エピローグ★
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・前半はティアラとカイル、ルビーのその後、後半はクリスとヴィオラ、ルルのお話になっています。
魔塔本部、そこは魔法の知識と力の集積地。世界中から集まった有数の魔術師たちが高度な技術を研究し、各国の支部を統括する場所である。その壮大な存在は帝国の一角に聳え立ち、帝国とはまた違った雰囲気を纏っていた。夕陽が空を橙色に染める頃、学園の二年生になった私はソフィアと共にこの魔法の拠点に訪れていた。
「すご〜い…!ソフィア、マカロン作ったの?!」
「ふふん、今回はちょっと力作なのよ。アルに渡す前にお兄様に試作を食べてもらおうと思ってね?」
「マカロ…?なにそれ?」
「あら、ルビーは知らない?とっても甘くて可愛らしい形のお菓子のことよ」
手のひらからひょこっと顔を出した子猫のルビーが、興味津々に聞いてきた。
「あまい?」
「精霊って人間のもの食べれるのかしら?使い魔の時はどうだったの?」
「んー、ルビー、お腹空かない。でも代わりに眠る、かな?猫の時は、しょっぱい、酸っぱい、にが〜い。ルビー知ってる」
「もしかして、猫って甘味はわからないの?」
「???」
こてんと首を傾げるルビーに知らなさそうだと私たちは悟った。
「今はそうね、綺麗な月夜の日にオパールを月の光に当ててるわね。昼間はクランが用意してくれた猫用ベッドでよく寝てるわね」
「ほかほか、元気もらう。ルビー、満月好き」
「満月…?」
「魔力が集まりやすい日といわれてるからかしらね。それに、最近すこーしだけ大きくなった気がするのよね。お喋りも上手になってきたし」
「成長してるのかしら?」
「そうみたい。でもよくわからないから大賢者様に少し聞いてみようと思って…って…」
「あら?…なにかしらあれ」
カイル様の部屋の前まで来ると、扉の横にはプレゼントの山ができていた。更にじっと佇む女性が一人。手元には同じようにプレゼントを抱えている。
ドアに手を伸ばすが、躊躇して手を引っ込める。
プレゼントを手前に置こうとする仕草を見せかけて〜でもやめる。
(迷ってる?)
(でもやっぱりやめるのかしらね?)
その場で何度も立ち止まり、沢山迷った末、結局去ってしまったのだった。
◇
「-と、いうことがあって」
「ふーん」
さっきあったことをソフィアが話すも、カイル様は全く興味なさそうな返事をする。
「よくあるんですか?というか、あのプレゼントの山は一体…」
「ただの障害物だよ」
「…えっ?…えっ?」
「ほっほっほ、カイルは辛辣じゃのう。あれは言わば貢物じゃよ。度々、三賢者がここに来るせいもあってか、皆もの珍しいんじゃろう」
「でもいい弊害が出てきたからね。少し前に注意喚起の通達を各部署に送ったところだから。そのうち収まるよ」
三賢者が集まる時は、扉が埋もって開閉できなくなることもあったのだとジラルドさんが補足するように教えてくれた。
(ファンか……)
「まぁ、お兄様のファンは今に始まったことでもないし仕方ないわよね。それよりどうかしら?私のマカロンのお味は?」
「甘いね」
「もうっ、甘いのはマカロンの特徴ですっ!他に感想は?まだ一つしか食べてないじゃない!」
「一つで充分だよ。上手にできてる。そして甘い。脳に響きそうな甘さだ。きっとアルも満足するだろうね」
カイル様、それは褒めてるんですか?
「ほ、本当?!アルも喜ぶ?!」
え?ソフィアもそれでいいの??
「そもそも、あいつなら何を食べても喜ぶさ。先生、あとどうぞ、差し上げます」
口を押さえて、カイル様は紅茶を一気に飲み干していた。
(……………カイル様、マカロンはそんなに好きじゃないのかな)
ルビーもマカロンを食べる様子をじーっと見つめている。一方、大賢者様は譲られたマカロンを一口かじると「柔らかくて、優しい食べ物じゃなぁ」と微笑み、ソフィアを喜ばせていた。
◇◇◇
数日後、私は再び魔塔に足を運んでいた。放課後を使って、魔術師見習いとしてカイル様のお手伝いをしたいと頼み込んだのだ。彼の隣で聖歌の影響を受けた世界の情勢を追いたいという気持ちもそこには含まれてのことだった。
「ルビー、大きくなるかなぁ?」
「月光浴と観察が必要って大賢者様はおっしゃっていたけれど。そうね、私も大きなルビーの姿、また見たいな」
大賢者様によると、ルビーの個体に精霊の力が蓄積されつつあると言う。蓄積量が増せば、オパールから離れて行動できるようにもなるだろうとのことだった。
「力がつけば、もっと自由に遊べるわね」
「うん。でも、ルビーはティアと一緒いる。せんせ、シノン悲しかったから。それにね、大きくなったら、ルビーがティア、守ってあげる」
「ルビー…。ありがとう、とても心強いわ」
「守り」といえば、カイル様が新しい蝶の髪飾りを作ってくださったのだ。物理、魔法防御や回復魔法などの魔法付与が施されているのだが、実は魔法付与のアクセサリーはこれだけではない。毎日着飾れるように、三賢者様と一緒に何個も作ってくださったのだ。
三賢者様までも巻き込むなんて、とんでもなく恐れ多い。
「とんでもなく重たい愛を感じるわ、素敵ね…」とフレジアにはキラキラした目で言われたけれども。でも、和やかなの一瞬だった。シオン様に「綺麗だねぇ」と髪に触れられその時だった。あろうことか防御の金龍が反応し、シオン様を吹っ飛ばしてしまったのだ。
(一応受け身を取ってくれたから大事には至らなかったのけど…。あの時は本当に申し訳ないことをしてしまった)
何度も謝って回復魔法をかけた後、急いでカイル様に威力の調整をお願いしたのだ。けれど…。「シオンはアルに鍛えられてるからあれくらい大丈夫だよ。それに、これで不用意に近づくやつはいなくなるだろう?」なんて不穏な微笑みを浮かべるものだから、その後、少し口論することにもなってしまったのだった。
「…ティア、あそこにいるの、この前の子だ!」
「本当だわ。どうして立っているのかしら」
その女性は門番のようにカイル様のお部屋の前に立っていた。
「何か御用ですか?」
「えっ!…えっと、はい。お部屋に入りたいのですが…」
「どちらの部署の方ですか?それに手に持っているもの…それ、まさか当主様宛ではありませんよね?」
怪しむように詰め寄られ、ドキッとする。
「各部署にお知らせが回っていましたよね?抜けがけは禁止ですよ!!」
「え…あ…、……すみません…」
鋭い口調で言われ、反射的に謝ってしまう。手元には、薄桃色の袋に包まれた手作りクッキーがあった。甘みを抑えたクッキーは、ソフィアに感化され衝動的に作ったものだった。上手に焼けたのが嬉しくてつい持って来てしまったのだが、持ち込むのには少々タイミングが悪かった。
「あなた…、どの会員の方ですか?スカーフはどうしたんです?色別されているはずですけど」
「…色ですか?…それって何のことでしょうか?」
「ええ?!ここまで来ておきながら何も知らないの?!!……はぁ、まあいいわ。一から教えてあげる。見て、このスカーフ。これが私たちの目印よ。当主様は青、三賢者様方はそれぞれ白、緑、赤と、色ごとに区別されたファンクラブがあるのよ」
「ふぁっ…」
(ファ、ファンクラブ……!??????)
「私はもちろん当主様よ!あなたは?」
「えっ!!え、え…………えっと、カイル様ですか、ね??」
(ファン?ファンなのかな?でも推すとしたらカイル様だし?)
「はぁああああ?!!!!!」
「ヒィッ」
「全くどういうことなの!当主様の名前を口にするなんて信じられない!……あっ、わかったわ、あなた新人ね!?」
「え、え、え、ええええ?」
「いい?よーく覚えておくのね」
「は、は、はいっ」
「私は当主様ファンクラブ会員No.1会長、情報科のライラ!まだ結成して間もないから、あなたのような無知な人や、抜けがけしようとする輩が後をたたないのよね。だからこうして交代で番をしているの」
ドーン!!バーン!!キリッとライラさんは説明する。
「それから当主様はとても崇高なお方なの!あなたのようなひよっこ新人はおいそれと名前を口にしてはいけなのよ?わかった?!」
「は、はひっ!」
「あなたにもこのスカーフをあげるわ。これであなたも当主様ファンクラブの一員よ!これを付けていれば、困った時に同じ会員が助けてくれるから。本当は好きなところに身につけていいんだけど、今はとりあえずここにでもつけておきなさい」
そう言い、私の腕にキュッと青いスカーフを巻いてくれた。
(か、会員になっちゃった……)
「あ、ありがとうございます。…あの、ファンクラブって、具体的にどういうことをするんですか?」
つい興味が湧いて、名乗るよりも前に聞いてしまった。
「そうね!まず当主様よりも前に登城して、転移ゲート前で待機するのよ。一番の確率でお目にかかれるのはそこだけだから。それから、交流会を開いて当主様の情報や好きなところを語ったり、当主様の部屋の清掃をジラルド様監修の元行わせてもらうんだけど…。これがもう今までは争奪戦で殴り合いの喧嘩が起きそうなほどだけど、各会員会長同士の話し合いの末ようやく交代制にすることができたの!それはもう夜通し入念なスケジュールを組んで自分の番になるのは一年越しだったりするんだけど、その順番にも文句言う奴もいるし……」
「は…はぁ。そうなの、ですね…?」
(部屋のお掃除が争奪戦っだったなんて知らなかった…。書類整理とか、少し補助業務ができたらいいなぁ…なんて思っていたけど、そんなことしたら反感買ってしまうかも…)
「あ、あの〜…、ちなみにどこの会員が一番多いんですか?」
「それはもちろん、当主様のファンクラブがずば抜けて多いわね!容姿端麗、経歴、家柄、全てにおいて完璧だもの。魅了される者は後を絶たないわ。かく言う私もこの座を獲得するのに相当な死闘を繰り広げて、やっともぎ取ったんだから!!」
「し、死闘…。あ…、でも、あの…、当主様には婚約者がいます……よね?」
ライラさんの眉がピクッと反応する。
「あら、よく知ってるわね。確か、レヴァン伯爵家のご令嬢で名前はティアラ様ね。残念ながら、私はお会いしたことはないけれど、当主様の長身に見合う背丈の美人で豊満で誰も勝てないような神秘的なお方だって言われているわね」
(だっ………誰が言ったのそれええええーーーーーー!!!!)
「そ、そうなんですね……………………」
フッと視線を逸らすと、ルビーとぱっちりと目があった。
(どうして、言わないの?ルビー、言う?)
(だめぇぇ…!今、絶対言っちゃダメェぇぇぇ!!!!)
「そのような方が婚約者なら、皆諦めるしかないわよね。あなたも、過度な期待を抱いては無駄よ?あくまでもファンクラブは皆で平等に愛でて尊ぶものなんだから。寝取ろうなんて邪推なことしたら会員たちに刺されるわよ」
ズドーーーーーーンッ!!!!と、心の中で、大きな雷が落ちた。
「ヒッ……な、なんですかそれ」
「あら、知らない?私が会長になる前はそんな輩もいたと思うわよ。これでも結構取り締まった方なんだから」
「は、ははは…、ライラさん、すごい…ですね。…うぅ…守ってくださってありがとう…ございます…」
衝撃的な内容に思わず膝をついていると、ガチャッと扉を開く音がした。目の前に現れたのは、今ちょうど話していた中心人物……カイル様だった。
「カイルだー!遊び、来たよー!」
ルビーがピョンッと軽やかにカイル様の肩まで飛び移る。
「よく来たね。なかなか来ないから迷子になったかと思ったよ。ティアもどうしてそこで跪いているんだい?……それに君は…?」
「ハッ、情報科所属のライラですっ!!今、新人魔術師に魔塔内のルールを説明していたところで…」
「ルール?そんなものないはずだが…」
「ななななんでもないです!大丈夫です!!ライラさんは良い方です!!!!」
怪しむカイル様を制するように腕を掴む。しかし「ヒィッ!!」と声が聞こえチラッと横を向くとライラさんが固まっていた。どうしよう、なんて説明したらいいのかわからず、咄嗟にカイル様の背中に隠れてしまった。
「…え?…え?……ティア、どういうこと?」
「……ティアって…まさか…」
「ライラさん!色々と教えてくださってありがとうございました!そ、それから、あの…。私が…カイル様も婚約者のティアラ・レヴァンなんです」
ひょこっと一瞬、顔を出すもライラさんは目を丸くして驚いていた。
「騙すようなことをしてすみません。背丈もスタイルも容姿も理想と違うので言うに言えなくなってしまって……」
「え……え…、では、あなたがティアラ様……なのですか」
「は………はい」
「えーーーーーーーーーーーーー!!!!」
天高く聳え立つ魔塔にライラさんの声が大きく響き渡った。
「も、も、もももも申し訳ありません。早とちりしていたとはいえ、大変無礼極まりないことをしてしまいました!!!」
「いえ、私もすぐ名乗らなかったので、ごめんなさいっ」
ペコペコ謝る私たちの間に壁板一枚挟むように立たされたカイル様は何となく状況を把握し、永遠に終わらぬ謝罪を断ち切るように口を開いた。
「魔塔には妙な誤解が広まっているようだな。だが、私の婚約者は君たちが想像しているようなものではない。ティアラは妖精のような可憐な美少女だ。少しでも触れたら吹き飛んでしまいそうなくらいか弱い。情報は正しく広められるべきだ。君なら、そのことをよく知っているはずだ。そうだろう?」
ヒョイッと私を持ち上げ、仲の良さをアピールしながらライラさんにそう告げた。
「…………っ!!!!!!!」
ライラさんは私たちの様子にあてられ、コクコクと頭を縦に振ると、あっという間にその場から消え去ってしまったのだった。
◇
「カイル様、なんであんなこと言っちゃったんですか。また誤解が生じますっ!あと、降ろしてください!」
「どうして?事実じゃないか。ティアはもっと自信持ちなよ。こんなに可愛いのに」
降ろすどころか髪にキスまでされ、真っ赤になってしまう。
「ひゃわっ!なっ、なななっ」
「ふふふっ、ティアたちが来るから急いで仕事を片付けたんだ。少しくらいティアを満喫してもいいだろう?」
「えっ!それじゃあ、来た意味がないのような…?」
「そんなことないよ。癒しの時間は必要だ。ティアにしかできないことだよ。それはそうと、その手に持っているものはなんだい?」
そのまま、ソファに腰掛けると、ルビーはソファの上部にちょんっと箱座りする。私も移動しようと身を乗り出すも、ぐっと囲われ移動できなかった。
「あ…、クッキーを作ったんです。でも…お家に帰ったら改めて渡します」
「どうして?」
「…だって、皆渡したいのを我慢しているのに。私、気づくのが遅くて…」
「注意喚起の知らせか。あれは部下への通達だよ。ティアはいいのに」
「いえ、私も、もう部下の一人ですもん…」
『魔術師見習い、補助業務!』と主張する。
「なるほど?じゃあ、見習いさん、俺は今休憩時間なんだ。その袋からクッキーを一枚取って欲しいんだけど?」
「……え!」
「すごく疲れてしまってね。一枚食べたらとても元気になれる気がするんだよね」
「うぅ…それは職権乱用っていうんじゃないですか…?」
「そうとも言うかもしれないね」
「あっ、わっ…カイル様!手、勝手に動かさないで〜!」
話しているうちに、袋のリボンがゆっくり解かれてしまう。ふわりと甘い香りが広がり、袋の中からさまざまな形状のクッキーが現れた。
「へぇ、美味しそうだね。どれがいいかな、ティアのおすすめは?」
「ルビーの形のだよ。ティア、すごく、頑張ってたもん」
「ふ〜ん、ティア、一番上手に焼けたのを取ってくれるかい?」
うむむっと迷いながらも猫の形のクッキーを取ると、カイル様はその手を持ち上げクッキーをパクッと食べてしまった。
「は、はわっ………!」
「うん、美味しいね」
「ティア真っ赤。カイル、それも、あまいの?」
「あぁ、とても甘いね」
ルビーはクンクンと鼻をひくつかせ、『あまい』を覚えようとしていた。
「ルビーも食べれるようになったらいいのにな。もう少し詳しくオパールとルビーの関係性を調べてみるべきか…。まぁ、お前が苦にならない範囲でだけどな」
「うん、ルビー、大きくなりたい」
「ふふっ、主人と同じだな。……ん?そうだ、ルビーわかったぞ。『あまい』はティアの魔力だ。優しくて心地よい味のことだよ」
「ティア…あまい?…ティア、あまいっ!…それ、ルビー、知ってる!」
目を大きく見開いて、ルビーはソファの上を軽快に飛び跳ねた。
「ははっ、ルビーと俺だけが知ってることだな」
「うん、うん、えへへ。ほわほわの味。ティア!ルビーね、あまい、わかったよ!ティア〜??」
「…………ぅぅ」
「ティア?どうして顔を隠してるんだい?」
「う〜〜、……カイル様が、あまいことばかり言うからです」
ルビーとカイル様はキョトンとしていたが、私は気恥ずかしくて、カイル様の胸に埋もれるように隠れてしまったのだった。
◇◇◇◆◆◆
「ルル〜〜〜〜〜〜、ルル〜〜〜〜〜〜!もう、どこに行ってしまったのかしら。…ん?クリス?」
「あ、ヴィオラ様」
「あなたそこで何をしてますの?」
「穴掘りです」
「………。わたくし、あなたに命じたのはあそこの花壇だけでしたわよ?塔の周り全部掘り起こせなんて言ってませんわ!」
「でも、あれだけでは体が鈍ってしまいます。それに言ったでしょう?」
『この殺風景な塔をビオラでいっぱいにしなさい!そして、わたくしの偉大さをその頭にしっかり叩き込むことね!!!オーーーホッホッホッホッホ!!!!!!』
「…って」
「た、確かに言いましたわ…。でも、ここまでやれとは言ってませんわよ。それに、あぁ、もう!今日は日差しが強いのだから、あまり熱心にやったら倒れてしまうわ。水分はちゃんと取ったんですの?ほら、顔に泥が付いてますわよ」
そっと拭ってやるとクリスは嬉しそうに微笑んだ。
「なっ、なんですの?気持ち悪い!」
「すみません。だって、私が沢山動いているといつも心配されるから。なんだかおかしくて」
「なななっ!心配しているわけじゃなくてよ!!わたくしはただ塔の管理者としてあなたを見張っているだけですわ!!勝手に倒れたら、後々面倒なんです!!」
「ふふっ、はい、そうですね」
「それよりも、ルルがどこへ行ったか知らないかしら?ちょっとお散歩させたつもりが一向に帰ってこないんですの」
「あぁ、ルルですか?おーい、ルルーーーーー!」
クリスが大きな声で呼びかけると、塔の裏側から泥だらけになったルルが嬉しそうに駆けてきた。
「ルル!!!まぁ、あなたまでなんてことなの?!」
「私が掘っていたからなのか、一緒に穴掘りをしていましたよ。ルル、楽しかったかい?」
「ワンッ!!!!」
「主人はわたくしなのに。どうしてクリスの呼びかけにはすぐ反応するんですの?ルル!」
「ワゥ?ワンッ!ワォ〜ン!!」
「キャッ!来いと言ったのではありませんわ!」
「こら、ルルやめるんだ。ヴィオラ様が汚れてしまうだろう?」
「クゥ〜ン」
「…まったくもう。クリス、ここは終わりでいいですから、早くお風呂に入りなさい」
「あ、はい」
「…………クリス!」
「はい?」
「その……ルルも一緒に洗いなさい。午後はもう休んで構いませんから」
「はい、わかりました!」
◆◆◆
「どうせ開拓するなら本格的に変えましょう?」
机に紙を置き、ヴィオラは塔周辺の外観を考える。
父には必要な材料を揃えてもらうが、作るのはクリスにやらせることにする。無駄に痛めつけるのも、何もせず生かすのも自分が望む罰とは違う気がしたからだ。
(この人には、生きているって実感するようなことをやらせてみたいのよね。適度にヒイヒイ苦しませたいというか…)
「季節に合った花々は正面に飾りたいですわ。クリスの希望は?」
「特には……。ヴィオラ様の好きにしてください。私はそれに応じて動きますので」
「そう?まぁ、いいですわ。では、ここが塔でしょう?正面はこんな感じで門に沿って植えるとして……」
「私が書きましょうか。ヴィオラ様は希望の案を言ってください」
「あら、どうして?書くことくらいわたくし苦ではありませんことよ?」
「…では、これはなんですか?」
「ビオラよ」
「こっちは?」
「木と花壇よ。見たらわかるでしょう?」
両手を組んで何か文句でもありますの?といった態度でいると、クリスが静かに肩を揺らしていた。
「……むっ。じゃあ、試しに書いてご覧なさいよ」
もう一枚紙を差し出すと、クリスは綺麗に図面を描く。それはヴィオラが描いたものよりも遥かに美しく正確なものだった。
「こんな感じでどうですか?」
「…………………クッ!」
(負けた……)
「他に希望はありますか?」
「………………う、うるさ〜〜〜〜〜い!!!!!」
最後は逆ギレしてしまうヴィオラなのだった。
◆◆◆
それからまたしばらく時間が経ち、ヴィオラは彼に向かって提案した。
「ねぇ、こんなに上手なら、絵を描いてみない?」
「……絵、ですか…?」
それは何気ない一言だった。
「そうね…、あなたの好きなもので構わないわ。でも、また『何もない』って言うなら、ルルを描いて欲しいわね。上手に描けたら壁に飾ってあげてもよくってよ?」
「…………」
「ねぇ、クリス、聞いてますの?……ん…?どうしたんです?まさかどこか痛むの…?」
ヴィオラが振り向くと、クリスは静かに涙を流していた。
「……っ、いえ……なにも」
「どこか痛むなら、ちゃんと言いなさい?言ってくれないとわたくしが困るんですのよ?」
「……よく、わからないんです」
「……ええ?」
「自分でも、わからない…、胸がすごく熱くなって、気づいたら涙が出てて……すみません」
「謝る必要はなくってよ?胸が熱いということはきっと強い感情があったのかもしれないわね。そういえば昔も絵を描いていたような…」
「昔……?そう、なんですか…?」
クリスは、自分が大罪を犯して記憶を抹消されたことは伝えられていた。ヴィオラは自分が塔の番人であり、過去の自分達の関係も伝えている。しかし、今はそれに捉われず、更生を念頭に置き、自死することは絶対に許さないと何度も言っていたのだった。
「ええ、そうよ。でも、わたくし、今イラッとしたことまで思い出しましたわ」
「……?」
「ふふ…、なんでもありませんわ。そんなことよりも、どうするんですの?」
「…あ、かき、たいです…」
「まぁ!では、それ専用の部屋を用意しましょう!そうしましょ!!」
「え…、でも何の為に、そんなことをするんですか?私は、罪人なのではないのですか…?」
「あら、意味がないと駄目ですの?ただの興味本位ですわ。時間はいっぱいあるんですもの。外は寒いし、ちょうどいいですわ。下手でも何でもいいんですのよ。わたくしが大いに笑ってあげますわ」
「………!」
「ふふっ、描くからにはそれ専用の部屋も必要ですわね。色々な画材道具も揃えて、きっと高額請求になりますわ!お父様を攻撃するいいチャンスですわね。クリス!好きな色を要求なさい!何枚だって描くといいですわ〜!!」
楽しみですわ〜っと、ヴィオラは高らかに笑い、クリスは予期せぬ自由を手に入れ、少々戸惑いの表情を浮かべていた。
◆◆◆
「わっ、ヴィオラ様…!!急に扉を開けては困ります!!」
「………何これ…。あっ、ちょっと、どうして隠すの!?これ、わたくしとルルでしょう…。すごい…」
画材を渡すと、ヴィオラが想像していた以上にクリスは絵を熱心に描くようになった。何枚も何枚も、何時間も。けれど、最初の数枚しかヴィオラには見せてくれなかった。だから、気になってこっそり覗きに来てしまったのだ。
「まだ途中なんです。それにヘタですし…」
「まぁ、これが下手だっていうの?あなた、わたくしを侮辱するつもり?!」
「……えっと…?」
「あの塔の図を見たでしょう?わたくし、こんなに綺麗に描けませんもの!」
「全然違う。まるで写し取ったみたい…」とヴィオラが素直に感想を述べた時、クリスの胸がざわめき、なぜかまた瞳を滲ませてしまったのだった。自分を肯定してくれる彼女に、自然と心が反応してしまったのかもしれない。涙を隠すように、彼はわざと違う話を振ることにした。
「あ…その、ヴィオラ様は知っていますか?絵の具の色は自然の様々なものから作られていますが、ある材料からしか作れない茶色の絵の具があるんです。少し、怖い話なんですけど…」
「…………心臓から作った絵の具でしょう?知っていますわ」
「え、あ…えっと、ハハッ……ご存じだったんですね」
なんだ、知っていたのか…。びっくりさせようと思ったのに失敗してしまった。そう思い彼女を見ると、なぜか切なげな顔を向けられた。
「…あ……すみません。女性は好まない話でしたね」
「そうですわ…。普通は嫌がるものよ?でも、あなたの口から、また聞くなんて思わなかったわ」
「………え…」
「ちゃんと…そこにいるのね………」
『知ってるかい?ここに飾られている絵、ほら、あの絵。茶色の部分は人間の心臓を溶かした絵の具を使っているんだ。あの鮮やかな色はその材料でしか出せない貴重なものなんだよ』
それは、幼い頃、帝城に訪れた際、クリス皇子に言われた言葉だった。暗がりの廊下に掛けられた絵が一層怖く感じて嫌だった。泣きそうな顔をすると、彼はとても愉快そうに笑うのだった。後々になってそれが嘘だとわかった時、更に腹が立った。
それなのに、どうしてまたそんな話をするのだ。本当のクリスを忘れるなとでも言いたのだろうか。
「クリス様……」
彼女が溢したその名前に、クリスの心はチクッと痛みが走った。
自分を見つつも、知らないクリスを見つめる彼女に、寂しさが込み上げたのか、それとも過去の自分に嫉妬でもしたのだろうか。クリス自身もよく分からなかった。だが、彼女の瞳を自分の方へ向けさせたくて無理やり会話を続けたのだった。
「ヴィオラ様。あの…、もっと正確に描きたいんです。だから、その…モデルになってもらえませんか?」
「え…、わ、わたくし、そういうのやったことないですし、どうしたらいいのかわからないし…」
「構いません。きちんと描きたいんです。私はこの時間を、今度は大事にしたいんです。忘れたくないんです。だから…」
「な…、な…、なによそれ。わっ、忘れさせるもんですか!!!!…全部…全部、きちんと覚えておきなさい!これは命令よ!ぜ、絶対なんだから!!」
ヴィオラの声はだんだんと涙混じりなものに変わっていった。彼からこんな言葉を聞けるなんて、まったく予想だにしていなかったのだ。
「ヴィオラ様、どうぞ」
「なっ、泣いてないわよ!」
クリスは真っ白なハンカチを差し出すも、ヴィオラはそう否定する。けれどちゃっかりそのハンカチで涙を拭いたのだった。
「ふふ、はい、そうですね」
「こら!適当に流さないで!」
その日から、クリスは様々なものを描くようになった。日記も欠かさず書き記し、一日一日の出来事と自分の気持ちを綴ることにした。記憶が戻った時にも、自分自身が誰であるか、見失わないように思いを込めて。
塔には季節折々の花が咲き誇り、彼が描いた思い出の絵が壁を華やかに飾っている。その場所にはいつも彼らの笑い声と穏やかな風が、まるで歌声のように包み込み、時が経っても永遠に彼らを見守り続けるのだった。




