第百五十二話 舞台は終幕に向けて
第百五十二話 舞台は終幕に向けて
サイド なし
エインヘルヤルと人間たち。殺し合う間柄である両者が、今だけは同じ場所を見て動けずにいた。
『………』
ニーズヘッグ。北欧神話に伝わりし邪龍。
世界樹の根を食い千切り世界の破滅を目論むとも、毒の川で死者を引き裂き続けているとも語られている。だが、基本的にその最後はラグナロクの後はその戦いで死んだ者達を背に乗せてどこかへと飛び立つと伝えられていた。
そう。この龍を誰かが討ち取ったという逸話は存在しない。幾多の伝説を残す英雄も神々も、ニーズヘッグの首を獲る事はできなかった。
現代に現れたそれは、世界樹の傍でただ佇んでいる。ただそれだけで、その姿を目にした者は恐怖を抱き息をひそめるしかない。それ程までにあの龍が発する魔力は禍々しく、本能に直接『死』を予感させる存在感を放っている。
ニーズヘッグはゆっくりと黄金の瞳で周囲を睥睨し、最後に自らの頭上へと顔を向けた。
世界樹を中心に形づくられたこの異界。その天井は先のブレスにより仮初の空に巨大なヒビをいれ、空間の崩壊を予感させていた。
龍はそれを数秒ほど眺めた後、両翼を大きく広げる。飛び立とうという兆候に、自衛隊が戦車砲での阻止を狙った。
「待て!」
だが、それを有川臨時総理が止める。
「何故ですか!?もしも奴が異界の外に出たら日本は……!」
「我らの武器では止められない。悪戯に刺激するだけだ。それに」
焦りを顔に浮かべる水無瀬三佐に、臨時総理は胡散臭い笑みを向ける。
「恐らくアレは、生きている人間なんぞに興味はないよ」
冷や汗を流しながら彼がそう言ったのに合わせて、ニーズヘッグが両翼をはためかせた。
いかに巨大な翼であっても、あの体が浮かび上がる様には思えない。しかし、物理法則など神代においてはあってない様なものだ。
凄まじい暴風を起こしながら、邪龍は高度を上げていく。
それに待ったをかけたのは……この龍が飛び立つ事を最も拒否した存在は、ロキだった。
「待て!待つんだニーズヘッグ!!」
世界樹の中腹。拘束したままの胡桃を背に、ロキが自分と同じ高さにまで上がってきた龍に叫ぶ。
その顔にはもはや余裕も何もない。傍で見ていた胡桃には、初めてこの神が感情を表情に出した様に思えた。
過去の自分を台本でも読む様に再現している姿ではなく、『過去の神代』の己ならばどんな受け答えをしただろうかと思案しながら会話するものでもない。心からの本音で邪龍が飛び立つ事を拒否しているのだ。
「よせ、封印に戻れ!今ならまだ間に合う!」
邪龍はロキに一瞥だけして、一切止まる事なく高度を上げている。
「『死ぬな』!ニーズヘッグっ!!」
ボロリと、邪龍の足先が崩れた。
この場においてロキだけが知っている。彼だけが、この邪龍の真実を知っているのだ。
長い封印を経て解放されたこの龍は、モンスターではない事を。
ニーズヘッグは、かつての神代にて現れたとある名もなき覚醒者の置き土産。彼の固有異能でもって形づくられた存在。
その製造理由は、『死後の眠りを保証するため』。
作り出した本人と、北欧神話と現代では呼ばれている異界の中で住んでいた者達が自然へとかえる為に生み出された。
神代において物理的な死はいくらでも覆せる。それこそ然るべき手段で地下に潜れば冥界にたどり着けるのだから。蘇りの逸話など形は違えどどこの神話にも存在している。
死後その魂が他者に利用されるか、それともモンスターとはまた違う怨霊の類にならない為に、ニーズヘッグは作られた。
かの龍が恐ろしい姿をしているのは、数多の命を背負ったが故に。忌み嫌われるのは墓地が恐れられるのと同じ理由でもって、人々は『彼』に恐怖を抱く。
そして、その背に乗せられているのは人間の魂だけではない。『彼』の主が安らかな眠りを望んだ対象は、人だけではなかった。
「止まれっ、止まれぇえええええええええ!!」
聞く耳をもたず、崩壊しながら空を飛ぶ龍にロキが吠える。
槍をそこらに突き立てて、この世に唯一残った神は両手を大きく広げた。それと同時に彼を中心に数十の魔法陣が浮かび上がり、それ全てに神格だけが使えるルーン文字が刻まれる。
ロキがこれまでの放浪で得た知りうる限りの全ての魔法、呪術、陰陽術。それらが一斉に起動し、ニーズヘッグの道を阻んだ。
翼には鎖が巻き付き、虚空から現れた無数の手が鱗に張り付いて、地面を突き破って伸びた世界樹の根が首輪の様にその太い首に絡みつく。
神話では世界樹を枯らすため根に牙を突き立てていたニーズヘッグだが……その逸話は、この場をもって覆された。
世界樹の根は、彼の龍が天に昇る事を防ぐためにその身を縛っていたのだ。『彼』はその拘束を解こうとしていたに過ぎない。
ようやく、ニーズヘッグの眼がロキに向けられる。
そこに浮かんだのは明確なまでの怒り。常人であれば視線が合っただけで発狂する濃密死の気配に、しかしロキは動じない。
なぜなら、彼はとっくに───。
「お前の主は既に死んでいる!貴様が命令に従う必要などないだろう!眠れ!ただまどろんでいればいい!だから!」
『───オ゛オ゛』
短い咆哮。それだけで翼に纏わりついた鎖は砕け散り、鱗を掴む無数の手は残らず腐って溶け落ちた。
そして、ロキの四肢を虚空より出現した黒い泥が覆う。
「お、おおおおおおお!?」
絶叫がロキの口からもれた。
それだけで様子見を決め込んでいた人間たちの足元が震え、立っているのも難しいほどの地震をひき起こす。
苦痛に悶えながら、ロキはニーズヘッグを捕らえる世界樹の根に魔力を送り続けた。
「やめろ……やめてくれ……連れて行かないでくれ……!」
ロキの懇願に、しかしニーズヘッグが耳を貸す事はない。
この龍にとって、『生きている者』など微塵も興味はない……それでもなお正か負で表すなら、むしろ善意さえも持っている。
それは『彼』にとって死者を世界の循環に戻す事が存在理由である故に。
龍の背に乗せられた死者の魂は、大気中の魔力にニーズヘッグと共に溶けていく定めだ。
世界に溶け、混ざり、そして次の命へと生まれ変わる。人になるか、獣や虫、草花になるかもわからない。ただ確かなのは、そこにかつての人格や力は絶対に残らない事。
だからこそニーズヘッグはロキを嫌悪する。『彼』の存在理由を否定し、主より授けられた唯一にして最期の願いを否定するこの神を好く理由など小指の甘皮ほどもない。
それでも生きている存在への敬意として、『彼』は命まで奪う事はしなかった。
「が、ああああああ……!」
その善意に縋り、ロキは耐える。四肢が腐り落ちるのを魔法で耐え、ニーズヘッグの背に視線を向けた。
「オーディン!トール!そこに、そこにいるんだろう!?」
───ニーズヘッグの背には、人以外も乗っている。
そう。それこそ、神と呼ばれた人外であろうとも。『彼』の主は死後の消滅を願った。
「お前達だって消えたくはないだろう!?だから手を貸せ!お願いだ!もう一度、もう一度だけ、お前達と……俺は、俺は……!」
涙さえその声に混じるのは、痛みからか。それとも。
「謝りたかった……こんなはずじゃなかったんだ……ただ俺はまた、お前達と……やり直そう!今度は前の様な事にはしない!だから!だから力を貸してくれ!オーディンの槍なら!トールの鉄槌なら!この龍を止められる!だから───」
その時、一筋の光が走った。
ニーズヘッグの背より放たれたソレ。遠目にいる覚醒者達でも目で追えた者は片手に数えられる程度しかいないほどの速度と、強大過ぎるせいで逆に探知が難しい魔力。
ロキでさえ再現できなかった、至上の魔槍。
それが───ロキの頬を抉った。
「……え?」
投擲された槍。その意味を悟り、しかしロキは理解する事を拒んだ。
その一瞬の空白のうちに、ニーズヘッグは首に巻き付いた世界樹の根を食いちぎる。
『───オ゛オ゛オ゛オ゛』
神話に語られる邪龍は天を駆ける。両翼をはためかせ、遥か上にある異界の天井にたどり着いた。
後は、『彼』を阻めるほどの物はない。空間そのものを腐り落ちさせ、異界に風穴があいた。
「待て……待ってくれ……」
跪き、ロキは手を伸ばす。
彼の四肢を蝕んでいた泥は用済みとばかりに力を失い、その下から青い肌をぼろぼろにした腕が現れた。
その指先が、昇っていくニーズヘッグに向けられる。
「もう一度、やり直させてくれ……こんなはずじゃなかったんだ。謝るから。俺が悪かったから……だから……」
まるで天上の神々に祈る無辜の民の様に、彼は叫ぶ。
「戻って来てくれ!皆!!」
ニーズヘッグは振り返らない。その背に乗せた死者たちもまた、何かを残す事はなく。
異界から出た直後、何者にも倒せなかった龍はあっけなく風と共に消滅した。
そうである事が当然であった様に、夢幻の如く。
「ぁ………」
呆然と見上げるロキ。だが、彼をよそに状況は進む。
「邪龍は消えた!敵陣は乱れている!この好機を逃すな!」
水無瀬三佐の声が飛び、自衛隊を中心として現代の戦士たちが動き出す。
彼らの戦いは終わっていない。未だこの国の首都に、強大な異界が残りそこに一般人が囚われているのだ。首謀者である神を名乗る存在もいる。矛を収める理由などありはしない。
「金剛隊と戦車は陸地から支援!水上歩行をかけられる魔法使いは集合!」
「半装填、よし!」
「撃ぇええええええ!!」
「抜刀隊!突撃よぉぉおおおい!!」
「はっはっは!お供しますよ、日本の武士たちよ。そう、この駄目じゃない騎士が!」
「さて、と……私ももう一戦いくとするかな……」
「胡桃……!待っていて、すぐに迎えに行くから!」
自衛隊が、警察が、桜井家の戦士たちが、そして友の為に命を懸ける者が。
各々得物を構えて攻撃態勢に入る。
それをただ見ているエインヘルヤルではない。茫然自失するロキを無視して、初めて彼らはまともな隊列を組んだ。
元より彼らエインヘルヤルは、死んだ英雄達の魂の欠片から作られた存在。現代風に言えばクローンの様なものだ。
ここまでロキによって支配され夢うつつに近い状態で動かされていたが、その枷も今はない。此度の戦いは彼らの世界を護る為のものではなく、人間相手のもの。指揮官は敵対していた巨人族の総大将と言うのもあって、彼らに士気と呼べるものなど皆無だった。
だが、エインヘルヤル達は気炎をあげる現代の戦士達に霞でできた体で笑みを浮かべる。
異界の基軸が崩れ、主であったロキはただの木偶の様に空を見上げるだけ。既に異界の維持は難しい事もあり、先ほどの様なペースで再度の実体化はできない。更にはニーズヘッグの咆哮により英雄の因子が強かった者……つまり『Aランク以上』のエインヘルヤルは消滅している。
だと言うのに、彼らはむしろこれからが本番であると武器を構えた。
モンスターとしての本能と英雄の因子が合わさった結果、それは狂った様な戦闘意欲に繋がる。その状態で国を護る為に揃った勇士たちを前にすれば、もはやこうなるのは自明の理であった。
ここからが、エインヘルヤルの真骨頂。歩兵も騎兵も誰も彼もが万夫不当の英雄で構成された、最強の軍隊が牙を剥く。
本来はとっくに舞台を降りていたはずの神を放置して、決戦の火蓋はもう一度切られた。
そしてそれは、この狂騒の結末が近い事を示すラッパの音でもある。
長い一日が、ようやく終わりに近づいていた。
* * *
サイド 大川 京太朗
「ひぃ……ひぃ……!?」
『あともう少し!あともう少し頑張ってください主様!』
息も絶え絶えになりながら、『自然魔法』で作った道を進む。
し、死ぬかと思った。ニーズヘッグがブレスを放った事で地下空間は崩落し、視界一杯に魔力で構成された瓦礫が殺到したのである。
どうにか迎撃して自分が生き残れるスペースを作ろうとしたが、その直前に『なぜか』ニーズヘッグの尻尾が僕に降ってくる瓦礫の大半を吹き飛ばしたのだ。
おかげで圧死する事はなかったものの、その時の風圧でもう一回吹き飛ばされて大変な目にあった。
だがどうにか地上まで上がってきて、膝から崩れ落ちそうになるのを堪える。
「旦那様!」
聞きなれた声に首を動かせば、崩壊した入口の近く。何故か湖面の上に浮かんでいる世界樹の根っぽいのに乗った雪音達がいた。
「雪音!リーンフォース!セカンド!皆無事だったんだ!」
良かった。本当に良かった。彼女らならどうにかするだろうと思ったし、道中でも魔力の繫がりから無事なのはわかっていたが、それでもあのブレスに巻き込まれていたらどうしようかと。
「それはこちらの台詞です!突然とんでもない龍が現れて、旦那様の身が心配で心配で……」
「あ、ごめん。アレ解放したの僕」
「なんですと!?」
この根っこ、まるで食いちぎられたみたいだな……。
そう思いながらよじ登り、雪音達を見やる。
「全員五体満足……とはいかなかったか。本当にごめん。もっと考えて行動すべきだった」
「いえ。結果的にではありましたが、最善手だったと思います。だから頭を上げてください旦那様」
雪音とリーンフォースは小さなかすり傷こそ負っているものの、無事ではある。
だがセカンドはもうまともに動けない。右足は膝から先がなく、左腕は盾を持つ事もできずだらりとぶら下がっている。
『セカンドの破損したパーツは可能な範囲で回収済みです。林檎にまつわる物はこの場に残していません』
「ありがとう、リーンフォース」
「それにしても、だいぶ混沌とした状況ですね……」
雪音がそう言いながら周囲を見回し、自分も視線を巡らせる。
いつの間にあの結界を突破したのか、有川臨時総理率いる部隊が赤城さんと郡さんに合流していた。
それに対しエインヘルヤル達が正面から迎撃態勢をとっている。だが、その様子が最初見た時とは随分違う気がした。具体的に何が、とまでは自分の見識ではわからないけども。
だが、何よりも気になる事がある。
「雪音。ニーズヘッグはどこに?」
どこを探してもあの邪龍の姿が視えない。それどころかあの怖気を覚える気配もしないのだ。
まさかと思い異界の天井に目を向ければ、そこには巨大な穴があった。
「ニーズヘッグはその……異界の外に行きました」
「……その後は」
「いえ、それが……何故か、消滅しました」
「あー……うん。そこだけは予想通りにいってよかった」
心底訳が分からないといった様子の雪音に、深く頷く。
考えていたのだ。いくら何でもエインヘルヤルがこうも大量に、それこそ無限に湧いて出てくるのはおかしいと。
魔法には疎いが、今は脳内にレイラがいてくれる。疑問にはすぐさま答えてくれるので、その知識を頼りまくった結果一つの結論を出したのだ。
死者を呼び出しまくっているのなら、その触媒になっている存在がいるのではないか、と。
そして世界樹の根元にいる死者関連の存在と言えばニーズヘッグである。まあロキの娘である『ヘル』の可能性もあったけど、あっちは英雄以外が管轄のはずだし。
で、ニーズヘッグならば少なくともロキと協力する事はないし、縛られていた事もあり敵対関係なのだろうと解放したというわけである。どう考えても、あの戦況だと人間側に勝ち目なさそうだったので。
どうせ負けそうならやるだけやってやる精神が功を奏した。けど二度とやらん。博打は自分に向いていないらしい。
「さて、と」
剣を握り直し、振り返る。
『魔力反応を感知。数多数。エインヘルヤルの集団がこちらに向かっています』
「ああ、そうみたいだね」
杖を持ち、周囲に幾つもの魔法陣を浮かべた魔法使い風のエインヘルヤルが仲間を率いてこちらを目指しているのが視えた。
ステルスはまだ有効なはずだが、探知魔法を使っているのか。あるいは単純にここに何かあると勘を働かせただけか。なんにせよ、戦闘は避けられないだろう。
不幸中の幸いと言うべきか、周囲にいたエインヘルヤルはその姿を消している。おおかた、ニーズヘッグの出現の余波で消し飛ばされたのだろう。死者ではアレの魔力は相性悪いだろうし。
敵の親玉の懐近くに位置しているのだ。ここから味方との合流を図るよりも、ロキの首を目指して暴れた方が勝率も生存率もあるだろう。
「セカンドは魔法で援護。それ以外はいつも通りに……その上で、『全力』だ」
「はい!」
『お任せを』
『了解』
そう、いつも通りに。そして、全力全開。後先なんぞ、死なない事以外考えない。
剣を八双に似た構えにし、深呼吸を一回。
ここまで来て死んでたまるか。彼女達を死なせてたまるものか。
「おおおおおおおおお!!」
根を蹴って水面を駆け、英雄達の集団へと斬りかかる。先頭にいた剣士と鍔迫り合い、火花と衝撃波を散らした。
技量ではあちらが上。されどスペックと気迫なら、負けない!
「レイラ!」
『はっ!』
剣を絡めとられる直前で逆に弾き上げ、突然変わった動きに動揺する相手を一瞬で袈裟懸けに斬り捨てる。
ここから先は出し惜しみ無し!
たったこれだけの動きで軋む肉体を無視し、『樹王』の真髄を披露する。
立ち止まらず、前へ!前へ!
魔弾と氷槍が降り、炎を纏った鎧の騎士が舞う中を突き進む。
力任せの自分の剣と、機械じみた精密さをもつレイラの剣。それを織り交ぜ、ひたすらに斬り捨てていく。
槍が肩を抉り、剣が脇腹を裂いて、矢が兜を貫き頬の肉を抉ろうと構わない。
絶対に、生きて帰る!!
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