第百四十話 神の声を聴いて
第百四十話 神の声を聴いて
『ロキ』
北欧神話に伝わる神の一柱。主神であるオーディンに匹敵、あるいは上回る知名度を誇っている神格。
人と神の恥じと語られるほどの愉快犯であると同時に数々の問題を解決するトリックスターとして幾つもの伝説が残っており、オーディンの槍『グングニル』やトールの槌『トールハンマー』の逸話にも登場していた。
だがオーディンの子供であるバルドルの死を招きその復活さえ妨害した罪で岩に括りつけられ、猛毒を浴び続ける罰を科せられる事となる。
その最期は『ラグナロク』に巨人側で参戦し、ヘイムダルという神様と相打ちになった……はずなのだが、生きていたのか。いいや、むしろ『実在したのか』と言うべきかもしれない。
あの『神代回帰』を告げた老人なら、正直神様だったとしても違和感はないぐらいだ。むしろ世界が変わったのは神様が原因です、と言われば『ああそうですか』とさえなる。
青い肌の青年、ロキは言葉を続ける。
『さて。早速ではありますが本題と参りましょう。如何せんつい最近までよぼよぼの爺でしたのでね。冗談のキレがいまいち良くない。長話はやめておきましょう』
彼は両手を広げ、まるで何でもない事の様に告げた。
『ダンジョンの氾濫、なくしたいとは思いませんか?』
……それは、また。
その整った面貌に慈愛の満ちた笑みを浮かべ、声は甘く囁くように。北欧の道化神は語りかける。
『この話を持ち込むのは日本の皆さんにだけです。素晴らしい龍脈をもつ国は、しかしそれ故に大量のダンジョンによって甚大な被害を受けてきた。それをこのロキならば終わらせられる』
右手で己の胸に当て、ロキはもう片方の手をこちらに向けてきた。
『ダンジョンの中には、別のダンジョンが自然発生する事はありません。そこで、俺がこの国そのものを保有する異界にて覆い尽くします。そうする事で、皆さんはダンジョンの脅威から逃れる事ができる。勿論、出現するモンスターは人間に友好的なものばかりですとも』
……理屈は通っている。
文化センターの一件も、そもそもアレは両方ともまともなダンジョンではなかった。通常の異界内部に別の異界が出現する事はありえないとも、聞いた事がある。
だが信用できない。彼の神話を少しでも知る者が、いったいどうしてあの言葉を信じる事ができようか。
唐突過ぎる提案をした彼の神は、更に突然としか言えない内容を叩きつけてきた。
『これより七日後。日本を覆い尽くすダンジョンを展開します。電子機器の類に異常をきたさない特別製を用意しておりますので、ご安心ください。皆さん人間の生活はかつてのものに戻るだけ。なんの被害もないのですから』
「七日後……」
決定事項の様に語るロキ。なるほど、神様らしいこって。だがなんでそれを日本でやるかな。せめてノルウェーとかスウェーデンでやってほしいものだ。
『その間、皆さんには私の邪魔をしないで頂きたい。それだけで良いのです。それだけでかつての暮らしに戻れる。どうか想像してください。ある日突然自宅にダンジョンが生まれる可能性も、己や家族が怪物に食い殺される事もなくなった世界を。『神代回帰』の前の生活を』
まるで心の底から人間を案じているかの様に語り掛けるロキ。
その言葉には何の魔力も宿っていない。普通の言語だ。しかし、その内容はどれだけの人の心に刺さるだろうか。
あの神を信じる事ができずとも、それでもなお甘美すぎる世界を想像させる。
散々、ダンジョンの氾濫で死ぬ人々を見てきた。ダンジョンへ探索に行くたびにストア周辺のゴーストタウンを通り過ぎた。
その被害者たちはずっとこう思っている。『もうたくさんだ』と。
彼らの耳に、はたしてあの神の言葉はどう聞こえているのだろう。それは自分も家族も、友人さえも失っていない僕には想像もつかない。
特に、この新しい神代で戦う力を持てなかった人々の気持ちは。
『皆さんはもう十分すぎる程に試練を受けた!後は神々に任せなさい。人は、怪物どもと戦う必要などないのです』
……ん?
今、何か違和感があった気がする。具体的にどこが、というのはわからないけど。それでも何だか妙な気がした。
訝し気に立方体を見上げるも、それで何かが見抜けるわけでもない。奴の話は続く。
『どうか、賢い選択をしてください。勿論強制的に己の信者にするわけではありませんので、海外に移住したい人は止めませんとも。ですが、去る者は追わず来る者は拒まずという言葉もあります。後から戻ってきたとしても、あるいは余所の国から移住したいという方でも分け隔てなく受け入れますとも』
そして、ロキはまた優雅な、しかし芝居がかった動きで一礼する。
『それでは皆さん、ごきげんよう。新しいこの国で、またお会いしましょう』
一方的に好き勝手喋った北欧の神はその姿を立方体諸共に消し、空には綺麗なお月様だけが残った。
そんな空を数秒ほど見上げた後、窓を閉じてカーテンも閉める。
「レイラ」
「はい」
振り返り、彼女を見やる。
「『アレ』は後どれぐらいで完成する」
「五日、いいえ三日で仕上げます」
ニッコリと、いつもの笑みで答えてくれるレイラに深く頷く。
「わかった。そのまま続けて。雪音とリーンフォースも悪いんだけど、引き続きレイラのサポートをお願い」
「お任せください!」
「了解」
「僕はちょっと、色んな人と話してくる」
とりあえず三馬鹿と、赤城さんと、東郷さん。可能なら陸自の水無瀬三佐と矢島さんも。あと緒方さんの連絡先って貰っていたかどうか確認しないと。花園さんは……あちら次第か。
何をするのか、何がしたいのかも正直定まっていない。
あの神の話を信用するのは論外として、ではどうするのか。それを決めねばならない。そして、何をするにしても一人で出来る事など限られている。
なら、素直に助けを求めるとしよう。なに、相手だって人手を求めている可能性もあるのだ。自分を売り込んでやればいい。持ちつ持たれつ、困った時はお互い様。いい言葉だ。
兎にも角にも動くとしよう。何も決まっていない現状だが、望むものは定まっている。
「皆で生き残るぞ。気合をいれていこう」
「はい!」
「もちろんです!」
「了解」
* * *
サイド 郡 凛
立方体が消えた夜空を眺め、崩れ落ちる。
「ぐ、ぅぅ……!」
全身が痛い。特にお腹と背中は、内側で何が起きているかも想像したくないほどだ。
あぶら汗を流しながら壁に手をついて立ち上がった所で、廊下から足音が聞こえてきた。
「郡さん!?目が覚めたんですか!?」
病室のドアが勢いよく開かれ、看護師さんが焦った様子で入ってきた。
その言葉に答える余裕もなく、ドアに向かって歩き出す。
「ちょ、いけません!ベッドで横になっていてください!」
だが看護師さんに肩を押さえられてしまう。振りほどこうにも全身に走る激痛のせいで抵抗もできず、うめき声をあげる事しかできなかった。
看護師さんは私をベッドに座らせた後、ナースコールを押す。そして真剣な面持ちでこちらを見つめてきた。
「すぐに先生が来ますから、安静にしていてください。いいですね?」
「あか、ぎさん……桜井自動車の、赤城さんに連絡を……」
どうにか喉を震わせ、言葉を吐き出す。
胡桃が攫われた後、自分を襲いにきたと思っていたあの白銀の騎士さんに病院に運ばれたのは覚えている。
騎士さんが去った後、そこで赤城さんに会ったのだ。意識が途切れる前にどうにか胡桃が攫われた事だけは伝えたが、そこから先は覚えていない。
あいつだ。あのロキとかいう奴が、胡桃を……!
「わかりました。ただ、先にその赤城さんからの伝言があります」
伝言?いったいなにが……。
「貴女が受けた傷は、『不治の呪い』がかけられている。現代医療でも、魔法でも治しようがない。生きているのが不思議な状況なのだから、病院の指示に従って大人しくしていろ。彼女はそう言っていました」
「不治の……」
なるほど。そう言えば、あの騎士さんが倒れていた私に何度も魔法を使っていた気がする。アレは治療をしようとして、上手くいっていなかったのか。
「後は自分達が受け持つ。幼馴染さんは桜井自動車で探すとも。だから郡さんは、ここで治療を受けていてください。呪いが解除されるまで、絶対に死なせません」
「それ、でも……!」
足に力を入れ、立ち上がる。
「ちょ、待ってください!ご自分の状況がわかりますか?全身打撲に骨折が七カ所、内臓にもいくつもの損傷があるんです!骨が刺さっている臓器もあるんですよ!?」
「それでも……胡桃は大切な友達、なんです。それに……ケジメ、つけないと」
私がもっとしっかりしていたのなら。私がもっと鍛えていたのなら。
私が歌手になるなんて夢を、まだ持っていたから。
だから彼女は攫われたし、ロキという怪物も力を取り戻してしまった。その罪を清算するにはこの手であの神を自称する存在をたたっ切る。それしかない。
たとえ相打ちになってでも、殺す。将来の夢など、未来など考えてはいけないのだ。
『人殺しの娘め!』
『なんで生きてんの、あんた』
『殴り返してみろよ、犯罪者!』
ああ、ああ……わかっている。わかっているとも。
役に立つから。誰かを助けるから。罪を償うから。だから、だから私を一人にしないで。
お父さんは死んでしまった。お母さんはずっと入院している。あの頃傍にいた人は、胡桃以外誰も残らなかった。皆私を置いて行ったか、裏切って。見ない様にするか石を投げるか。
過去の私を肯定してくれる、たった一人の存在。それが、彼女。
未来の私を肯定してくれる、あの事件の後に助けて来た人たち。新しい友人達。
こんな損得勘定で動く私に、許される権利などないのは百も承知。償いにならないかもしれないけど、この命を捧げよう。だから、せめて胡桃だけは、あの子だけでも笑顔で過ごせるように……。
看護師さんにベッドに押さえつけられ、やってきた他の看護師さん達やお医者さんを見上げながら、意識が落ちていく。
ああ……起きていられるのは、ここまでか。口の端から血が流れるのがわかる。喉奥からせり上がってきているらしい。
全身の激痛で耳もおかしくなってきた。周囲が何かを叫んでいるが、よくわからない。
遂に、瞼が意思に反して閉じ始めた。ああ、くそ……私、は……。
『凛ちゃん』
歯を食いしばる。痛みが消えないのなら。それを利用すればいい。ここからは、絶対に眠らないし気絶もしないと誓え、郡凛。
過去の私を一人にしないでくれた、親友を。胡桃を絶対に助け出す。その上で、あの怪物を討つ。これは己の独りよがりであるなど百も承知。また罪を重ねる事となろうとも、この身が地獄に落ちる事はお父さんの死体を見つけた日から覚悟していた。
それでもなお、あの子には笑っていてほしい。もう、それしか考えない。その為ならば夢など捨ててしまえ。この手は、多くの事を抱えられるほど大きくないのだから。
機会は必ずくる。何故だか、その確信があるのだ。その時に動くために……最期の力を使い切る為に、今は動かない。
脳の奥を焼く痛みを燃料に、途切れそうな意識を保ち続けた。
読んで頂きありがとうございます。
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