表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

reverie

作者: きさらぎ皐月

貴方は近い将来大切な何かを失う可能性はありますか?

この物語は急性白血病の妹を持つ主人公の学校生活を綴った物語です。

授業中に謎の閃光により源平合戦の記憶を垣間見る主人公達の学校、闘病生活を描いた時空浪漫。

異世界転生とは一味違う物語、一度読んでみて下さい。

 一限目と二時限目の間の十分間休憩時間。

 別段することもなく窓の外をぼんやり見つめてた。

 もう九月も半ばになろうとしているのに蝉の鳴き声がうるさく、窓の日差しも強くてこの日も朝から憂鬱だった。机に突っ伏し目を閉じようとしたその時、不意に話しかけてくる奴がいた。

「なぁ和人、次の数学の宿題やってきた?僕まだなんだよね、ノート写させてよ。」

 S高校二年A組、武井敬之。元野球部で最近よくつるんでいる俺の悪友だ。野球部を辞めてから伸ばしてる茶髪を後ろで縛っている。似合ってないから切れと言ってもまだ伸ばすと言って聞かない強情な奴だ。もちろん俺も宿題はやってない、完全に忘れてた。

「二人とも宿題やってないの?」

 斜め前の席のクラス委員長、牧瀬彩。ショートカットにカチューシャが似合う快活な彼女だが、校内でも不真面目な部類の俺達二人にはあたりがきつい。

「彩ちゃん、ノート写させて!」

 拝むように頼む敬之の後ろで俺も拝む。

「えー…和人は事情知ってるからいいけど敬之はなぁ…」

 嫌だオーラを出しながら鞄からノートを取り出す彩。この面倒見の良さでクラス委員長、納得だ。

「お昼、購買でコーヒー牛乳ね。」

 ちゃっかりしてるよ…うちの委員長。

 思いながら二人して彩のノートを写す。書き損じを消しゴムで消す時間的余裕もないから二本斜線でごまかして続きを急ぐ。予鈴までまだ時間がある、大丈夫だと考えながらひたすら書き写し、幾分かの時間を余してノートを写し終えた。

「コーヒー牛乳、約束だからね!」

 あと文化祭も近いから出し物案考えておくようにとも言われた。

 集団で取り組みって苦手なんだよね~とぼやく敬之。

 俺はまた日差しの強い窓をぼーっと眺めている。

 その時、一瞬何かが光った。

 クラスの窓側にいた何人かが倒れ始め、俺も意識が遠のくのを感じた。


「頼朝軍勢、その数三百騎石橋山にて布陣を構えております!」

「谷を隔てて大庭景親様が布陣、伊藤裕親様が石橋山の後山三百騎にて背後を塞いでまする!」

 闇夜の暴風雨、降りしきる大雨のなか伝令が次々と報告した。

「なお頼朝援軍、三浦勢は川の増水にていまだ合流できずとのこと!」

 伝令の報告を聞くや大庭景親が声を上げた。

「増援が来る前に雌雄を決す時ぞ!」

 鬨の声が大雨を掻き消す。俺も馬上で叫んでいた。

 続けの掛け声と共に暴風雨の中ぬかるみも気にせず馬を駆ける。

 雨粒が顔に礫のように打ち据えるが声を上げて木々を通り抜けていくと幾分拓けた場所にでた。その時、開戦を告げる鏑矢が放たれた。暴風雨で音は掻き消されたがこちらも鏑矢で応じる。雨が矢に変わり、それでも一行は毛抜き型太刀を振り回しながら矢を打ち払い頼朝軍に迫っていく。ここで大庭景親が大声を発した。

「やぁやぁ我こそは右目を負傷しながらも奮戦した鎌倉景正が子孫、大庭景親なり!親王宣下もなく最勝親王と称し令旨を発令した不逞の輩を排しに参った!」

 大庭景親の名乗りに矢による攻防がぴたりと止む。対して頼朝軍から北条時政が名乗りを返した。

「これは良き敵!なれどかつて源義家に従った景正の子孫ならば、なぜ頼朝公に弓を引くのか!」

 この言葉合戦に大庭景親は、

「昔の主でも今は敵である!平家の御恩は山よりも高く、海よりも深い!」

 と返し、馬上槍隊が互いに一斉に突撃し、叩き落さんとばかりに力を込めて槍を振り下ろした。

 俺は馬を相手の馬に激しく突撃させ、馬上から落ちた武者を槍で一突きでとどめを刺した。すかさず下男が相手の首を短刀で掻き落としていた。槍を下男に渡し、毛抜き型太刀に切替えて次の相手と切り結ぶ。雨が目に入って視界が滲む中、相手諸共馬上から落ち、組打ちになる。手をかけ足をかけて相手を転ばし短刀でどうにか首を掻く。文字通り泥仕合いだ。すかさず下男がまたもや首を獲った。俺はまた太刀を手にとり次の相手と組みあっていた。袈裟斬りに刃を流すように当てて躱し、体勢を崩したところ俺も袈裟斬りするが浅く、相手が二の太刀で上段から切り下してきた。俺はそれを兜で受け止め、鋭く突きを放ち、両手で上へ太刀を持ち上げる。倒れたところにすかさず下男がやってくる。

 力戦する頼朝軍だがやはり多勢に無勢、戦況は見る間にこちらが優勢になり追撃する形になっていた。もはや逃げ回る残党と化した頼朝軍だったが抵抗は激しかった。この後俺は首一つ掻き、無我夢中で掻いた首の中に豪族の者があったのは後から知った。結局、この戦で頼朝は逃げおおせ、戦は終わりを告げた。


 目を開けると白い天井に蛍光灯が眩しかった。

 なんだったんだあれ。これが明晰夢というやつなのか?

 突いた感触、首を掻いて浴びた血飛沫の温かさが生々しく感触に残っている。俺は俺の体じゃない気がしてしばらく両手を見つめていた。

 見渡すと窓側にいる俺のを含めベッドが四つ、消毒液特有の匂いからここが病院であることがすぐにわかった。他のベッドに寝てるやつも制服からして恐らく同級生だろうことは何人か倒れたのを見ていたから察した。

 どうしよう、とりあえずナースコール押したほうがいいのかな…。

 バスを止めるブザーを鳴らしたい欲求に駆られる子供の様な気持ちで押してしまった。それからすぐにナースと一緒に先生が来た。

「武藤和人君だね?ここわかる?病院。」

「はい。」

 よく見ると点滴されていた。ちょっと倒れたくらいで大袈裟だな。

「君とご学友の何名か倒れて担ぎ込まれてね、恐らく集団ヒステリーによるものだと思うけど癲癇だといけないんでね、一度精神科で見てもらってね。」

 はぁ。としか言えなかった。要因がわからない。そういえば窓を眺めてたら一瞬光が見えた記憶があるけど、あれが原因なのか?

 とりあえずまだ刺されている点滴が打ち終わるのを待ってると、他の三人も起き上がってきた。敬之と彩だ。何があったのかわからないきょとんとした顔をしている。同じような夢でも見てたのだろうか。もう一人はあまり喋ったことのないやつだった。

「よう。」

 話しかけるとまだぼーっとしてる感じの二人が俺を見た。

「…なんか妙に生々しい夢見てた。」

「私も…」

 もう一人も会話に混ざりたがっていた様子だったので声をかけてみた。お前もかって聞くとああっと素っ気なく答えた。

 敬之は蒼白な面持ちでで顔を手で覆ってた。とんでもなく悪い夢だったに違いない、俺もだけど。夢の中とはいえ人殺しなんて寝覚めが悪い。日を改めて落ち着いたら聞いてみよう。たいして彩は夢見は悪くなかったようで血色もよくむしろほくほくした笑みを浮かべてた。

「集団ヒステリーだろうけど癲癇じゃないか一応精神科で見てもらえってさ。先生が言ってた。」

 おう、うん、とだけ短い答えが返ってきた。やっぱり彩だけは声のトーンから機嫌が良さそうだった。

 外はまだ明るい。どれくらい病院にいたんだろうとスマホを取り出し時間を見たらまだ午前十一時だった。一時間もたってないのか。精神科いく時間はあるな…授業面倒だし行ってみるかなと思ったけど、健康保険証なんて持ち歩いてないんで気が向いたら今度行こう。癲癇持ちじゃないし。でもやっぱり授業面倒だし、また倒れたら事なんで大事をとって休もう、うん。とサボる口実を自分に言い聞かせて、

「じゃあ先帰るな。」

 と告げて病院から帰ることにした。他三人とは違って家には迎えに来てくれる人がいないから一人で受付に行き、後日健康保険証持ってきたら差額返金してもらう形で清算した。生理食塩液だったのでそんなに金額はしなかった。帰りがてらふと文化祭の出し物、仮眠室でもいいんじゃないかなんて割と本気で考えながら病院を後にした。

 病院近くのバス停から駅に向かい、後部座先に乗った俺はあの不思議な感覚を思い出していた。夢とはまた違った記憶に近い感覚。他に倒れた奴らももしかしたら共通の記憶を覗き見たんじゃないだろうか。

 …馬鹿らしい。

 あれはただの夢だ、明晰夢だ。

 俺はまた両手を見ていた。肉を裂くあの感触、まだ手に残り払拭できずにいた。

 そうこうしてるうちにバスは駅で止まり、俺は電車に乗り換えた。

 二駅目で降り、徒歩二十分の距離だ。九月とはいえまだまだ暑い。額の汗ばみをハンカチで拭きながら帰路につく。途中で百円自動販売機のアイスコーヒーを飲んで水分を補給した。自宅マンションにつく頃には背中も汗ばみ、早く冷房の効いた部屋に入ってシャワーを浴びたい気分だった。

 階段を上がり一番奥の部屋の扉に鍵を差しこみまわす。

 カチャリと音がして扉を引いたら開かない。あれ?と思いもう一度鍵を回すと扉が開いた。玄関には見慣れないスリッパが置いてある。現在一人暮らしになっているのでまっさきに思い浮かんだ。まさか強盗?

 俺は音を立てずにそろりとリビングに向かう。そっと扉を開けるが誰もいない。聞き耳を立てると風呂場からかすかに音が聞こえる。ゆっくりと風呂場へ向かうとパジャマと女性ものの下着が放置されていた。その時、風呂場の扉が開いた。

 とっさに身構えたが、そこにはスキンヘッドの全裸の女性が立っていた。

一瞬の間のあと、

 女性はわぁぁぁっと叫ぶなり俺に抱き着きキスをしてきた。パニックに陥った俺は柔らかな感触の女性を引き剥がそうとするもぎゅっと抱き着かれ剝がせない。

「三郎…三郎…。」

 その名前を呼ばれて頭の中の何かが弾けた。


 立派な寝殿造りの庭に俺は片膝をついてうつむいていた。

 左隣の橋を挟んで先の戦で大将を務めていた昼装束に身を包んだ大庭景親と他四名が同じように片膝をついてかしずいている。俺は直垂に足首で括った小袴という簡素な出で立ちだった。これでも公家の招集に合わせて持っている衣類の中でも上物の直垂を選んだつもりだ。それから間もなく、右の廊下から男が共を連れて歩いて橋を隔てた大庭景親、他四名の前で立ち止まった。

「先の石橋山での戦、見事であった。頼朝が首を逃したのは無念じゃが褒美としてこれを被ける。」

 直感で平家の棟梁平清盛とわかった瞬間、汗がわっと湧き出してきた。

 表を上げることはできずかしずいたままの俺は固唾を飲んだ。

 大庭景親と他4名がそれぞれ直垂と銭千貫を下賜された。

「有難く拝領つかまつりまする。」

 衣擦れの音で清盛がこちらに向かって廊下を歩いてくるのがわかる。

 立ち止まる気配はない。

 お供の者が何やら清盛に耳打ちをしている。

 「この者は駆り武者ではありますが先の戦の折り豪族の首を獲った兵です。どうか唐猫の頭をなでる慈悲で何卒お言葉を…」

 聞こえている。いやむしろ聞こえても何も問題もない声で話しているとしか思えない声量っだった。

「三千騎に対して頼朝軍は三百騎、敗する事もない戦での些末な武功にかける言葉もないわ。」

「騎馬二頭も有する駆り武者故、今後の事もありますれば是非に…」

 荘園は多いが馬産地は少なく移動も牛車のため馬を持っている農民は珍しい。

 ふぅっと短いため息をつき清盛は、

「面をあげよ。」

 俺はこの言葉に従い、目を伏せて顔を上げた。

「先の戦苦労であった。その武功に対して名を与える。今後よりそちは石…石破を名乗るとよい。」

「はっ、有難く石破の姓、拝領致しまする。」

 礼を言い終える前に清盛は長い袈裟を引きずって去っていった。

 限りなくどうでもいい存在、としか感じざるを得なかった。

 謁見も終わり立ち上がって帰ろうとした時、大庭景親に次の武功は荘園領主か?と冗談めかした事を言われたが、租税免除される不輸の方がいいと答え笑われた。正直、姓をもらったところで何か役に立つわけでもない。飼い猫に名前をつけただけのようなものだ。所詮、限りなく平家ではなく農民なのだ。

 繋いでいた馬に乗り、帰路につく。馬の脚でも数日はかかる田舎で源氏の領土に近い遠江付近で、俺の村は比較的裕福だった。水路を独占して隣村近隣から穀物や肉類を徴収し、代わりに水路の使用許可をだしている、悪党というやつだ。我が家はまだまだ先かと馬を走らせていると大きな櫃を担いだ旅人に出会った。薬箱か行商だろうと通り過ぎようとした時、

「もし…」

 と声をかけられた。俺は薬が欲しいわけではないが、急ぐ旅でもなかったので話を聞いてみることにした。

「何用か。薬の類なら間に合ってるぞ。」

「いえ、ちょっと…」

 要領を得ない会話に馬を降り、近くの木に繋ぎとめて話を聞くことにした。

 行商人は辺りに誰もいないことを確認し、俺に耳打ちをしてくる。

「頼朝公が近々再挙兵されます。」

 とっさに後ろへ飛び、毛抜き型太刀に手をかける。が、相手に敵意はないと感じた俺は太刀から手を放し続きを聞くことにした。

「それに呼応して他国も挙兵します。安房、甲斐、駿河、遠江にて一斉に兵を起こすでしょう。」

 俺の村近隣でも源氏が挙兵するのかと内心青ざめた。

「何が言いたい?」

「石橋山での貴方様のご活躍はまさに羅刹と噂になっております。」

「お前源氏の者か。」

「話が早くて助かります、おっしゃる通り私めは頼朝公の目と耳です。」

「どちらかといえば口だろう。」

 互いに含み笑いした。

「先の戦いの武勇で俺に力添えをってことか。」

「一斉蜂起した時、貴方様の村も巻き添えになるやもしれません。」

 脅しか?

 少しの間沈黙が流れた。

「失礼ですが貴方様は駆り武者、平家の禄を食むわけではないでしょう?先の戦の武功も満足に称えられてはいないのではありませぬか?」

 続けざまに畳みかけてくる間者。おもむろに櫃から直垂をだす。

「これは手土産です。」

 言いながら直垂と銭百貫を渡してきた。

「三郎様の武功は値千貫、坂東武者にも劣らないものでしょう。寝返って頂いた暁には坂東武者としての地位と報酬をご用意してあります。」

 どうかご一考の程を…言うなり間者は姿を消した。

「石破だ!俺の名は石破三郎だ!」

 坂東武者の評判は聞いたことがある。親が討たれても子が討たれても屍を乗り越えて立ち向かい、坂東武者十人で京武者二百人は討てるらしい。どうしたものか考えながら繋いでいた馬の手綱をとり、再び俺は帰路についた。

 ふぅ。

 道中、川で顔を洗っていると

「ケーン」

 と雉の鳴く声が聞こえた。そろそろ村も近いし、獲れたらいい土産になると思い弓をとって声の聞こえた方へ河川敷伝いに歩き、縄張り争いしている雄二羽を見つけた。矢を番え引き絞る。

 ビィンと弦が鳴り、ヒュっと矢が雉目掛けて放たれる。今日は運が良いのか、一羽仕留めたらもう一羽は飛んで逃げていった。すかさず首と足に切り込みを入れ血抜きし、馬につるした。さぁもう少しだ、帰ろう。

 夕刻、村が見えてきた。炊事の煙があちらこちらの家から上がっている。

 自宅の柵に馬を繋ぎ、直垂と雉を持って竪穴式住居に入った。

「帰ったぞ、千早。」

「あら、お帰りなさい三郎。まぁ、ご馳走ね!」

 直垂より先に雉に目が行く我妻千早。手からさっと雉を取り、さっそく羽を毟る姿を後ろに、籠に着ていた直垂を放り投げ、余所行きから普段着にしている頭と腕を通すだけの古びた貫頭衣に着替えた。炉の近くに座りやっと人心地ついた。

「それで、その直垂と銭が褒賞だったの?」

 千早が毟りながら聞いてくる。

「いや、これは…そうだ、姓を頂いたぞ。これから俺達は石破三郎と石破千早だ。」

 言葉を濁した。正直、平家につくか源氏につくか迷っていたからだ。

「ふーん。」

 毟り終った雉を捌き、内臓を捨てに外へ出る千早。

「名前貰っても地方官になったわけじゃないんでしょう?」

「ああ、まぁでも実際税収めているが村の武力としては豪族と呼べるだけの地盤があるからな。地方官から豪族なったってのも聞いたことあるぞ。」

「まぁ、そしたら税を納めなくてもすんで大助かりね。」

「違いない。」

 現実的じゃないのをわかりつつ笑いあう二人。捌いた鳥を串に刺し一本一本炉にあたるように刺しながら千早は言葉を続けた。

「でも私はこのままでもいいわ。税を納めても食べていけるだけの力は村にあるし、三郎は約束通り戦から無事に帰ってきてくれたし。これ以上望むのは罰当たりだわ。」

「しかし名前だけってのはなぁ…せめて荘園領主にでもなりたいよ。」

「そうしたら田租の免除もお願いできるわね。」

 夢想に楽しそうに笑う千早。

 地位と報酬か…。

 俺は昼間の間者の言葉と平家から受けた仕打ちを思い出していた。確かに飢饉の中こうして食べるのには苦労してないがそれはこの村が水路を利用して近隣の村から食料を徴収してる悪党だからだ。隣村では餓死者も出ている。例えば近隣の村と結託して武力を高めて豪族になったらどうだ?実力を正当に評価してくれた源氏に加勢して一門に加わったらどうだ?一斉蜂起には遠江も加わっているようだし…

「三郎…怖い顔してる…。」

 ハッっと気が付きいつもの笑顔で千早に笑いかけた。

「このままでいいよ、三郎。もう戦にもでないで税を払って慎ましく生きていくの…。いずれ増える家族のためにも…。」

 えっ?と俺は千早の腹を見つめる。まさかと思い千早の顔を見る。

「いやね~、まだよ、まだ。」

 ホッとしたような残念なような複雑な心境に陥った。


 ふと気が付くとスキンヘッドの全裸キス魔女性が腕の中で泣いていた。

「千早?お前千早なのか?」

 確かに俺の事三郎って言ってたし直感で思わず口にしてしまった。

 手足が細く胸だけが強調された肢体が小刻みに震えていた。彼女の名前は武藤環奈。年子の妹で現在急性リンパ性白血病を患いがんセンターに入院中のはずだった。

 環奈はばっと俺から離れ、ユニットバスのトイレに吐き戻している。

「ごめん、お兄…ごめん。」

 千早から環奈に戻ったようだ。便座に突っ伏しながら小刻みに震え環奈はひたすら謝っていた。少し顔が赤い裸の環奈にはっと気が付き、俺は乾いたバスタオルで環奈を巻き、N95というマスクを手渡した。鼻の部分に針金が入っていてフィットするように作られている防塵マスクのようなごついマスクだ。

「私…逃げてきた。吐き気と頭がもげるような頭痛が酷くて…熱も出るし手足も痺れるしもう耐えれない…ごめん、ごめんねお兄。」

 バスタオルをぎゅっと掴み、環奈はひたすら謝っていた。

 俺はかける言葉が見つからずそんな環奈を見つめるだけで精いっぱいだった。

「私もうこれで死んじゃうのかな…。」

「馬鹿っ!死ぬなんて口にしちゃだめだ…お前に死なれたら俺は…俺は…。」

 環奈の白血病がわかったのは四ヶ月前、鼻血と鬱血がひどく病院で調べてもらってすぐに急性白血病と診断された。一週間後にがんセンターに転院となり寛解導入法での治療が始まった。半年前、事故で両親が他界して家族は環奈だけになった。その後親戚達は俺達兄妹を誰が引き取るかもめにもめていたが、両親の残した遺産目当てな気がしてすべて親戚の申し出を断り、実家も売り払い俺達は二人で生活することを選んだ。

 環奈はバスタオルを体に巻き、歯磨きをしてN95マスクをつける。腕にはいくつも注射針の後が痛々しい痕を残している。

「とりあえず服着るからお兄は外で待ってて。」

 ハッと半裸の妹をしり目にユニットバスからでた。もうさっき全裸丸見えだったんだけどね。ドア越しに、

「とりあえずがんセンターに電話するぞ。あっちも急にいなくなって困ってるだろうから…。」

 扉の向こうから小さくうん、とだけ返事がした。

 環奈は下着姿のまま出てきて自室へ行った。

 俺はがんセンターに電話をかける。

「もしもし、がんセンターですか?」

「はい。」

「そちらでお世話になっている武藤環奈の兄で武藤和人といいます。主治医の先生をお願いします。」

 少々お待ちくださいと言われ、待つこと五~六分、主治医が電話にでた。

 小難しい話はよくわからないが、先生の言葉によると白血球が少なくなっており、正常な白血球を少し増やしてからの一時退院を視野に入れていた矢先の脱走劇だったらしい。とりあえず荷物の引き取りとレンタルパジャマの返却で一度病院に来てくださいとのことだった。それと、がんセンターが合わないようなら転院先も紹介してくれるとのことだった。

 俺は扉越しに環奈に荷物の引き取りに行ってくることを伝えパジャマとスリッパを鞄に押し込んで家を出た。

 大汗をかいて帰ってきた道を戻り、電車に乗り込んでから十分くらいだろうか、俺は先ほど見た明晰夢の事を考えていた。最初に見たのは一時間くらいだったのが先ほどのは恐らく数分かもしかしたら数秒かもしれない。どうしても夢とは思えなかった。あれはあの光をきっかけに源平の時代を生きた石破三郎の記憶じゃないのか?そう思えて仕方なかった。それにしても環奈が千早か…これって近親相姦の類になるんじゃないかと馬鹿なことを考えてるうちにがんセンターのある駅に到着した。

 病院につくなり主治医を受付で呼んでもらう。一時間くらい待ちそうだったので環奈のいた準無菌室から荷物をまとめていた。荷物と言っても洗い物が大半ですぐに終わり、主治医を待っていた。一時間待たないうちに主治医とナースが来て、俺はレンタルパジャマと病院のスリッパを渡す。スリッパは土埃がついてるので廃棄となった。主治医の話によると投薬が効き、一時的に血球が下がったので正常な血球を上げる治療をし、様子を見て一時退院にするか病院を転院するか聞かれた。白血球が少なく赤ん坊程度の免疫力しかないらいい。治療途中で逃げだす患者に若干面倒くさそうな感じを匂わせ、こんな先生に診てもらうのも不憫に感じ、転院してほしい旨を伝える。すると医師は手続きしてから一週間以内に連絡します、ここより比較的自由に動けて気分転換もできる病院だと伝え、なんだ、面倒見良さそうな主治医じゃないかと誤った自分をちょっと恥じた。主治医は、

「退院中、感染が起こったら覚悟してください。有意義な時間をー。」

 と足早に去っていった。

 主治医の言葉に何か余命宣告された気分になり血の気が引いた。

 帰る途中、夕飯のメニューを考えていた。確か結構制限があったはずだが、生もの以外で加熱したものだといいんだっけ、と夕飯はペペロンチーノにしようと思いながら受付で入院清算した。

 帰宅後、リビングでソファに座りクッションを抱いてTVを見ていた環奈に、転院するか聞いたら転院すると間髪いれずに答えた。転院先の病院にはコンビニや庭もあり比較的に自由に動けることを伝えるとパジャマ姿の環奈は喜んでいた。個室とはいえ閉鎖的な準無菌室でTVだけの闘病生活に嫌気をさしていたんだろうと思った。少し早いが夕食のペペロンチーノを作り、二人で食べた。途中環奈はユニットバスのトイレで吐いたが少しでも口から物を入れたほうがいいと主治医からの言いつけを守って半分くらいは食べていた。そしてまたソファに並んで座り、クッションを抱いてTVをみる。途中でちらちらと俺を見る環奈に俺は気づいてないふりをする。きっと千早の記憶から三郎である俺を意識してるんだろうと察したからだ。近親相姦、ダメ、絶対。思いながらTVを見続けた。

「病院逃げたこと怒らないの?」

 ああ、そっちか。

「辛い投薬と注射、眩暈とか頭痛とか吐き気とか、頑張ってる環奈見てきたし、聞いてたから。」

 TVを見つめながらそう言った。

 頭を肩にちょこんと乗せ、

「ありがとう。」

 とN95マスクをつけたか細い言葉で環奈。

 次はもうちょっと頑張ってみようなといい、

 うん。と環奈は短く答える。

 主治医にいわれた難しい言葉の中からこれだけははっきり覚えている。

 もし白血球が大暴れして感染病にかかったらその時は覚悟してください。

俺は一刻も早く次の病院へ入院させたい気持ちでいっぱいになったが、環奈の体重を感じている今だけは幸せだった。

「…三郎…約束…。」

 はっと環奈を見ると静かな寝息を立てていた。そっとソファに横にならせ、毛布を持ってきてかけてやった。本当はベッドに連れて行きたかったが、俺自身ひょんなことから背中に筋肉の微細断裂を患い、重いものを持てない体になっていたので無理はできなかった。まだ寝るには早い時間で、洗い物をしてから自室でネットゲームをして暇を潰し、また三郎になるのかと思いながら就寝した。

 次の日。

 うちは朝食を取らない生活だったため起きてすぐシャワーを浴び、髪を乾かして制服に着替え、先に起きていた環奈に具合が悪くなったらすぐに連絡するように伝え、学校に向かった。

 クラスに向かう途中、一階の購買でコーヒー牛乳を買う。

 教室に入ると既にほぼ生徒全員が揃っている中、悪友武井敬之はまだ来ていなかった。俺の席の斜め前のクラス委員長牧瀬彩におはようと声をかけ、コーヒー牛乳を渡す。

「ん?なにこれ。」

「昨日約束したろ、コーヒー牛乳奢るって。」

「あんた、私達昨日病院に担ぎ込まれて宿題提出してないじゃん。ノーカンよ、ノーカン。」

「まぁ約束は約束だからな。」

「あんたってこーゆーとこ律儀よね。」

 はぁ~っと深いため息をつき呆れる彩。遅れて敬之がうぃ~っすとかいいながら教室にはいってきた。

「いや~朝からまだ暑いね、外は。」

 お、コーヒー牛乳一口頂戴と敬之。

「ば、馬鹿じゃないの。間接キスになっちゃうじゃない。」

「いいじゃん、減るもんじゃないし。」

「ほんと馬鹿じゃないの、精神的にも物理的にも減るじゃない。そもそもあんたデリカシーなさすぎなのよ。あ、あとあんたもお昼購買でコーヒー牛乳ね!」

 ふんっと鼻を鳴らし、顔をそむける彩。

 その時予鈴が敬之に助け船をだした。

「ほら、ホームルーム始まるからちゃんと席につきなさい。」

 うぃ~っすと敬之。

 担任の男性教師が入ってきてホームルームが始まる。ざわついてたクラスが静かになった。

「委員長、今日のホームルームは文化祭の出し物で。」

「はい。」

 立ち上がりつかつか歩いて教壇に上がる彩。チョークを手に黒板に文化祭の文字を書く。ざわつく教室内。

「時間がないのでさくっといきます。案のある人いますか?」

 静まり返る教室。手を上げるやつは誰もいなく沈黙が続く。

 業を煮やした彩が、

「和人なんかない?」

 なんで俺名指し?

「あんた副委員長じゃない。」

 そうだっけ?あぁ、そういえばクラス委員決めるときに彩が勝手に俺を推薦して面倒くさがりなクラス連中の満場一致で決まってしまったんだっけか。

「それじゃあ仮眠室。」

 机に突っ伏したまま手を挙げて言った。

 はぁ?っと彩。すると敬之が悪乗りしてはいはいはいと手を挙げる。

 怪訝な表情で敬之を彩が何?と尋ねる。

「リフレ膝枕耳かき!」

 男子連中がよっしゃーっと声を上げる中、女生徒達はぎゃーっと悲鳴を上げた。

「ちょっとあんたねぇ!」

 彩が文句をつけるなか男子からは謎のリフレコールが教室内に響く。

「ちょっ、誰か他にないの!?」

 収まらないリフレコールの中、女生徒が一人手を挙げた。

「あの、私バイト経験あるんで喫茶店がいいと思います。」

 この一言に女生徒は結託して喫茶店満場一致。

 彩は仮眠室一票、リフレ十四票、喫茶店十六票、欠員一と黒板に書き殴った。

 そういえば昨日病室にいた男子生徒学校きてないなと思ってる中、男子勢からはああぁと悲嘆にくれた声と女子勢の歓喜の声が上がった。

 机に突っ伏している俺への男子勢の裏切り者を見る視線が痛い。いや、俺がリフレにまわっても男子一人欠員だし、そいつがリフレにまわったところで同数だし。

「はい、結果うちのクラスの出し物は喫茶店となりました。放課後のホームルームで役割分担を決めたいと思います。異論は認めません。」

 リフレ膝枕耳かきよりはどこのクラスと被ろうが喫茶店の方が健全だ。女生徒達は全員安堵の表情を浮かべている。

「和人ぉぉ。」

 俺に恨み節垂れられても困るんだけど。というか先に仮眠室案だしてる時点で男子が結託しても二票足りないのになぜ気づかないのか…。それにしても若干担任も残念そうにしているのは気のせいだろうか。

「では委員長、帰りのホームルームまでにこの紙を提出、予算あるから。」

 と告げて担任は教室を後にした。

 予鈴がなり生徒達は鞄から教科書をだした。一時限目は現国だ。

 俺も教科書を取り出すと、敬之はすぐに机に突っ伏していた。昨日のこともあり、どうした?具合でも悪いのかと尋ねると教科書を忘れたらしい。

 机をくっつけ、教科書を二人で見れるようにする。すると、

「いいよ、どうせすぐ寝ちゃうし。」

 といって机を放した。俺も机をもとの位置に戻し、今回授業する教科書のページを開いてノートと筆記用具を取り出す。現国の先生が来たところで日直が、

「起立、礼、着席。」

 と声を上げる。

 授業が始まると俺も机にっ突っ伏し、ぼんやり外を見つめた。今日は光らないかなとか、家で環奈一人で大丈夫かなとか考えながらいつの間にか寝ていた。

「三郎ーっ!」

 敬之の絶叫で目が覚めた。周囲から三郎って誰やねんと、ドッと笑い声が響く。教師がこちらにつかつか歩いてきて敬之の頭と俺の頭を教科書で叩く。静かに寝ていた俺はいいとばっちりだ。というか、敬之の口から出た三郎の名前がとても気になる。あっちの世界でもこいつとは悪友なのだろうか。

 チャイムが鳴り、一時限目が終わった。二時限目は体育なので着替えを持ってロッカールームへむかう。着替えと言ってもまだ暑いのでTシャツにジャージのズボンを履くだけなのだが。

 俺は体育が始まるや端っこにいきバスケ見学だ。女子はバレーボールらしい。

 夏休みのバイトで重量物を持った時、背中でバチンと音がして激痛が走り、病院に行ったら背中の筋肉の微細断裂、ぎっくり背中と呼ばれている怪我をしたらしく、重量物を持つことは勿論、激しい運動も控えるように言われていたからだ。それを先生に言ったら体育の授業は当分見学になった。壁の隅でぼーっと見学していると敬之が隣に座った。

「ん?体育の授業は?」

 敬之はああと短く返事をし、

「昨日倒れたの理由に体調不良でさぼり。」

 丁度いい機会なので聞いてみることにした。

「なぁ、一時限目の時絶叫してた三郎ってなんだ?」

「あー、夢の中でかちむしゃ?とかいうのに僕がなってて、それで付き従ってた武者の名前。」

「かちむしゃ?」

「あー、徒歩で鎧着た歩兵みたい。よくわからないけどそう呼ばれてたよ。身分的には三郎の方が上というかリーダー格だったんだけど同じ村出身で妙に親しくてね、呼び捨てにしてた。」

 それでと先を促した。

「戦争で馬に乗ってた三郎が敵に背中からズバーっとやられてそこで目が覚めた。」

 俺の三郎にはない記憶だ。と、ボールがこっちに転がってきたのを相手に投げ返す。ズキンと背中に鈍痛が走った。

「昨日の最初の夢は酷かったよ。ひたすら三郎が討ち取った敵の首をナイフで切り落としていくの。」

 つまりあの下男が敬之だったってことか。

「なぁ和人、お前もなんか見たんだろ?教えろよ。」

 俺はここで俺がその三郎だって話すと何か対等の友達じゃなくなる気がして、俺も馬には乗っていたが名前を伏せて武者だったと答えた。

「しかしほんと悪夢だよな、首に切り込むナイフの感触とか温かさとか、骨を断つ感触が生々しくてさ。」

 思い出し身震いする敬之。

 そうだなと短く答える俺。

「そうだ、彩ちゃんも何か見てるかもしれないから後で聞こうぜ。他にも倒れた奴いっぱいいるし。」

「そんな夢の話より文化祭の出し物、具体的にどうするかって責められそうだけどな。」

「あぁっ、文化祭どうしてリフレにしてくれなかったのさ。」

「いや先に案出したの俺だし、それに男子のっかってくれてたら面倒な喫茶店にならずにすんだのに。机並べてリースで布団借りるだけだぜ?って、どっちにしても一票足りなかったんだけどな。」

 あぁ~っと頭を抱える敬之。と、またボールが転がってくるのを投げ返す。どうやらさぼりの俺達に対する嫌がらせな気がした。

 チャイムが鳴り体育の授業が終わった。ボールを片付けるだけの男子と比べ、女子バレーボールは鉄柱とネットを片付けなければならない。手伝おうとしたら彩に

「あんた背中怪我してるでしょ、いいよ。」

 と諭され、せめてと思いネットを折りたたんで倉庫にいれた。

 放課後のホームルーム、喫茶店の具体案を彩が教壇に立ってどうするか話し合いが行われた。結果、他のクラスと被ってもいいように軽食喫茶に落ち着いた。俺は自炊経験者ということで厨房でオムライス係になった。要はメイドのいないメイド喫茶だ。ぼーっと窓を眺めて環奈今頃どうしてるかなと思いを馳せていた。


 バス停から電車二駅徒歩二十分の帰路の途中、晩御飯何にするか考えながら歩いた。近所のスーパーに寄り、加熱してればいいんだよなと思いながらシャケとペットボトルの紅茶を買い物かごに入れた。できれば野菜類もバランスよく食べさせたかったが生もののサラダはダメらしかったので次は野菜買って鍋にしようと考えながら自宅マンションに向かう。

「おかえり、お兄。」

「ただいま、環奈。」

 今日学校であった出来事、日中なにして過ごしていたのか他愛のない会話を交わす。敬之のあほな文化祭提案に、なにそれと笑うニット帽にN95マスクの環奈。環奈の方はTV見たり、俺の部屋にあるPCでネットゲームしたりして暇を潰してたらしい。

 文化祭いいなぁ、私もやりたいなぁと環奈。

 恐らく、こんな小さな願いも叶えてやれない。俺はそう思った。いつ紹介された病院から連絡を受けてもおかしくないこと、入院になったらまた数か月単位で治療に専念するであろうことはわかっていたからだ。

 ねぇ、文化祭っていつ頃なの?という問いに十月上旬、下旬には中間テストがあるからと答える俺にふーんとつまらなそうに答える環奈。環奈自身、次の入院と治療で外出できないのを知っている風だった。

寛解して病気が治れば来年文化祭でれるよ、と、ぽんと頭に手を乗せ、撫でる。

 うん、と小さい声で環奈は答えた。


 次の日、授業中に携帯が鳴った。一斉にクラスの視線を浴びる中、先生に目配せをして事情を知っている先生は頷き、顎で廊下に促される。携帯を手に廊下に急ぎ、着信元ががんセンターであることを確認し、電話に出た。

「もしもし。」

「こちらがんセンターの中西と申します。武藤和人様でいらっしゃいますか?」

「はい、武藤和人です。」

 転院予定日の連絡だと直感でわかった。

「妹様、武藤環奈様の転院先と準無菌室の空き予定日が決まりましたのでご連絡差し上げました。転院先はS病院、入院日は四日後となります、電話番号はー。」

 携帯をそのままに教室にすぐ戻りノートに電話番号を書き写す。そのままノートを持ってまたすぐ教室を出た。

 ふぅっと小さく息を吐き、ノートに書き写した電話番号にかける。

「あ、もしもし、がんセンターの中西さんからご紹介頂いた武藤和人といいます。」

 少々お待ち下さいと携帯の向こう。

「確認とりました、妹様の武藤環奈様の転院ですね。四日後の午前十時にご予約承りましたので十時までにお越しください。」

 はい、はいと答える。最後に、

「入院されるとしばらくは退院できませんのでご有意義な時間をお過ごしください。」

 と言われた。前にも言われたこのセリフ、余命宣告のようでくらっとした。

 席に戻ると視線の集中を感じた。

「妹ちゃん?」

 聞いてくる敬之に、馬鹿、そっとしてあげなさいよ。と斜め席の彩。

「いや、大丈夫。転院日が決まっただけだから。」

 と短く答え、机に突っ伏す。入院するまでに白血球が暴れだしたら、感染したらどうしようかと、とりとめない感情が溢れる。授業に集中できず、少しでも環奈の側にいてやりたくなり、その日俺は担任に四日後学校を休むと告げ、早退した。


「あれ?お兄学校?」

 ソファーでクッションを抱いてTVを見ていた環奈がきょとんとした顔で俺を見た。

「ああ、早退してきた。」

「具合悪いの?」

「いや…ああ、そうだ。入院日決まったぞ、四日後の十時だ。」

 そっかぁと短いが残念そうに答える環奈。

「束の間の休息ってこーゆーこというんだね。」

 TV画面に顔を向けたまま少し残念そうな感じが伝わってくる。辛い闘病生活がまた始まるんだ、無理もない。

「次のS病院はコンビニとか庭もあって自由に動けるらしいぞ。」

 環奈はソファーから身を乗り出しおぉっと嬉々とした返事をする。

「ただ一度入院すると一時退院はできないらしい。」

 おぉと悲嘆にくれる声。

 今度は脱走するんじゃないぞと言い聞かせたらコクンと小さく頷いた。

 しょんぼりする環奈を見て、

「明日学校サボってどこかいこうか。」

 えぇ、ダメだよというがどこか嬉しそうに言う環奈の言葉に耳をかさず、どこがいいかなぁと答える俺。感染症も怖いので平日なるべく人の少ないところを考える。

「そうだ、水族館に行こうか。」

 平日なら前予約なしでも混んでないだろうし、いい気分転換になるだろう。

 イルカショーは水かけられそうだからダメなというとちょっと残念そうに口を尖らせた。アシカ・アザラシショーならいいよと言うと喜んでいた。満員電車も避けたいし十時出発くらいでいいいかな。

「夕飯の準備で買い物いくけどくる?」

 うん、と嬉しそうに環奈。

「火を通せば大丈夫らしいし、今日は鍋で葉物取ろうな。」

 何鍋にしよう、豚しゃぶでもしようか。いろんな野菜とれる寄せ鍋にしようか、うーん迷う。環奈に聞いてみたら豚しゃぶと即答し、パジャマを着替えに自室へ行く。俺も制服から私服へ仕度しに自室に戻った。

 紺のデニムのスキニーパンツに白い長袖のブラウスの環奈、俺はカーゴパンツに黒いTシャツだ。まだ暑い中長袖を選んだのは注射痕を隠すためだだろう。もちろんニット帽にN95マスクを装着している。

「行こう、お兄。」

「おう。」

 二人して靴のつま先をとんとんとし、かかとに指を差し込んで靴を履く。カチャリと扉の鍵を閉めて階段を降りる時、お兄腕貸してと組んでくる。入院生活で筋力が衰えているらしくちょっと足がぷるぷると震えていた。大丈夫かと聞くとうんと答えた。ゆっくり階段を降り、腕を組んだまま近所のスーパーに向かう。傍から見たらカップルだよねと言葉にちょっと照れ臭くおぅと短く答える。どう見ても病人と介添え人だろうと思ったけどあえて口には出さなかった。

 スーパーに入るとすぐに青果コーナーがある。スイカ食べたいとしきりに言うから小玉スイカを買い物籠に入れた。八分の一カットは時間経過で雑菌が繁殖しているかもしれないからだ。続いて白菜を籠に入れたところで昼ご飯何にしようか考えていなかったことに気が付く。先に豚バラ肉を買い、昼は食べやすくお茶漬けにしようと思いお茶漬けの素を買った。パンのコーナーに差し掛かったところで環奈はぴたりと足を止める。どうやらお目当てはシュークリームのようだ。じーっと俺を見つめるが、バニラビーンズは食べちゃダメなはずだったので却下したら面白くなさそうな顔をした。ペットボトルの紅茶を買い、レジで精算して外へ出る。片手には環奈、片手には買い物袋で疲れてきたので近所の小さな公園のベンチで一休みした。環奈はぷるぷると立ち上がり、一本の木を目指して歩き、木の幹を触りながら、

「来年この桜見れるかなぁ。」

 胸がきゅっとした。

「そうだな、頑張って来年この桜みような。」

 うん、約束と環奈は小さな声で頷いた。


 甲斐源氏の一族のうち安田義定を筆頭に頼朝と近い氏族が挙兵。これに対し平家側では大庭景親の弟である俣野景久が駿河国目代の橘遠茂とともに甲斐へ軍勢を派遣した。戦場は富士の波志田山らしい。石橋山合戦直後、平家より駆り武者の要請が来た。

「石橋山の合戦が終わったばかりじゃないか。馬も疲弊している。」

 しかし大庭景親の弟が大将か…恩義はないが同じくつわを並べた義理もある。どうすべきか…思いあぐねていると千早がまた戦にいくの?と尋ねてきた。

「帰ってきたばかりじゃない、いくことないわ。」

 俺は胴丸を着込み、兜を被って緒を締める。太刀を差し、矢筒を背負って弓を取り戦仕度をした。到着するころには決着がついてるかもしれないが、名持ちの武者としては馳せ参じねばならない。夜通し走らなくては間に合わない。下男にも胴丸を着させ、弓と太刀を持たせて馬二騎で馳せ参じることにした。

「行ってくる。褒美は反物か租税免除だ!」

 待ってと千早。弓を持ち弦を鳴らす。 辟邪の武と呼ばれる厄除けのまじないだ。

「生きて帰ってきて。約束…」

 ああ、と短く答え、下男と共に馬を駆る。

「これでお前も立派な武者だな、権左。」

 馬上で笑う俺。

「笑いごとか、三郎。遠江から富士までいくらなんでも馬が持たんぞ。」

「なに、三日もあればつくだろう!武功次第ではお前も名持ちだ。」

「なんの足しにもならんわ!」

 途中仮眠で小休止を取りながら富士に向かい、三日後には大庭景親の弟である俣野景久と合流した。援軍がたった二騎ではたいして歓迎されなかった。それどころか戦を前にしてこの軍勢の士気の低さが目についた。どうやら夜のうちに鼠に弓の弦をかじられ騎射も歩射もままならない状態らしい。この戦、敗ける。そう直感した。

「先日清盛公より石破の姓を賜った石破三郎と申す。俣野景久殿は何処ぞ?」

 うなだれている兵に聞いて回り俣野景久と対面した。

「俣野景久殿ですな、前の戦の折り兄君の大庭景親殿とくつわを並べて戦った石破三郎と申します。」

 俣野景久は覇気のない声でそうか、で手勢はいかほどかと聞かれ、急ぎはせ参じの為二騎であることを告げると小さい声でそうかと答えた。座りながら片足をカタカタいわせている。遠くからわぁぁっと鬨の声が上がった。安田義定勢の強襲だ。

 俣野景久はびくっと体を弾ませた後、すくっと立ち上がって騎乗する。

「皆の者、鬨の声を上げよ! 坂東武者何するものぞ、京武者が矜持を示せ!」

 弓が使えねば槍で突撃せよ!との号令にこちらも鬨の声を上げる。

 俺と権左は今回槍を持ってきてないのでまずは弓で応戦した。矢を打ち尽くすと太刀に切り替え、敵軍安田勢に向かって突撃した。応戦するも空しく一人、また一人と味方勢が討たれていく。

「俣野景久殿、迅速に撤退の指示を!士気が低すぎて持ちませぬ!ここはお任せ下さりませ!」

 うぅぅと短く唸り、俣野景久は撤収の声を上げた。

「皆の者、逐電せり!」

 わぁぁと虫が散るように迅速に撤退する平家軍勢。追撃戦となった安田義定勢はさらに士気を高めて猛攻を極めた。俺と権左は押し寄せる坂東武者を太刀でなで斬り、受け止めて僅かな時間を稼ぐが囲まれたらお終いだ。元から死ぬ気はない。二、三騎相手にして踵を返し、撤退する。その時、背中にシュンっという衝撃とともに熱さが走った。

「三郎ー!」

 斬られた。しかし背負っていた矢筒もあり深手ではないと感じ、

「いいから走れ、権左!」

 安田義定勢は追撃の手を緩めることはなく、潰走する俣野景久勢を一人、また一人と討っていく。どれくらい駆けたのか、次第に鬨の声が遠のいていた。

「このまま遠江までにげるぞ、権左。」

「それより傷の手当てが先だ、三郎。」

「無用だ、それほど深くない。命あっての物種だ、迅速に逃げて姿を消すぞ。」

 この猛追の一件で、平家駆り武者の間で坂東武者の恐ろしさが噂となり震え上がらせることになる。こうして波志田山の合戦は平家の敗走で幕を閉じた。遠江へ敗走する途中、馬から降り権左が背中の傷をみてくれる。

「ついてるな、三郎。出血はひでぇが皮一枚ってとこだ。」

 ホッとする俺と権左。馬も休ませてやりたいと、俺と権左はしばらくここで休憩することにした。そこに見かけたやつがきた。

「もし…石破三郎様。」

「誰だ!」

 と権左。あぁ、構わないと太刀を納めるように促す俺。

「お背をお見せください。」

 いう通り背中を見せたら胴丸を脱がせて櫃から何かを取り出し、塗り始めた。

「血止めの塗り薬です。」

「本当に薬櫃だったんだな、それ。」

 乾いた笑いをする間者。

「こたびの合戦で平家のいかに脆弱であるかおわかりになったのではないですか?」

 薬を塗り終え、裂いた帯を俺の体に巻き付けながら間者は続ける。

「平氏は馬産地が少なく騎馬武者は圧倒的に源氏が多いのですよ。兵の大半は農民あがりの駆り武者頼りでめっぽう弱く潰走しやすいのです。」

 それにと続け、

「こ度の戦で坂東武者の恐ろしさが伝播するでしょう、そこで…」

 源氏が一斉蜂起し、平家がこれに対峙したとき流布していただきたいのですよと、耳打ちする。逃げる者、寝返る者が大勢出るでしょう、と。

「お前は俺の武力をあてにしてたんじゃないのか?」

「もちろん、三郎様は坂東武者に負けぬ兵、なればこそその際には寝返って頂きたく存じ上げます。先の戦も見事でした。」

 差し出してくる胴丸を受け取り着込む。

「俺の…俺達の村の保証はあるのか?」

「勿論ですとも、源氏は三郎様の村には手を出しません。それに利がございません、褒賞となる領地を荒らしてなんになりましょうや。」

 確かにこのまま平氏についてても所詮は農民、武功を上げたところでどこまでいっても貴族には召し上げられないだろう。

「租税を免除できる俺の領土が欲しい。できるか?」

 掛け合ってみましょう、そう言うと間者は姿を消した。

 権左が怪訝な表情で俺を見る。

「どういうことだ?」

「俺達の、いや近隣の村も含めた今後に関わる話ってことだ。」

 小難しい顔をして首をかしげる権左。

 まぁ難しいことはわからん、三郎に任せると言い馬にまたがる。

 俺は兜を被り、緒を締めてから騎乗した。

「さぁ、帰ろう。」

 無事ではないが今回も生きて村に帰れる。千早との約束は守れたな。

 思いながら馬を走らせた。


「…兄。…お兄。」

 はっと気が付く。

「千早…。」

「…え?」

 訝しげな面持ちで俺を見る環奈。

「あ…いや、環奈。」

「…。ぼーっとしてどうしたの?」 

 ズキンと微細断裂の背中に鈍痛が走った。環奈と荷物のダブルだからなぁと思いながら、

「いや、大丈夫。ちょっと背中痛くなっただけだから。」

 環奈はくすっと笑い、どこか悪い似た者兄妹ねとベンチの隣に座った。

 ああ、とニット帽の上から頭を撫でる。雲が陽光を遮り、涼しい風が心地よく頬を撫でる。もう少し休憩してからいこうかと思ったが、汗ばんだ衣類を着ていると雑菌が気になってそろそろいくかと促す。今座ったばかりだからもうちょっと休憩したいといい、じゃあもう少しだけ、ちょっと待っててと返した。俺は立ち上がり、近くの自動販売機で麦茶とアイスコーヒーを買って環奈に麦茶を渡した。麦茶で良かったかと聞くとありがとう、と環奈。

「あー、明日満員電車避けたいから十時出発でいいか?」

「そうだね。それくらいの時間だと空いてそうね。」

 缶コーヒーを飲み終え、自動販売機隣に置かれていた専用の空き缶箱に捨てる。ぷるぷるした足で近づいて腕を組む。

「帰るか。」

「うん。」

 家まであと数分の距離。環奈にはいいリハビリになった気がする。

 階段を一段一段気を付けて上り、奥の部屋の扉の鍵を開け無事帰宅した。

 汗かいてるから先にシャワー浴びてきなと声をかけ、もう少し手間かけた料理の方がよかったかなと思いながら俺は昼ご飯のお茶漬けの準備をする。

 新しいパジャマ姿でリビングにきたところでソファーに座り、二人でお茶漬けを食べた後、俺もシャワーを浴びに行った。洗濯籠の中には昨日着てたパジャマと下着が入っている。俺の分の洗い物も一緒にし、ベランダの洗濯機をまわした。

「お兄、スイカ食べよ。」

「まだ冷えてないぞ?」

 温くてもスイカはスイカの味なのよと訳の分からないことを言い、小玉スイカを四分の一カットにしてスプーンと一緒に持って行った。種をスプーンで器用にほじくり返し、食べながらTVをつけクッションを抱いてスマホを見る。洗濯機が途中で止まり、水を灌ぐ音がしたので柔軟剤を入れに行く。途中だったスイカを食べながら、また1クール目からかなぁとぼやく環奈の言葉によく聞き取れず、何?と聞くとなんでもないと返事がきた。

 スイカを食べ終わるころに洗濯機が終わりの音を告げ、ベランダに干していく。薬の副作用がなくなったのか、食べる量こそ少ないものの、今日は一度も吐き戻しがない。このまま寛解で退院できればいいのにと思っていた。食べ終わった食器の洗い物を片付け、ソファに戻った時には環奈は眠っていた。

「三郎…。」

 話さないがやっぱり環奈が千早で間違いなさそうだ。どんな夢を見ているかはわからないが、起こさないようにN95マスクをかけ、毛布を取りに行きそっとかけた。ちょっと熱いかもしれないなと思い冷房をドライ二十五度設定にする。さて、暇になったな。俺は自室に戻ってPCを立ち上げ、ゲームで時間の潰すことにした。

 夜の夕飯時にはもう環奈は目を覚ましスマホをいじっていた。俺は夕飯の支度だ。水、料理酒、塩、和風粉粒に白出汁と醤油で味を調える。若干しょっぱい感じもするが白菜から水分が出るからこれくらいでいいかと納得の味付けとなった。あとはひたすら白菜と豚バラ肉をミルフィーユ状に重ね合わせて後は煮込むだけ、炊飯器で米も炊いたし完璧だ。ぐつぐつと煮えていく具材の匂いに誘われて環奈が様子を見に来た。

「お兄ってほんと家事の天才よね、炊事洗濯掃除なんでもござれって感じで。」

「おお、高校卒業したら調理専門学校いく予定だぞ。」

「え~成績もそれなりにいいよね、大学行けばいいのに。」

「何しに大学行っていいのか目標がないからな。」

「それを見つけるのに大学いくんじゃん。」

「大学に調理実習あればいくんだけどな、ほらできたぞ。」

 お玉で出汁の味見をし、いい具合にできあがった。最初の一杯目は俺がよそってやった。ん~うちの味と環奈はご満悦の様だ。はふはふしながら俺も食べる。まぁまぁだな、と自画自賛。白菜の代わりにキャベツ入れるのもあるらしいぞというと、イメージわかないけどそれもお兄が作るとおいしそうねとふーっと息を吹きかけながら環奈。ああそうだ、今度文化祭でオムライス担当になったから作って試してみるかというと、半熟ふわとろ卵って私ダメそうとしょんぼりした。環奈の分は退院したら作ってやるよというと、約束ねと答えた。桜にふわとろ卵にと約束事が増えていくなと思いながら鍋をつつく。ご馳走様でしたと環奈。まだそんなに量は食べれないらしい。残り全部俺が食うのか、とまだ大量に残った豚しゃぶを見つめる。ええい、気合いだとむしゃむしゃ食べた。


 次の朝、目が覚めてすぐにシャワーに向かったら環奈が先に使ってた。ドア越しに、あ、お兄使う?もうちょっと待ってといい、ゆっくりでいいよと返事をした。普段朝ごはんを食べる習慣のない俺達だが、今日は外出するのでお茶漬けの素をだしサラッと胃に収めた。勿論、環奈の分も用意してある。

「上がったからいいよ、お兄ー。」

 おう、と短く答えバスルームに向かいシャワーを浴びる。自室に戻り紺のジーンズに白いTシャツを着てドライヤーで髪を乾かす。扉をノックする音。

「お兄準備できた?」

 もうちょいと半乾きの髪にドライヤーを当て続ける。ムースとスプレーで髪をセットし、お待たせと扉を開けると花柄のスリットの入ったノースリーブワンピースを着た環奈が立っていた。うーん、もうちょい待ってと服を選びなおす。黒のスキニーチノパンに履き替えてからお待たせと外に出る。

「じゃあ行こっか。」

 と腕を組んでくる。ふわりとウォーターリリーの香水の匂いがした。環奈の夏の定番の香水らしい。ちなみに冬はジバンシーのπというバニラのような甘ったるい匂いの香水だ。

 電車で駅二つ乗り換えてアクアリウムに到着した。案の定電車は空いてたがアクアリウムはそれなりに客が集まっていた。チケットの行列に並び、数分もしないうちにアクアリウム内に通された。入った瞬間から水をイメージしたのか青一色の視界。水中をくりぬいた様なトンネル状の通路に大き目な魚の群れ。食べれる魚かなという環奈。熱帯魚なんかは食べれるらしいけどこいつはどうかなと答える。奥に進み、一際大きな壁ガラスにゆったり泳ぐマンタと亀と小さな魚群。カメの肉は食べる部位によって鶏肉、豚肉、牛肉に近い味がするらしいぞというと、私達さっきから食べる前提で魚見てるねと笑う。途中クラゲ館というところもあり、堪能したところでイルカショーのプログラム時間が近づいていた。今日はアシカのショーはないらしい。中段から見れば水はかからないだろうとイルカショーに向かう。前列は埋まっていたが中段以降はちらほらだだった。イルカショーなのに開幕はペンギンが横切っていくところからショーは始まった。次いでトレーナーを乗せたイルカが水槽内を駆けてゆく。二頭のイルカがトレーナーを鼻先に乗せ、深く潜ったところから大ジャンプを披露した。次いで、白いイルカがでてきてトレーナーの手とヒレを繋いでぐるぐるまわる。トレーナーがフラフープを水上に投げ入れ、それをくるくると回すイルカ。高く吊るされたボールを大ジャンプして尾ひれで叩く。最後に水槽のヘリにトレーナーと一緒に首を出し、挨拶を済ませてショーは終わった。まだ先はありそうだが案外水しぶきが飛んでくるので他に見てないところを見て回ろうと提案し、うんと答える。一通り見終え、近くの喫茶店に立ち寄った。楽しい時間って一瞬ねと環奈は言い、ヘリに首をのっけたイルカ可愛かったとにこやかに話した。時刻はもう夕方、晩御飯何も考えてなかった。電車で駅二つ乗り換え、帰り道のスーパーに寄りじゃがいもと玉ねぎ、人参と鶏むね肉とカレーのルーと食パンを買って家に着いた。下ごしらえをしている間に環奈はシャワーをすましパジャマに着替える。俺は下ごしらえをした野菜と鶏肉、水を炊飯器にいれスイッチを押し、シャワーに向かった。シャワーを済ませ、ドライヤーで髪を乾かしている間に炊飯器は保温になっていた。そこにカレーのルーを入れ、カレーの出来上がりだ。明日はオムライスの練習がてらチキンライスにしようかと思いつつ、二人で食卓を囲んでカレーを食パンで食べた。

 

 次の日。朝から真面目に学校に向かったら委員長の彩に文化祭で必要なものリストを手渡された。なんだこれ、全然決まってないじゃないか。言うと、

「あんたが昨日サボってこなかったからじゃない。」

 フンと鼻を鳴らしてそっぽ向く彩。

 とりあえずリストに中華鍋三つ、炊飯器三つ、カセットコンロ三つに予備ガスボンベ、ミニ冷蔵庫一つを付け加えた。軽食喫茶を名乗る以上、昼時には客がそれなりにきそうだったから多めに書いておいた。はぁ?と彩。

「何これ予算オーバーするじゃない。」

「オムライスだすんだろ、炊飯器三つでも客足次第でたりなくなるぞ。炊飯器は持ってこれる奴集めて、中華鍋は一つ四千円、カセットコンロも一つ四千円、ミニ冷蔵庫は持ってこれる奴いなかったら随時スーパーにダッシュだな。」

 うーん、と唸る彩。ホームルームで話してみましょ。とリストを手に自分の席で頭を抱えて唸っていた。軽食=サンドウィッチと安直に考えていたらしい。

 ああ、米と卵もなというと、頭をがりがり搔き始めた。

「中華鍋と炊飯器一つとカセットコンロ一つはうちからもってこれるぞ。」

「ギリギリかなぁ…。」

 予鈴が鳴り男性教師が入ってくるなり、

「委員長、文化祭の続き。」

「はい。」

 教壇に立つ彩。

「えーっと、皆さんにお願いがあります。文化祭の日に中華鍋、炊飯器、カセットコンロ、ミニ冷蔵庫持ってこれる方はいないでしょうか?」

 はいっ、と手を挙げて一人の女子生徒が

「炊飯器と中華鍋うちにあるの持ってこれます。」

 意外だった、中華鍋持ってる奴いたんだな。

「うちキャンプ用にカセットコンロ一つ持ってます。」

「うちもカセットコンロあります。」

 ミニ冷蔵庫持ってる奴は流石にいないか。

 カセットコンロはどうにかなったな、残るは中華鍋一個と炊飯器一個か。

「わかりました、では文化祭当日お願いします、炊飯器は私の方で一個用意します。和人、フライパンじゃダメなの?」

「調理場汚れてもいいならフライパンでもいいぞ。」

「じゃあフライパンもうちから1個持ってきます。」

 なんだ、さくさく決まっていくじゃないか。

「ミニ冷蔵庫は流石にいなそうなので具材必要になった時皆さんで手分けしてスーパーダッシュしましょう。」

「あ、ついでにサランラップ…うちからもっていくわ。あと具材は早めに買っておいてくれ。特に鶏肉、下ごしらえして解凍してすぐ使えるようにしたい。先生、学校のレンジお借りできますか?」

 面倒くさそうに男性教師は首を縦に振った。

 一時限目がはじまる予鈴が鳴った。

 斜め前の席の彩は、

「いやー助かったわ。やっぱり和人いると話の進みが早いわ。」

 考えなしに軽食喫茶にしたからだろう、仮眠室にしとけばもっと話早かったのに。まぁリフレ膝枕耳かきから逃れるのに必死だったんだろうけど。

 あと包丁とか必要そうなものは調理担当が持ってこさせるようにすればいいよ。

 と言うと、忘れてたと彩。ちゃっかりしてるのにどこか抜けてるな。

「とりあえず必要そうなのは食材と米と調理器具な。予算内だろ?」

 うん、余ってると思うと答える。

「余った金で百貨店でメニュー用のミニ黒板買おうぜ。」

「しっ、先生きた。」

 すかさず日直が起立、礼、着席と授業始まりの合図をだす。

 そういえば敬之きてないな、サボりかと机に突っ伏す。

 四時限目の終わり敬之がうぃーっすと教室に入ってきた。手には購買で買ったパンとコーヒー牛乳が入った手提げ袋を持っている。

「なんだ、こんな時間にくるなら全部授業サボればよかったのに。」

 昨日の残り物で作った弁当をつつきながら言う。

「いやーそうなんだけどね、家にいたらかーちゃんうるさくてさ。で、文化祭話進んだの?」

 パンの袋をがさがささせながら敬之。

「和人のおかげでさくさく問題点片付いたわ。」

 手作り弁当を食べながら彩。

「でもミニ冷蔵庫ないのは大変ね、スーパーまで距離あるし。」

「あぁ~それなら僕出せると思うよ。」

 えっと俺と彩は敬之の顔をみた。

「うちの兄貴が会社の寮はいってた時使ってたのあるんだよね~。足さえあれば持ってこれると思うけど。兄貴に車頼んでみるよ。」

 おおーっと二人で歓喜の声を上げてる中、環奈からラインが届いた。

 何かあったのかと思い着信をみたら、暇と顔文字入りで入っていた。

 俺の部屋でPCで遊んでていいよと返信した。

 すかさず、ラジャー、潜入しますと顔文字入りの返信が返ってきた。

「妹ちゃん?」

「ああ、暇だって。俺のPCで遊んでろって返した。」

 それってまずいんじゃないの~?と敬之。

「部屋物色されてあんなものやこんなものでてくるフラグでしょ~。」

 彩は顔を赤らめてなっと短く言葉を詰まらせた。

「PCお気に入りみられなきゃ大丈夫だろ。」

 なっ、なっと委員長彩。

「と、とりあえず二人とも明日の土曜日、午後からあけておきなさいよ。」

 と話をすり替える。なんでさと敬之。

「文化祭に必要な雑貨買いに行くから付き合いなさいよね。」

 明らかに荷物持ちであろう言葉にえぇ~と敬之が面倒くさそうにこたえる。

「あぁ~、ぼく明日兄貴に車出してもらって冷蔵庫持ってくるからパス。」

 いい言い訳だ。彩もこれには反論できない。

「仕方ないわね、和人明日二人で行くわよ。約束ね。」

「しょうがないな。」


 次の日、土曜の午後。授業はなく各クラスが文化祭の準備に追われている。

 俺と彩は電車を乗り継ぎ一つ目の駅で降り百貨店を見て回っていた。

「ガスコンロのカセットは買えたけど、ミニ黒板は流石にないわね。」

「どうする? 他の店も見て回ってみるか?」

「うーん、他の店って言ってもなぁ…なきゃないで段ボールでお手製看板作りましょ。」

「似たようなことOBが考えてたら用務員さんに聞けばもしかしたらあるかもな。」

「あ~そうね。」

「あ、一つ買い忘れ。グラム計る計量器、千五百円くらい。」

 それくらいならまだ予算足りるわね、と彩。百貨店店員に聞き一番安い計量器を購入する。

「んじゃ学校帰るか。その前にスーパー寄ってっていいか?」

「スーパー寄ってどうするの?」

「試食しないで売り物だせないだろ。」

 帰りがてらスーパーに寄り、米五キログラム、玉ねぎ、鶏むね肉、みりん、塩コショウ、バター、ケチャップ、料理酒、すりおろしにんにくチューブ、鶏ガラスープの素、サラダ油と卵に紙皿を購入。かなりの重量で微細断裂を起こした背中の筋肉が痛い。学校に着くころにはかなり悲鳴を上げていた。

「まず米炊こう。」

 家から持ってきた炊飯器で米を研ぎ炊く。炊きあがる前に玉ねぎをみじん切りにし、鶏むね肉を適度な大きさに切り刻む。カセットコンロにボンベを付け、米が炊き上がるのを待つ。ちなみに米は硬めに炊いた。炊きあがった米を計量器にのせ一人前百五十グラムで計り、カセットコンロに乗せた中華鍋に火をかける。バターを適量入れて玉ねぎ、鶏肉を炒める。この時点でもういい匂いが教室に広がっていた。そこに料理酒、鶏がらスープの素とすりおろしにんにく少々、炊き上がった米を入れ、ケチャップ大匙二杯分とみりんを入れて塩コショウし中華鍋を振る。ちなみにうちの中華鍋は持ち手が付いていないタイプなので持ち手はタオルで作った鍋掴みを使っている。次に卵だ。こちらもできれば中華鍋で作りたかったが練習でフライパンで作ることにした。サラダ油少々、バター少々入れて加熱し、卵を二個入れる。焼きながら菜箸でぐるぐるとかき回し、片面の焼き上がり具合をみてフライパンを傾け、とんとんと柄を叩いて丸め込む。その際フライパンを小刻みに揺らしながらふるふると硬さを見て出来上がりだ。紙皿にチキンライスを盛り、卵を乗せ包丁で卵を切り開くと丁度良いぷるぷる感の半熟卵が開く。そこにケチャップをかけて完成だ。

「彩、試食。」

 と家から持ってきていたスプーンを渡す。重量物を運んで鍋振りでさらに背中を痛めた俺は椅子に座って試食する彩の様子をみる。クラスで作業していた連中もその様子を伺っていた。

「んまーいっ」

 なにこれ、うまっという彩にクラス連中が群がっていた。俺も、私もっと一口食べ、半熟卵うまいと言ってくれ嬉しい限りだった。

「材料日持ちしないから余った食材で適当に作っちゃうな。」

 同じ手順でオムライスを作る。

「これって軽食喫茶じゃなくオムライス屋でよかったんじゃない?」

 クラスの誰かがそういった。そういえばコーヒーミルとか豆はどうなってるんだろう。彩に聞くと、クラスメイトが電動ミルとネル生地のドリッパー持ってるから大丈夫らしい。一通りの形は見えてきたかな。安堵しながら中華鍋を振るう。他作業しているクラスメイトのテンションも上がり、教室内は活気に満ちた。とは言え文化祭まであと二週間近くある。

「彩、用務員さんにミニ黒板あるか確認しにいかないと。」

 そうだったと教室をでる。

 戻ってきた結果はそんなものはないとのことだった。段ボールに画用紙を張って看板を作ることになった。一仕事終えた俺は背中が悲鳴を上げていて他作業どころではない。そんな中追い打ちをかけるように敬之が教室に顔をだし、

「ミニ冷蔵庫きたから和人運ぶの手伝ってくれ。」

 ときた。帰ったら環奈に背中に温シップ張ってもらおう。


 日曜日。環奈が自宅で過ごす最後の時間だ。

 リハビリがてら近くの公園いくか尋ねると今日は家にいたいそうだ。パジャマ姿のままソファーの上でクッションを抱き丸まってスマホをいじっている。入院日を前にナーバスになっているようだ。また病院食に戻る前に色々食べさせてやりたくなり、俺は文化祭でだすチキンライスを食べさせてあげようと思った。夜はまた鍋にしよう。

「食材買ってくるな。」

 スマホを見ながらいってらっしゃいと小さく環奈。

 近所のスーパーまでの足取りがいつもより重く感じた。最近笑顔の多かった環奈がまた闘病中の悲壮な様子になってしまったからかもしれない。少しでも一緒にいてやりたい、そう思った俺はスーパーで必要なものを手早く買い、急いで帰宅した。一時的に学校から持ち帰った炊飯器と中華鍋を使い、試食で作った手順でチキンライスを完成させ環奈を呼ぶ。

「ご飯できたよ、食べよう。」

 うん、と小さく環奈。特に感想もなく食べ進める。食べ終えるとご馳走様と小さな声でいい、食器を下げてまたソファに戻りクッションを抱えて丸くなる。隣に座り、TVの電源を入れてみると肩にちょこんと頭を乗せてきた。たまにライン送るから返信してねと環奈。おうと短く答える。約束事がまた一つ増えた。退院したらシュークリームも食べさせてねと続けて環奈。ケーキホールでも食べさせてやる、だから今度はがんばろうなと俺。うん、と小さく環奈。入院で必要そうなもの買いに行くかと聞いたら大丈夫と答えた。ゆっくりと流れる時間に環奈の重さを感じ、またこの部屋で一人になるのかとちょっと感傷に浸ってしまう。俺が弱気になってどうすると言い聞かせ、明日の準備するなとソファを立ちあっがった。

 洗濯ものを取り込み、入院中に必要な下着十セット、メモ帳、スリッパ、シャンプー、ボディソープ、歯ブラシに歯磨き粉、除菌ティッシュ。後は必要なものがあれば連絡もらえばいいだろう。一応中身確認するように伝え、俺は夕飯の買い物に出かけた。近所のスーパーへ行き、タラの切り身と白菜、白ネギ、エノキ、人参、春菊と干しシイタケを買う。家に帰り、先にボールに水を張って干しシイタケを戻す。この干しシイタケの戻し汁が出汁となるのだ。

 俺は自室に戻ってノートPCとマウスを手にリビングに戻ってきた。ソファの環奈の隣に座り、PCを立ち上げる。頬を赤らめちらちらとノートPCをみる環奈。耳まで赤くなってる。ああ、これはお気に入りホルダーの中見られたなと察したが、何食わぬ顔でゲームを起動した。敬之もやってるオンラインゲームで、俺がINするとフレンド登録している敬之に伝わり、画面の向こうからチャットでうぃ~っすと挨拶してきた。俺もおうと答える。妹ちゃん元気?と敬之は写真アップしろとうるさい。環奈にいいかと尋ねると、私今これだからとニット帽にN95マスクを指さした。そこであっと思い出し、入学式の時に取った制服姿の環奈がスマホに入ってるのを確認し、ラインで添付して送ってやった。ちょっとしてから今近くにいるのか聞かれ、隣でチャット見てることを伝えたら武井敬之十七歳、彼女いません、よろしくお願いしますとチャット。続けざまにお義兄さんと呼ばせてくださいと表示された。これには環奈も笑っていた。今日初めて見る笑顔だ。内心、敬之に感謝しつつ、娘はやらんと答えた。諦めませんお義兄さん、いや兄貴!と速攻返信が来た。面白い人ね、とまた笑う環奈。実際いい奴だよ、怠け癖あるけどと言葉を返す。退院したら合わせてやるよと言い、敬之とゲーム内で狩りを始めた。

 夕飯時になり、買ってきたタラを水で洗い、塩を振る。これで十五分くらいつけて水分を取ることで魚の生臭さが消える。干しシイタケの戻し汁に酒、醤油、みりん、塩を入れて味を調える。野菜は適当にカットし、エノキの石づきをカットして適度にほぐす。先に白菜の芯を出汁で煮込み、タラと他の具材を煮てタラに火が通ったら出来上がりだ。

「夕飯できたよ。」

 と環奈を呼び、二人で最後の夕食をとった。


 月曜の朝、今日は環奈の入院日だ。

 昨日は憂鬱そうな感じもあったけど、シャワーを浴びた後によしっと気合を入れた声が聞こえてきた。お兄、これもってってもいい?とポータブルゲーム機を手にしていた。いいけど音漏れで周りに迷惑かけるなよというと充電器とイヤホンを鞄に詰め込む。今日は朝早いので満員電車を避けるためタクシーで病院にむかった。

 タクシーを降り、病院の受付で予約していた旨を伝え、少し待っているとナースが来て早速病棟に案内された。無菌室が空くまで準無菌室の大部屋になります、と言われ、見渡すと白いカーテンで仕切られた四つのベッドが備わっていた。ここまで来る途中にナースが受付の様な待機所と、その前に大きなデイルームがあった。デイルームでは同じ白血病患者が楽し気に会話していた。一見して感じたのは明るい病院だなというのが正直な感想だ。パジャマはレンタルしますかと聞かれ、お願いしますというと笑顔で少々お待ちくださいと言われた。待ってる間に主治医がきた。

「おはようございます、武藤環奈さん。」

 にっこりと穏やかな口調の主治医。

「兄の武藤和人と申します、妹をよろしくお願いします。」

 はい、と微笑む主治医。なんというか、全体的にアットホームな感じがする病院だ。前のがんセンターとは真逆な感じがする。

「がんセンターから資料は届いているので、今日は採血とレントゲンと心電図だけですね、準備ができたら血液内科にいってください。その後循環器科で胸部レントゲンと心電図ですね。」

 笑顔を崩さず優しい口調の先生だ。思っているとナースがレンタルパジャマを持ってくる。白いカーテンを閉め、パジャマに着替える環奈。

「お荷物の滅菌消毒しますね。」

 と、ナースは除菌クロスでスマホやポータブルゲーム機を拭き始める。環奈の着替えも終わり、渡された用紙を持ち血液内科に向かう。受付窓口に用紙を入れ、名前が呼ばれるのを待つ。他に並んでる人がいなかったせいか十分も待たずに名前を呼ばれた。

「行ってくるね、お兄。」

 昨日の憂鬱そうな表情とは打って変わった張りのある声。向き合う姿勢を決めたある種の覚悟を感じた。十五分くらいしてから用紙を持って環奈はでてきた。次はレントゲンと心電図だ。循環器科を探し、歩き回る二人。ようやく循環器科を見つけ、受付窓口に用紙を入れて待つ。ここは呼ばれるまで三十分くらい待たされた。診療時間も長かった。三十分くらい待ったか、環奈は手ぶらで解放された。

「主治医の先生判断待ちだって、戻ろお兄。」

 道すがら、デイルームに差し掛かったところで治療中の老婆とその身内が話してる姿があった。談笑している。ふと周りを見ると誰もが笑い、話し合っていた。

「随分明るい病院だなぁ。」

「そうね、重たい雰囲気ないね。」

 談笑してた老婆がこちらの視線に気が付き、

「あら、随分若い患者さんねぇ。」

 と声をかけてきた。

「武藤環奈、十六歳です、よろしくお願いします。」

「あら、じゃあ新しく部屋に入ってきたのは貴女なのね、よろしくね。」

 どうやら同室の患者らしい。気さくな感じの老婆だ。この病院の準無菌室患者は自由に出歩いて気を紛らわせているらしい。ペコリと頭を下げて病室へ戻る。

 それからどのくらい待ったか、三時間くらいだろうか主治医が入室してきた。

「結果が出ましたよ、白血球が大暴れしてますね、再発です。」

 再発の言葉にくらっときたが、環奈は毅然としていた。

「想定内です、がんセンターいた時の延長戦だと思ってください。」

 主治医の説明は素人の俺にもわかりやすかった。

「まず白血球を下げるスプリセルを服用してみましょう。それと今回は最初からピックを入れて減少した、もしくは副作用で減少する血小板等の補充と様々な副作用を回避するために輸血をします。あと抗生剤の点滴もしましょう。」

 スリプセルの副作用で頭痛、発熱などありますがと続ける先生。

「それと、がんセンターで一度登録してますが退院で再発なので改めて骨髄バンクに登録しましょう。寛解するには末梢血幹細胞移植しかありませんので。」

 実の兄妹の俺の骨髄は環奈には一致しなかった。

「あと、マスク着用であればデイルームや下のコンビニまで出歩いても大丈夫ですので多少運動してくださってかまいません。変わった方ではスポーツウェア着込んで歩き続けている患者さんもおりますので。」

 にこっと主治医。なんだか不思議と安心感をもたらしてくれる先生だ。

「骨髄注射は痛みと足の麻痺とかきついと思いますが、頑張って寛解目指しましょう。」

 よろしくお願いします、と二人で頭を下げた。

 俺は環奈にTVカード代二万くらい渡して頑張ろうなと声をかけた。

 うん、と力強く返事をした。いい環境に恵まれたなと思い、俺は病院を後にした。ただ一つ、先生が言わなかったことがある。前のがんセンターでドナー登録した際、移植をする事によって最悪一人で生活する事の出来ない、常に誰かの介助が必要な身体になる可能性があるというのを言わなかった事だ。考えすぎかなと思いながら帰路についた。

 たった四日間環奈と過ごした部屋に一人佇む俺。部屋がすごく広く、心細く感じた。環奈が抱きしめて丸まっていたクッションを抱きしめる。頑張れ、環奈ー。


 翌月曜の放課後、彩の指示で着々と文化祭の準備が整っていく。実際に営業を模擬テストした結果色々と欠陥が見えてきた。まず、水だ。学校の水を使っても温いため、各自二リットルペットボトルを半分凍らせて持ってくることにした。コーヒーだけじゃ物足りないという案も出て、クーラーボックス持ちとオレンジジュースを追加した。クーラーボックスは二個確保できたので一つは氷用だ。

 後はメニュー表作成と看板、ミニ看板でほぼ完成なので実際の机配置と接客練習のみの段階まできていた。当日教壇は教室後ろに配置したキッチン側に移動し、教室前四分の三は客席にといった感じだ。あまり接客係が多くても困りものなので接客は女子四人にし、キッチンは俺と他二名、後は現地スーパーで買い出し待機組と宣伝ビラ部隊だ。買い出し組は外と学校内でのリレー形式にするらしい。

「文化祭まで後一週間、形になったわね。」

 腕組みをして作業見つめ満足げな彩。

「そうだな、役割分担もできたし後は当日待つだけだな。」

 黒字になるように頑張ろうねと言う彩におう、と答える。

 敬之がコーヒー牛乳を飲みながら、

「こないだの試食の匂いでもう噂立ってるから忙しくなると思うよ~。」

「背中持てばいいんだけどな。」

 言いながら腕をクロスさせてストレッチをする。

「もう一人くらいオムライス作れる人選んだ方がいいんじゃないの~?」

「そうだな、でも厨房四人は動きづらいな。サンドウィッチ担当にも伝授しようか、レシピはあるし。」

 できれば時間のある土曜がいいんだけど、環奈との面会があるから明日食材買ってきて玉ねぎの効率のいいみじん切りから伝授するか。米はまだあるから炊飯器明日もってこよう。


 土曜日午後。

 厨房二人はもう俺のレシピ通りにオムライスが作れるようになったし、委員長彩にことわって一度帰り、環奈の面会にいくことにした。

 病棟の受付に面会者の名前を書き、環奈のいる準無菌室に向かおうとすると、デイルームの脇にあるエアロバイクを漕ぐ環奈を見つけた。必死に漕ぐ環奈の肩に手を乗せると息を切らせた環奈が振り向いた。

「あ、お兄。来てくれたんだ。」

「おお、思ったよりに元気そうだな。」

 気晴らしにいいんだよ、これ、リハビリにもなるしと笑う環奈。

「汗かいちゃったからシャワー浴びてくるね。」

 点滴棒にしがみつき歩く環奈についていくとデイルームの老婆が挨拶してくる。俺は軽く会釈し、準滅菌室の入り口の手洗い場で入念に手を洗い、ペーパーで手を拭いてマスクをつける。

 環奈は替えのパジャマとタオル、自宅から持ってきた下着とシャンプー、ボディソープを持ってトイレと併設されたシャワールームに入る。俺は環奈のベッドの近くにあった椅子に腰を掛け出てくるのを待っていた。出てきた環奈はN95マスクをつけ替えのニット帽を被っている。

「あ、これ替えの下着。」

 あ、ありがとうと環奈。汚れ物の下着は持ち帰って洗濯する。

「タオルはいいのか?」

「あ、これもレンタルだから。」

 除菌ティッシュで入浴前につかっていたN95を拭き始める。

 使い捨てじゃないのかと聞くと、うん、高いから使い回しと環奈。

「治療、辛くないか?」

 と聞くと、

「吐いたり熱出たり、キロサイドとステロイドとあとメソトレキセート骨髄注射は足が炭酸みたくじゅわ~っとして大変だけど、外に出て気分転換できるから平気。コンビニも散歩も自由だし。あーでも尿検査は面倒くさい。」

 薬名をだされてもちんぷんかんぷんだ。

 あ、そうだ。と環奈。

「庭にお散歩いこうよ、お兄。」

「ああ、ここ庭もあったんだっけ。」

「うん、あんまり広くないけど風があると心地いいんだよ。」

 デイルームの老婆があら、お散歩?いってらっしゃい。と声をかけてきた。俺は軽く会釈するだけだったが環奈は笑顔でいってきますと答えた。

 病院の中庭にあるベンチに腰を掛ける。

「そうそう、適合するドナーさんが二人もいて、血球落ち着いたら連絡して末梢血幹細胞移植だって。」

「早くないか?まだ入院して一週間だぞ。」

「今薬の影響で白血球が少なすぎるみたいだけど様子見だね。」

 どこか楽し気な環奈。トレーニングウェアをきたおじさんが環奈に手を振る。

「知り合い?」

「同室の人。皆優しくて楽しいんだぁ。あの人いるからリハビリがてら運動頑張ろうって思ったの。エアロバイク仲間。食事は皆でデイルームで食べるんだよ。」

 がんセンターにいた時の環奈はどことなく悲し気で儚く見えた。今はこんなにも笑顔を見せてくれる。ここの病院に入院できて本当によかった。

「環奈の顔見たら安心した、もう行くわ。文化祭も近いしな、あっちも気になるし。」

「そっかぁ。」

 寂し気な環奈の頭に手を乗せ頭を撫でて、

「また土曜日くるから。あ、でも次の土曜は文化祭追い込みでこれないかも。日曜かな。」

「うん、約束ね。あ、あと新しいゲームソフト欲しい。今の飽きちゃって。」

 おう、と答え、洗い物を手に取り俺は病院をあとにした。

 帰りはゲーム屋に寄るかと思いつつ、学校へ向かった。


「あれ~? お見舞いは?」

「様子見と洗い物回収だけだしもうすんだよ。」

 とコーヒー牛乳を飲む敬之に言葉を返す。

「あ、和人君、これどうかな?」

 と調理担当の二人がオムライスを持ってきた。包丁で卵焼き部分を割ってケチャップがかかっている。うーん、家の味。

「百点。よくできてる。」

 やったーと調理担当二人がはしゃぐ。

「あれ?あんたお見舞いいったんじゃないの?」

 試食でもぐもぐしてる俺に彩。

「ああ、済んだからこっち戻ってきた。」

「あんたね~、たった一人の家族じゃない。ちゃんと側にいてあげなさいよ。」

「正直薬とか療法聞いてもわからないしな、元気な姿見れて満足だよ。」

「喋ること少なくてもちゃんと側にいるの。あんたが満足しても妹さんが一人で不安に思ってたらしょうがないじゃない。」

 とりあえず様子見た感じだと別段寂しいとか不安そうには見えなかったんでへ~いと気の抜けた返事を返した。あ、それとと言葉を続ける。

「サイドメニューでサラダだすってどうかな?」

「却下。」

「えーなんでよ。」

「ミニ冷蔵庫一個だぞ、クーラーボックス二個も氷と飲み物で使うし、厨房人数も限られてるから完全にキャパオーバーだよ。」

「えー、サンドウィッチにサラダ、女生徒向けにいいと思ったんだけどなぁ。」

「無理なものは無理。それよりもネルドリップのコーヒーの方が気になる。一個じゃ煎れるのに時間かかるし、回転悪いぞ。」

 そこは大丈夫、と彩。魔法瓶のポットに作り置きしておくそうだ。でも煮詰まったら味落ちるぞといったら、予算あるし買いたしに百貨店いく?と言われた。そうしようと答え、一度洗い物を置きに自宅に戻る旨を伝え、百貨店で待ち合わせることにした。

 急いで支度をし百貨店で待ち合わせしていた彩に遅いと文句をつけられながら店に入っていく。店員を捕まえコーヒー器具類を扱っているところに案内してもらい、品定めをする。紙のドリップより使いまわせるネル生地を選び、ドリッパー他予備の紙皿とコップ、カセットコンロの予備ボンベを買って学校へ戻った。もう夕方だ。とりあえず調理担当を呼び、コーヒーの淹れ方を伝授する。新鮮なコーヒー豆を専用の計量スプーンですくいを電動ミルで挽き、ドリッパーに挽いた豆をネル生地にいれる。そこに熱いお湯をさっと一かけすると粉上のコーヒーがふわ~っと盛り上がる。これを崩さないように少しずつ湯を注ぎ、中で蒸らしながらコーヒーを煎れる。盛り上がったコーヒーを崩さないのがいいコーヒーを煎れるポイントだ。

「へい、お待ち。」

 煎れ終えたコーヒーを彩と厨房二人に差し出す。

「あんたってなんでもできるね。」

 ふふんと鼻を鳴らし試飲を促す。

「新しいネル生地だから最初は馴染むまで布の匂いが残るから、当日までは新しいネル生地使って慣らすぞ。」

 そういって厨房二人にもコーヒーを煎れさせる。最初は盛り上がった山を崩してしまうが、こればかりは慣れてもらうしかない。

「確かになんか布っぽい匂い残ってるね。」

「使って干してを何日かやれば馴染むよ。大丈夫、間に合う。」

「あ…コーヒー豆とスティックシュガー買い足しておかないと。」

「スキムミルクもあったほうがいいな。」

「メニューにカフェオレも足さないと…。」

 ぶつぶつと彩。これだけ準備しててもまだ抜かりがあるが、後一週間もあるし大丈夫だろう。この時はまだ背中の痛みが酷くなるとは予期していなかった。

 次の土曜午後、委員長彩はビラコピーで職員室に駆け込んでいた。彩の案でビラ持参者には二十%オフの文字が記載されている。看板の飾りつけも済み、ミニ看板も完成していた。後は本番の月曜から三日間でどれだけ黒字をだせるかだ。今のうちに教室内を食堂へと切り替えるべく机を並べていた。余った机は廊下に出して積み重ねている。食材はそれぞれ日曜に買い出して月曜日に持ってくる予定だ。あと中華鍋洗う竹製のササラは俺が持ってくるとして、大きめな洗面器二個用意しなきゃと思い彩に洗面器一個持ってくるように頼んだ。準備は万端、高揚感に月曜日が待ち遠しい。

 日曜日は環奈の着替えを持って見舞いにいってきた。またエアロバイクを漕いでいる。このアクティブな姿を見ていると本当に血液癌患者かと思ってしまう。肩に手を乗せ呼びかけ、また環奈のシャワーを待って中庭にでることになった。

「調子どうだ?」

「まだ吐き戻しあるけどちゃんと食べてる。白血球上げる薬飲んで血球もあがったって先生が言ってた。」

 正常値になったということかな。環奈は笑顔で言っていた。

「あとお兄が来ない間に無菌室があいて明日からそっちにいくことになったよ。」

「無菌室か~、キャップかぶったりソックスはいたり面倒なんだよな。」

「それは仕方ないよ。蜂駆除業者みたいな恰好だけど。」

 と笑った後、個室だからまた一人になっちゃうけどねと少し寂しそうだった。大部屋がよほど居心地良かったんだなと同室の人に感謝した。

「それよりお兄、新しいゲームソフト買ってきてくれた?」

 あっ、と短く俺。文化祭の忙しさに追われててすっかり忘れていた。

「約束したのに~。」

 と残念がる環奈。ごめん、次は必ず買ってくるからと手を合わせて謝る。絶対だよ、と言い環奈は立ち上がって点滴棒にしがみつく。もう中庭はいいのかというと、

「うん、病院内歩く。ちょっとでもリハビリしないと。」

 俺は環奈の散歩に付き合い、病院内を歩き回った。途中病院内のコンビニで菓子と雑誌を購入し、準無菌室に帰る。病棟に戻り、受付表の前に立っていたナースから主治医が探していたと聞かされ、待つことにした。待ってる間に環奈はシャワーをすます。あの感じのいい先生が入ってきた。

「武藤さん、嬉しいお知らせですよ。ドナーさんが最終同意してくれました。」

 とニコッと笑う。

「寛解と言ってもいい状態ですので移植は十一月二十日にしましょう。」

「ありがとうございます、同意してくれるか不安だったので嬉しいです。」

「どうされます? 移植前に一時退院されますか?」

 と主治医の言葉に環奈がこのまま入院しています、と答えた。意外だった。てっきり喜んで退院すると思っていた。

「いい状態が続いているのでまた家に帰って再発になったら、次ドナーさん気変わりして同意取り下げになっちゃったら困りますので…。」

「そうですか。移植されても生着不全やGVHD、ドナーの幹細胞から新たに生まれた白血球が患者の体内で異物とみなされ、様々な症状を起こすこともあり命を落とす可能性もあります。移植前に退院して有意義な時間をとるというのも選択の一つですが。」

 頭を鈍器で殴られた感じがした。移植で喜んでいたら同時に余命宣告された気分だった。そんなリスク抱えているならこのままでもいいんじゃないかとさえ思えた。

「お兄、このままでもいつか感染症とか緩和ケアでどっちにしてもいいことないの。だからお願い、このまま移植やらせて。」

「もしドナーさんの幹細胞が合わなかったら臍帯血移植という手もあります。しかし臍帯血よりも幹細胞移植の方が寛解される可能性が高いです。」

「お願い、お兄。寛解したいの。」

「先生、寛解率ってどれくらいの可能性なんでしょうか?」

「概ね80%ですね。勿論、生着不全だった場合はそこからまた対処します。」

 俺は悩んでいた。環奈の言う通りいくら気を付けててもいつ感染が起こるかわからないし、感染症を患えばそれは死に直結する。先生の言う様々な症状も病院にいれば何かしらの対処で生きながらえることもできるだろう。何より成功率は80%もあるんだ。このまま指を咥えていても必ずどこかで環奈を失うよりは…。

「先生、環奈の事、よろしくお願いします。」

「お兄。」

 わっと抱き着いてくる環奈。

 では十一月二十日でスケジュール組みますね、と主治医はニコリと笑顔を浮かべて去っていった。GVHD、帰ったらネットで調べてみよう。環奈の新しい下着を渡し、汚れ物を鞄に詰めて今日は帰ることにした。

 自宅に戻った俺は早速PCを立ち上げ、GVHDについて調べた。GVHDには、移植後百日以内に発症する急性GVHDと、移植後三ヶ月以上経ってから現れる遅発性のGVHDがあるらしい。移植後一、二週間で現れるものがあり、これに対し予防のために免疫抑制剤やステロイド剤が投与されるとのこと。新しい血液造血システムが何かしらの障害を起こすことは当たり前で、患者なら誰もが通るべき道というということで少しほっとした。対処療法はあるんだ。環奈を失わずに済むとわかった時点で力が抜けていた。調べて安堵したら明日の文化祭のことが気になりだした。ああ、ペットボトルで氷水作らなきゃ、と思い2リットルのペットボトルに水を入れ冷凍庫の中へいれる。炊飯器は学校に置きっぱなしにしたし、晩御飯はスーパーでお弁当にでもしようと思い、買い出しにでかけた。ああ、洗濯もしなきゃと思いながらスーパーに向かう。何かおぼつかない感覚に陥っていた。


 月曜日文化祭当日。割と空いてた午前中に炊飯器をフル稼働して計量器で百五十グラムを計測し、サランラップに包んでいく。同時に鶏肉、玉ねぎのみじん切りを先に作り置きしてタッパーに詰めて冷蔵庫へ入れておく。昼時、思ってた以上に客の入りが激しく教室は戦場と化していた。次々にテーブルに張られていく注文票。ほとんどの客のお目当ては思った通りオムライスだ。作り置きしておいた米と玉ねぎ、鶏肉はすぐになくなった。教室の外には行列ができている。コーヒーはあまりでず、オレンジジュースか水の注文ばかりだ。おかげで用意していた氷がどんどんなくなっていく。鶏肉も玉ねぎももう少ない。買い出し部隊に連絡を取り、氷とオレンジジュース、鶏むね肉と玉ねぎ、ケチャップと卵十パックを大至急買ってくるように要請した。買い出し部隊先頭に立っていたのは敬之だ。スーパーで買い物して外で待機している自転車部隊に購入物を渡し、校内で別動隊が受け取り品物が届く。ラッシュは午後二時過ぎまで続き、そこからやっと客層はコーヒー目当ての客がまばらに入ってくる感じになった。彩にお疲れ様とコーヒー牛乳を渡される。へとへとだ、これが後二日続くのか、背中もつかなと思った。

「初日からこれだと明日以降もっとお客さん来そうね。」

 と彩。勘弁してくれ。

 彩の予想通り、次の日はもっと凄かった。お前ら朝飯食って来いよって時間から客が入り始めたのだ。中には教師達まで食べに来てた。早くも行列ができはじめ、もはやまったりできる喫茶ではなくお食事処だ。おかげで朝から背中の痛みが激しい。ふと環奈を思い出す。環奈は今これ以上の苦しみに耐えているのに兄貴の俺が音を上げてどうする、思いながら鍋を振った。午後二時過ぎ、今日もこの時間でピークは終わった。昨日よりも客は多く買い出し部隊もへろへろだった。お疲れ様と、また彩がコーヒー牛乳を差し入れてくれた。サンキューと言いながらコーヒー牛乳を飲む。

「明日で終わりね。」

「ああ、めちゃくちゃ大変だけどやっと終わる。」

「和人、明日夕方空けときなさいよ。」

「なんで?」

 いいから空けときなさいと言い、彩は去っていった。なんとなく意味はわかっていた。文化祭最終日はグラウンドで薪を積んでキャンプファイヤーをし、その周りで生徒が踊るのだ。ありがちだが曰くがあり、踊った生徒はカップルになるという伝説がある。彩が俺に?まさかなーと思いながらコーヒー牛乳を飲む。

「和人さん、オーダーです。オムライス二個。」

「はいよ。」

 今日最後のオムライス客は教師だった。コーヒーも飲みゆったり時間を過ごしているのを見て、何くつろいでんだと割と本気で思ってしまった。買い出し部隊を撤収させ、各々学園祭楽しむように連絡を入れた。俺は厨房を離れることができないので、他二名の厨房を手伝ってくれている女子と接客係にも文化祭を見て回るように告げた。昨日もそうだったが、この時間になるとコーヒーを飲みに来る客がほとんどなので一人で事足りる。さて、もうひと踏ん張りしますか、とコーヒーを煎れた。

 文化祭最終日、今日も今日とて朝から行列だ。行列二列目まできてるらしくこの三日間で一番多い客の入りようだ。食べ納めと食べれなかった人が集まるかなと思って多めに材料仕込んでおいて正解だった。昨日とは違う教師達と担任教師も来た。これが終われば背中の痛みともおさらばできると思い、必死に鍋を振るう。最終日もピークは午後二時過ぎで終え、後はまったり喫茶タイムだった。

「和人さん、後は私達でできるんで文化祭見てきてください。」

「そうそう、和人君今年の文化祭は今日で最後だからゆっくりまわってきて。」

 厨房女子二人に促され、

「そうか? 任せていいのかな?」

「うん、彩も今年文化祭まわってないから一緒にいってあげて。」

 チラッと入り口をみると彩がこっそり覗いていた。パッと隠れたがバレバレだ。

 買い出し部隊に撤収連絡を入れ、彩と二人で文化祭を見て回ることにした。まずは腹ごしらえだ。他クラスの焼きそばを食べ、体育館に演劇を見に行く。一演目見終わってもっと見て回るために外へ出たら露店がたくさん並んで、まるで縁日の様だった。芝生に座り焼き鳥をコーラで流し込んでいるともっと回ろうと彩に手を引かれた。背中痛いからゆっくり座っていたいんだけどなと思いつつ、手を引かれるまま彩に連れまわされた。途中、うちの店が気になり見に行ったら満席状態で、よく見るとうちのクラス連中だった。皆オムライスを食っている。手伝おうかといったら和人君は文化祭楽しんできなさいと厨房から締め出された。もう十分見て回ったんだけどな、と思い空いてる席に座る。もっと見て回ろうよと彩に言われたが、背中が痛くて動けないといったら面白く無さげに正面の席に座り、コーヒー二つ頼んだ。

 時刻はもう夕方。グラウンドでキャンプファイヤーの準備がされている時間だ。客足もすっかり途絶え、閉店準備をしている。教壇を元に戻し、机と椅子を並べる。機材は後ろにまとめ、教室内は普段通りに戻っていた。時間は夕方を過ぎ、辺りが暗くなり始めた頃、彩が行こうと手を引く。察しはついている。予想通りキャンプファイアーの前まで連れてこられ、踊ろうと言われた。踊ろうと言われても盆踊りくらいしか覚えてない、しかも遠い記憶なのでうろ覚えだ。スピーカーから流れるBGMに合わせて適当に回ったりしながら踊ってみた。彩もそんな感じだ。周りを見ると他の奴らも適当に踊っている。特にこれといった踊りではないらしく少しほっとした。周囲から冷やかしとヤジが飛ぶ。敬之も俺を見て裏切り者ーと罵っていた。そんな中彩がくすっと笑った。

「どうした? 俺の踊り変か?」

「違うわよ。」

 なおも笑う彩。頭の中が疑問符でいっぱいになった。

「和人、結構女子に人気あるのよ。」

「そうなのか?」

「うん、特に今回の文化祭で人気上がったんじゃないかな。」

「そうか?」

 踊りながら彩はうんと答えた。

「気づいてないかもだけど文化祭相当黒字になったんだよ。」

 へぇ、と短く俺。

「実際出し物仕切ってたの和人だし、指示も的確でクラスまとまってたの和人のおかげなんだよ。」

 まぁ確かにオムライス作りから始まって俺が仕切る形になってたけど、

「いや、それは彩が真面目に取り組んだ成果だろ。俺なんて炊事仕切ってただけだし。」

 ここでBGMがバラードに変わった。

「和人…」

 バラードでどう踊ればいいのかわからず、

「背中痛いからあっちで座ってるな。順番待ちもいるみたいだし。」

 言いながらクラスの奴らいる方に向かって歩いていると、クラスの奴らからああ~っと感嘆のため息が漏れた。彩も一緒に戻ってくる。俺は芝生に座りキャンプファイアーを眺めていた。敬之が小声で何やってんだよ、せっかくのチャンスなのにと両腕で自分を抱きしめてむちゅーっと唇を突き出して言ってきた。彩は面倒見がいいし、いい奴だとは思っているがそういう対象では見てなかった。それに万が一そうなってもその場の雰囲気に飲み込まれて口づけでもしようものなら生活指導が一気に止めに来るだろう。もっとも、毎年恒例の様に一組二組はあるからキャンプファイヤーカップル伝説が生まれたらしいのだが…。ちらほらと人が少なくなっていき、そろそろ帰ろうとしていた矢先、

「さぁ、クラスに戻って打ち上げよ。」

 と彩が言い出した。担任の許可はとってるらしい。

 クラスの奴らがおおと色めき立ち、各々クラスへ行く。ほら、行くわよと彩に手を引かれ、クラスへ戻った。クラスにいくといつの間にか打ち上げの準備はされていた。菓子数袋とクーラーボックスで冷やされた炭酸飲料だ。

「えー、今回の文化祭、皆さんの頑張りで黒字収支で終わりました、拍手ー。」

 おおーと歓声とともに拍手が鳴る。彩は飲み物を持ち、

「では、催し物大成功を祝しまして、かんぱーい。」

 と紙コップを高々に持ち上げた。かんぱーいとクラスから沸き起こる。

 「皆お疲れー。」

 と方々を労って回る彩。俺は背中の痛みから椅子に座っていた。

「いやーオムライスうまかったよ。」

 と言い、あまり話したことのない連中が紙コップ片手に寄ってくる。

「マジ、プロの味だよな。」

 と称賛の声、内心嬉しかった。その言葉にサンキューと答えた。

 今更だけど達成感に包まれてまんざらでもなかった。

「お前らも買い出しサンキューな、助かったわ。」

「おお、猛ダッシュしたからな。」

「一番楽だったの敬之じゃね?買い物するだけ。」

 ちょっとちょっとーと笑いがこみ上げる。

「やっぱMVPは委員長と和人だな。」

 この言葉はちょっと照れ臭かった。

「キャンプファイアーの続きここでやっちゃえよ。」

 ヒューヒューっと冷やかしの声。

「ちょ、何言ってるのよ、ぶつわよ。」

 と耳まで赤くする彩。俺も察して体温が上がる感じがした。こうして終始笑いが絶えず、担任教師がいつまでやってるんだーとの一言でお開きになった。


 十月末、中間テスト。

 普段から授業中突っ伏したままの俺はそれなりの点数しか取れなかった。元々高校卒業したら調理師専門学校に行こうと思ってる俺にとってはテストは赤点とらずに無事進級できるだけでよかった。敬之も大学へは行かず就職目指すと言ってたので俺同様赤点免れればそれでいいらしい。真面目な彩からはだらしないと言われたが、目指すもの見つけに大学行く奴らよりはよっぽど将来考えていると思う。これを彩に言ったら正論に聞こえたのか、ぬぅと口をつぐんだ。

 

十一月土曜。

 俺は毎度ながら環奈のいる病院へ向かう。

 無菌室に入るのは一苦労だ。まず入室記録時間を記入し、マスクとヘアキャップをつける。この時気を付けなければならないのは髪と耳全て覆うように着用すること。次に滅菌ソックスを靴下の上から履き、ズボンの裾までしっかり覆いかぶせる。そして一時扉を抜け、洗面所での手洗いだ。液体の石鹸水で手のひら、甲、指の間を丹念に洗う。勿論爪の間もだ。ついで手首と肘まで洗う。水で丁寧に落とし、ペーパータオルでしっかりと拭き上げる。次に更衣室用のスリッパに履き替え、クリーンシューズを取り出し管理エリア内に置く。消毒用エタノールを手によく擦り込み手袋をはめる。手袋をはめる際は外側を素手で触らないように注意が必要だ。そして手袋にも消毒用エタノールを振りかけよく擦り込む。滅菌済みの無塵衣をパッケージから取り出し、ファスナーを上げて汚れないように頭と袖を掴んで椅子に座り、まるで全身タイツの様な無塵衣を床につかないように気を付けて着込む。袖口にエタノールを擦り込み、袖を手袋の中に入れる。更衣室用スリッパからクリーンシューズに履き替え、エアシャワー室内に入る。ここまで徹底してようやく無菌室内の環奈に会えるのだ。

「お兄、蜂駆除の人みたい、誰かわからないよ。」

 環奈の首に管が刺さっていた。

「あ、これ? CVカテーテルって言うんだ。麻酔痛いし音聞こえるしすごい怖かった。ここから末梢血幹細胞移植するんだって。」

「もうちょっとの辛抱だな…。」

「うん、あ、お兄。毎回蜂駆除大変でしょ、電話ついてるからそこからでも話せるよ、姿もガラス越しに見えるし。正直、その姿だとお兄にみえないから。」

 テスト期間中様子を見にこれなかったが元気に笑う環奈。色々話した。文化祭で鍋振りすぎて背中の微細断裂が悲鳴あげるくらい大繁盛したこと、出店が縁日みたいで楽しかったこと、キャンプファイヤーで彩と踊ったこと。

「キャンプファイヤーって伝説の?」

 数ヶ月しか学校通ってなかったはずの環奈が知ってるくらい大イベントなんだな、あのキャンプファイヤー。

「ふーん、踊ったんだ。」

 ちょっと不機嫌そうに環奈。なんか雲行きが怪しい、話題を変えよう。

「学校の中間テストは赤点こそとらなかったけど散々だったよ。」

「ふーん、妹が吐き気と熱で頑張ってるのに、踊ったんだ。」

 まずい、話が変えられない。

「どんな人?今度ガラス越しでいいからスマホで写真撮って見せてね。」

「あ、はい…。」

 と、ここまでのやり取りで環奈は笑い出した。

「冗談だよ、お兄。それよりも新しいゲーム。」

「いや、無菌室に持ってこれるかわからないから買ってないんだよね。」

 またちょっと不機嫌そうになる環奈。

「除菌クリーナーで拭けば多分大丈夫だよ。ゲーム機もスマホも持ち込んでるし。」

「スマホでゲームすればいいじゃん。」

「すぐ通信制限かかっちゃうもん。TVもニュースばっかで見るのないし。」

「わかった、今度買ってくるよ。」

「約束だからね。あ、それと今度彩さんに会わせてね。」

「あ、ああ、じゃあ今日これで帰るな、またくるから。」

 言い残し、無菌室をでた。クリーンシューズの裏を除菌クリーナーで拭き、座りながら無塵衣を床につけないように脱ぐとかこれまた面倒くさい。最後に退出時間を記載して病院を後にした。


 十一月十九日。

 明日は環奈の末梢血幹細胞移植の日だ。心がざわついて仕方ない中、次の授業の体育で着替えている中、最初に光を見て倒れた時病室が一緒だったあまり交流もなかったクラスメイトが接触してきた。

「武藤君、背中見せて。その湿布。」

 俺は察してシャツをめくり、背中を見せる。

 ペタリ、ペタリと温湿布を張ってくれるクラスメイト。

「前にもこんな光景見た記憶があるんだよね。」

 その言葉に違和感を覚え、記憶を探っているとふと思い出した。

 背中の手当てをしてくれた者といえば、あの間者しかいない。そうか、こいつだったのか。張り終えてから、ごめんの一言。よく意味が分からなかった。

「いや、湿布ありがとう。」

「…三郎って武藤君でしょ。」

「…どうして?」

「なんとなくそう思ったんだよね。だからごめん。」

 謝られる意味が分からなかった。話を聞いていた敬之が間者だったクラスメイトの胸倉を掴んだ。

「お前が…お前がちゃんとしてたら…。」

 どうしたどうしたとクラスメイト達がざわつき始める。

「待てよ敬之、夢と混同するなよ。」

「でもこいつのおかげでお前が…。」

 予鈴がなり、敬之は胸倉を掴んだその手を離した。

 先に行くといい、敬之はロッカールームを出て行った。

 体育館にいくと敬之は壁側に座っていた。隣に座る俺。

「さっきはどうしたんだ、急に。」

「別に~。」

 と普段の敬之に戻っていたようだった。

「今日はサボる口実ないだろう。」

「うん、順番周ってきたらでるよ~。」

 すぐに敬之の出番がまわってき、普通にバスケをしている。夢の中の間者役だった奴が隣に座る。

「さっきの続きだけど、約束守れなくてごめん。」

「…確かに俺が見る夢は三郎だけど、リアルじゃないし謝られても困るぞ。」

「なんとなく、心にしこりができてるみたいで嫌だったんだ。」

 ふーん、とわけのわからない俺は気の抜けた返事をした。思い当たる節がないので謝られても困る。実際悪いことされたわけでもないし。敬之がシュートし、外したボールをチームメイトがキャッチして再度シュートをする。沈黙が流れる。結局、この後も何事もなくバスケは続き、体育の授業は終了した。俺は女子のバレーボールコートを何時ものように折り畳み、倉庫へ片付けた。鉄柱を持ってくる彩。

その時、扉が不意に絞められた。

「あれ?開かない。」

 どんどんと扉を叩き、誰よ閉じ込めてるの、開けなさいよと彩。

 文化祭以降、どうしても俺と彩をくっつけたいクラスメイトがいるらしい。倉庫の鍵を持ってるのは彩なので、外から手で扉を押さえているようだ。

「まったく、なんなのよ。」

 と、ここで二人きりの状態に顔を赤らめる彩。

「時間たてばそのうち予鈴で押さえてるやつもいなくなるよ。」

「そう、そうよね。」

 と首元を扇ぐ。話題を逸らそうと彩は、

「そういえば明日よね、大事な手術。休むの?」

「ああ、付き添いで明日は欠席する。」

「そう、うまくいくといいわね…。」

 会話はそこで止まったきり、何となく気まずい雰囲気が流れた。

「そうだ、環奈が彩の写真見せろっていってたな。」

「どうして私の写真?」

「文化祭のキャンプファイヤーの話してたら写真見たいって。」

 あーっと右手で目元を押さえて彩は感嘆の声を漏らした。

「そりゃそうなるわよね。」

「写真撮るぞ。」

 ポケットからスマホを取り出す。

 あーちょっとちょっと、と制止する彩。

「体育で髪乱れてるから今はやめて。」

 髪型を整えているが構わずパシャリ。ちょ、今はダメだってばと両手を差し出して慌てて止めに入る姿をパシャリ。うん、いい絵が取れた。

「も~、後でちゃんとしたの撮ってよね。」

「いや、これ面白いからこれで。」

 面白画像撮ってどうするのさとブツブツ文句を垂れている。そこで予鈴が鳴り、扉は解放された。着替えを済ませ、教室へ戻るとクラスメイトがにやついてた。全員共犯か。席に座り、教師が入ってきた後で鍵を職員室に返しに行ってた彩が遅刻して教室にはいってきた。不機嫌そうなオーラにクラスメイトのにやつきが止まり、授業は再開された。

 次の日、ドナーの末梢血幹細胞が届くのは夕方になると連絡を受けた。その日学校欠席を申し出ていた俺は正直時間を持て余していた。することがなくGVHDと寛解をネットで調べたりと悪い方向へ感情が支配されていくのがわかる。何かで気を紛らわせないとと思い、欠席を申し出ていたが学校へ行くことにした。

「あれ、和人今日欠席じゃないの~?」

「ああ、手術夕方からだからそれまで暇でな、学校きた。途中で早退するけど。」

「あ、和人写真。次の休み時間撮って。」

 授業中なのでこそっと喋る。

「いや~あれでいいよ、面白いし。」

「面白画像じゃなくちゃんとしたの撮ってよ。」

 へ~いと生返事を返し、普段と変わらず机に突っ伏した。それでも一人で悶々と時間を過ごすより気は紛れた。次の休憩時間、彩は髪を整え薄化粧した姿を現し、撮ってとすごんできた。俺はその圧に負けて写真を撮ったが、環奈に見せるのは面白画像だ、残念、彩。

 時間も差し迫り、学校を早退して病院へ向かった。

 俺は無菌室には入らず、ガラス越しに環奈の様子を伺っていたところ、

「ドナーさんから末梢血幹細胞が届きましたよ。」

 とナースがパック詰めされた液体を見せてくれた。この先合併症や重度のGVHDが起こる不安もあったが、移植が始まった。環奈は笑顔だった。ガラス壁に張り付いてみてると、三時間弱かかるので座ってお待ちくださいとナースが丸椅子を持ってきてくれた。腰を掛け、生着を祈る感じで待っていた所、俺はまた三郎になっていた。


 頼朝軍再挙兵の報せは片田舎の俺の村まで届いていた。頼朝軍は安房で挙兵し進軍中、東国武士がこれに参入し大群になって鎌倉に入ったとのこと。甲斐の国で挙兵した甲斐源氏らは駿河国目代を討ち取ったり、その両者が駿河国で合流し二万五千騎に膨れ上がり、更に続々と源氏に加勢し数万の軍勢が鎌倉入りをした。

 大庭景親により清盛に源氏挙兵の報せが入り、急遽追討軍が派遣される。俺の村からも出せるだけ駆り武者を出すように報せが届き、平維盛を総大将に総勢七万の軍勢に膨れ上がっていた。ただし騎兵は四千騎と少なく、士気も低かった。

「また戦なのね、三郎。背中の傷も癒えてないじゃない。」

「皮一枚くらいどうということはない。」

 胴丸を着こみ、矢筒を背負って兜の緒を絞め戦支度をする。今回は近隣の村からも駆り武者を率いて総勢四十名での進軍となった。馬一騎は権左に与えた。

「三郎、約束。今回も必ず生きて戻ってきてね。」

 辟邪の武と呼ばれる弓を使った厄災のまじないで送り出される。

「ああ、約束だ。生きて再会しよう。」

 村に集まった駆り武者をまとめて出立した。

 まずは千騎率いてる大庭景親に加わり、平維盛の軍に合流しようとする事を念頭に歩を進めた。大庭景親に無事加わり、

「おお、これは石破三郎殿ではないか。今回は手勢が多いな。」

「はっ、お久しゅうございます。頼朝軍も数万騎であると伺いますれば駆り武者は多いに越したことはないかと。」

「これより駿河の総大将、平維盛様に合流する。しかとついてまいれ。」

「はっ。」

 俺は大庭景親と合流する前に自分の率いてる兵に坂東武者の恐ろしさを伝えていた。合戦では兵は討たれた時中断し、弔うのが戦の作法だが坂東武者は親が討たれようが子が討たれようが進軍を続ける羅刹の集団であること、坂東武者一騎で京武者二十騎討てること。故に生きて帰りたくば無理せず逃げることを奨めていた。これで坂東武者の噂は軍に流れるはずだ。確信しながら軍を進め、平維盛の軍に合流する前に相模国で甲斐源氏と遭遇、交戦した。狙い通り士気の低い大庭景親軍は苦戦し、ある者は討たれ、ある者は逃亡し散り散りになり、大庭景親軍千騎は軍を解散し逃亡することとなった。俺はというと甲斐源氏に寝返り、平家の首を手土産に甲斐源氏へ降りた。大庭景親は甲斐源氏の手に落ち、降参するが斬られた。俺は間者との密約を話し、俺と共にする駆り武者はそのまま平維盛の軍に合流して噂の流布を継続するよう命令を受けた。

 同日、富士川を挟み西岸に平氏、東岸に源氏が陣取り、俺は平維盛の軍に合流する。ここでも坂東武者の噂を流布し、寝返りと逃亡を促した。数に勝る平家は戦場に遊女まで呼び、どこか遊び気分だった。或いは初陣となる平維盛は戦場に優雅に華を持たせたかったのかは不明だ。しかし内情は裏腹に、圧倒的に負けている騎馬武者の数と噂の流布で士気は低かった。甲斐源氏との密約で噂の流布と寝返り活動の他、夜討ちをかけた際に源氏の強襲を大声で伝える役目をおっていた。混乱に乗じて平家を討つ算段だ。

 どちらから仕掛けることもなく、両者は睨みあったままだった。背後では遊女と戯れている平家。まもなく夜が来る。打ち合わせでは夜半過ぎに甲斐源氏が川を渡る手はずになっていた。まだかまだかと心がはやる。徒歩武者、駆り武者達もいつくるかわからない強襲に怯えているようだった。

 夜半過ぎ。刻は来た。その時、甲斐源氏が川に入る際の音に驚いた水鳥が一斉に飛び立った。打ち合わせ通り俺は叫んだ。

「源氏の夜討ちだー!強襲がくるぞー!」

 水鳥の羽音はまるで軍勢の様な音ですぐそこまで攻められているかのような錯覚すら覚える轟音だった。

「源氏の夜討ちだー!」

 何度も叫んだ。混乱に陥った平家は無様なものだった。馬を杭に繋いだままぐるぐると回りだす者、騎馬に踏みつぶされる遊女もいた。すぐそこまで甲斐源氏がきている。俺は毛抜き型太刀を抜き、逃げる平氏の徒歩武者を斬った。俺の様に寝返る駆り武者もいた。七万の軍勢が一挙に逃げ惑う。とにかく目の前にいる武者を背中から斬る。太刀を合わせる相手はいなく、脱兎の如く逃げる平氏軍勢。この後は甲斐源氏と合流し、追撃戦を始める予定だ。

「石破三郎、甲斐源氏に加担する!」

「三郎、これでいいのか!?」

「ああ、間者との密約通りだ!」

 言いながら逃げ遅れた平氏の徒歩武者を斬って捨てる。権左もそれにならい、太刀を振るった。すると、甲斐源氏から矢の雨が降り注がれた。

「何故だ!何故俺達に弓を引く!?」

 流れ矢を太刀で払いのけるが、払いそこなった矢が左肩に刺さる。しくじった。こちら側にいる以上、俺達は平氏なのだと察した。矢を抜きながらさらに叫んだ。

「石破三郎、甲斐源氏の者ぞ!」

「三郎、だめだ!聞く耳持っちゃいねえ!」

 次々に放たれる矢にもはやこれまでと思い、

「石破三郎の兵達よ、撤退だ!各々撤退だ!」

 俺と権左は馬の踵を返し、走った。総大将の維盛も撤退している。追撃の矢は止まらず雨の様に降り注ぐ中、ひたすら馬を走らせた。気が付くと周囲に同郷の兵はおらず、俺と権左が並走しているだけだった。

「おのれ源氏め、このまま遠江に帰る!」

「おう!」

 後方では寝返ったはずの平氏が餌食となっていた。

 おのれあの間者、たばかったな。腸が煮えくり返るとはこのことかと思いながら馬を走らせた。

 このままでいいよ、三郎。もう戦にもでないで税を払って慎ましく生きていくの。いつぞやの千早の言葉が脳裏をよぎった。

 帰ろう…。

 生きて帰って再会の約束、ちゃんと守るぞ。思いながら馬を走らせているうちに源氏の追撃はやんでいた。良かった、約束は果たせそうだ。遠江に入り、村の方角を見ると煙が上がっていた。炊事の煙ではないのは明白だった。

「何があった!?」

「ありゃあ村が燃やされてるんじゃ…」

 権左の言葉に心が急いた。

「いくぞ!」

 村に着くと、竪穴式住居は全て燃やされていた。人影もない。

 なにがあった。

 そこにあの間者が現れた。

「おのれ源氏!どの顔で俺の前に立つか!」

 憤る俺に乾いた声で間者が答える。

「あの時西岸に立つ者全てが平氏。疾く逃げおおせるのが正解でございました。名乗りを上げ源氏につくと豪語されたのを聞いていた者がいたのでしょう。それを聞いていた平氏が寝返りの見せしめに村を焼き討ちになされました。」

 聞きながら俺は千早を探していた。

 ふと、自分の家から人影が見えた。千早だ。

「千早…?帰ってきたぞ。」

「三郎…?」

 権左が怪訝そうに名を呼んだ。

「千早、何も得るものはなかったけど、ちゃんと生きて戻ってきたぞ、ほら。」

 両手を広げて千早に見せる。

「…千早?」

 すっと身を引く素振りを見せる千早。

「ごめんなさい、三郎。あなたは約束守ってくれたけど、私は無理だったみたい…」

「何を言ってるんだ、千早。こうして再会できてるじゃないか。」

「ごめんなさい、三郎…。」

 さらに身を引く千早。

 謝りながら家のあったほうを指さす千早。

 そこには誰のものかもしれない黒焦げた死体が燃えカスとなった藁ぶき屋根の下に転がっていた。

 空気に溶けていく千早。

「…もうダメみたい。」

「待って、待ってくれ千早…。」

「約束、守れなくてごめんなさい…あなたは生きて…」

 完全に消え去った千早の幻影、俺は黒焦げた千早を抱きしめていた。

「平維盛はこの遠江に滞在しております、敵を。」

「いや…平家を打倒するには力が足りない。お前、今度はちゃんと力を貸せ。甲斐源氏でも頼朝公でもいい、合わせてくれ。」

「甲斐源氏、頼朝公が遠江へと本格的に進出し平家方を追撃して上洛しようと望んでおります。その際には必ず…。」

 言葉を残し、間者は去った。空虚な気持ちだけが残り、同時に平家への恨みも募りやりきれない後味の悪い結果となった。


 はっと意識が戻ったがまだ移植は続いていた。どのくらい時間が経過したのかスマホで確認するとまだ一時間も経っていなかった。移植まで三時間弱、あと二時間もある。長い。時折立ち上がり、無菌室のガラスの向こうで処置を行っている環奈の様子を伺う。ふと三郎を思い出す。果たせなかった千早と約束、まさか俺達もそういう結末になりはしないだろうかと不安が募る。合併症が起こるかも知れない不安や重症のGVHDが起こる不安も払拭できない。最後の家族を失かもしれない。そんな考えばかり脳裏をよぎる。

 不安をよそに時間は経ち、気が付けば三時間経過し、環奈の末梢血幹細胞の移植が終わっていた。ほっと一息つけていたところに主治医がでてきて、

「まだまだこれからです。無事生着してもGVHDの発症があるかもしれませんからね。大体四~五十日は無菌室生活です。がんばりましょう。」

 と笑顔を見せる主治医。差し入れは大丈夫か聞いたら、除菌クリーナーで滅菌したものなら良いとのことだったので早速環奈に新しいゲームソフトを渡したいと告げ、ナースが除菌クリーナーで丁寧に拭き、環奈に渡した。

「順当にいけば生着か不生着かわかるのは十二日くらいですね、好中球が五百超えて三日も続けば無事生着でしょう。」

 専門的なことはわからないので、よろしくお願いします、と頭を下げた。

「おまかせください。」

 ニコリと主治医。

 汚れ物の洗濯や差し入れは大丈夫か聞くとそれも大丈夫なようだった。

 ナースが食べれる物と摂取不可の写真付き冊子を一冊くれた。

「当分ダメですが、生着後可能な食べ物の冊子です。」

 生着率八割のため、生着前提で持ってきてくれたのだろう。心が少し軽くなった気がした。俺はその日、移植を見届けてから環奈の汚れ物を鞄に詰め、帰宅した。


 十二日後、無事生着の確認がとれ、ほっと胸を撫で下ろした。無菌室の電話で環奈と話そうとしたが、環奈はメモ帳に口内炎で喉も痛いし話せないと伝えてきた。マスクを二重にして他患者との接触も控えれば無菌室からも出られるという。もっとも、点滴棒につけられたバッテリーが切れる十五分が限界らしいが、それでも外に出られることを環奈は喜んでいた。一度バッテリーが切れたにもかかわらず外にいたためナースがすっ飛んできたとメモ帳で顔文字入りで伝えてきて笑った。無菌室の中でも点滴棒が常に電源にささっていて、首のCVカテーテルに繋がれた環奈はリードに繋がれた犬の様だった。なので外に出られる喜びのあまりバッテリーの存在を忘れていたらしい。俺は無菌室に入る準備をし、環奈の着替えを渡して汚れ物を受け取り、その日は病院を後にした。

 二十日目、学年末テストの復習に追われていた。ほとんど学校では寝ていたため正直追いつけていない。彩に頼み込んでノートを見せてもらい、必死に書き写していたら次第に頭の中に入ってきた。敬之も便乗してノートを書き写す。テストにでる要点をまとめられていて非常にわかりやすかった。一通りノートに書き写し、学校を早退した。環奈が無菌室から解放され、大部屋に戻る日だったからだ。俺は一度自宅へ戻り、環奈の着替えとコートを持って病院に向かう。途中、口内炎で物を飲み込むのも辛い、口の中が熱いと聞かされていた俺は病院内のコンビニで氷等を買い、病棟へむかった。勿論、食べられないものは外している。

 大部屋は依然と同じ部屋だったが、面子は様変わりしていた。退院した人、無菌室へ移動になった人様々だった。とりわけ環奈が親しくしていた人がいなくなり、無菌室で一人きりだった頃と変わらない様子だった。とりあえず入室が面倒な手順もなくなり、気軽に環奈に会えるようになったのは嬉しかった。病室へ着くなり環奈が中庭に散歩しようと言い、パジャマの上から持ってきたコートを羽織らせて外に出た。外へでるなり、メモ帳に、私は自由だーと書く環奈。外に出られるのがよっぽど嬉しいらしい。続けざまにシャバの空気はうまいと書きなぐる。刑務所じゃないんだからというと笑い、痛めた喉を押さえる環奈。バッテリー十五分の短い外出はそれでも環奈にとっていい気分転換になったようだ。わずかな自由を堪能し、病室へ戻る。病室でちょっと早いクリスマスプレゼントで新しいゲームソフトを渡すと喜んでいた。俺は年末試験の勉強があるからまた来ると約束し、汚れ物を鞄に詰め込んで帰宅した。

 年末試験。彩の試験に出る箇所を集中的に勉強したおかげで割といい成績を収められたと思う。結果はまだ出てないがそんな手応えを感じていた。午前中でテストも終わり、俺は制服のまま病院に向かった。

 病棟内は少しばたつきを見せていた。どうやら環奈はヘルペスを患ったらしく、他の患者にうつるかもしれないということで個室へ移ることになったのだ。準滅菌室の室内とは違い、トイレはついていない。はっきりとした診断がでるまでトイレ以外は外に出ないようにと伝えられ、落ち込んでるかなと思いきやゲーム三昧の日々に環奈は満足しているらしく特に不満はでなかった。個室に移り、ふと思い出した。

「ああ、環奈、これ。」

 とスマホで撮った彩の面白画像を見せる。

 誰?と小首をかしげる。

「キャンプファイヤーで踊った奴。」

 じーっと画像を見てからふーんと若干不機嫌そうな環奈。

「退院したら今度家に連れてきて。」

 流石に彩一人家につれてくるのも気が引け、敬之も一緒に呼んでいいかとたずねると環奈はコクンと頷いた。

「あー彩とはそういう関係じゃないから。」

「彩さんっていうんだね、しかも呼び捨て。」

 藪蛇だった。居心地が悪くなり、俺は環奈の汚れ物を鞄に詰め込む。

「そ、そういえば首のCVカテーテル抜いたんだな。」

 言うと環奈はCVは抜けたけど両手に点滴だけどね、と不機嫌そうに答えた。

「じゃ、じゃあまた様子見に来るな。」

 言うと言葉を無視してゲームをやりこんでいる。不機嫌オーラ全開だった。

 さて、どうご機嫌をとったものか…。

 十二月二十四日、クリスマス。環奈は結局ヘルペスではないと診断され、また大部屋に戻っていた。終業式も終わり、俺は一度自宅へ戻ってから以前から彩に相談して環奈の新しいコート選びに付き合ってもらっていた。事前に環奈の入学式の時の写真を見せ、これもいいあれもいいと各店舗を物色してまわった。結果、お洒落なコートよりも学生らしいワッフルコートが無難と落ち着き、それを買うことにした。それから彩の買い物にも付き合わされ、翌二十五日に病院へ行った。学校は冬休みだ。病室についた俺は環奈の姿がないことに気が付き、受付で聞いたところリハビリをしているらしく、しばらくの間病室で待つことにした。ほどなくして、

「お兄、来てたんだ。」

「ああ、学校も冬休みにはいったしな。」

 はい、これと綺麗にラッピングされたワッフルコートを環奈に手渡す。早速包装をとき、コートを手にする環奈はおぉ~と歓喜の声を上げた。

「お兄が選んだの?」

「いや、正直女物わからないからクラスメイトに見立ててもらった。」

 彩の名前は出さなかった。しかし、女の感は鋭く、環奈は短くふーんと答えた。新しいコートには手を付けず、前のコートを羽織り、中庭に誘われた。

「年明けもここで過ごすのか~。」

「試験外泊もうすぐだろ?」

「うん、でも年明けになると思う。」

 ちょっと残念そうに微笑む環奈。予後は良好、リハビリも頑張っている環奈の試験外泊は間もなくだ。感じのいい主治医にそう聞かされていた。

「病院食もコンビニも飽きたからお兄の手料理早く食べたいな。」

「もうちょっとだよ、もうちょっと。」

 ちょっと嬉しそうに笑う環奈。

「リハビリがんばらないとな。」

 うん、とまた少し嬉しそうな表情を浮かべた。外寒いから帰ろと環奈に促され病棟に戻る。一旦病室に戻り、コートを脱いで環奈は、

「エアロバイク漕いでくる。」

 といって外へ向かう。俺は洗濯物を取り出し、汚れ物を鞄に詰めてじゃあまたくるなと環奈に言い、その場を後にした。

 十二月三十一日、大晦日夜。俺は彩と敬之の三人で神社へ参拝にきていた。彩は小声でなんで敬之もと不満を露わにし文句を垂れていた。周りは出店もでていてちょっとした縁日のような感じだった。境内は人だかりで、はぐれないように俺は彩の手をとっていた。参拝を終えた頃には敬之とはすっかりはぐれていた。ベンチに腰を掛け、甘酒を二つ手にして先に座ってた彩のもとへ行く。

「敬之すっかりはぐれちゃったな。」

 小さくガッツポーズする彩を見逃さなかったが、見て見ぬふりをした。寒い中での暖かな甘酒が胃に染み渡る。そこへ敬之が他のクラスメイトと一緒に姿をあらわした。うなだれる彩。

「おお、迷子になったと思ったぞ。」

「ぼくもはぐれちゃったかな~って思ってたら皆と会って合流したんだ~。」

 見ると文化祭で一緒だった厨房の女生徒二人とクラスメイト数人が立っていた。

 悪いよ、敬之君。

 二人にしてあげようよ。

 と女生徒二人に引きずられるように奥へ連れていかれる敬之。ここで彩がまた小さくガッツポーズしたのをまたしても見逃さなかった。そういう対象で見てなかった俺は頭をかきながら彩の目の前に座る。

「他にも見て回る?」

「はぐれないように手ひいてくれるなら…。」

「いこっか、小腹空いたし。」

 手を差し出すと彩は頬を赤らめながら手を取った。隠れてみている敬之達、バレバレだ。この後イカ焼きとたこ焼きを食べておみくじを引き、破魔矢とお守りを買ってその日はお開きとなった。

 正月三が日明け、病院へ行くと環奈の腕からはほぼ点滴が外され、内服薬が主流となっていた。相変わらずエアロバイクを漕いでいる環奈の肩に手を乗せ見舞いに来たことを知らせ、シャワーを済ませるのを待つ。その間主治医がきて治療の経過から週末に試験外泊の許可が下りた。その際できれば新しい布団を買うように勧められたが、間に合うかなと思いつつ帰りの足で寝具店回ってみようと思った。シャワーから上がった環奈に来て早々だけどその旨を伝え、汚れ物を回収して神社で購入したお守りを渡し、病院を後にした。スマホで家近くの寝具店を探してみてもなく、一駅離れた家具店へ行ったら布団が置いてあった。早速注文し、届けてもらうことにした。

 週末、久しぶりに環奈が家に帰ってきた。一泊二日の退院だけど、それでも嬉しかった。夕飯何にするか聞いたら豚しゃぶの声。好きだな、豚しゃぶ。買い出しに行ってる間に、環奈はお風呂に湯を張り久しぶりに湯船に浸かるそうだ。帰ってきてから夕飯の支度をしてるとお風呂から鼻歌が聞こえる。まだ入ってるのか。

「湯あたりする前にでてこいよ。」

 と告げると大丈夫と答えが返ってきた。ずっとシャワーばかりで湯船に浸かることはなかったから仕方ないかと、夕飯の支度をする。パシャマに着替えた環奈、もうN95マスクはつけてない。豚しゃぶも前よりたくさん食べ、今後どうするか話した。

「学校、一年留年なるけどいくか?」

「う~ん、どうしようかな。専門学校って何歳からいけるんだろ。」

 十八歳と答えると環奈は悩みだした。

「そっか~…アルバイトも私の年齢じゃ厳しいよね。」

「そうだな。」

「じゃあ留年して一年生からやり直すしかないね。」

 ちょっと残念がる環奈。何かやりたいことあったのかな。問いただすと、

「病院の厨房一年やって調理師免許とりたかった。」

「それこそ調理師免許ないとダメそうだな。」

 む~っと唸る。

「じゃあやっぱり留年ね。」

 仕方ないねとしょんぼりする環奈。

「でも学校じゃないと経験できないことあるし、楽しいこともいっぱいあるから。体育祭に修学旅行とか文化祭とか。」

 俺は食器を片付け、洗い物してソファーでくつろぐ環奈の隣に座る。

 新学期始まる前に髪生えるといいな~とニット帽の上から頭をさする。ベリーショートくらいにはなってるんじゃないのかと適当なことを言う。インパクトあるね、と笑う環奈。学校側が事情知ってるからニット帽でもいけるんじゃないのかというと、蒸れるからやだし悪目立ちすると環奈。確かに悪目立ちはするだろうな。

「明日には朝から病院もどらなきゃだし、夜更かししないで寝ろよ。」と言い、俺は自室からノートPCを持ってきてゲームをやりだす。この間の面白い人いるかな?と環奈。ああ、敬之の事か。

「多分いると思う。」

 INすると早速うぃ~っすとチャットがはいる。短くういっと返した。妹が隣で見てる事を教えると、武井敬之17歳、彼女無しです、よろしくお願いします。と二度目の告白。堪えきれずに笑い出す。そのままパーティを組んで狩りに出かけ、いい時間で切り上げた。

「明日も早いしもう寝よう。」

「うん、おやすみお兄。」

 とお互い自室に戻ったら俺の部屋に環奈がきて布団ふかふかと感動を伝えてきた。そりゃ病院のかちかち布団に比べたら新しい布団だしふかふかだろう。いいから寝ようと伝え、二度目のおやすみを言って就寝した。

 次の日、俺は環奈を病院へ送り届けた。いつものにこやかな先生がきて家の様子を聞かれ、何も問題なかった旨を伝えると、

「試験外泊して問題なかったのでしたら本退院しても大丈夫ですよ。」

 と言われ、明後日急遽本退院が決まった。

 本退院の日、先生や看護師、同室だった患者からの寄せ書きに目を潤ませ、本退院した。無論、これで終わりではなくこれから通院生活となるので本当のお別れじゃないが、その様子に俺も少し目が潤んだ。荷物全てバッグにいれ、病院を後にする。マンションの階段を上り奥の部屋の鍵を回し、玄関にはいる。ここで環奈がおもむろに呟いた。

「お兄…本当はね、がんセンター脱走した時、私死んでもいいやって思ってた。でもね、変な夢見て約束したの、生きて再会するって。」

 やっぱり環奈は千早だった。

 環奈は俺に抱き着き、

「お兄でしょ…三郎。私帰ってきたよ、生きて戻ってきた。」

 環奈は言葉を続ける。

「約束…守ったよ、三郎。」

 俺は環奈を抱きしめ、ああ、ああと答えた。

「いつも約束守ってくれたのに、私約束守れなかった…ごめんなさい。」

「いいんだ、いいんだ、千早。お前はこうして生きて戻ってきてくれた。それだけで十分だ。」

 まだ細い環奈の体をぎゅっと抱きしめた。

 免疫抑制剤を飲み続け、規制だらけの日常生活を送る日々が待ち受けている。移植後百日以内に発症する急性GVHDと、移植後三ヶ月以上経ってから現れる遅発性のGVHDもあり予断は許されない生活だ。当分通院生活が続く。それでも環奈はこの先生きていく。楽しいばかりじゃない、辛いこと、悲しいことも経験して、それでも生きていくんだ。

「痛いよ、お兄。」

「あ、ごめん。」

 ふふっと笑う環奈。

「でもおかしな夢だよね、二人して同じ夢見て…。」

「俺達だけじゃないぞ、その夢見てたの。」

 えっとした表情の環奈。

 どうしてそんな夢?記憶を見たのかはわからない。生きて再会を果たす約束を守るため、絶望を乗り越えるために見せてくれた夢の様にも思える。正直真偽はわからない。あの時の光で夢を見てた奴は結構いるはずだ。中にはろくでもない夢を見た奴もいるかもしれない。でもこれだけは言える。病床で死の淵に立たされていた環奈にとってあの夢は生きる希望を与えてくれた、そんな気がする。玄関を閉じ、二人でソファに並んで座った。その時、環奈の腹がぐぅぅとなった。笑いがこみ上げた。

「さて、今日は何作ろうか。」

「シュークリームとオムライス食べたい。」

「しっかり火を通したものじゃないとダメだろ。バニラビーンズの入った物も食べたらダメなリストに入ってたから却下。通院しなくてもよくなってからな。」

「ええ~約束したのに…じゃあ豚しゃぶ。」

 好きだな、豚しゃぶ。

「んじゃ、食材買いにでかけるか、ちは…環奈もくるだろ?」

「うん!」

 二人で玄関の扉を開けて外に出た。寒くて白い息が上がるが、寄り添った環奈の温もりはこれからもきっと続くだろう。できればこれが永遠に続くよう願って。


 遠江の村での出来事。

 地方官を斬り、近隣の村をまとめどこにも属さない豪族となった俺達の村は平家に焼き討ちされて数週間で復興を果たしていた。散り散りになった徒歩武者として富士川の戦いに参戦していた村人達も続々と戻ってきていた。中には馬に乗って帰ってきた者もいた。その間、源氏と平氏の戦はまだ続いており、水島の戦いで源氏が平氏に敗れたとの報告を受けている。

 その日、俺は千早の墓参りをしていた。

 手を合わせていても平家への恨みは募る一方で、必ず復習してやると今日も祈っていた。背後に人の気配を感じる。権左かと思い振り返るとそこには頼朝の間者が立っており、隣に来て千早の墓に手を合わせていた。

「後白河天皇が頼朝公に接近しております。これに対し木曽義仲は後白河法皇を幽閉、頼朝公追討を強要しました。近々また戦が始まります。」

 源氏の身内争いに興味はない。あるのは平家憎しの感情だけだった。

「源氏同士の争いに興味はない。」

「頼朝公に目通りできますれば、どうかご一緒に来て頂きたく存じます。」

「…。」

 義仲は孤立し平家と和解を求めたと聞いている。つくなら頼朝公か。

「あいわかった、頼朝公に目通り頼む。」

「では、鎌倉へ参りましょう。」

 俺は権左に数日村を開けることを告げ、直垂に小袴姿で騎乗し、間者と共に鎌倉へ向かった。道中、山賊と化した落ち武者と遭遇するが間者と共に撃退し、馬を走らせ、鎌倉入りを果たす。

 寝殿造りの庭、片膝をついて頼朝公が来るのを待っていた。

 頼朝公が近づいてくるなり、間者が頼朝公に耳打ちをする。

 頼朝公は庭に降り、俺に近づき肩を鷲掴んできた。

「貴殿が聞いていた石破三郎殿か、無名でありながらその武功、富士川での活躍聞き及んでいる。」

 頼朝公は着ていた直垂を脱ぎ、俺の肩にかけた。

「今後の協力に期待しておるぞ。」

「はっ。」

「早速だが働いてもらいたい。木曽義仲が旭将軍を名乗り、征夷大将軍となって幽閉している後白河法皇を脅迫し儂の追討の院宣をだした。我が異母弟の範頼と弟義経へ軍をまとめて合流してほしい。」

「はっ。でわ早速でありますが村に戻り兵を興しまする。」

「うむ、近江にて合流すべし。」

 頼朝公に見送りされ、俺はその場を後にした。


「権左、戦仕度だ。近隣の村からも兵を集めろ。」

「平家との戦か、恨みが晴らせる。」

「いや、頼朝公に追討院宣を発出させた旭将軍を討つ。」

「なんだそりゃ、身内の戦か。打倒平家じゃなきゃ士気も上がらんぞ。」

「協力して憶えをよくして村の自治を得る。このまま豪族としてやっていってもこの先荘園目当てに源氏に攻め込まれる可能性もあるからな、先手を打つ。」

 こうして、騎馬武者四、徒歩武者六十を束ねて近江へと向かう。一軍勢を襲う野党もでず、俺達は無事範頼と義経軍に合流した。木曽義仲入洛時は数万騎いたのが水島の戦いの敗北と状況の悪化により脱落者が続出して千騎あまりに激減していた。対して範頼、義経軍勢は五万五千騎、勝敗は目に見えていた。俺達は義経軍二万五千騎に加えられた。義仲は五百余騎を瀬田の唐橋に、三百余騎で宇治を守らせ、義仲自身は百余騎で院御所を守護した。範頼は大手軍三万騎で瀬田を、義経は搦手軍二万五千騎で宇治を攻撃した。俺達は矢が降り注ぐ中を宇治川に乗り入れこれを突破し、雪崩を打って京洛へ突入する。義仲が出陣し、義経軍と激戦となるが多勢に無勢。義仲は奮戦するが遂に敗れ、後白河法皇を連れて西国へ脱出すべく院御所へ向かった。

「続け!」

 義経率いる俺達数騎でこれを追撃。馬上で一合二合打ち合い、三の太刀で敵喉元を掻き斬る。返す馬で敵の馬目掛けて突撃し、落馬した敵目掛けて飛び乗り首を掻き斬った。目的は後白河法皇を確保だったが俺は終始敵の首を獲らんと太刀を振るった。こうして追い払った義仲は退却中に顔面に矢を受けて討ち死にしたらしい。俺は首四つ程とっただけでこれといった武功もなく、唯一の収穫は俺の奮戦に義経が声を掛けてくれた事くらいか。

「そこの者、名は何と申す?」

「…石破三郎と申します。」

「そなたの武勇、見事なり。兄上にも報せておこうぞ。」

 はっと短く言葉を発し兜の緒を絞めなおして騎乗する。こうして宇治川の合戦は範頼、義経軍の圧勝で幕を閉じた。


 ふと意識が戻ると、そこは見慣れた教室内だった。

 正直、千早との約束で夢は終わると思っていたけどそうでもないらしい。まだ何かあるのかと勘ぐってしまう。授業終わり、敬之と彩と三人で他愛のない話をしてた時、環奈の容態の話題が出てふと環奈の言葉を思い出した。

 今度彩に会わせて。

 どうしたものか、考えあぐねているとどうしたの?と彩。

「いや、環奈が彩に会いたがってたんだよな。ほら、文化祭の件で…。」

 察したようにあぁ~と額に手をやる彩。

「あーはいっ、はいっ僕もいく。生妹ちゃんに会ってみたい。」

 敬之も来る気満々だ。まぁ二人で対面させるより緩衝材として敬之も来てくれた方が助かるか、と思い承諾した。

「じゃあ今日学校終わったらで!」

 前のめり気味に敬之が言ってきたが環奈の了承を得てからなと伝え、ラインを送る。送った直後すぐにわかったと了承を得て急遽今日家に来ることになった。

 授業も終わり、学校を出て電車で二駅目で降り、徒歩二十分の距離を歩く三人。彩はしきりに髪型を気にしている。ショートカットにカチューシャなんだから何しても変わらないだろうに。敬之はテンション高めに鼻歌交じりに歩いている。途中スーパーに寄り紅茶を買い、マンションの階段を上がってドアノブを回す。

「ただいま。」

 ジーンズに長袖ブラウス、ニット帽姿の環奈が出迎えた。

「おかえり、お兄。」

「初めまして、武井敬之十七歳、彼女いません、よろしくお願いします!」

 開口一番、敬之が名乗り出た。チャットでも現実でもブレない奴だ。クスっと口に手を当てて笑う環奈。遅れて俺の後ろから、

「初めまして、牧瀬彩です。環奈さんよろしくね。」

「武藤環奈です、いつも兄がお世話になってます、よろしくお願いします。」

 敬之の挨拶に比べて少し警戒したような冷静な環奈。こんな環奈は初めて見る。

「お兄、立ち話もなんだし、リビングいこ。」

 お邪魔します、と敬之と彩。

 リビングへ通しコップに氷を入れさっき買ってきた紅茶をそれぞれの前に置く。

 それで、と環奈が口火を切った。

「彩さんは兄とはどういう関係なんですか?」

「ただのクラスメイトだよ、委員長と副委員長。」

「お兄は黙ってて。」

 あ、はいと俺は小さくなっていた。敬之がこそっと、険悪じゃない?といってきた。キャンプファイアーで一緒に踊ったの知ってるんだと答えたらそれでか~と、なんか納得してた。少しの沈黙の後、

「和人の言う通りただのクラスメイトだよ…。」

 間が何か含みを感じさせる言いかただった。しどろもどろな彩にいつもとは違った雰囲気を感じた。

「ふ~ん、ただのクラスメイトが文化祭で一緒に踊りますかね。しかも呼び捨て。」

 畳みかける環奈もいつもとは雰囲気が違って見えた。

「…。」

「まぁ、いいです。これからもクラスメイトとして兄の事よろしくお願いします。」

 険悪ムードから解放されホッと胸を撫で下ろした。そういえばさ、と敬之。

「環奈ちゃん、ネットゲームのチャット見てたみたいだけどゲーム好きなの?」

「はい、入院中ですっかりゲーム好きになっちゃいました。」

「じゃあさ、俺らやってるネットゲームもやってみたらどうかな?」

「もうやってますよ、兄と違うアカウントで。」

 そうだったのか、知らなかった。もう一台ノートPC買うか。思ってたら彩がこそっとなんてタイトルのゲーム?と聞いてきたからタイトル教えたら以外な事に彩も同じゲームやってた事がわかった。

「私もやってる、そのゲーム。そこまでやりこんでないけど。」

 意外な一面に敬之も驚いているようだった。知らないうちにパーティ組んでたかもねと、話題に花が咲いた。しばらくゲーム談義していると敬之が、

「そうだ、思い出した。彩ちゃんに聞きたいことあったんだよね。」

 少なくなってきた皆の紅茶を継ぎ足しながら彩が何?と訊ねた。

「僕と和人と、他のクラスメイトもだけど、倒れた時どうも皆同じような夢?記憶みてるんだよね。彩ちゃんもみてるんじゃない、何か。」

 うん、見てると自分の紅茶を最後に継ぎ足しながら彩。

「私も見てますよ、終っちゃっいましたけど。」

 と環奈の言葉に意外そうな敬之。

「僕と和人、同じ村出身なんだよね~。」

「え?じゃあ私知ってる人かもしれませんね。」

「おお?僕権左、和人が三郎。」

「権左さん。」

 口に手を当て笑う環奈。

「私千早です。三郎の妻だった。」

 ええ~っと驚き俺と環奈を見る敬之にチラッと彩を見る環奈。そんな中彩が俺の耳元で三郎って石破?と訊ねてきた。俺はそうだよって答えると耳まで赤くなる彩に疑問符がいっぱいだった。

「記憶?の中で夫婦でリアル兄妹か~、なんか因縁感じるね~。で、彩ちゃんは?」

「私はただの白拍子、三郎とは知り合いだけどその様子だと和人はまだ見てないかな?」

「まだ見てないな。まだ記憶続いてるしそのうち見るだろ。」

 見られてもな~と小声で彩が呟いた。

「白拍子って何~?」

「舞妓さんみたいなものだよ。綺麗な衣装着て、笛とか鼓に合わせて踊って歌うの。」

 アイドルみたいなものか~と言う敬之にそんな感じと答える彩は結局あの光ってなんだったろうねと言葉を続けた。

「それさ~、うちの兄貴が面白いこといってたんだよねえ。電気科だったんだけど、その時の先生が光の速さを超える物質があってそれを反射、投影できれば過去の映像見ることができるんだって。」

「でも映像だけじゃなく音もあるじゃない。」

「そうなんだよね~、う~ん謎。」

 結局、わからない事を考えても仕方ないのでこの話題は終わり、またゲームの話に戻った。今度はポータブルゲーム機の話題で盛り上がっていた。環奈のやっていたゲームのほとんどが敬之もやっていたらしい。案外馬が合うなこの二人。彩と環奈はほとんど会話をしていない。環奈が彩を避けてる感じがした。

 時間も経ち、そろそろ夕飯時だった。

「じゃあそろそろ私帰るね。」

「あ、僕も帰るよ。」

「途中まで送るよ、晩飯の買い出しいくから。」

「私も行く。」

 ドアの鍵を閉め、四人で階段を降り途中のスーパーで別れた。別れ際にまた来てくださいねと環奈は言い、手を振っていた。俺たち二人はそのままスーパーに入り、ジャガイモ、人参、玉ねぎとソーセージ、クリームシチューのルーと塩バターフランスパンを購入し家路につく。ドアを開け、早速下ごしらえだ。ジャガイモ、人参、玉ねぎの皮をむき適度な大きさに切る。ソーセージも適度な長さで切りそろえ、全ての具材を炊飯器に入れる。炊飯ボタンを押し、保温になったらクリームシチューのルーを入れ、溶かして完成だ。炊飯器は万能調理器具だ。保温になる前にユニットバスを清掃し、湯を張って環奈に先に風呂に入るように伝える。環奈の後俺も湯船に浸かり、サッパリしたところで夕飯にした。

「敬之さん予想通り面白い人だったね。」

 パジャマ姿の環奈が言った。彩について尋ねたら、

「まだよくわからないけど気が利く人かな~って感じ。」

「実際面倒見もよくて世話好きのいい奴だよ。」

 ふ~んと気のない返事が返ってきた。塩バターフランスパンを千切ってクリームシチューにつけて食べる。

「で、お兄どこまで進んでるの?」

「どこまでも何も付き合ってすらいないぞ。ただの友人だ友人。」

「絶対お兄の事狙ってるよ、あの人。」

 それに気が付かないほど鈍感じゃない。文化祭と初詣でそれには気が付いていた。正直気立てがよく快活でしかも顔も可愛いと思っている。両親が事故で他界し、続けざまに環奈の白血病で慌ただしく真剣に向き合ってこなかったけど、よく考えると拒む理由もない。

「成り行き次第だなぁ。」

 ボソリと呟いた。環奈はもくもくとシチューを食べ終え、食器を手荒に台所に放り込んでソファーにいき、クッションを抱いて丸まっていた。あからさま機嫌が悪い。

「なぁ、今度の休み環奈のPC買いに行くか。」

 満面の笑みを浮かべて、

「欲しい!」

 ころころと良く変わる表情だな。思いながらシチューを平らげた。


 次の日曜日。

 俺はジーンズのスキニーパンツにタートルネックのセーターに黒いロングコート。環奈は白いマーメイドフレアスカートにベージュのケーブル編みレースのトップスにグレーのハーフコートだ。

「去年のクリスマスに買ったコートは着ないのか?」

「ん~…あれは学校行き始めたら着るよ。」

 クラスメイトの女子に見繕ってもらったコートということにしているが、彩が選んだのと察しているのかもしれない。

 電車で二駅目の街で降り、早速大きな家電量販店へ向かう。とりあえずグラフィックボード積んだノートPCで安いものを選んだ。他にもマウスとマウスパッドを買い、十四万程飛んでいった。他にも色々見て回った。どうして女子はこんなにウィンドウショッピングが好きなのか。ずっと箱に入ったノートPCを持っていたため背中の微細断裂が悲鳴を上げ始めた。すると環奈が近くにゲームセンターがあるからそこで休憩しようと言ってきた。なんでそんなに詳しいのか聞いたら家に閉じこもりっぱなしでゲームばかりしてても体がなまるからちょくちょく外に出ているらしい。とりあえずゲームセンターで腰を下ろし、環奈はどのゲームをやるか物色していた。俺は自動販売機で買ったホットコーヒーを飲みながらゲームに熱中する環奈を見ていた。不意に、ここで三郎の記憶が蘇った。


 俺は地方官が居を構えていた寝殿造りの屋敷で戦勝の祝賀会を開いていた。先の戦いで褒賞千貫と騎馬六頭与えられ浮かれていた。身内でのささやかな宴にはまだ名の売れていない白拍子を招き、歌と舞いを披露するたびに銭をばらまいていた。

「次の戦での武功は荘園領主だな。」

 酒を注いでくる権左にどうかな、ただの地方官かもしれんと答え、

「頼朝公に乗ったのは成功だった、皆の者もよく戦ってくれた。存分に飲んで歌ってくれ。」

 と杯を上げ皆の労を労った。

 農民出の俺達は流行り歌の今様なんてよくわからず、白拍子達の舞いに乱入し踊り、飲んだ。

「もし、三郎様…。」

 声を掛けてくる白拍子。

 なんだと答えるも何も言わず廊下へ出る。俺はその白拍子を追い、小部屋に入ったところで誘われてると察した。白拍子は何も言わず、水干と袴を脱ぐ。俺も直垂を脱ぎ白拍子と寝屋を共にした。情事も終わり、

「名は何と申す。」

「千歳と申します。」

 後ろ向きに脱いだ水干と括り袴を着なおす千歳。俺は千歳に銭百貫を渡した。

「今後ともよしなに。」

 と呟き、広間へ戻って行った。宴も終わり、白拍子達も撤収していた。

 俺はそのまま寝転がり、朝を迎えると庭に頼朝公の使いが来ていると知らせを受け、直垂に小袴姿で使者に会った。あの間者だ。

「久しいな。」

 間者はかしずいたまま言葉を発した。

「はっ。頼朝公より協力要請に参りました。」

「知らぬ中でもあるまい、面を上げよ。」

 顔を上げ、薄笑みを浮かべて患者は言葉を続けた。

「京に滞在している頼朝公が弟君、義経様と合流し協力せよとの事。」

「あいわかった。騎馬十騎にて馳せ参じよう。」

 早速俺は広間で飲みつぶれていた権左達を起こし、戦支度をするように伝える。俺も胴丸を着こみ、兜の緒を絞め矢筒を背負い太刀を腰に吊るす。十騎揃ったのを確認し、千早の墓で敵を討つと手を合わせてから京を目指して馬を走らせた。

 道中何事もなく京へ入り、そのまま義経に面通しする。

「おお、そなた確か石破三郎と申したな、よく来てくれた。」

「はっ。微力ながら馳せ参じました。」

「これより一万騎にて摂津へ向かう。搦手より福原に陣取っている平氏を叩く。」

「はっ。」

「皆の者、出立ぞ!」

 応!と答え皆騎乗する。

 搦手を率いる義経軍は同日、播磨国の陣に夜襲をかけ、前哨戦に勝利して追撃、山道を進撃した。迂回進撃を図る義経軍は鵯越で軍を二分し、自身は僅か七十騎の手勢で山中の難路を西へ転進した。その中の十騎が俺達だった。進撃中に道案内をしてくれた猟師は鵯越は到底人馬は越えることのできぬ難路であると説明する。義経は鹿はこの道を越えるかと問い、猟師は冬を挟んで餌場を求め鹿が往復すると答えた。

「鹿が通えるならば馬も通えよう。」

 義経軍七十騎はこの難所を超え平氏の一ノ谷陣営の裏手に出た。山側は断崖絶壁の上であり、平氏は全く警戒していなかった。

 範頼率いる大手軍5万騎が激しく矢を射かけるが、平氏は壕をめぐらし、陣を固めて待ちかまえていた。雨の様に降り注ぐ矢にたじろぐ範頼軍だが、ここで平氏は二千騎で白兵戦を仕掛けてきた。死傷者が続出して攻めあぐねる中、降り注ぐ矢の中を突進する範頼軍に義経が二分した一万騎が加わる。これを勝機と見るや義経は一ノ谷の裏手の断崖絶壁を駆け下る決断をする。

「心して下れば馬を損なうことはない。皆の者、駆け下りよ」

 号令を下し先陣を切って駆け下る。予想だにしなかった義経軍の奇襲に一ノ谷の陣営は大混乱に陥り、俺達は方々に火をかけて回った。混乱が波及して逃げ惑う平氏の兵たちが船に殺到して、溺死者が続出した。一ノ谷から煙が上がるのを見た範頼は大手軍に総攻撃を命じた。兵士は必死に防戦するが兵が浮き足立ち、遂に敗走を始めた。大敗を喫した平氏は一門の多くを失う大打撃を被った一ノ谷の戦い後、範頼は鎌倉へ帰還し、義経は頼朝の代官として京に留まった。


 はっと我に返る。手の中のホットコーヒーはまだ温いままだ。我に返るのと同時に、あの白拍子が彩だったのかと察し、体が熱くなった。俺はコーヒーを飲み干し空き缶箱に捨てる。環奈もひとしきり遊んで満足げだった。

「そろそろ帰るか。」

「うん。」

 PCを持っていない左腕を組み、帰宅する。帰ってからPCの初期設定をし、夕飯材料を買いにスーパーへ赴いた。環奈は早速ネットゲームのダウンロードを始める。夕飯はソーセージが残っているのでアラビアータパスタにしよう。パスタ、トマトのホール缶、にんにくチューブに唐辛子、鶏ガラスープの素にクレイジーソルト。あとは家にあるもので事足りる。清算してスーパーを後にした。

 さて、調理するか。中華鍋にオリーブオイルを引き唐辛子とにんにくチューブ三杯分いれて弱火で加熱する。適度に切ったソーセージを入れ、中火にしトマトのホール缶を入れて潰す。水分を飛ばしてる間にパスタを茹でる。一度強火でトマトを沸騰させ、その間にパスタの乳化を待ち、アルデンテ手前でパスタのゆで汁を混ぜる。水気を切ったパスタをソースに入れ、バジルパウダーとクレイジーソルトで味を調えれば出来上がりだ。ちょっと早い夕飯になったが、昼食をとってなかったから丁度いい。

「どうだ?」

「うん、ちょっと辛いけどおいしい。」

 食後、ラインで敬之と彩に連絡を入れ、環奈と四人でネットワークゲームをして遊んだ。敬之はいつも通り武井敬之十七歳、彼女いませんよろしくお願いしますとアプローチをかけてくる。前にも言ったが娘はやらん、と返した。彩もよろしくですと短い文章を送ってきた。無口なタイプのキャラを演じているようだ。環奈と彩は同LVくらいだったので敬之と一緒にパワーレベリングをして遊んだ。パワーレベリングとは低LV帯の人を高LVの狩場に連れて行き強引にLVを上げることだ。さくさくLVが上がっていくのにおお~、と環奈は喜んでいた。LVが上がっても装備が追いつかないというので敬之と二人でゲーム内マネー援助と装備一式を買ってやった。当然彩にもだ。こうして遊んでるうちに彩がお風呂落ちすると言ってきたので今日のところはこの辺でお開きとなった。


 二月十四日、バレンタインデー。

 下駄箱に一通の手紙が入っていた。彩だ。中を確認すると放課後屋上で待っているとのことだった。

 放課後、呼び出されるまま屋上へ行ったら小さな包装紙で包まれた箱を抱き、マスクをつけた彩が待っていた。

「よ、よう。」

 今日と言う日に呼び出し、誰でも察しが付く。彩は耳元の髪をかき上げ、照れ臭そうに話す。

「うん、これ渡したくて。」

 包装紙で包まれた小箱を渡してきた。耳まで赤くしてる彩をちょっと可愛いと思った。俺もマスク越しにありがとうと言う。しばらく言葉に詰まり無言が続く。ふと出てきた言葉が、

「記憶の続きみたよ。千歳だろ、彩。」

「…うん。でもそんな記憶見る前から私和人の事好きだった。」

 返事はいつでもいいからと、彩は足早に屋上から駆けていった。

 ここでまた三郎の記憶が脳裏をよぎる。


 寝殿造りの寝屋で俺は千歳を抱いていた。

 一ノ谷の戦いの戦勝祝いでまた白拍子を呼んで宴を開いていたのだ。情事も終わり、直垂に小袴を着、千歳も水干を着なおして宴の席に戻る。飲み直しとばかりに杯をあける俺。俺の杯に権左が酒を注ぐ。

「次の戦は屋島ってぇ話だが、乗るのか大将。」

 赤ら顔で既に出来上がってる権左が聞いてきた。

「次の戦いは水軍の戦、経験もない俺達の出番はないな。」

 くいっと杯をあおる。

「義経殿とはくつわを並べた義理もあるが、俺達がいっても役には立たんだろう。」

 もっとも頼朝公より協力要請があれば出なければならないが。

 しかし、これは杞憂に終わり、協力要請はこなかった。後の報せでは暴風雨のために諸将は出航を見合わせ、義経は郎党に命じて暴風を恐れて出港を拒んだ船頭を弓で脅し奇襲を決意。そのまま干潮時には騎馬で島へ渡れることを知った義経は強襲し、周辺の民家に火をかけて大軍の襲来と見せかけ、一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽し、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ逃げ出した。屋島の陥落により、四国での拠点を失った。なんだ、海戦ではなかったのかと手柄を上げそこなったことを後悔した。

 翌月。壇ノ浦にて平氏との合戦の報せが届いた。無論、今回も海戦ということもあり協力要請はこなかった。緒戦劣勢だった源氏であったが、潮の流れにより戦況が変化した。潮の流れが反転し、義経軍は乗じて猛攻撃を仕掛けた。さらに平氏水軍300艘が寝返って平氏軍の唐船の計略が義経にばれ、作戦は失敗し平氏の船隊は壊乱状態になり敗北は決定的になった。幼い安徳天皇をはじめ、平氏一門の多くが入水し、死ぬか捕らえられ、戦いは終結した。

 平家滅亡の報せが届き、俺は千早の墓前に手を合わせる。

 この手で平氏を終わらせることはできなかったが敵はとった、と。


 はっと我に返る。

 手には包装紙に包まれた小箱があった。空はまだ明るくそんなに時間は経っていないようだった。

一瞬クラっときて視界が滲んだ。また三郎になるのかと思ったがただの眩暈らしかった。おかしいな、いつものパターンならここで三郎の夢を見るはずなんだが…。彩の駆けていく足音が聞こえる。俺はロングコートのポケットに小箱を入れ、屋上から出た。

 帰宅後、部屋には甘ったるい匂いが立ち込めていた。

「お帰り、お兄。」

 と、手を引く環奈。靴を揃える余裕もなくリビングに連れていかれる。

「はいこれ、バレンタイン。」

 ソファーに座る俺の前にマシュマロの乗ったホットチョコレートが置かれた。一緒に飲もうと自分の分も用意してある。

「はぁ~、あったまる~。」

 暖房の効いた部屋ではちょっと汗ばむくらいだ。俺はコートを脱ぎ、とりあえずソファーにかけた。ポケットから顔を出す包装された小箱に、

「それ、彩さん?」

「あ、ああ。」

 と肯定するとふ~んと気の抜けた返事が返ってきた。ネットゲームでも交流があるためか、最近ではさほど警戒してない様子だった。ホットチョコを飲み終えた俺は私服に着替え、コートを羽織って今晩の献立を考えていた。

「買い物行ってくるよ。何かいる?」

 う~んと考えた後、私も行くと言ってハーフコートを取りに行く。着替えを待っている間にTⅤを付けると最近爆発的に流行っているウィルスが特集されていた。

 連日ニュースはこの話題で持ちきりだ。

「準備できたよ、お兄。」

「マスクつけろよ、ウィルス感染するぞ。」

「ちょっとそこまでだし平気だよ。ずっとつけてたマスクから解放されたのにまたマスクなんて嫌だよ。」

「いや、流行ってるからマスクつけような。」

 と諭し、マスクをつけさせた。本来ダメだが火を通せば食べられるチゲ鍋にしようと思い二人でスーパーにでかけた。呼吸しにくいのか環奈はマスクから鼻を出している。それじゃマスクの意味ないだろうとたしなめたらむぅと不満げにマスクを鼻まで上げた。煮干し、生姜、豆腐にシメジ、キムチに白ネギ、豚バラ肉とニラ、コチュジャンを買ってスーパーを後にする。家に帰り早速下ごしらえだ。煮干しの頭とワタを取り半分に裂く。水を張った鍋に煮干しを入れ沸騰したら弱火にし、少し時間を置く。その間にシメジの石づきを取り適度にほぐし、ニラと白ネギを適度な長さに切る。鍋から煮干しを取り、あとは食べる時にすり下ろした生姜とにんにくチューブ、切り分けた野菜や豆腐、キムチなど具材を入れるだけのお手軽料理だ。

 晩飯時までTⅤを見る。ニュース番組はどの局もウィルス情報ばかりだ。周りに感染者がいないからどこか他人事の様に感じる。ソファーの隣ではポータブルゲーム機で遊ぶ環奈。すっかりゲーム中毒者だ。

 その日は二人で鍋をつつき、風呂に入ってから二人でネットゲームをした。敬之と彩も早々にログインしていた。四人でパーティを組み、狩りに出かける。パワーレベリングの続きと金策のレクチャーだ。他愛のないチャットをしながらゲームを楽しみ、彩の風呂落ちで解散となった。


 三月。学年末テストも間近になってくる時期、環奈は熱を出した。急性GVHDの初期症状に発熱があったためそれを疑いもしたが、こふっこふっと咳払いもしているためただの風邪で考えすぎかとも思った。念のため学校を休みS病院へ行き、主治医を呼んでもらい検査した。

「お兄さんよく気が付きましたね、急性GVHDの初期症状です。免疫抑制剤であるシクロスポリンにメソトレキセートを併用して様子を見ましょう。咳の方はもしかすると感染症かもしれませんが、念のため一日入院しましょうか、準無菌室も個室あいてますし。」

 GVHDを早期発見できて内心ほっとした。ただ一つ気がかりなのは感染症だった。この頃になると重病人もでて命にも関わっているニュースが頻繁に流れていた。どうかただの風邪であってくれと願わんばかりだった。

 翌日になっても環奈の容態は変わらず、熱も高くCTの結果肺炎を起こしていた。連日ニュースでやってるウィルスに侵されたらしい。しばらく入院が長引きそうだったため、着替えを持って環奈の容態を見に行った。咳込みが激しく高熱にうなされていた。

 この状態が一日、二日と経っても症状が治まらず、四日経っても改善の見込みがない。免疫抑制薬が逆に免疫機能の低下を招き、一時中断したが感染症が治らないらしい。


 六日目、肺炎で高熱と咳に苦しんだ環奈は息を引き取った。享年十六歳。


 葬儀屋、葬式の手配、告別式、学年末テストと忙しく、環奈を失った実感もわかないまま春休みを迎え、ソファーに転がったクッションとポータブルゲーム機をみて初めて喪失感を覚えた。その日初めてクッションを抱きしめ丸くなり泣いた。

 思い出に残る環奈との生活の日々。

 何も手につかず、初めて飲んだ酒に浸り、ソファーでクッションを抱きうずくまっていた。

 そんな中、玄関の呼び鈴が鳴る。

 出る気もしなかった。

 もう一度呼び鈴がなる。

 カチャっとドアノブが空く音が聞こえた。

「和人…いるの?」

 彩の声だった。

 俺はふらりと立ち上がり、玄関に向かった。

「よう…。」

「お酒臭いよ、和人…それにその顔…。」

 酔いがさめたらシャワーは浴びてるが、ここ何日も髭をそってない。

「まぁ上がれよ。」

 お邪魔します、と小さく言い彩はリビングまできた。整頓されていたリビングは見る影もなく、酒の空き缶と空になった弁当で汚れきっていた。彩はゴミ袋のありかを聞き出し、缶と弁当箱を片付けていく。俺はそんな彩をソファーでぼーっと眺めていた。千早を失って初めて抱いた他の女。俺は彩をそんな認識で見ていた。リビングを片付け掃除機をかける彩の手を取り、ソファへ押し倒す。制服の中に手を入れ胸を触ったところで、

「嫌!やめて!」

 彩が両手で俺を突き放そうとする。

「いいじゃないか、好きなんだろ、俺の事。」

 必死に抵抗する彩。

「今の和人は嫌!」

 パシンと俺の頬を打つ。それでも俺はやめなかった。次第に抵抗する彩の力も抜けていった。俺は彩の胸に頬を埋め、ふと涙がこぼれた。

「ごめん…ごめん彩。俺こんなつもりじゃ…。」

 胸に埋めた頭をぎゅっと優しく包み込む。

「和人、あの時みたい。お酒臭くて、どこか寂し気で…。」

 彩から離れ、後ろを向く俺の頭をまたぎゅっと抱きしめてきた。

「いいよ、和人…。それで少しでも癒えるなら、いいよ…。」

「彩…。」

 この日、俺は初めてを彩と迎えた。初めてなのにそんな気がしなかったのは三郎と千歳の記憶があるからだろうか、さして感動も特別な感想もなかった。裸の彩はシャワー借りるねと風呂場へ向かった。俺は飲みかけのビールを口に運んだが、すぐにやめて台所に流して彩がまとめてくれた空き缶袋に捨てた。バスタオルを巻いて出てきた彩は下着を履き服を着て帰り支度を始めた。

「また来るね。」

 と言い残し帰って行った。そしてまた俺は一人になった。俺は冷蔵庫にあった酒を全部台所に流し、シャワーを浴びて髭を剃った。

 彩はそれから毎日顔をだし、毎日情事を重ねて帰る。春休み中はずっとそんな感じだった。

 新学期、俺は久しぶりに陽の下にでた気がする。

 無事三年となり初の登校日だ。

 いつものクラスメイト達にいつもの喧騒。俺だけが何か取り残されてる気がした。そんな中彩が入ってきておはようと声を掛けてくる。ついで遅ればせながらうぃ~っすと敬之がクラスに入ってきた。気まずいのか俺に声を掛けるでもなく席に座ったが、座るなり大丈夫かと聞かれ、ああと短く答えた。

 ホームルームが終わり授業が始まる。学校こそ惰性できたが何もする気になれない俺。授業が終わり、俺は趣味の調理をする気にもなれず、スーパーで弁当を買って帰った。そんな生活が一ヶ月、なんともなしに最近三郎の夢をみなくなったなと考えていた。時折彩が放課後家に来て情事を交わし帰る、そんな生活が続き、また惰性でいつものように登校する。


 この日、俺は久しぶりに過去をみた。

 気が付くと俺は屋上に立っていた。

 下駄箱に入っていた彩からの手紙には、放課後屋上で待っていると書かれているのを過去を見てる俺は知っている。ここで彩から包装用紙にくるまれた小箱を受け取り、足早に去っていく彩をふと呼び止める。

 ここで違和感に気が付いた。

 あれ?この時俺は去っていく彩をそのまま見送ったはずだ。呼び止めるようなことはしていない。俺は両手を見つめ、包装用紙にくるまれた小箱を握りしめた。

 動く。

 彩は俺の言葉を待っている。俺は深呼吸をし、

「俺も彩が好きだ。付き合ってくれ。」

 声も出た。

 どういう理屈かわからないが、過去に介入している?それとも未来を見ていたのか?

「うん…うん。」

 頬を赤らめ、若干涙目になってる彩の頭を撫でる。この日、初めてこの世界で彩とキスをした。帰宅後、部屋に入ると甘ったるい匂いが立ち込めている。俺は知っている。環奈がホットチョコレートを作って待っているのだ。

「お帰り、お兄。」

 思わず涙ぐむ俺。

「ど、どうしたのお兄。」

 俺はこの先に起こることをホットチョコレートをソファーで並んで飲んでいる環奈にすべて話した。信じられない様子の環奈だったが、俺が真面目に話してるのだと知り、次第に頷くようになった。結果、なるべく外に出ないでPCで遊んでいること、外に出るときは必ずマスクをして手洗い、消毒をすることを約束した。付け加えて、彩と付き合うことになった事を話すとちょっとむすっとしそうなるとわかってたと答えた。


 三月。

 環奈は過去通り熱を出した。俺は学校を休み環奈を病院に連れて行き主治医を呼んでもらった。採血、レントゲン、尿検査を経て主治医は、

「お兄さんよく気が付きましたね、急性GVHDの初期症状です。免疫抑制剤であるシクロスポリンにメソトレキセートを併用して様子を見ましょう。」

「あ、あの入院は…。」

「通院で結構ですよ、感染症もないですし。大部屋も空きないですし、あ、個室は空きありますね。一日入院されていきますか?副作用も色々ありますし。」

 マスク越しににこりと主治医。続けざまに、

「免疫抑制剤は免疫力が低下するので感染症には十分気をつけて下さい。」

 と真顔でいった。基本的には外出しないと決めていたので通院でお願いした。


 四月入校式。

 環奈は単位が足りず改めて一年からやり直すことになった。

 結局、まだ髪が坊主頭なので悪目立ちするがマスクにニット帽を被って入校式に臨んだ。

 校長の長い言葉から生徒会長の訓示、新入生の答辞をもって無事入校式は済んだ。 

 遠目から見て環奈の周りにいた連中が何か言葉を交わしてるようだが、環奈は笑顔で答えている様子だった。先に在校生退場だったのでこれ以上見守ることはできないが、頑張れ環奈。

 敬之と彩の三人で校門で環奈が来るのを待っていた。

 環奈が出てきた。四人合流したところで敬之がニット帽虐められなかった?もしいたらぶっ飛ばすから遠慮なく相談しろと言っていた。彩も何かあったら職員にかけあうからと言ってくれた。実際のところ物珍しさで話しかけられたけど癌で闘病生活で単位が取れず留年してると包み隠さず答えたらしい。結果としてクラスに馴染めそうだと環奈は笑って答えた。

 途中駅まで四人で帰り、二駅目で降りて徒歩二十分。

 近所の小さな公園で桜の木の下で立ち止まる。

「これ、この桜一緒に見ようねって約束、覚えてる?」

 ああ、確かそんなこと言ってたっけと思い出す。

「また一緒に見れてよかった。」

 マスクの向こうでにこりと微笑む環奈。

「帰ろう、家に。」

「うん。」

 腕を組んでくる環奈。ハッと気が付き、こっちは彩さん用だったと反対側の腕を組む。しかし思えば不思議な体験だ。ひょんなところから源平合戦の記憶?夢を見たと思ったら今度は未来の夢を見て死んだはずの環奈が生きている。全部妄想だったのかもしれないけど、他にも同じ夢を見てる奴もいる。本当に不可思議な現象だ。過去の夢を見ているうちに途中で未来の夢をみていただけかもしれない。でもその未来の夢のおかげでこうしてまた環奈と歩けてる、これだけは真実だ。

「ああ、そうだ。ついでに晩飯の食材も買っていくか、何食べたい?」

「う~ん…豚シャブ。」

 好きだな、豚シャブ。

 五年生存率四十%、白血病患者の生存率。どうかこの中に環奈も入ってますように。願いながら俺達は歩いた。あれから三郎の夢はみない。生をまっとうしたのか、どこかで討ち死にしたのかもわからない。思いながらスーパーで買い物を済ませ、家路についた。夕飯時までしばらく時間がある。環奈はPCを立ち上げてネットゲームを始める。

「お兄、もう二人インしてるよ、早く。」

「はいはい。」

 俺はPCを立ち上げてゲームに参加する。蔓延しているウィルスが収まるまでこんな感じでゲームして、学校行って勉強して、いずれは恋もするんだろうな。ここで敬之がいつものパターンで武井敬之十七歳、彼女いません、よろしくお願いします、とチャットで。俺は娘はやらん。の一言で締めくくった。

小説を読んでくださってありがとうございます。

武功を立てることに必死になったあまりバッドエンドを迎えた千早と三郎。

千早の記憶を持つ白血病の環奈と、三郎の記憶を持つ和人の物語、テーマは約束です。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 記憶の妻が現在の病床に付す妹の設定は面白い。 [気になる点] 記憶の妻の死が、現在の妹の状態を示唆するけど、 [一言] この作品は、全体が次回への布石と感じますね。今後の展開に期待です。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ