第百二十八話 牡鹿
第百二十八話 牡鹿
タイル張りの床が露出している所もあれば、樹が覆っている場所もある足場を慎重に進んで行く。茶色の隙間から僅かに覗く照明がチカチカと瞬きながら通路を照らしていた。
急いで今回の首謀者をどうにかすると決めたものの、焦って逆にこちらが死ぬのは絶対に避けねばならない。逸る気持ちを抑え、剣を肩に担いだ姿勢で進んで行く。
それにしても周囲の索敵役のいない探索がこんなにも神経をすり減らすものだったとは。リーンフォース無しでダンジョンに潜る事自体、いつぶりかもわからない。冒険者歴自体まだ半年程度だと言うのに。
自分の五感が研ぎ澄まされていくのがわかる。通路の幅はおよそ二車線半。天井の高さは五メートルほど。元からこの広さなのかはわからないが、これなら道の中央付近で戦えば切っ先が擦れる可能性は低い。
雪音達と別れてから約三分。空間が拡張されているのか未だ曲がりくねった通路を進んでいると、何かが擦れる音が聞こえた。
レイラも察知した様で立ち止まり、ハンドサインをしてからゆっくりと音のした方向に近づく。できるだけ足音がしない様に動くが、鎖帷子や鋲の打たれた靴が少しだけ鳴ってしまった。兜の下で小さく汗を掻く。気づかれていないといいが。
進行方向上の曲がり角。その先に何かがいる。
自分も意外と焦っていたのか、酒井先生からここのモンスターについてランクしか聞いていない。いったいどんな奴が出てくるのやら。
時間的にも一々避けて通っている暇はない。ここで相手の戦力を見極め、自分達とよほど相性の悪い相手なら急いで引き返し雪音達と合流するのも視野に入れなくてはならない。
アイテム袋から出した鏡で曲がり角から様子を確認する。
約五メートル先。そこで巨大な何かが壁に顔を擦り付け……いいや。『壁を這っている樹を噛んでいる』。
壁に纏わりついた樹。それに歯を擦り合わせて食べているのだ。
それはかなり奇怪な姿をしていた。首から下は焦げ茶色の体毛で覆われ、頭部を含めなくとも二メートルほどの巨体は筋骨隆々である事が毛皮越しでもわかる。
胴も四肢も人に似た骨格をしており、指先と爪先だけ体毛がなく代わりに黒光りする皮膚が露出していた。
だが、やはり一番目を引くのはその頭部『たち』だろう。
『ゴッ……ゴッ……エェェェ……』
樹の味が気に入らなかったのか硬い咀嚼音を途切れさせ吐き出す頭。
『ブイ゛ィィヨ゛ォォ……』
その頭の横で天井を見上げながら口を震わせる頭。
『グググ……グググ……』
更にその隣では、横の頭を睨む様に顔を向けながら唸る頭。
『ビャビャビャビャビャビャ!!!』
最後の頭が警報の様な鳴き声を上げながら頻りに顔を動かしていた。
頭が四つあるのだ。かなり広い肩幅をもつ怪物だというのに、四つある『牡鹿』の頭が角を触れさせあって窮屈そうに並んでいる。
モンスターだとしても奇妙なその見た目はあいにくと覚えがない。……いや。そう言えば、『白銀の林檎』を調べる過程で北欧神話を調べた事がある。
確かその時、四頭の牡鹿が出て来たのがあったのだ。どういう存在だったか思い出せないが、まさかアレが?
いや、あれは『四頭』であって『四つ頭』ではない。何か、何かがおかしい。このダンジョンはおかしいのだ。
氾濫に飲まれていく街を四回も見た。そのどれもが、景色の一部や建物の材質がダンジョンのそれに入れ替わるものだったのである。
しかしこれはどうだ。入れ替わるのではなく、融合している。あげくの果てにあの異様な怪物。
まるでこのダンジョンそのものが『誰かの手で改造された』様に思える。それはつまり、ここはその『誰か』の胃袋の中と同じという事だ。
そんな事はありえない、と思いたいが、大抵こういう時の嫌な想像は当たっているんだよなぁ。
兜の下で眉毛をへたれさせながら、鏡越しに仮称『四つ頭』を観察する。
身体の動きに違和感はない。頭は複数あるが、肉体の制御は問題ないのか。やたら硬質な指先があっさりと壁の樹を引きちぎって端っこの頭の鼻先に持っていき、臭いを嗅がせている。
たぶん、オルトロス同様全部の頭を潰さないと完全な死は訪れないタイプだ。こうして事前情報なしで完全な初見のモンスターというのは融合体以外初めてなので、かなり緊張する。大抵のモンスターは市町村のネットなり国のホームページなりに載っているから、未知の敵というのは酷く不気味だった。
鏡を戻しレイラにハンドサインを送る。
何はともあれ、見ているだけでは始まらない。打って出る。
深呼吸を一回。鼻から吸って、腹に留めて口から吐く。いつもの行動に、無駄に高鳴りかけていた心臓が落ち着いていくのがわかる。
柄を握る手に力を籠め、通路の角から飛び出そうとした。
直後、魔眼が発動する。
『ブオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!!!」
全部の頭から涎をまき散らしながら、四つ頭がそれぞれの角を構えこちらに突進してきたのだ。
気づかれていたか!
「と、ぉ……!」
咄嗟に後退して回避しながら、軽く切っ先を相手にひっかける。それだけで凄まじい重圧が腕にかかるが、耐えられる範囲だ。
通り過ぎて壁に衝突した四つ頭にレイラと距離をとれば、奴もすぐさま体を振り回してこちらを向いてくる。角の刺さった壁が砕け樹は引きちぎられ、土煙もろとも吹き飛ばされて四つ頭の姿がはっきりと近くで視えた。
鹿頭のくせに赤く染まった目をギラギラと光らせる怪物は、しかしその右わき腹からも赤い物を流していた。
斬れない身体ではない。もしも刃が通りづらい箇所があるとしたら──。
『ビャ゛ビャ゛ビャ゛ビャ゛ビャ゛!!』
至近距離でサイレンを鳴らされている様な不快感を覚えながら、正面で剣を構える。その位置に四つ頭の右拳が衝突した。
上から打ち下ろす様に繰り出された右ストレートと迎えうつツヴァイヘンダー。刃をたてた状態で受けたというのに、血ではなく火花が散っている。
足が床を砕くのを感じながら受け流して僅かに身をかがめれば、頭上を左のフックが通り過ぎて行った。
その間に腿を切り裂こうとするが、繰り出される膝蹴りを予知し斬撃を中断して柄頭をそれに合わせて突き出す。
膝と柄頭の衝突は、今度こそこちらが打ち勝った。鈍く硬い音が響き、四つ頭が奇声をあげながら後ろによろめく。
「『大地よ』」
そこへ四方八方から伸びる樹木の槍。高速で迫るそれらが奴の身体にいくつも突き刺さり、その動きを阻害する。
『ブア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!??』
「五月蠅い」
動きの止まった所に鳩尾目掛けて突きを放つ。毛皮は硬く、肉はしなやか。されど断てないわけではない。
長い刀身が背まで貫通し、奴が反撃を繰り出すより先に思いっきり捩じる。
バキバキと骨を折り肉を引きちぎって刀身を縦にし、四つ頭の膝に足をかけた状態で上へと振り抜いた。
盛大に血しぶきが舞い、返り血を頭から被るが気にしている暇はない。ビクリと体を刎ねさせた四つ頭の横一列に並んだ首を、魔力を放出しながら独楽のように回転して一閃。まとめて斬り飛ばす。
バラバラの方向に飛んだ首が角をあちこちにぶつけ硬い音を鳴らせた後、心臓も頭も失った身体が後ろ向きにゆっくりと倒れていき重い音をたてた。
一歩後退して散らばった頭と体を視界におさめつつ、残心。剣を油断なく構え周囲を警戒していると、数秒して四つ頭が粒子になり始めた。
消滅を確認してようやく一息つく。返り血もなくなったのを確認し、剣を肩に担いだ。
「ご無事ですか、主様」
「うん、問題ない」
強さは酒井先生の見立て通り『Bランク』相当。強いは強いが、半年前の自分ならいざ知れず、今ならば数体纏めてでも余裕をもって対処できるだろう。
これなら雪音達でも問題なく対処できる。合流の必要はない、か。
……このダンジョンに感じた懸念と、『B+』のモンスターにも何かしらの変化が起きている可能性が少し不安だが。
それでも新装備を纏った雪音と、切り札を残しているリーンフォースなら問題あるまい。
「レイラも大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
ニッコリとほほ笑む彼女に癒されながら、意識を周囲に集中させる。
あのやたら喧しい四つ頭の声に引き寄せられたか、足音のような物が聞こえだした。剣を八双に構えれば、背後でレイラも杖を正面に向けたのが気配でわかる。
「このまま押し通る。レイラ、支援を頼んだ」
「お任せください、主様!」
聞こえてきた奇声の方角へと、二人で走り出した。
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