第百四十一話 勇者ではない者
第百四十一話 勇者ではない者
ぼうっと、少しだけ欠けている月とポツポツと光る星を眺める。
ロキによる宣言から三日。寮の自室から夜空を眺めていた。ローラー付きの椅子を窓の傍まで持って来て、十分ぐらいこうしている。
「主様」
「ん?」
振り返ると、レイラがココアの入ったカップを二つ持って立っていた。
「どうぞ。最近は少し肌寒いですから」
「ありがとう、頂きます」
カーテンを閉め、彼女からカップを受け取り一口すする。うん、甘くて美味しい。
「そっちはどう?何か足りない物とかある?」
「いえ。ほぼ完成した所です。後はチェックだけですね」
「そっか」
カップを机に置き、立ち上がる。
「ありがとう、レイラ。いつも助けてくれて」
「いいえ。私は守護精霊、貴方の健康と幸福を護るために存在しています」
いつもと変わらぬ笑みを浮かべる彼女に、少しだけ肩をすくめる。
そこの所は変わらないというか、なんというか。少しだけもどかしいとも感じてしまうのは我が儘なのだろうか。
……思えば、自分ほど『神代回帰』の恩恵を得た者も少ないだろう。
レイラというパートナーを得るだけでなく、雪音やリーンフォースまで侍らせて。更には『強者』の側に立った事で文字通り億万長者にもなった。
勿論、大変だった事もたくさんある。覚醒者である事が露見して虐められる事を恐れたし、初デートの時はミノタウロスに襲われもした。それ以外にもドラゴンやら何やら。何度も死にかけたし、視たくない物をいくつも目にする事になった。
それでも、お釣りが出るぐらいに幸運だったと思う。
「主様の方はどうでしたか?あの日以来、何度も移動をしていた様ですが」
「あはは……」
思わず苦笑を浮かべる。レイラ達だけ人工異界で作業をさせるのは心苦しかったが、こちらも遊んでいたわけではない。
「一応、話はまとまったよ。ただまぁ、分不相応というか……雲の上の人とばかり会ってめっちゃ疲れた」
そう、本当に疲れた。ミノタウロスと戦った時ぐらい疲れた。
桜井会長に、彼の弟子だと言う事で紹介された警察庁長官に、統合幕僚長。更には矢島さんの伝手で防衛装備庁長官も。
同席させられた緒方さんや水無瀬三佐には少しだけ申し訳ない事をしたと思う。けど僕だってあんな大物たちとお話するはめになるのは予想外だったのだから許してほしい。
自分がこの新しい神代で強い方だとは自覚している。だが、多少腕っぷしのある小僧が会って意見を交わす相手じゃねぇだろと声を大にして言いたい。
東郷さんは東郷さんで、何故か彼経由で臨時総理である有川総理にまで話が直で言っているらしいし。彼への相談に気後れしてしまいそうになった。
事の重大さはわかる。が、上の方々は上の方々で話してほしい。僕を巻き込むな。
「はは……主様もその領域に届いた。あるいは、これから届くと目されているのでしょう」
「勘弁してよ……買いかぶりにもほどがあるって」
何故か桜井会長は僕を高く評価し過ぎている気がする。
確かに、実績だけ見れば中々のものだろうさ。でも、僕より強い人も、更に理不尽な怪物を倒した人もたくさんいるはずだ。
「花園さん程とは言わなくても、自衛隊とかに絶対僕より凄い人いるじゃん……」
「勿論、そちらにも声をかけていると思いますよ?ただ、この情勢で未だに自衛隊に籍を置き、なおかつ魑魅魍魎と殺し合う方々が国ではなく桜井会長の言葉に従うかは不明ですが」
「あぁ……確かに、癖の強い人多そう」
黄瀬姉妹とかもかなりの変人ではあるが、今も政府で管理している『Aランクダンジョン』で戦う自衛隊の人達は更にぶっ飛んだ人達だろう。
それが国民の為であったり、戦闘狂であったり、身近な誰かの為だったりするのかもしれないけど。もっといい待遇で迎えてくれる所があるのにこの国で戦い続ける彼らは、きっと常人では理解しきれない『芯』を持っている。
尊敬はするが関わりたくない。自分の様な凡人には、言い方が悪いけど我が強すぎる人達だろうから。
「あるいは、主様の巡り合わせにこそ目を向けているのやもしれません」
「巡り合わせ?」
「はい」
疑問符を浮かべながらレイラを見れば、彼女はカーテンを少しだけずらして空を見上げていた。
「幾度も死地に立ち、それらを乗り越えて多くを救ってきた。その中にはこの国を動かす力を持った方達もいる。そんな主様の縁に、何かを見出しているのかもしれません」
「……縁、ねぇ」
思えば、確かに我ながら奇妙な人脈を持っているものだ。そしてそのどれもが、ダンジョンを経由して得たものばかり。
これを天運の類と捉えるか、悪運のそれと考えるかは人それぞれだけど。
「でも、やっぱり分不相応だよ」
自分は愚者であり、凡人である。
確かに力はある。怪物どもとも戦い、勝利してきた。そして公にできない重大な秘密を抱えている。
なるほど、これだけ見れば自分は英雄に見えるかもしれない。
だが、肝心の内面がただの人に過ぎないのだ。人と話すのが苦手で、ネガティブなのに肝心な所で楽観主義。そして戦う事に心底恐怖を抱く。
何より、赤の他人の為に命を懸けて怪物に立ち向かう勇気が、ない。
自分は花園さんを知っている。彼女はとんでもない変人ではあるけども、その根幹には強い善性がある人だ。己に不都合があろうとも、武器を取れる人である。
自分は赤城さんを知っている。怖い人ではあるけども、時折桜井さんに向ける視線はとても柔らかい。それだけで確信が持てる。あの人は、何かあれば彼女の為に死ぬ覚悟だと。
自分は桜井会長を知っている。雲の上の人だけど、その視線は広くどこまでも続いているのは察せられた。我欲がないわけではないのに、それを上回る『何か』の為に戦える人の眼だ。
自分は矢島さんを知っている。彼自身に戦う力などありはしない。その辺の学生にも殴り合いで負けるだろう。しかし、それでも『バケモノをケモノに』と進み続けている。
自分は緒方さんを知っている。彼女はこの前までどこか強い自己嫌悪の様なものを抱えていた気がしたが、今は乗り越えて真っすぐとした瞳をする様になった。
自分は東郷さんを知っている。彼もまた、怪物と正面から戦う力を持っていない。だが己の戦場を見誤ることなく国の為に戦う紛れもない戦士だ。僕が知る限り、最も尊敬できる大人である。
他にも、真に英雄と呼ばれるべき人達がいるのだろう。志を持ち、己の意思で前へ進む勇者たちを。
だが、自分は違う。それを恥じるつもりもないが、しかし彼らと『対等だ』などという顔で肩を並べようとは思えない。
住む世界が違う。僕は勇者ではない、ただ唐突に渦中へと放り込まれ、決して賢いとは言えない選択をとり偶さか上手くいっただけの愚者なのだ。
そんな自分が、彼らと席を同じくし国の未来について話し合う。それはいったいどんな冗談だと言うのか。
「では、逃げてしまいますか?」
何でもない事の様に言うレイラに、思わず苦笑する。
「いや、会議の類は終わって、それぞれ準備する段階に入ったから。僕はもう戦うだけ――」
「それだけではありません」
「……レイラ?」
どういう事かと首を傾げれば、彼女は閉じていたカーテンを開き夜空を見えるようにした。
「どこか遠くへ、何もかも捨てて逃げてしまいませんか?」
「は……?」
月の光を浴びる彼女の言葉に、一瞬理解が追い付かなかった。
白銀の髪を少しだけ揺らして、レイラがこちらを向く。その顔にはいつも通りの笑みが浮かべられていた。
「何も不思議な話ではありません。私は主様の健康と幸福を護る為に存在しています。それ以外は、どうでもいいのです」
「レイラ?」
「誰が貴方を責めるでしょうか。まだ十五歳の少年で、何の公的な役職にもついていない学生。世界で一番強いわけでも、世界で一番賢いわけでもない。一般家庭で生まれ育ったただの子供です」
そっと、彼女が右手を差し出してくる。
その微笑みはどこまでも透き通る様で、左右で色の違う瞳にはこちらへの優しさだけが込められていた。
本気だ。彼女は、本気で言っている。
「私が一緒にいます。雪音やリーンフォースも共に行くでしょう。ご家族やご友人だけなら、他国に保護を求める事も可能です。安全な所に、他の土地に逃げてしまえばいい。それが許されるお立場なのです」
「………」
「もしかしたら口さがない者達が、何も知らずに一方的な言葉をぶつけてくるかもしれません。しかし、私は絶対に主様の味方です。そういう存在ですから。何があろうと、貴方をお守りします」
「それは……いいなぁ」
思わず出てきた言葉は、彼女を諭す物でも否定する物でもなかった。
ただの感想。レイラが言う様に逃げ出して、その先の事を想像して思った事。
自分は、そして日本は、『ロキと戦う』という選択をした。既に有川臨時総理が会見で宣言している。
新宿を飲み込んだダンジョン。その中央に、現在巨大な樹が立っていると世界中で話題になっていた。間違いなく、奴がいるのだ。
国会の前ではデモ行進が起き、各国からはこれは日本だけの話ではないと圧力が続いている。有川臨時総理が頑張っているけど、それでも全力を奴に向ける事はできないだろう。
ロキの策はまんまと嵌り、国民はバラバラだ。戦う事を主張する人も、恭順を主張する人も、海外に逃げ出す人達も。それぞれがそれぞれに好き勝手動いている。その対応で警察も自衛隊も碌に動けていないらしい。
かつてパズズと自分は戦った。神とさえ語られる熱砂の王と。だが、きっとあのロキは格が違う。前に戦った巨人どもさえ上回る絶対の強者だ。
敵はかつてないほど強大でありながら、味方となる者達は万全には程遠い。
そんな状況から逃げたって、別にいいではないか。
アメリカやイギリスなら、きっと僕の事を高く買ってくれる。家族や友人だって受け入れてくれるだろう。実際、海外に流れる上位覚醒者の待遇は破格なものばかりだ。
東郷さん達に申し訳ないけど、レイラの言う通り自分はただの学生。これが戦国時代なら元服している歳と言われるだろうけど、現代ではただの子供にすぎない。本来なら戦う者ではなく、守られる立場にある。
対岸の火事をテレビ越しに眺めて彼女たちと感想を言い合って、すぐに別の話題で楽しく言葉を交わす。そこには家族や友人も普通にいて、神様相手に戦うなんて事はない生活。
うん、凄く、いいなぁ……。
「主様。なら」
「……けど、ごめん」
正直、その甘い想像を断ち切れそうにない。
後ろ髪を引かれるなんてものじゃない、今すぐにでも飛びつきたい提案。
だけど、それは『嫌だ』。
「問題を先送りにして逃げ回る方が、もっと怖い。逃げた先が安息の地だなんて風にも、信用できない」
国を捨てた者が逃げた先でどういう風に見られるかなんて、想像に難くない。そういう存在が有事の際にどう扱われるかなんて、歴史を見れば明らかだ。
そしてロキが日本を手中に収めただけで満足するだろうか?わからない。わからないから、怖い。
「レイラ。僕は死にたくないし、君達ともずっと一緒にいたい」
「はい」
「だから……戦うよ」
生きるために、戦う。そんな当然の帰結に、長々と考えてようやくたどり着く。
これが真の戦士であれば、あるいは賢者であればすぐに結論を出すのだろう。あるいは、もっと良い提案をしてみせるのかもしれない。
だが生憎と、自分はただの愚者である。
「それでも一緒に、いてくれる……?」
こちらから、手を差し出す。
理性では彼女が拒否するはずがないと算段をたてて、しかし心の内では拒絶されたどうしようと泣きそうになりながら。
そんな心配も、すぐに晴れる事となる。
「ええ、どこまでも。私は貴方と共にいます」
レイラの手が、差し出した手に重ねられた。
静かに微笑む彼女は、こちら言い聞かせる様に言葉を続ける。
「ですが、旗色が悪くなったら逃げましょう。それは絶対です」
「ああ、もちろん」
「絶対ですよ?他のなにを犠牲にしてでも、逃げてくださいね?」
「うん。レイラ達と一緒に、逃げるよ」
「私達もいざとなれば打ち捨てて逃げてほしいのですが……」
「それはやだ」
「ですよねー」
二人して苦笑を浮かべる。
なんともまあ締まらない。グダグダとした空気で、二人で空を見上げた。
鈴虫の声が聞こえる秋の夜空は、星々が力なく照らしているだけ。月はいつの間にか雲に隠されてしまったらしい。
だけど、レイラと共に見る空は。
何よりも特別なものに思えてならなかった。
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