと、背の高い男性教師が階段を少し登ったところからブルースを見上げていた。

「何してる」

怒っている、というより困惑した表情。無理もない、鏡に別世界が写っているのだから。

「疲れてるのか? 鏡に話しかけたりして」

「え、いや。変なものが写ってて…」

「ん?」

教師は踊り場に来て鏡を見つめた。

「怖いこと言うなよ。何もないじゃないか。俺とお前が写ってるだけだ。こんなこと言っちゃあ何だが、お前、疲れてるんなら病院行け。それと、もう昼休み終わるぞ」

「え、はい」


 教師が去った頃には、鏡は元に戻っていた。

 ふむ、これは嬉しい事態だ。教師に狂人扱いされたことではない。俺にしかこの異世界は見えていない、つまり俺にしか異世界への扉は開かれていないということだ!




     ◇




 新田(あらた)(ぶるーす)は今日もひとりぼっちで帰路につく。ブルースは人が多い所が嫌いだった。

 だから、帰宅部にも関わらず図書館などに居残って、帰宅ラッシュが終わるまで時間を潰す。今日も例のごとく、30分以上時間を潰してからの出発になった。


 空が青色とピンク色の混ざった色になっているのが綺麗だった。

 ブルースは道端に不自然に段ボールが置かれているのを発見した。

 段ボールの中から、物音がした。


 屈んで段ボールを開けてみると、茶色の毛の子猫がいた。しかし、何かがおかしい。

 子猫の片目が潰されていた。左目に治りかけの大きな傷跡があり、目を開けられていないのだ。乾いた血の間から新しい血が滲むのがこの上なく痛々しかった。それだけではない。足が折れているのだろうか、まともに立ち上がることすら出来ないようだ。

「誰にやられたんだ、こんなこと…」


 ブルースは段ボールごと持ち上げて猫を連れて行くことにした。担架の代わりのつもりである。

「大丈夫だ。俺が今何とかしてやるから」

猫に対して、歩きながら声をかけ続けた。


 人気の無い川の土手につくと、ゆっくりと段ボールを地面に下ろした。

「大丈夫、大丈夫だからな」

ブルースは、懐を急いでまさぐった。早く何とかしてやりたいということが、彼の今の唯一の願いだったのだ。


「大丈夫だから」

そういい続けながら、懐から取り出したものは、カッター。

キリキリ、と狂気に満ちた音を立てながら、刃を最大まで出した。


「大丈夫、大丈夫…」

カッターを迷うこと無く猫の胸に突き刺した。


「ほら、大丈夫だったでしょ? 綺麗に心臓を刺したから、痛みはなかったね」

猫はーー動いていない。段ボールの中に血が溜まっていく。


 ブルースの制服に、赤黒いシミがぽつり、ぽつりと、()()()シミを何度も、上書きするように。

良いと思って頂けたら、なんでもいいので反応を頂けたら大変嬉しいです。

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