第百二十九話 雪音の奮闘
第百二十九話 雪音の奮闘
サイド 雪音
リーンフォースと共に異界の中を進む。そこら中に伸びる樹のせいで薄暗いうえに足場が悪いが、それでも基本的には支障なさそうだ。
そうして歩きながら、旦那様より預かった『林檎』の入った『あいてむ袋』をそっと左手で撫でる。
この中にはあの方の人生を左右する果実が入っていると思うと、不安と高揚がこみあげてきてたまらない。
だって、それだけワタクシの事を信頼してくれているという意味なのだ。正妻冥利に尽きるとはこの事。
『質問します。なぜ通路に印をつけているのですか?本機にはマッピング機能がありますが』
リーンフォースがそんな問いをしてくる。彼女の視線の先は、ワタクシが右手に持つ冒険者用の特殊な筆であった。
その問いを待っていましたとばかりに胸をはってみせる。
「この異界に出てくる怪異は未確認ですから。後で旦那様がこちらと合流しようと考えた時の道しるべを書いているのです」
これぞ正に良妻賢母の証!旦那様の思考を予測し、目立ち過ぎずされど気づき易い助けをする。
やはり旦那様の正妻はワタクシにこそ相応しい。ふふっ……自分の正妻力の高さが少々恐いほどですね。
『納得しました。では次の質問です。なぜ酒井にここのモンスターについて詳しく聞かなかったのですか?』
「すっかり忘れていたからです……」
そっと目を逸らす。旦那様がお世話になっている方ゆえ、挨拶に行くべきか迷っているうちに機会を逃してしまったのだ。そしてその事で頭が一杯だったので完全に失念していた。
「確かにこれはワタクシの失態ですね。ちなみに、リーンフォースは何故聞かなかったのです?」
『本機は秘密保持のため極力外部の人間と関わらない様にドクターから言われています』
「ぐぅ……」
なんという正論。
そう、旦那様より林檎を預けられたが、同じぐらい気を付ける必要があるのはこのリーンフォースだ。なんせ、全身にあの林檎にまつわる素材が使われているのだ。腕一本誰かに持ち去られただけで旦那様の破滅もありえる。
そちらも注意せねばと思いながら、印をつけつつ歩みを再開する。
無論周囲の警戒を続けながらだが、思考は別の方向に。そして雪女たるもの、常に脳裏には配偶者の姿が浮かんでいるものである。
ああ、旦那様。そのお顔を思い浮かべるだけでなんとも言えぬ安心感が胸を満たしていくお方。ここまで信用できる夫を得られたワタクシは、数いる雪女の中でも特に幸運でしょう。
――雪女という種族は、人間と共存でき易い種に見えてその実はかなり難しい。
というのも、ワタクシ達は人を襲って得られる魔力の効率が他の怪異と比べてあまりよくない。逆に誰かと契約して魔力を貰う事に関してはかなりの高効率で魔力を補給できる。そういう生態なのだ。
……あまり好ましくない例えではあるが、寄生虫が一番近い。本当に嫌な例えだが。
そんな雪女という怪異は優先的、かつ途切れる事なく魔力を貰う為に契約者が他の存在に懸想する事を極端に嫌う。そういう本能を持っているのだ。可能ならば、契約者に己以外の存在と会わぬ生活を送ってほしいほどに。
故に。雪女は嫉妬深く契約者が自分以上に優先する存在を得た瞬間、暴走する。
それでいて契約者である人間と怪異では子を作れないのだ。人間という種の存続を阻害する事になる。
そういう理由から雪女は人間との共存が容易い存在ではない。だからこそ、かつての神代が終わった後に雪女は現代に残る事ができずに滅びたのだろう。
もっとも、過去の神代から今の神代まで生き延びる様な存在を想像はできないが。
その点、旦那様は素晴らしい。
最初に『他に愛する人がいる』と言われた時は暴走しかけたが、蓋を開ければ『守護精霊という名の旦那様の分身』。
旦那様を愛しているのに、旦那様の右手を愛せない雪女がいようものか。その性癖には少々……まあまあ……かなり引くが。それはそれ。たとえどんな変態趣味を持っていようが愛の冷めぬ種族が雪女である。
続いて『はーれむめんばー』とやらが増えたと思えば、現れたのは『レイラ様の作った多機能人形』。レイラ様は旦那様なので、あの方自作の性行為可能な人形である。
それをワタクシと同じく妻として扱うのはほんの少し……やや……凄く引いたが、先ほど述べた様に旦那様がどれだけアレな趣味を持っていようが愛の炎が消えないのがワタクシ達雪女『くおりてぃ』。
そしてこれらの事から導かれるのは、『旦那様は人間の女から恋愛的に好かれる可能性が極めて低い』という事実。
まともな魔法使いなら極まったその変態度合いに近づく事すら恐怖し、そうでない女子には他の女を三人も侍らせて悦に浸る存在。現代の価値観を調べたが、これで恋愛的に好かれるはずがない。
ここまで雪女の嫉妬を刺激しない契約者がいるだろうか?……探せばいそうな気もする。現代というのは、知れば知るほど凄まじい御仁がいるし。
ともかく。その安心度合いに加えリーンフォースに人工子宮とやらが搭載される可能性もあるのだ。そうなれば種の存続も安泰。ワタクシ達の子として育てられるのである。ああ、早くややこを抱きしめたい。
しかぁし。ここで現れた『らいばる』がよもや旦那様よりも二回り以上歳の離れた男だと誰が予想できようか。
旦那様の日頃の視線や夜の事情を考えれば、東郷何某に多大な敬意を持っていても恋愛的な感情は持っていないはず。
だが油断はできない。『すまーとふぉん』なる物で雪女同士の相談所を見つけたが、そこでは『びーえる』という本を夫の部屋で見つけて困っている同族の悩みも書かれていた。あの画面越しにも冷気が伝わってくる感覚は嘘や冗談の類ではない。
聞けば、現代では同性のアレコレを容認する事が推奨されているとか。その上花園様は旦那様に女子同士の恋愛を共に守っていこうと時折誘ってくる。ここから導き出される答えは一つ!
いつ旦那様が二刀流に目覚めるかわからないという事だ!東郷何某には警戒しなければならない。もしもあの男が旦那様を利用するために色仕掛けをしようものなら……!!
まあ、まだ実行には移していない様だし今回は見かけたら助けてやるが。奴が死ねば旦那様が悲しむので。
無事に帰還ができたのなら万に一つも愛する夫がそちらの道に走らぬ様に、しっかり旦那様を誘惑しなければ。『ばにー』なる兎の恰好が好きだとおっしゃっていたし、それで今夜は攻めるとしよう。
と、そんな事を考えていられるのはここまでの様だ。
『魔力反応有り。数は一、正面から接近中。距離約百二十メートル』
「ええ、迎撃の準備を」
『了解』
ワタクシも周囲を警戒していたが、リーンフォースの索敵範囲には敵わない。流石は旦那様の作った多機能人形である。
……いや。しっかりと一個人として扱わなければ。旦那様がそうおっしゃっていたのだから、そこを違える気はない。そんな事で夫婦の仲に溝ができては事だ。
そう、東郷何某という外敵がいるからこそワタクシは家の内側を纏めなければならない!
「リーンフォース、ワタクシ達の硬い絆から繰り出される友情『ぱわー』を見せてやりましょう!」
『いいえ。本機はゴーレムであり雪音は使い魔です。友情は存在しません』
「貴女そういう所ですよ!?」
やっぱりワタクシに対して厳しい気がしてならないのですが!?
『ブア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛───ッ!!』
通路にビリビリと響く雄叫び。おふざけはそこまでにして、筆をしまい代わりに扇子を引き抜いた。
左右一本ずつ握り、近づいてくる影を待ち構える。そして見えてきたのは一つの身体に四つの頭を持った怪異だった。
牡鹿のような頭部で窮屈そうに互いの角をぶつけながら、ワタクシ達を見て赤い目を獰猛に輝かせている。旦那様であったら『四つ頭』とでも名付けるだろうか。
何にせよ凄まじい速度だ。酒井様が『B相当』と言ったのも頷ける。明らかにワタクシよりも格上だろう。
『ビャ゛ビャ゛ビャ゛ビャ゛!!』
警笛の様な声をあげて迫るそれに、リーンフォースを正面に置いたまま左右の扇子を振るった。
「『氷牢』!」
この通路で直線に動くというのなら、いかに素早くとも軌道を読む必要はない。
奴を迎えうつ様に突き立った六つの氷柱。その内側へと四つ頭が足を踏み入れた瞬間、その膝から下が瞬く間に凍り付く。
つんのめる様にして止まる突進。そこにリーンフォースが駆け寄り、大上段から剣を振り下ろす。
『ブオ゛オ゛オ゛!!』
だが相手も反応してみせた。強引に足の氷を蹴散らして重心を落とすなり、彼女の両手剣を腕で受け止めてみせる。
頑強そうな毛皮を突き破り食い込む刃。だが切断までは至らず、反撃として左の拳がリーンフォースに迫る。
やらせない。旦那様がいない時に家の者を守るのが正妻の務めである。
「『氷牙』!」
振り下ろす扇子。放たれた氷の槍がリーンフォースの脇を通り、四つ頭の左拳に突き刺さった。
悲鳴をあげて後退する敵に更に踏み込んだリーンフォースが横薙ぎの斬撃を振るえば、奴の首の一つが斬り飛ばされた。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
悲鳴のような絶叫。跳躍して距離をとる四つ頭に追撃を放とうとした瞬間、リーンフォースが声をあげた。
『魔力反応あり。後方の曲がり角より一体接近中』
「っ……!」
戦闘の音にひかれて来たか!
「リーンフォースは後ろからのを倒しなさい!正面のはワタクシが!」
『了解』
ちょうど奴とは今距離がある。互いに場所を入れ替わる様にして動いた直後、後ろからも咆哮が聞こえてきた。
頭が三つになった怪異。それでも便宜上四つ頭と呼ぶが、その三対の眼がこちらを強く睨みつけてくる。
それと相対しながら、左手の扇子を腰に挿し右手のみに。
アレをやるのなら、今しかあるまい。
「ふぅぅぅ……」
扇子に息を吹きかける。すると瞬く間に凍り付いていき、氷によって包まれた。
レイラ様がお作りになったこの扇子は妖術の発動体として凄まじい力をもつ。であれば、それを『芯』として使ったならどうなるか?
現れたるは一振りの薙刀。氷でできたそれの感触を確かめる様にくるりと回し、構える。
この力が増す防具を授けられると聞いた時より鍛錬だけは人工異界にて繰り返してきたが、はたしてその効果はどれほどか。
「さあ、来ませい!」
『ブボォォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛──ッ!!』
迫る牡鹿の怪異を前に、氷の刃を煌めかせた。
繰り出される右の拳に薙刀を合わせて受け流し、続けて繰り出された左は跳躍して回避。すぐそこまで来た天井を蹴って加速を得て、こちらを見上げる四つ頭の一つ目掛けて回転しながら斬撃を放つ。
硬い感触が伝わってくるも、角で防ぐ間もなく頭蓋を叩き割る事に成功した。
『ェェェエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛!!』
怒りの叫びをあげて着地直後のこちらを叩き潰さんと、両手を合わせて振り下ろしてくる残り二つの頭。
ワタクシの身体能力では、魔道具の力を借りても回避防御ともに不可能だろう。
しかし、妖術ならば。
「『昇り氷牙』!」
具足から流れ出た魔力が床を凍らせそこから突き出される七本の槍。それらが奴の腹部に殺到し、巨体を押しやりながら臓腑を抉る。
『オ゛、オ゛ォォ……!?』
血の混じった涎を舞わせながら後退する怪異に、左の壁を蹴って三角飛びの要領で迫る。
ワタクシでは体格が足りない。頭一つを潰した時同様に、体を捻って遠心力を上乗せする。
「はぁあああああ!」
一つ首を断ち切って、二つ目の首を半ばまで裂いた所で薙刀が折れた。
よろめきながらも床を踏み砕いて持ちこたえた最後の頭が、まだ空中にいるこちら目掛けて拳を突き出した。
迫る鉄拳。格下の怪異など一撃で粉砕するに足るそれを前に、しかし恐れる事はない。
これを上回る敵と何度も戦ってきた。その時は己が無力を嘆いたが……。
「ふっ!」
今は、違う!
はたき落とす様に左掌を押し当てて、そのまま振り下ろす。当然膂力体格共に勝る相手の腕は軌道を変えず、代わりにワタクシの身体だけが上に逃れた。
すぐ下を通り過ぎた拳。これまたくるりと回ってみせて、薙刀を振りかぶる。
既に氷の刃は再形成が済んでいた。
「やぁ!!」
一閃。さきほどつけた傷をなぞる様に打ち込んだ刃が骨を断ち、牡鹿の頭を斬り飛ばした。
四つ頭の背後に着地し、残心。ぐらりと奴の身体が膝をつき、横向きに倒れ伏した。
「ふぅぅぅ……」
大きく息を吐けば、自分に近づく足音。
慌てて顔を上げれば、そこには平然と立つリーンフォースがいた。
「そちらも終わっていたのですね」
『はい。六秒前に』
「あら。では次は貴女よりも早く倒してみせましょう」
クスリと笑い、扇子をそれぞれの手に持ち直す。
この戦いの音を聞いて別の個体も向かってきている事だろう。一々相手にしていてはキリがない。
「行きますよ、リーンフォース。旦那様の正妻に誰が相応しいのか、証明してやりましょう!」
『否定します。本機の全力戦闘は映像記録に残す事はできず、林檎の秘匿の為にも我々の戦闘を何らかの証明行為に使うのは認められません』
「貴女本当にそういう所ですよ!?」
実はワタクシの事嫌いだったりしませんよね、リーンフォース!?
読んで頂きありがとうございます
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
※リーンフォースに好き嫌いはありません。ただ雪音が空回っているだけです。




