第百三十三話 邪龍と狩人
第百三十三話 邪龍と狩人
東郷さんを背に、這い上がってくる存在に構える。
徐々に濃さを増していく緑色の霧。それは凄まじい毒であり呪詛であると脳内でレイラが教えてくれた。彼を『白魔法』で治療したが、タクトの力では今より濃い呪詛は癒せない。
魔力の放出で東郷さんを霧から守りながら、問いかける。
「東郷さん。貴方はここからどうしたいですか?」
「どう……?」
「逃げるのなら援護します。有川大臣擬きに関しては僕の仲間が追っているはずなので、気にする必要はありません。僕自身も『こいつ』を倒したら向かう予定です」
雪音達の正確な位置はわからないが、魔力の繫がりからなんとなく彼女らも近くに来ている事を察する。であれば、有川大臣擬きに逃げ場はもうない。じきに彼女らが奴を討ち取るだろう。
であれば、東郷さんが奴を追いかける理由などない。
理屈では。
「……いいや、私は有川に化けた怪物を追う」
「何故ですか?貴方でなくとも、この一件を終わらせる事はできます」
「……取るに足らない、ただの個人的な感傷さ。笑うかね」
「いいえ」
東郷さんと有川大臣の関係は知らない。だが、酒井先生の言い方といい今の発言といい、きっとただの顔見知りではないのだろう。
それこそ自分と熊井君達みたいな間柄、か。
……うん。
「わかりました」
切っ先をくるりと反転させ、床に突き刺す。
『大地よ』
床を這う木々の一部が動き出し、大穴から通路までの道を隠す様に壁となった。
「魔力であの霧を防いでいます。短時間に走り抜ければ、呪詛を受ける事はありません」
「京太朗君……」
「これは貸しですよ?今度、いつもの喫茶店で何か奢ってください」
少しだけ、冗談めかしに言ってみる。彼に『貸し』などと口にしたのは初めてかもしれない。
思えば、そう長い付き合いでもなかったはずだ。しかし、いつの間にか自分の中で最も尊敬する大人の位置に彼がいる。そんな人物にこういう事を言うのは、少しだけ照れくさい。
背後で、クスリと小さく笑う声が聞こえる。
「ああ。絶対に行こう。死ぬなよ、京太朗」
「そちらこそ。約束、破らないでくださいね」
剣を構えなおし、横目で駆けていく東郷さんを見送る。
正直、合理的に考えれば彼の行いは愚行の類だ。命を懸けなくていい場面で、死地に飛び込んでいる。
だが、『愚者』である自分がとやかく言う事でもない。あの人の選択を尊重しよう。
ついでに言えば……。
意識を前方に集中させる。あの穴から這い上がってくる『なにか』。その気配が近付く度に、背筋に伝う汗の数が増えていくのを感じた。
「レイラ」
『はい』
東郷さんの事ばかりを気にしてはいられない。ここより出でる存在に、決して油断も慢心も許されないのだから。
既に魔力、気力ともに限界寸前。『樹王』にて最適化する事で残り僅かなそれらを絞り出している今の自分が仕留められる相手な事を祈る。
……いや。
約束してしまったのだ。しかも自分から言い出して。元より死ぬ気はないが、死ねない理由が増えてしまった。
剣を握る手に力を籠める。
いるかどうかもわからない神様に祈るのではなく、この剣と、何より一心同体となっている相棒とで乗り越えてみせよう。
「初撃ででかいのを決める」
『お任せください』
さあ、出てこい。頭を出した瞬間、その首を───。
瞬間、魔眼が発動する。
「っ!そう簡単には、いかないか!」
咄嗟に飛び退いた直後、自分が立っていた場所から剣が突き出された。
鋭い剣先によって吹き飛ばされた床。そこから、ぬるりと一体の龍が姿を現す。
体高は三メートル、体長は尻尾を抜いても五メートルを超える巨躯。全身を鋼色の鱗で覆い、四肢の付け根や背から金色の突起を生やしている。
だが、その巨体よりも目が行く点が三つあった。
一つ目は、『人に近いこと』。
龍でありながら四肢の先は人のそれと同じ骨格であり、前足にいたっては人そのものだ。あげく、『人面龍』と呼ぶべき頭部をしている。目鼻だけでなく口の形や鱗でできた髭までも人間じみていた。
二つ目は、『その装備品』。
前足……いいや右腕で持つ一振りの西洋剣。幅広ながら鋭い先端をもつその剣は奴の身の丈ほどもある巨大さをもち、頭には異様に濃密な魔力の込められた金色の兜を被っている。
最後に、『首の数』。
二つ、人面龍と呼ぶべき顔が並んでいるのだ。黒目のない白い瞳が二対で計四つ、こちらを見下ろしていた。
最後の一点さえ除けば、眼前の怪物に該当する存在に思い至る。
『ファフニール』
北欧神話においてシグルド、あるいはジークフリートに討ち取られた邪龍。人から龍に変じ、財宝を守る強欲な怪物と語られる。
現代においては、ポーランドのダンジョンでイギリスの覚醒者部隊が遭遇、戦闘になったと聞いた。その際に出されたランクは『B+』である。
だが、公表されたデータと違うのは首の数だ。あの牡鹿どもと同様に、こいつも改造されているらしい。
古代、神話においてドラゴンは多頭であればあるほど強いとされていた。無論、例外はあるが。それでもギリシャ神話に出てくる百の頭をもつ『ラードーン』等が強力な龍として伝承に残っている。
さて。では、眼前のファフニールはどうなのか。その話が正しいのであれば、通常の個体を上回る力をもつはず。もっとも、比べようにもあいにく普通のファフニールなんぞ知らないし会いたくもないが。
だが、一つだけ言える事がある。
『『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛───ッ!!』』
ミノタウロスと、ファイアードレイクと、パズズと戦ってきた。そして、それらどの怪物よりも。
この龍は、強い。その確信があった。
なれど。
「ふぅっ……!」
先制として振り下ろされた巨大な刃。一撃で人体どころか魔力を帯びていない通常のビルであれば、一刀のもとに叩き割れるのではないかという斬撃。
それを、魔力をのせた刃で弾く。巨大な鉄塊同士がぶつかった様な、硬質ながらも骨まで響く様な轟音。それを感じながら、兜の下で笑みさえ浮かべてみせた。他の誰でもない、己自身を鼓舞するために。
たとえこの邪龍がそれら全ての怪物を凌駕しようとも。こちらもまた、あの怪物どもを倒した時の自分よりも、今の自分の方が強い!
上に弾かれたファフニールの剣。反動でこちらも後退させられた所に、相手の方が先に次の一手を打ってきた。
左腕の爪を床に突き立て、全身を横に一回転。東郷さんが通る為に作った壁を飴細工の様に粉砕し、鋼色の尾がこちらに迫る。
それに対し受けるのは危険と考え、先の勢いに抗わず後退。目の前を凄まじい速度で尻尾の先端が通り過ぎて行った。
間髪入れずに自分の上に影がかかる。見上げるまでもなく、回転から繋げて上段からの斬撃を相手は放とうとしているのだと本能が理解した。
それに対し今度は前進してやり過ごし、背中で凄まじい破壊音と衝撃を感じながらファフニールの後ろ脚に斬りかかる。
駆け抜け様の一閃。それは硬質な音と火花を出すだけで、鱗の下に刃が通る事はなかった。
硬い。鱗の一枚一枚がまるで城壁だ。打ち込んだ手がじんじんと痛む。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
咆哮をあげる二つ首。その頭にかぶった金色の兜が紫色の光を波紋の様に広げた。
『エーギルの兜』
北欧神話にて語られる、他者を恐怖させる不思議な力をもつ兜。イギリスの覚醒者部隊は呪詛を含んだ毒霧よりも、こちらの方が鱗の次に厄介だと公表していた。
だが。
「しゃっぁああああ!!」
『魔力解放』
雄叫びを上げて構わず突貫する。
自分にはそんな物効かない。呪うなら相性の悪さを呪え。
周囲に広がる紫の光が、自分に触れた瞬間かき消される。そのまま魔力の加速でもって近づき、右後ろ脚を斬りつけた。
今度は、刃が通る。鋼の鱗を引き裂き、金属が割れる音と共に血しぶきが舞う。それに対しファフニールが絶叫をあげて体を反転させてきた。
『『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛───ッ!!』』
叩きつけられる様な振り下ろしに、続けて放たれる横一閃。そして袈裟懸け。それら全てを弾き、受け流し、打ち返す。
膂力、体格ともに相手が上。だが魔力と体捌きで補い、相手の持つ巨剣と打ち合った。
一合、二合と切り結ぶ度に甲高い音と火花が散らされ、徐々にこちらの身体が床を削りつつ後退していく。
防げるし凌げる。だが、ここから長期戦はこちらが不利か。
魔力の残量は枯渇寸前。一気に決着をつける必要がある。
連撃の僅かな隙間。そこに相手の攻撃を受けるフェイントを混ぜてから大きく横に跳んだ。
床が叩き割られ土煙が小さな噴火でもあったように撒き散らされる。その中でも、ファフニールの巨体と鱗はよく目立っていた。
『オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
振り下ろされた剣が引き抜かれる事なく横に振るわれる。削り取られた瓦礫が散弾となってこちらに放たれた。拳大の物から人頭大の物まであるそれらは、この身であっても無視できない破壊力をもっている。
一つでも当たれば怯む。その次の瞬間には彼の巨剣で体を両断されている事だろう。
「突っ込む!」
『避けてみせます!』
だが、前へ。
レイラによる体捌きの補正を受け、自分でも信じられないほどの軽やかさで飛来する瓦礫の壁をすり抜けていく。頭のすぐ横を、あるいは脇を潜る様に。まるで瓦礫の方から自分を回避しているかの様にかすりさえもしない。
この魔眼は飛んでくるそれら全てを捉え、レイラはこの身に熟達の戦士のそれを再現させてくれる。
それ故に超回避。一切の減速なく、瓦礫の壁を突破した。
『『ッ!?』』
ファフニールの人面が驚愕を露わにする。だが、それでも腕だけはこちらの接近に対処するため動いていた。
二つ並んだ頭が邪魔で握りづらいだろうに、両手で剣を構え振り上げている。今までの片手持ちではない、本気の斬撃。
ファフニールの咆哮と共に振り下ろされる。音速すらも超えた、神速。雷が落ちて来た様な速度と轟音が、一振りの剣に込められた。
だが、『視えて』いる。
未来を視るこの両目はその斬撃の軌跡を正確に読み取り、一歩、先に体を動かせた。
『魔力解放』
『自然魔法』
全力全開の魔力の放出。それに重ねられた風の助力。この身は奴の様に神速の域へ上る事はできずとも、音速ならば超えられる。
右足の異音を無視し、自分自身を撃ちだした。
奴の剣が振り下ろされるのと、こちらの剣が奴の右にある頭を貫くのが同時。頑強な鱗は破壊され、内側の肉も骨も吹き飛ばす。ファフニールの頭の片方が下顎を残して消え失せた。
空中からそれを見下ろせば、残ったもう片方の頭と目が合う。憤怒を浮かべた龍は両手で剣を握りしめ、こちらに振り上げようとしていた。
右足の感覚がない。それ以外の全身が発する痛みが脳を駆け巡るも、一切を無視。こちらもまた剣を握りしめた。
左足が天井につく。直後、再度の突貫を敢行する。
天井を踏み砕き、それが伝染してこのフロアその物が軋みをあげて崩壊していく。それもまた、無視だ。
重力なんぞより遥かに速く、自分と彼の龍は動いている。
迎撃として振り上げられる巨剣。それは確かに今度こそこちらの身を捉えていた。回避はできない。迫るその刃に、体を回転させる。
───強力な怪物は、一部の例外を除いて人の身など矮小に思えてならない巨体を持っていた。そして、この龍も同じく生物としての格の違いを見せる肉体を誇っている。
ならば、足りないものは業でもって補うまで。
「おおおおおおおおおおおお!!」
魔力と風による高速回転。遠心力をのせた刃が、巨剣と衝突する。
一瞬雷が轟いたのかと錯覚するほどの衝撃。半瞬遅れて轟音が響き、両者の剣が相手をへし折り使い手を引き裂かんと削り合う。
時間にすればほんの数秒の出来事。その激突を制したのは――人が持つ、龍からすれば竹串の様に細く小さい剣。ツヴァイヘンダー。
巨剣を叩き割り、回転の勢いを失うも天井を蹴った加速までは減速しきっていない。そのまま一直線に邪龍の心臓へと切っ先が吸い込まれていった。
リカッソについた鍔代わりの突起まで刃が食い込み、衝撃で仰け反った奴の巨体に足をかけ両手で剣を捻る。
ごぱりと勢いよく血が溢れ、自分の身体を濡らした。兜のスリットから眼に血が入るのを感じながら、ファフニールの口が動くのを感じる。
何を言おうとしているのかはわからない。その言語を自分は理解できない。
だが、『よくないもの』だという事だけは、魔眼が発動する事で教えてくれた。ただ物理的に塞がれた程度で、魔眼というものはその力を失う事はありえない。
リカッソを左手で掴み、柄には右手が。刀身を奴の身体に埋めたまま、鋼の鱗を駆けあがる。
胸から顎、脳天まで引き裂いて、ファフニールの命を完全に刈り取った。
勢い余って中空に身体が投げ出された直後、龍の身体が弾け飛ぶ。まるで水風船が破裂したようにその巨体が散り散りとなったかと思えば、溺れてしまうほどの鮮血が展望室を満たした。
「マジか……」
もはや指一本動かすのも億劫なこの身は、今しがた出来上がった血の池にどっぷりと浸かる事となった。
イギリスの報告では、血を浴びても伝説の英雄の様に無敵の肉体は手に入らない。この水没……血没は、ただの己のミスである。
なんともまあ、我ながら締まらない。
凄まじい鉄臭さが鼻の奥を刺激するなか、大穴に流れ落ちまいと血液が粒子に変わるまで床にしがみ付く事になった。
「……疲れた」
『はい。本当に……お疲れ様でした』
無様に床に転がって、呟く。答えてくれるレイラの声にも隠しきれない疲労が滲んでいた。巨人に、鹿の化け物に、邪龍。なんともまあ、我ながら連戦に連戦を重ねたものである。
眼の前に転がる、人頭大の鋼色をした心臓を眺めてから。気合をいれてどうにか体を起き上がらせる。ついでにその心臓も拾い上げてアイテム袋にねじ込んだ。
まだ、全てが終わったわけではない。
剣を杖代わりにして、ゆっくりと彼らがいる方向に歩き出した。
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