第十話 初めてのダンジョン
第十話 初めてのダンジョン
サイド 大川 京太朗
ダンジョンの入口。それは一見すれば白い事以外は特徴のない両開きの扉である。
だが、開いた先に続く暗闇は見通す事が出来ず、更には一定時間ごとに繋がる先がランダムとなる。
一人目が入ってから十秒以内。その間に入らなければ、ダンジョンの別の場所に飛ばされ合流が困難になるとか。
魔装を展開し、兜の右側に小型カメラ。左側に小型ライトをメタルシルバーのガムテープで貼り付ける。
自分達は午前組。熊井君達もそうらしく、ちょっと離れた位置で試験官と話している。いいなぁ、あっちは……。
相方の人。確か田所さんは、深夜アニメの魔女っぽい恰好だ。エロいはエロいけど、ジロジロ見たら恐いし。というかギャル恐い。
レイラ……会いたいよレイラ。けど難易度の低いダンジョンだし、『商売敵』になる奴らの前には出したくない。一応レイラにも了解を得ている。
試験官の人は大柄な男性で、いかにも戦士って魔装だ。三十代の男性で、やや爽やかな印象を受ける顔立ちをしている。
「では、準備が出来たのなら入るけど。問題はないね?」
「は、はい」
「……すっ」
露骨なまでにやる気のない田所さんの返事に、試験官が顔をひきつらせた。
「えー……このダンジョンは定期的に間引きが行われ、かつ出てくるモンスターも『スケルトン』だけだ。俺がついている以上死ぬような事はないが、それでも油断しないように」
「はいっ」
「ちっ……はーい」
「「 」」
舌打ち!?
思わず試験官と二人して田所さんを二度見する。その後一回だけ顔を合わせて、微妙な空気が流れた。
え、大丈夫なのこの人?試験取りやめた方がよくない?危なくね?
そう思ったのだが、試験官はこのまま続行する気の様だ。マジかよ。『Eランクダンジョン』ってそんなチョロいの?
「では午前の部の皆さん、出発してください」
教官の言葉に、順次ゲートをくぐっていく。
一組に付き念のため二十秒置いてから、続々と入っていく受講者たち。自分達は熊井君達の組の少し後だった。
ゲートをくぐった瞬間、猛烈な違和感。しかしそれも一瞬の事で、気が付けば景色は一変していた。
どこにでもある会議室みたいな部屋から、いつの間にか岩肌がむき出しとなった洞窟に。
光源は自分達が身に着けているライトの光しかなく、風もないのにどこか冷気を感じさせる。本能的に恐怖心を煽る場所だった。
……深呼吸を一回。鼻から吸って、腹に留めて、口から出す。
よし。少しは落ち着いた。これは試験だし、何より安全が最低限保障されているダンジョン。これで尻込みするようでは、今後冒険者なんて不可能だ。
「では、試験を行う。事前に説明したが、制限時間はない。このダンジョンを二人だけの力で突破しろ。無論、危険と判断したら俺が助けるから」
「はい」
「はーい……」
通路の幅は一定ではないが、それでもおおよそ一車線分ほど。天井の高さも約三メートルといった所か。両手剣を全力で振り回すには少し狭い。
練習通り、リカッソの部分を左手で握り槍の様に構える。
ツヴァイヘンダーの真骨頂。それは鍔とリカッソを用いての対応力。両手剣以外にも、槍、鈍器として扱えるのだ。
……ネットの受け売りだし、使いこなせる気がしないけど。
「田所さん、背後はお願いします」
「……ん、ああ。うーす」
……やべぇ、超不安だ。
兜の下で冷や汗を流す。とにかく、ここまで来たらやるしかない。
警戒しながらも、ダンジョンを進んでいく。歩いていく道は数メートルほど真っすぐだったが、すぐに急なカーブがあり、その次に四十度ぐらいの坂もあった。
これは……下手したら迷いそうだな。出来ればマッピングしたいものだが。
高いカメラと機械を用意できれば、トラブル防止兼報酬の計算の為装備しているカメラと連動させて、自動で地図を書いてくれるのもあるらしいけど……値段が、なぁ。
こういう時の応急手段として、チョークによるマーキングがある。教本で習った通り、腰のベルトに提げたポーチから取り出して大きくバツ印を書いた。
これで同じところをグルグルと回るのは防げる。
なお、ダンジョンは一日の終わりにその内部を組み替えるらしく、地図は一日しか機能しないし、このマークもその時に消えてしまう。なんともまあ、不親切な場所だ。当たり前と言えば、当たり前だけど。
「うん。そうやって印をつけていくのはいいね。けどできればそういうのは後衛の仕事で、前衛は常に両手を使えるように……」
「うーす……」
「………君ねぇ」
露骨なまでにやる気のない田所さんに、流石に試験官が睨む。
「ここはダンジョンだ。自分の身は最低限自分で守る。そういう気概でないと冒険者にはなれないぞ」
「いや、冒険者とかもういっかなーって」
「……え?」
「講習受ける前はー、普通のバイトより儲かると思ってたんすよ。それに魔法とかバンバン使えて気持ちいいかなって。けどさー、実態聞いたらやる気なくすわ」
………まあ、否定はしない。
ここまでの講習で冒険者への浪漫は吹き飛んでしまった。自分が続けるのは父親の再就職へのコネ稼ぎと、戦闘経験を欲する故である。
冒険者で食っていく事ができない。それも、危険な職業なのに。
猟友会だって、ダンジョンが出来る前から減っていると噂できいた。報酬と仕事内容、そして危険度が釣り合わないのなら、こうもなる。
日本は他の国より覚醒者が『少しだけ』多いと噂で聞いたけど、それなのにこの講習会に来たのは二十人ちょっと。三月のこの時期。四月から冒険者をやろうという人が増えるはずなのに、だ。
薄っすらと噂はあった。冒険者は『3K職業』ではないかと。
『危険』『きつい』『給料ない』
最後の一つは『K』に無理やり感があるけど、なんら否定できない。田所さんみたいにやる気がなくなるのは仕方がないだろう。
けど人の試験中にダレルのは勘弁してくんねぇかなぁ!?これ僕の負担めっちゃ増えるやつじゃないかなぁ!?
「……試験を辞退すると言う事かね」
「別に。どっちでもいいっすわ。けど冒険者増やさないと、そっちも困るんでしょ?勝手に判断したら?」
「ここはダンジョンだ。危険という物を」
「あんた公務員っしょ?ならちゃんと市民を守ってよ。つうか金払って講習受けてんだからさ、義務あんでしょ。安全の」
「それは守られる側の怠慢を許容するものじゃない」
「うっざ。めんどいなぁ」
どうしよう。後ろの空気がくっそ険悪なんだけど。
そう思っていると、前方から物音がした。ガシャリと、硬い物がぶつかる音。
「敵!?」
「っ」
咄嗟に声を出しながら武器を構えなおし、正面を注意する。すると、カシャカシャと軽い音と共に暗がりから一体の影が出てくる。
スケルトン――この単語を告げられれば、大抵の日本人はその姿が浮かぶだろう。
理科室にありそうな、骨の人体模型めいた怪物。百八十ぐらいある身長のそれには、所々錆びた鉄製の兜と剣。そして木製の盾が装備されている。
そのスケルトンはカタカタと歯を鳴らし、こちらを威嚇する様にしながら剣を振りかぶって走って来た。
「冷静に、落ち着いて敵の動きを――」
「やぁ!」
何か考えるより先に、剣を突き出す。
なんどもペル相手にやってきた、その動作。緊張からか暗がりゆえか、少しだけ狙った場所からずれる。
頭を狙ったのだが、当たったのは相手の右肩。
されど、威力は十分。肩どころかスケルトンの上半身が吹き飛び、バラバラと周囲に骨を散らばらせる。
散らばった骨。特に頭蓋骨と転がった剣を警戒しながら、素早く周囲を見回す。他に敵とかいないよね?これ以上動いたりしないよね?
そう警戒する事数秒。スケルトンの骨が薄くなっていき、やがてほんの少しの粒子を舞わせて消滅した。
「おめでとう。討伐一体目だ」
試験官の言葉に、小さく息をはく。
「ありがとうございます……」
「緊張するのはわかるが、あまり硬くならない様に。先はまだまだ長いよ」
「はい」
彼の言葉に返事をし、もう一度チラリとスケルトンの残骸があった場所を視る。
そこにはどこか湿った印象を受ける、灰色のゴツゴツとした地面があるだけ。モンスターの形跡など欠片もない。
これがダンジョン。これがモンスター。
なんとも言えない感慨を覚えながら、先へ進む。
冒険者は浪漫のない職業。それはわかっているつもりだ。それでも、この高揚感に近い何か。
少しだけ、胸が高鳴るのは。興奮か、それともただの警戒心ゆえか。
「……田所さん。君はもう少し積極性を持つべきじゃないか」
「いやそういうのいいんで。もう冒険者とかどうでもいいし」
……これで後ろがこんなんでなけりゃぁなぁ!
* * *
あれから十分ほど。ただひたすらに出てくるスケルトンを倒していく。
こう言うと慢心している様だが、ほぼ流れ作業みたいなものだった。
スケルトンは知能も低いのか、罠や待ち伏せの類もない。偶に二体同時に出る事もあるが、お互いの動きで邪魔をし合うほど。単純なスペック差により、苦も無く……というか、先手をとって一瞬で片付けられるから語る事がない。
強いて言うなら、ダンジョンの地形こそが怖かった。
まず暗い。スケルトンを始めアンデットの大半は闇夜で視覚に頼らない索敵方法があるから、光源が必要ないらしい。なので、こういった暗いダンジョンとなる。人間には不利な環境だ。
更に、高低差や曲がり角。これは戦いづらい。戦力で圧倒しているからいいものの、上から振り下ろされる槍はいささか面倒だし、角を盾にする様に突き出された剣も不意打ちのそれである。
魔眼のおかげで、奇襲は意味をなさないが。これ、思った以上に便利な異能だな。
そんな十分間。遂に少しひらけた場所に到着した。
広さは教室二つ分とぐらいか。所々腰の半ばまである岩が盛り上がっているなか、端の方にぽつんと白い扉がある。
入って来た物とそっくりそのまま。うり二つの扉だ。壁に張り付いているわけでもなく、扉だけが立っている。
出口だ。あれを潜ればこのダンジョンから脱出できる。
魔法や異能の類。魔力の関わる事には、未知ながらも最低限法則というものがあるらしい。ダンジョンをはじめとした異界ならば、『入口があるなら出口がある』とか。
たとえ自然発生した物だとしても、魔力が流れるのだから出口は存在しなければならない。さもなければ自壊する……だそうな。
ただしこの扉。一回開けると十秒ほどで消えてしまう。脱出の際に複数人が飛び込む場合、注意が必要だ。
この事から、パーティーは最大でも四人とされている。下手をしてダンジョンに残された人員がいると、そいつの生存率が下がるから、と授業で聞いた。
「最後まで油断しない様に。扉やその辺の物陰にも注意して」
「はい」
試験官の言葉に頷きながら、クリアリングをしていく。といっても、最低限だし素人のそれだ。あまり格好も効率もよくないけど。
「……敵はいません」
「よし、ならば脱出」
「はい」
「ほら、田所さんも」
「うーす」
そうして、初めてのダンジョン探索はあっさりと幕を閉じた。
* * *
ダンジョンを出た後、兜に着けていたカメラを試験官に渡す。これから自分達の試験に関する採点を行うそうな。
彼に一礼してから、さっさと行ってしまった田所さんに続き待機室に向かう。
部屋に入ると思い思いに試験を終えた受講生たちがいた。その中には、既に熊井君と魚山君も探索を終えたらしくくつろいでいた。
「どうだったよ、ダンジョンは」
「正直テンション上がったよな」
「だだ下がりしたわ畜生」
無駄に目をキラキラさせて言ってきた二人に、口をへの字にする。
「え、マジで?」
「相方のやる気がなさすぎて空気が最悪だったんだよ、もう」
「声がでかい声がでかい」
「……ごめん」
人目もある所でこの内容を大声はまずい。チラリと待機室を見回すと、自分達は気にせず皆それぞれのグループでダンジョン探索の感想を言っている様だ。
「何があったよ、お前がそんな荒れるって」
「それがさぁ」
声を潜め、ダンジョン内であった事を話していく。
思い出すだけで腹が立つ。何度振り返って剣で脳天かち割ってやろうと思ったか。
「おおぅ。そりゃまた、随分と大外れひいたな」
「僕らの試験官はやる気ない人だったけど、相方がそれよりはマシかぁ」
「同情するなら帰りになんか奢れ」
「その辺の雑草やるよ」
「どんぐりあげようか?」
「逆になんでどんぐり持ってんの……?」
「このギャグかますためだけど?」
「マジか」
二人と話してようやく心が落ち着いて来た。
本音を言うともう帰りたいが、一応この後昼休憩を挟んで、待機室にあるテレビで他の冒険者の探索記録を視ないといけない。
「ま、明日とか明後日とか、まだ休みは残ってんだし。どっか遊びにいくべ」
「え、それはめんどい」
「同じく」
「ノリわる。あ、じゃあ魚山の家行ってゲームでもするか」
「のった」
「僕の意志は?まあいいけど。触手系のゲームしかないけどいい?」
「……なんか持ってくわ」
とにもかくにも、今日で冒険者講習も終わる。残り一週間と少ないけど、春休みを満喫して―――。
そう思っていた瞬間、突然部屋の扉が勢いよく開かれた。講習会で税金について話してくれていた教官だ。
「休憩中すみません。ちょっとテレビつけますよ」
彼は早口でそう言うなり、壁にかけられていたリモコンを操作する。すると、待機室の天井に取り付けられているテレビがついた。
『これより、有川臨時総理の緊急会見を行います』
「へ?」
待機室にいた誰もが疑問符をあげる。
画面に映る、黒髪をオールバックにして整えた伊達男。垂れ目気味の瞳に自信に満ち溢れた笑みを浮かべたこの男性こそ、有川琉璃雄臨時総理である。
スーツを着こなすその姿は二十代後半でも通じそうだが、たしか実年齢は四十半ばだったか。
『突然お集まり頂きありがとうございます。臨時とは言え総理大臣を務めさせて頂いております、有川琉璃雄です』
朗々と、彼はカメラに向かって語りだす。
まるで舞台役者みたいな喋り方だ。そう言えば、前にこんな感じで喋ったせいで有川大臣が炎上したってニュース見たな。
だが、不思議と彼の一挙手一投足に目が惹き付けられる。本当に、その炎上した人なのか?
『皆さまもお忙しいでしょう。ですので、単刀直入に申し上げます』
一拍置き、彼は笑みを深めた。垂れ目を細め、どこか道化めいた仕草で。
『急ピッチで作り上げた冒険者制度。その改正を行います』
「「「………は?」」」
『既に各党への合意は取れておりますし、委員会審査の省略もできております。公布は今年の四月からを予定しておりますので、お気を付けください』
いや待って待って?どういう事?
『内容は端的に申しますと、『ダンジョン内で収得した物品の、販売自由化』です。今後はダンジョンのアイテムは拾得物ではなく、個々人が獲得した所有物となります。売るも持って帰るも、自由というわけですね』
……え、本当に待って。じゃあ今日までの講習ってなんだったの?
いや嬉しいよ?たぶんだけど、これで冒険者の収入上がるから。けど突然過ぎて脳が追い付かねぇ。
『詳しい内容は新しく立ち上げたダンジョン対策庁のホームページに記載させて頂きましたので、そちらをご覧ください。では、質問をどうぞ』
ニコニコと笑ったままの彼に、集められた記者たちも最初は呆然としていた。だが、一人、また一人と声を上げていく。
『待ってください!その様な話これまで出て来ていませんでしたよ!』
『急すぎる!そもそもなんでこんな隠す様な!何か不正があったんじゃないですか!?』
『こんなのは横暴だ!政治家としての説明責任を果たせ!』
もはや半分罵倒になっている質問の嵐に、有川臨時総理は笑みを浮かべたままだ。
『初耳というのは当然です。最低限の関係各所以外、伏せておりましたから。その理由は、海外勢力の不当な妨害活動を防ぐためです』
『はぁ!?』
記者たちが更に声を荒げる。だが、臨時総理が軽く手を上げただけで黙ってしまった。
それをさせる、謎の圧力が彼にはあった。まるでそう、下手に口を開けば自分こそが悪者であるとされるような、そんな圧。
これは、彼の舞台なのだ。
『世界中を視て、覚醒者の数が最も多い国はどこか。御存じでしょうか』
『え、それは、中国とかじゃないでしょうか。人口が一番多いですし』
突然話を振られた記者が、少しつっかえながらも答える。
『ええ。普通はそうなのでしょうが、龍脈や魔力というのは複雑怪奇なもの。なんと我が国、日本が世界最多の人数を誇ります。およそ、120万人』
ざわりと、テレビの向こうもこちら側も動揺が広がる。
これまで、覚醒者の具体的な数は『調査中』の一点張りで公になった事はないのに。それが突然こんな……。
『無論、現時点では……と注釈は入りますがね。勘のいい方は既にお気づきでしょう。海外勢力が、今の覚醒者が必要なこの世界でどの様な行動にでるか。そう……日本から覚醒者を引き抜き、自国の戦力にする事です。我が国の事情などお構いなしに、ね』
『それは他国への遺憾の意という事でしょうか?』
『そうとって頂いて構いません』
更にざわめきが広がる。
おいおいマジかよ、この人。
『有川臨時内閣はこれをもって解散するでしょうが、その前にこれだけは通させて頂く。私は日本の宝を海外に売り渡すなどという事は許さない。これからも日本に住む皆さまの生活を守る為、全身全霊を尽くしていく所存です』
堂々と言い切る姿は、思わず言葉を飲み込んでしまう程の『カリスマ』を持っていた。
まるで、物語に出てくる英雄のそれ。今の有川臨時総理は、そう思えるだけの覇気に満ち溢れていた。
『そ、それでも横暴だ!』
『そうだ!説明になっていない!』
『元より、あの制度は後々変える事を想定されたもの。なんせ『臨時内閣が』、『緊急措置として作った』制度なのですから。きちんと必要ならば変更すると記載しておりましたよ?』
記者たちの罵詈雑言を浴びながら、総理の余裕に満ちた態度は崩れない。
『これからの時代、覚醒者は。冒険者はなくてはならない職業です。それを海外に奪われるわけにはいかない。それを皆さんに、わかってほしい』
胸に手をあてて静かに目を伏せ、しかし笑みを浮かべたままの彼の姿に。
待機室の面々は、ただ呆然とテレビを見る事しかできていなかった。展開が急過ぎる。何が何やら……。
「えー、こう言った事が……ありましたのでぇ……」
教官の言葉に、ハッとしてそちらを見る。
前髪が悲しい事になっている彼はハンカチでしきりに汗を拭きながら、こう続けた。
「内閣政府より送られてきた改正案にそって、補習という形で講習会を延長させて頂きます。これより七日間、受講を続けてください」
「へ?」
「受講料の追加分は必要ありません。また、仕事などで受けられない方は――」
気の抜けた声を上げて、熊井君と魚山君に視線を向ける。二人もこちらを見ていた。
残された春休みは?―――七日間。
追加された日数は?―――七日間。
「「「 」」」
中学を卒業し、高校へ入学するまでの人生で一回だけある春休み。
それが今、消し飛んだ音がした。
え、もう一回法律とか税金の事詰め込めと?
* * *
サイド とあるCIA職員
「あの役者気取りの自演野郎が!!」
悪態をつきながら、隠れ家にあるデータを消していく。
復旧できない様に本国で開発したアプリで、電子データは破壊できる。だが時間的な余裕はない。
「くそっ……」
悪態が止まらない。
有川臨時総理。奴の臨時内閣はもうすぐ解散し、有川は『ダンジョン対策大臣』への就任が秘密裏に内定していた。
そのタイミングで、これだ。
「ふざけやがって、お前が蒔いた種だろうが……!」
冒険者へのあのふざけたレベルで安い報奨金を定めたのもあいつ。そして、今回のドロップアイテムの売買自由化を言い出したのもあいつ。
下げて上げる。古典的な手を使って、日本国内の冒険者に対する人気取りをしてきやがった……!
元々、奴はアメリカのスカウトが日本の覚醒者を引き抜きする前提で、世論の操作を頼って来た。
それに対する、この動き。嘗めやがって……!
「落ち着けよ、扉の外にまで声が届いていたぞ」
「先輩……!」
扉をあけて、車のキーを先輩が見せてくる。
「車の用意はした。早く移動しよう」
「はい……このデータを消し次第、すぐに俺も乗ります」
「怒るのも無理はないが、冷静になれ。日本の『自衛隊に流れるはずだったダンジョンの武器や鉱物が、表で購入できるようになった』んだから」
……先輩が言う事も一理ある。
本来、拾得物として冒険者から日本が巻き上げるドロップアイテム……『魔力の籠った、モンスターに有効な攻撃が出来る道具』は、自衛隊に供給されるはずだった。実戦、あるいは研究目的として。
それが、民間で取引される様になる。これなら自分達海外勢力も、日本の強力なダンジョンで発見された武器を入手できるのだ。
「まるで、こちらへの餌みたいで気に入りませんが、ね!」
「そう言うなよ。だからお前はまだまだひよっこなのさ」
エンターキーを押し、データの消去が完了。
……落ち着け、俺。大丈夫だ。確かに冒険者の収入は増えたが、『国から貰える金が増えたわけではない』。
今回の一件で多少有川が覚醒者からの人気を得たかもしれないが、十分にスカウトの余裕はある。
「後は紙媒体の資料です。シュレッダーは」
「ダメだ。今の技術なら繋げ合わせられる」
「あのクソ野郎、まさか『パンダとその飼育員』、そのうえ『紅茶狂い』どもに俺達の情報を流すなんて……!」
「代わりにあちらさんの情報もこっちに流してきた。勝手に争えって事らしいねぇ」
ククッと笑う先輩を軽く睨む。笑っていられる状況じゃないだろう。
約束を一方的に反故にしてきたかと思えば、餌を投げてきて、その上今度は争え?こちらが報復に出る余裕をなくすためか、畜生。
「先輩、ライター持ってますよね。移動中にどっかで紙の資料は燃やしましょう」
「良い提案だが、ライターは捨てちまった。どっかで調達しねぇと」
「……は?」
ドアノブに手をかけた所で、止まる。
「どうした。時間がないはずだろう」
「先輩、本当にあのライター捨てたんですか?」
「ああ。今のご時世、喫煙者はこの職業に向いていないからな」
嘘だ。あのライターは、古い友人からの贈り物だと言っていた。日本で出会い、一度だけ共闘し、死んだ友人からの、大切な物だと。
そもそも先輩は重度の喫煙者だ。一日二日で治るはずがない。
猛烈な違和感。CIAとしての立ち振る舞いを教えてくれた恩人であり相棒に対し、自分は気が付けば銃を引き抜きながら振り返っていた。
声も、喋り方も、足音も、重心の位置も。全て自分の知る先輩のはずだ。だが、それでも。
「貴様は―――」
目の前で、何かが広がっている。
………口?
* * *
サイド とあるCIA職員
「おい、起きろって」
「え、あ」
目を覚ますと、先輩を見上げていた。その背後……いや天井では安っぽい蛍光灯が点滅している。自分は……倒れているのか?
「こんな時に気絶なんて勘弁してくれよ。急いで撤収しなきゃならんのに」
「す、すみません。足を滑らせたみたいで……」
慌てて立ち上がり、先輩と共に部屋を出る。
「どこかで資料を燃やせる道具を手に入れないとですね」
「ああ。最悪作るか」
「ですね。俺、そういうの苦手なんでお願いしますよ」
「まったく、パソコンだけじゃなくってそういう技術も……おいおい」
先輩が助手席から、俺の襟に手を伸ばす。
「『ケチャップ』が襟についてんぞ。染みになってんなこりゃ」
「え、本当ですか」
「たく。昼に食ったハンバーガーか?」
「たぶん。日本のは変な味がしますけど、意外といけますよ?」
「ガキかよ」
車を発進させる。
まずは他の仲間と合流しなければ。それに、他国の諜報員とも接触しないと。
大丈夫。皆『腹を割って話し合えば』わかってくれる。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
有川臨時総理のなぜなに質問コーナー
Q.ドロップアイテムや宝箱の中身を売れるって、どれぐらい?
A.そうですね。スケルトンが落とす鉄の剣なら、四月頭の段階で十万円ほどでしょう。時間経過で相場も変わりますが。
Q.なんでこのタイミングでこの改正を?
A.元より緊急措置として行ったのが冒険者制度です。急ピッチで作ったのだから穴はある。それを塞ぐのは当然でしょう。
Q.海外の人達怒らない?
A.既に抗議文が山の様にきていますが、関係ありませんね。
Q.どうやって工作員たちの居場所を?
A.どこの国もゴタゴタしていましたし、何よりどの方も『挨拶』に来てくれていましたから。友人の家を知っていてもおかしくはないでしょう?
Q.自作自演って本当?
A.はっはっは。記憶にありませんね。おや……。
「貴方、襟にケチャップがついていますよ?」




