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街の気まぐれ

作者: 村崎羯諦

 僕が住んでいる街は気まぐれだ。建物の位置や道路は毎日のように変わっているし、風景だってその日の街の気分次第で違ったものになる。三丁目の小泉さんが双子の子供を産んだ時には、商店街にベビー用品を取り扱うお店が二店舗もオープンしたし、二丁目の大和田さんが右足を骨折した時には、大和田さん家の周りの坂道が全部真っ平らになっていた。


 この街で生まれ育った僕にとって、こんな街の気まぐれは、当たり前のものだった。だから小学生の時、クラブ合宿で他の街に一週間ほど滞在した時なんか、毎日変わらない街の風景にすごくびっくりした。昨日は通れた道が今日は通れなくなるということもないし、一丁目と二丁目がいつの間にか逆になってて、荷物が届かないなんてこともない。すごく住みやすい街だねと地元の子に言った時、何を言っているんだというその子の不思議そうな表情を今でも思い出すことができる。


 僕の街はすごく住みにくい。だけど、ここの住人みんながこの街を嫌っているわけではなかった。確かにこの街は気まぐれで、腹が立ってしまうこともあったけれど、一方でどこか憎めない性格をしていた。子供の頃に僕たちがかくれんぼをしていると、公園や空き地に隠れやすい場所を増やしてくれたし、同級生の井口君がプロ野球選手を目指すとみんなに宣言した時なんかは、河原の端っこにちっちゃいけれどきちんとした野球場を作ってくれた。大人たちもスーパーとコンビニくらいは毎日同じ場所にあって欲しいと愚痴を言っていたけれど、それは決して心からこの街を憎むような口調じゃなくて、仕方ないなと肩をすくめながら悪友を揶揄うような、そんな親しみがこもった口調だった。


 僕はこの街で生まれて、この街で育った。同じようにこの街で育った幼馴染と遊んで、喧嘩をして、人並みに恋をした。この街しか知らないからっていう理由はもちろんあるけど、僕はこの街が好きだったし、この街で就職して、この街で一生を過ごすんだろうなってぼんやりと考えていた。内向き思考すぎって姉から言われたこともあったけど、気まぐれなこの街で暮らすのも、それはそれで悪くないと思っていた。


「誤解しないでね。別にこの街が嫌いだっていうわけじゃないの。ここには大好きな友達もいるし、たくさんの思い出も詰まってる。でもさ、やっぱり就職とかを考えると、東京に行きたいなって思うの」


 東京の大学へ進学することになった幼馴染の由紀は、まるで言い訳をするみたいな口調でそう答えた。お盆と正月には帰ってくるから。そう言って由紀はこの街を出ていった。大学在学中は確かにお盆と正月にこの街へ帰ってきたけれど、由紀の両親が仕事でこの街を離れてしまってからは、彼女がこの街へ帰ってくることはなくなった。


 この街だけの話ではもちろんないけれど、この街の住人は毎年少しずつ減っていった。僕らの代では一学年で3クラスもあった中学校は、今では二学年で一クラスにまで減った。頭のいい同級生や夢を追う同級生は、大学進学や就職をきっかけにもっと栄えた都会へと巣立っていった。空き家は目に見えて増え続け、商店街ではシャッターが下されたままのお店の方が多くなっていった。


 気まぐれで能天気なこの街もその事実をちょっとだけ気にしているみたいで、町興しのニュースがテレビで流れた翌日なんかは、お世辞にもセンスがいいとは言えないゆるキャラが街を歩き回っていたし、生まれて初めて見たお寺が観光地として駅のパンフレットに記載されたりした。だけど、一発逆転みたいなことはもちろん起こらなくて、一人、また一人とこの街から人がいなくなっていった。それでも、僕は不思議と焦りとか、寂しさというものはなかった。街は気まぐれだから、街から人がいなくなって寂しいだろうけど、すぐにまたいつものお調子者へと戻っていく。お店や道路を入れ替えて僕たちを困らせ、それと同時に、僕たち一人一人に寄り添うように、自分の姿を変えていく。


『昨今の急激な人口減少に対し、我が党はコンパクトシティ政策を推進いたします。これはつまり、過疎地域から都市部への移住を促し、新たに一つの大きな居住地域を作り出すことで、国家予算が年々減少していく中でも、充実かつ持続可能なインフラを国民の皆様に提供していくという政策であります』


 首相になった政治家がテレビで熱く政策を語っていた時も、僕は昨日までと同じような毎日がこれからもずっと続くと信じていた。住民説明会で県庁職員から少し離れた街への移住を検討して欲しいと言われた時だって、この街で育ってきた自分が、他の街へ引っ越すなんて想像することもできなかった。


 だけど、政府が大盤振る舞いの助成金と就労支援を打ち出して以降、この街を出ていく人は増えていった。この街は出ていく彼らを引き止めようと、道路を派手な色で塗ったり、おしゃれなカフェをオープンさせたりした。それでも人がいなくなっていくスピードが変わることはなかった。オープンしてから二週間後に閉店してしまったカフェを目にした時、僕はどうしようもない無力感を覚えた。


 唯一この街に残っていた同級生が、介護が必要な祖父母と一緒にこの街を出ていった日。僕は彼との思い出に浸りながら、いつものようにこの街を散歩していた。最近の街は元気がなくて、いつものように道路を入れ替えたり、お店の場所を入れ替えたりしていなかった。


 だけど、元々学校があった場所まで歩いてみると、そこには小さな遊園地ができていた。もちろん、中には誰もいない。それでも、僕は遊園地の中へと入っていく。中にはこじんまりとしたアトラクションしかなくて、アトラクションで遊ぶ人はもちろん、それを動かす人もいなかった。だけど、遊園地の一番奥まで進むと、そこには止まったままの小さな観覧車が建っていた。他のアトラクションとは違い、受付には近所に住んでいる岸川さんというおじいさんが座っていた。僕が近づくと、岸川さんは穏やかに微笑んでくれた。一応受付っぽいことをやってるんだけどね、どうやって観覧車を動かすのかもわからないんだ。岸川さんは頭をポリポリとかきながら、バツが悪そうにそう呟いた。


 僕は岸川さんと一緒に色んなボタンやスイッチを押してみて、ようやく観覧車を動かすことに成功する。せっかくだからと、岸川さんが半ば強引に僕を観覧車に乗せてくれる。心地よい振動と共に、ゆっくりと観覧車は周り、僕が乗ったゴンドラが上がっていく。観覧車の上から眺めれば、両手にすっぽりと収まりそうなほどに小さな街。だけど、そのあちこちに僕がこの街で経験したあらゆる思い出が詰まっていた。子供の頃に遊んだ公園。慌てて転んで頭から飛び込んでしまった小池。同級生が住んでいたマンション。高校生の時に初恋の人との初デートに行ったこの街唯一の映画館。


 風が吹いて、右隅にあった雑木林の葉が揺れる。夕焼けに照らされて、遠くに立っている高校の校舎の側面がオレンジ色に染め上げられる。僕はじっとその光景を見続けた。自分の子供の頃と、それからこの街で一緒に育ったかつての同級生たちの面影を思い出しながら。


 僕たちの日常は続いていき、この街からは少しずつ人が出ていく。僕が二週間後に再び遊園地を訪れると、お目当ての遊園地はもう潰れていて、代わりにこじんまりとした葬儀場が建っていた。なんで葬儀場なんだろうと僕が不思議に思っていると、岸川さんが危篤の状態だという噂を近所の人たちから聞く。そして、数日後に岸川さんは亡くなって、葬儀は遊園地の跡地にできた葬儀場で行われることになった。


「父はこの街で生まれ、最期までここを離れることはありませんでした。きっと父はこの街を愛していたんだと思います」


 静かに降りしだく雨の音が聞こえる中、喪主を務めた岸川さんの息子さんはそんな弔辞を読んだ。岸川さんが亡くなってから、この街には雨が降り続けていた。天気予報によると周りの地域は晴天らしいから、この雨はきっと、街が降らせているもの。何十年も前から一緒にいた友達を失った悲しみは、想像できないほどに辛いものなんだと思う。葬儀の帰り道。道端の水たまりに浮かぶ雨粒の波紋を見つめながら、僕はこの街の悲しみが少しでも和らいでくれることを祈った。


 そして、それから一週間後。この街の住民に対して、今年度をもって、この街のインフラが廃止されるという通達が届けられる。つまり、来年の四月以降は道路が壊れても、水道管が壊れても、行政は一切対応しないということ。違う街に引っ越せとは決して書かれてはいなかったけれど、それはまさに、この街に住み続けていた僕らへの最後通牒だった。


 結局、通達を受け取って一ヶ月後に、僕たち家族を含む、ほとんど全ての住民がこの街から出ていくことになった。引っ越しの日程が決まってからは、時間があっという間に過ぎ去っていった。転居届だったり、転居先の仕事だったり、補助金の申請だったり。色んな事務手続きで、腰を落ち着かせる暇もないほどに忙しい毎日を送った。それでも、何十年も過ごしてきたこの街からの引っ越し支度は一週間ほどで終わって、とうとう僕たちがこの街から出ていく日がやってくる。


 県庁が手配した大型バスが校舎の校庭に駐車していて、この街を出ていく住民たちが荷物を片手に乗り込んでいく。すべての住民を一度に送り届けることはできなかったので、バスは何往復かして移住対象者を新天地へと送り届けていく。そして、僕が乗るはずの最終便が戻ってきたのは、午後6時ほど。空が藍色と茜色が混じった綺麗な色をしている時間帯だった。


 時間ですので乗ってください。運転手さんに促され、僕たち家族と、同じ便でこの街を旅立つ住民たちが乗り込んでいく。僕はバスの階段で一瞬だけ立ち止まって、後ろを振り返る。だけど、すぐに両親から注意され、そのまま指定された座席へと歩いていった。


 バスの座席が埋まったことを運転手が確認し、バスのエンジンをかけ始める。バスに乗っている住民たちは言葉少なだった。その代わり、僕を含めたみんなが、窓から街の風景を眺めていた。日は沈み、あたりはすっかり暗くなってる。発車します。運転手の疲れ切ったアナウンスと共に車体が揺れ始め、それから、僕たちを乗せたバスがゆっくりと動き始める。


 その時だった。僕は、バスの外から、聞きなれない小さな音が聞こえてくることに気がつく。音に気がついたのは僕だけではなくて、バスに乗っている人たちが何の音だろうと互いに顔を見合わせていた。


「花火!」


 同じバスに乗っていた、子供が声を上げる。僕は子供が指差した先へと視線を向ける。視線の先では、色鮮やかな花火が打ち上がっていた。深い藍色の空に、光の玉が広がり、溶けるように消えていく。お世辞にも大きいとは言えなかったし、打ち上げられている花火の数も少ない。だけど、僕はその光景から目を離すことができなかった。バスの車内が花火の光で薄く照らされるたびに、僕の頭の中に、この街で過ごした思い出が駆け巡っていく。


「きれいだね!」


 子供がそう言って、母親がそうだねと優しく相槌を打った。バスは動き続け、花火が少しづつ小さくなっていく。バスに乗っていた人たちはみんな花火を見つめていた。それぞれがこの街の思い出を思い起こしながら。


 僕の右頬を一筋の涙が伝う。あの花火はきっと、気まぐれなこの街が打ち上げたもの。街がどういう気持ちであの花火を打ち上げたのかはわからない。去っていく僕たちを引き止めようとしたのか、それとも、僕たちへ向けたこの街なりのさよならだったのか。


 僕は涙を拭った。この街を去っていくことへの罪悪感とか後ろめたさだけではない。ぐちゃぐちゃになった自分の感情を、ぎゅっと目を閉じて、落ち着かせる。そして、再び僕は目を開けて、遠ざかっていく街へと視線を向けた。


 忘れないから。


 さようならでも、ありがとうでもなく、僕はそう呟く。バスが段差を乗り越えて、車体が小さく縦に揺れた。僕の言葉に応えるように、藍色の空の端っこに、小さな花火が打ち上がった。

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