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 エマは、勉強ができないことの自覚はあるけれど、かなわない恋に見境を失うほど愚かではないこともまた、自覚しているつもりである。

 兄たちを取り巻く状況が少しばかり複雑なことも、父や母に愛されていることも、諸侯に心配してもらっていることも、そういう彼らの事情や感情を少しばかり利用して、自分のための時間稼ぎをしていることも。


 ──エマだって、駄々をこねられるなら盛大にこねたい相手はいる。



 彼──ヘンリー・ラングフォースは、侯爵家の次男で、国境を守るジェイド騎士団所属の騎士だ。エマの姉であり、カークワースの第一王女で、今は近国の王太子妃となったアナ・エリザベス・オーレリアと同い歳だから、エマとは六つ歳が離れている。


 彼の父は、エマの父たる国王の側近なので、昔から家族ぐるみで付き合いがあった。

 彼の兄セオドアはエマの長兄マーカスと同い歳だし、彼の姉のコーディリアはエマの次兄ネイサンと同い歳だから、明らかに、次代を担う王族と主従関係やら婚姻関係やらの関わりをもつことが、侯爵家の狙いでもあり、王家の願いでもあったのだろう。それと同じくらい、親世代が親交を深め、公私ともに支え合ったように、気の置けない友人関係を築いてほしいという思いもあったと、エマは考えている。


 実際、セオドアは、カークワースの外交を担っているネイサンの側近として、一緒に周辺諸国を飛び回っているけれど、同時に、マーカスとも仲がいい。

 コーディリアとネイサンも、ヘンリーとアナも、男女の仲にはならなかったにせよ、性別も身分も越えた友として遠慮なく付き合っているし、コーディリアとアナは、お互いに嫁いでから特によく文を交わすようになったという。コーディリアは来春出産を控えているので、すでにふたりの子を出産したアナに、いろいろと聞いているらしい。



 エマから見れば、ラングフォースきょうだいはずいぶんと歳上の友人だし、たぶん、彼らにとってエマは、扱いづらい歳下の王族であっただろう。けれど、人見知りのエマにとっては、彼らがいるだけでほっとする、貴重な存在だ。とりわけ社交の場において、あまり交友関係が広くないエマは、王立学院での友人関係のほかにも、彼らきょうだいがいてくれると、幼なじみでもあり友人でもあり、家族のようでもある彼らを、とても心強く思う。


 そのなかでも、ひときわエマの心の支えになっているヘンリーは、エマが学院に入学するよりもずっと前から、もう幼なじみでも友人でも、家族のようでもない存在だった。



 ──いちばん古い彼との記憶は、王宮の一室で、エマと遊んでくれている姿だ。


 どちらかと言えば外で遊ぶのが好きだった兄姉たちと違って、エマは部屋のなかにいることが好きだったし、彼らを追って外へ出たところで、体も小さく体力も少なかったエマには、彼らと一緒に行動することが難しかった。雨などで部屋の中で過ごす場合にも、優秀な彼らの知的な遊びや話にはついていけなかったので、結局ひとりで遊ぶしかなかった。

 置いていかれてべそをかいたり、部屋の隅でおとなしくしたりしているしかなかったエマに付き合ってくれていたのが、ヘンリーだった。


 ヘンリーも、騎士になるくらいだから外で遊ぶほうが好きなタイプだっただろうし、六つも歳下の異性と遊ぶなんてどう考えても面倒でしかなかっただろう。それなのに、彼は、嫌な顔ひとつ見せたことがなかった。気弱ですぐ泣くくせに意地っ張りなエマと、彼は根気よく向き合ってくれた。


 同い年で、王立学院でも同期ということもあって、アナのことは「アナ」とぞんざいに呼んだ彼が、エマのことは「エマさま」と呼ぶことを遵守したし、コーディリアに対しては何かと呆れたような、うっとうしげな対応をした彼が、エマに対しては紳士らしく丁寧な対応をした。

 ……今考えれば、彼はエマを「第二王女」として扱っただけだし、今思えば、アナやコーディリアに対するような、親しさの深い対応のほうがよっぽどうらやましいのだけれど。



 でも、そのころは、自分もまだ子どもだというのに、のろまで体も気も頭も弱いエマに「王女」として対応してくれるヘンリーが、本当に希少な存在だったのだ。

 エマだって、自分が家族の誰とも似ていなくて、王族としての華が無いことは、子どもながらに薄々分かっていた。表立って嘲笑されたり、目に見えて呆れられたりするようなことはなかったにせよ、なんとなく、がっかりしたような視線を感じることもあった。どうせ頭が悪いなら、こういうことにも気づかないくらい馬鹿だったらよかったのに、と思ったものだ。


 もちろん、父を筆頭に、家族は決してエマをないがしろにはせず、むしろかわいがって守ってくれたし、エマもそういう家族をあいしていたけれど、それがしんどいこともあった。家族にかばってもらうようなことがあると、そこはかとなくみじめだった。


 とうさまには、わからない。

 かあさまにも、わからない。

 にいさまたちにも、ねえさまにも、わかってもらえない。


 そういうエマの歯がゆい気持ちを、ヘンリーの前では、ときどき吐き出せた。彼は、エマのもやもやした思いを、肯定もしなかったけれど、否定もしなかった。そして、いつも、そういうエマのそばにいてくれたのだった。


 ヘンリーも、エマと同じような気持ちだったことがあるのかもしれない、と、今なら想像がつく。

 学院ではそこそこの成績だったというし、そこそこ社交的なので友人も多いというし、騎士としては優秀だというので運動神経もよいという。けれど、もしかすると、学院史上五本の指に入る成績を修めて、卒業する前から国政だの外交だのに関わっていたと噂の兄セオドアや、学院時代から取り巻きを大勢連れて歩き、いつも流行の最先端を担っていた社交界の中心にいた姉コーディリアに対して、劣等感を抱いていたことがあるのかもしれない。

 だからこそ、きょうだいたちと自分を比べて落ち込んでしまうエマに、あんなにも寄り添ってくれたのかもしれない。



 エマが、ヘンリーを取り巻くそういった事情を慮ることができるようになったのは、やはり学院に入学してからだ。


 エマ自身も、自分を取り巻く環境を客観視できるようになったことは大きかった。

 家族以外のひとと関わることが増えて、自分が異常だというよりは、家族のほうが優秀すぎるのだと気づいたからであるし、きょうだいのなかで成績や容姿の差が激しいという例が、自分だけでないということも知った。そういった「外側」を気にしない友人もできた。

 その事実は、泣き虫で癇癪持ちだったエマをずいぶんと落ち着かせた。そのことを──癇癪がおさまったからというよりは、必要以上にエマが落ち込みすぎなくなったことを──誰よりも喜んでくれた彼を、より強く意識するきっかけにもなった。



 ヘンリーの存在は、あまりにもエマにとって大きい。

 平凡で、とりたてて取り柄のないエマが、きょうだいたちや学院の同期たちと比べて極端に少ない交友関係のなかで、彼に恋してしまったのは、どうしようもないことだと言っていいだろう。


 けれど、この恋は成就させにくいことを、エマは知っている。



 まずは、身分差である。

 ラングフォース家は、侯爵位を持つ家のなかでも由緒ある家柄だ。当代ケネスは現王の側近、次代セオドアは第二王子の側近と、政治的にも中枢に近い。

 とは言え、ヘンリー自身は騎士爵しか持たない。ラングフォース家には、嫡子以外に与える爵位も領地もあるけれど、それはせいぜい伯爵止まりで、王女の降嫁先としてはぎりぎりだ。騎士団でやりがいを感じていると言っていた彼には、王女の伴侶として箔をつけるために爵位を賜るなんてことは邪魔だろうし、辺境を守る騎士の伴侶は、箱入りのエマには荷が重いだろう。


 また、政治的な派閥に関しても、微妙だった。

 おそらく、父ニコラスは長兄マーカスの伴侶が定まれば、すぐにでも立太子の儀を執り行うだろう。逆に言えば、それ以外は次代の王として完璧なのがマーカスなのだ。次兄ネイサンももちろん優秀だけれど、彼自身が外交の政務を好んでいて、適性もあるとなれば、わざわざ王位につけたがるのは、国を荒らしたいか、何も考えていない輩だ。自分が即位のときに苦労した父は、息子たちに王位継承のことで面倒をかけることも、かけられることも望んではいまい。

 つまり、兄セオドアが第二王子の側近であるヘンリーがエマと結婚すると、第二王子を立太子に推す派閥に目をつけられかねないのだ。ラングフォース家が第二王子を王太子に望んでいるという、根も葉もない噂の後押しを、エマがする羽目になってしまう。


 そして、これがいちばん大きな理由だが──ヘンリーは、エマのことを「妹のような存在」あるいは「第二王女」以上には見てくれない。

 彼が王立学院に入ったとき、始めたての下手くそな刺繍を一生懸命に刺したハンカチを贈ったときも、彼が王立学院を卒業したころ、それなりに誰かに贈れるような体裁が整ってきた刺繍でタイを贈ったときも、彼が騎士団に入ったころ、お守りと称してサシェを贈ったときも、エマの成長を喜ぶ、あるいは、王族からの贈り物に感謝する、という以上の反応はなかった。

 確かにエマのことを大事に思ってくれてはいるし、心配してくれてはいるけれど、それは親愛とか、敬愛とか、よくて友愛とか、そういった類の感情でしかないだろう。


 エマと違って彼は人付き合いのよい性格だし、学院でも、騎士団でも、友人は多いと聞いている。身分の近い貴族令嬢や、王立学院の友人や、騎士団の友人の姉妹とか、あらゆる意味でヘンリーに近しく、親しく、ふさわしい令嬢方は、山ほどいるに違いない。

 その令嬢方と彼の婚約者の座を競うのは、あまりにもエマに不利である。また、戦闘自体はともかく、争いごとや政略や駆け引きには向かない、穏やかで素直な気質の彼を、たかが第二王女の幼い恋ごころで、そのど真ん中に引きずり込むのは嫌なのだった。



 そりゃあ、もし駄々をこねたら、父たる国王は総力を挙げてエマのわがままを聞いてくれるに違いない。彼のエマへの溺愛ぶりは、不本意ながらわりと有名である。

 第二王女の婚約者探しに頭を悩ませている諸侯も、多少面倒でも、どうにかして諸問題を片付けてくれるだろう。「婚姻相手にはこだわらない」と議会に伝えたとき、ちょっとさみしそうな顔をされて罪悪感を覚えたことを、忘れはしない。彼らもそれなりに、エマのことを心配してくれている。

 そしてきっと、忠誠心と愛国心の強い彼も、王やら諸侯やらから圧力をかけられたら、まあ、是と応えるだろう。


 ……でも、それは、嫌だ。

 それだけは、嫌だ。


 彼に、「仕方なく」エマと結婚させることだけは。


 ──あいされてもいないのに、彼と結婚することだけは、どうしても、嫌だ。



 だから、この気持ちを隠したいという思いこそが、エマのわがままなのだ。



 ある程度、卑屈ではなくなったとは言え、エマは自分に自信がない。

 国にとって、害はなくとも益もなく、彼にとっては面倒でしかなさそうな条件での婚姻を、誰にも受け入れてもらえる気がしない。その条件を超えるような利益を、自分がもたらせる気がしない。誰かの害になる前に、この恋は封印するか、排除するかが正しいのだ。



 ……エマがこの恋に望むことはただひとつ。


 ──どうか、この恋が、エマ以外のだれも、不幸にすることがありませんように。




ほのぼの、だの、青春、だのと。

相変わらず詐欺みたいなタグしかついてない。

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