まどろみのプロローグ
※このお話は『私の見た目が幼いせいで私と婚約者様は「幼女と保護者」のようで困っています』からはプロローグ、『光の子と守護者の旅』ではエピローグにあたるお話です。
※『光の子と守護者の旅』は本編三章途中離脱編のアナザーストーリーの冒険物語です。
※どちらを先に読んでも差し障りのないお話ではありますが、気にある方は『光の子と守護者の旅』からお読み頂けたらと思います。
「ティア…、ティア〜」
「…ん、…んん。…おはよう」
「おはようじゃないよ? いま、夜だよ」
子猫のルビーがティアラの頬にコツンと擦り寄り、起きてとせがむ。ティアラは眠い目を擦りながら、カウチの上でゆっくりと身を起こした。
「……フォルティス邸…。ここ、本邸?」
「まだ、ねぼけてるの? もうすぐ、カイル帰ってくるよ」
「……カイル…? ……シリウスじゃないの?」
「え?」
ティアラは瞬きをして、声の主をじっと見つめる。そこにいるのは子犬でも、小鳥でもない。少しだけ喋ることが上達した愛らしい子猫の神獣ルビーだった。
胸の奥に微かな寂しさを覚えながらも、ティアラはようやく気づく。——それが長くて短い夢だったのだと。
フォルティス家のタウンハウスで静養していた頃のこと。もし、あのまま苦しさから逃げる道を選んでいたら……
『もう、全部やめて、逃げようか』
カイルの言葉に、ティアラは戸惑った。
『…逃げるって、そんな…。カイル様はフォルティス家の嫡男です。そんなこと、許されません。皆に迷惑をかけてしまいます』
『地位や名誉なんて関係ない。大切な人を守れなければ、そんなものに何の価値がある?』
『…でも』
『大丈夫、任せて。うまくやるから。ティアは何も気にしなくていいんだ』
優しく差し出された手を、ティアラはそっと握りしめる。
二人は帝国を離れ、隣国の大賢者を頼った。そして、魔力移行の問題を解決するため、新たな道を歩み出す。
——ルナとシリウス
名前を変え、身分を隠し、新人冒険者とその導き手である上級冒険者として、神話の地を巡る二人旅。その先には、こことは異なる、まだ見ぬ未知の世界が広がっていた。
「ねぇねぇ、ルビーは? その中に、出てこないの?」
「残念ながら会えなかったわ。でも、もしかしたら出会える可能性はあるかも」
「んー? どういうことー??」
「その世界では、陛下が崩御され、クリス皇子が即位することになるの。でも、その政変の混乱に乗じてグリンベリル卿があなたを逃がしてくれるのよ。あなたはコーディエライト先生の件で処分されかけていたから…」
「シノン…せんせぇ…。…ねぇ、ティア。ルビーは、ひとりのままなの? ルビーもティアたちと冒険したいよぅ」
「そうね、私もルビーに会いたい。何か方法はないかしら? シリウスに話したら…それとも…」
「……シリウス? それって誰のこと?」
「え!?」
くるっと振り向くと、威厳ある魔道士の衣を纏った長身の男性が佇んでいた。
「カイル様! いつ戻られたんですか?」
「今さっきだよ。驚かそうと思ったのに、知らないやつの名前が出るなんて思わなかったけど」
「……あ」
「おかえり! カイルッ! カイルのことだよ〜?」
ルビーはぴょんぴょんと飛び跳ね、カイルの肩に乗ると、「おかえり、おかえりー!」と元気に挨拶する。
「なに? …どういうこと? ティアもなんで笑ってるの?」
「だって…」
少し拗ねた様子のカイルを見て、ティアラはクスッと微笑んだ。彼は自分自身に嫉妬しているのだ。ティアラは不思議な夢の内容をカイルにも話すことにした。
「ふぅん、なるほど。不思議な物語だね」
「ルビーの仲間も出てくるんだよ? いいなぁ、いいなぁ〜」
「外国にいても、探すツテはあるだろうね。そのウィルってやつの力が戻れば、無数の鳥になって探索させることもできそうだ」
「探索…」
その言葉に、ティアラはふと自分の指輪に目を落とした。
「そういえば、カイル様。この指輪って、もしかして盗聴機能もあるんですか?」
ドキッ
あからさまにカイルの視線が横に逸れる。
「あるんですね?」
「…あ、いや、あるというか、それは遠隔操作機能であって、その…滅多に使うことはないよ? 使うとしても、本当に緊急の時だけだ」
「ん〜、 本当に? というか、どうしてそんな大事なこと言ってくださらなかったんですか?」
ティアラはじとーっとした目でカイルを見つめる。どんなに親しい間柄でも、プライバシーは大事だし、隠し事はしてほしくない。
「いや…、その、言いそびれてたというか、別に隠してたわけじゃない。その…聞かれなかったから言わなかっただけで…。というか、逆にどうしてそんなことを知ってるんだ? 光の子の力って、何でもお見通しなのか?」
「え?」
ティアラは思わず紫の瞳を大きく瞬いた。夢で聞いた台詞と同じ言葉が返ってきたからだ。こんなところで聞くなんて思わなかったけれど。
「…さあ、どうでしょう?」
ティアラは悪戯っぽく微笑むと、カイルの手をそっと握った。
「ティア…」
「ルビーはわかるよ」
「えっ、神獣にもわかるっていうのか?!」
「ちがうよ〜。カイルがちゃんとぜーんぶ話せばいいんだよ。夫婦ってそういうのなんでしょ?」
「ぐっ…」
「ふふっ、ルビーは偉いわね」
「……まったく、参ったな」
ルビーの小さなしっぽがふわふわと揺れ、ティアラの笑顔が月の光にやわらかく映える。夜の静寂の中、三人の穏やかなひとときが続いていた。




