白のカーネーション/クリス皇子★
◇◇◇の部分はクレアです。
私は、幼い頃から絵を描くが好きだった。………いや、染まっていく色を見るのが好きだったのかもしれない。薄い色が、段々と濃くなっていく色。さまざまな色と混ざり合って生まれる色。絵を描いていると頭がすっとして、何も考えなくていい。その時間が本当に好きだった。
だが、私は皇子として生まれてきたのだ。好きなことだけをして生きていけるような身分ではなかった。抗うには幼く、強制されたことをただ受け入れるしかすべがなかった。
気づくと、母が泣いている。兄が死んだのだ。
死因は毒殺で、犯人はすぐ特定することができたが、既に事切れておりその背後の存在を断定するまでの証拠は少なく、真相は闇に葬られてしまった。
嫉妬に狂った正妃が権力を維持する為に行なった可能性はとても高かったのだが、正妃の父は宰相で長年帝国の繁栄に貢献してきた人物でもあり、それ以上の介入は難しくもあった。
子爵家の出だった母は無力な自分を責めることしかできず冷たくなった我が子を抱きしめその場を離れようとしなかった。
そして、その日から美しかった母が少しずつやせ細り、澄んだ綺麗な青空色の瞳は、雲がかかったようにくすんでしまった。母の異変に不安になり何も用事がなくても傍へ行こうとした。だが、その頃には母の心はそこにはなかった。
「お母様」
「なあに、ルーカス。さぁ、こっちへいらっしゃい」
兄と間違え微笑む母がいる。そう、母は狂ってしまったのだ。
私はここにいるのに…………。クリスという子どもの声は届かず、その存在も母にはもう映っていなかった。幸せだった日々を思い出し自身を慰めるように私を抱きしめ歌を歌っていた。何度も何度も………繰り返しながら。
陛下は母を愛していたが、先帝の代から任に就く宰相やそれに連なる貴族たちを粛正するほどの器を持ち合わせてはいなかった。結局は愛よりも公を取ったのだ。
正妃の嫉妬の矛先がこれ以上母へ向かないようにと、陛下は徐々にここへ訪れることも少なくなっていった。しかしその想いは届くことなく、むしろ更に母の心を傷つけ、支えとしていた人からも裏切られたと感じ、ついには儚く朽ちることとなった。
母の死は正妃によるものではなかったが…
(結局は正妃と陛下が追い込んだようなものだ。手を掛けずに…)
だが、それももう昔のこと。
書斎の机には、秋に行なわれる剣術大会の為の準備資料がまとめ上げられている。そこには演奏の会からの参加者名簿もあり、ティアラ・レヴァンの名前も載っていた。
ふと思い出したように、引き出しにしまっていた彼女のハンカチを取り出す。真っ白なそのハンカチにはネモフィラの花の刺繍が施されていた。渡す機会がなくてしまい込んでいた。…いや、返す気もないのかもしれない。
「さて、どうしたものか…」
窓を開け空を見上げる。快晴で雲ひとつない綺麗な青空が広がっていた。だが、彼女の歌は聞こえることはなかった。
◆◆◆
放課後、渡り廊下を通ると練習用の剣を携えたフレジアとジディス卿が外を歩いているのが見えた。
手を振るとこちらに気づいたようで、二人が歩み寄って来てくれた。
「フレジア、今日も練習していたの?」
「えぇ。グレイス先輩がいい練習台になってくれるというから」
「まぁ…」
ジディス卿へ目線を移すと、彼は苦笑しつつも、明るく挨拶をしてくれた。最近よく一緒にいる姿を見かけると思っていたらいつの間にか少し距離が縮まったようだった。
「毎回容赦ないんだよねぇ。まぁ、これもフレジアの愛の形だと思えば全然俺はいくらでも受け入れられるけどね」
「なっ、またそういうこと言ってっ…。口説くような台詞は禁止って言ってるでしょ」
「わかってるんだけどねぇ。つい言っちゃうんだよね」
眉を寄せ呆れ顔のフレジアを他所に全く気にせずにこにこしながら返事を返した。
◆
彼らはどうやら、剣術科の稽古場で練習をしていたようだ。そこでは、他にも練習している生徒達がいるようで、フレジアは男女構わず相手を見つけては勝負を申し込んでいるらしい。ジディス卿としてはそれが若干心配でハラハラしながら様子を伺っているようでもあった。
「フレジア、練習は応援したいけれど、あなたが怪我をしちゃったらと思うと、少し怖いわ…。ジディス卿、フレジアのことよろしくお願いしますね」
「それはもちろん任せて!危ないことも彼女の暴走もちゃ~んと阻止するからね」
「何言っているんです?!私は一人でもしっかりやれます。ティアラも大丈夫だから、こんな奴に頼まなくていいのよ?」
フレジアは腕を組み、目を吊り上げてふんっ!としていたが、ジディス卿ははいはい、フレジアは優秀だもんねと猫の喉を撫でるかのように優しい言葉で宥めていた。
(なんだか、フレジアがなかなか懐かない猫のように見える……)
うっかりそんなことを考えてしまったが、…そうだっ!と思い出したようにジディス卿に声をかけた。
「ジディス卿、そういえばさっき演奏の会へ行っていたのですが、教えてくださった通りクリス皇子とフォルテ先生から秋の剣術大会で歌を披露するように言われました」
「ああ、そうなんだ。少しはお役に立てたかな?」
「はい。事前に言われていたので構えることができました。けれど……」
クリス皇子殿下との会話で少し気になることがあったのだ。
◆
教室には、演奏の会の生徒たちが集まり、クリス皇子殿下とフォルテ先生の説明を皆一様に熱心に聞いていた。
「――秋の剣術大会の演奏については今説明したもので以上だ。ティアラ嬢、君にはこの歌を歌ってもらう。順番は最後の方になる。歌詞とスケジュールがこれだ。目を通しておいてくれ」
「はい」
一通りチェックをするが、至って問題があるようには見えなかった。だが……………
「クリス皇子殿下、一応、一度持ち帰って確認したいのですが………」
カイル様と事前にそう言うように作戦を練っていたのだ。クリス皇子殿下は何を考えているのか不透明な部分が多い。持ち帰って、二人で考えようと言われていたのだ。
「いや、残念だが時間がない。帝国の重役たちが揃う日なんだ。事前に用意しなければいけないことが山ほどあってね。悪いが今確認してほしい」
「………っ」
そう言われると言葉に詰まる。正当すぎる理由だ。
「ティアラ嬢、そんなに悩むことでもないだろう?」
薄っすらと微笑む顔の裏に何を隠しているのかが全く読めなくて困ってしまった。周りの生徒も耳を傾けていた為、自然と目線が私に集まってきてしまった。どうしよう…カイル様ぁ……。
「わ…わかりました。ですが、練習に出れない日がもしできてしまったら、その時は申し訳ございません」
「ああ、構わない。当日さえ注意してくれたら問題ない」
簡単にそう返されてしまった。と、いうことは練習スケジュールに何か引っ掛けがあるという訳ではないのかしら?話し合いが終わると各自バラバラに練習へと移る。私も空いている椅子に腰掛けもう一度念入りに資料に目を通した。
「ティアラ……、さっきはすまないね」
「…いえ」
クリス皇子が近くに座ると、小声で話しかけてきた。警戒を崩さず返答する。『嬢』を忘れているが、小声だったので、今回は深く指摘するのはやめておくことにした。
「歌のリストは見たかい?歌えそうかな」
「はい。大体有名な曲ばかりだったので。助かりました」
「それはよかった。皇帝陛下も君の歌に興味を持っていたよ。当日期待していると言っていた」
「えっ!はっ、はいっ!?」
皇帝陛下の耳にも入っているの?そんなの責任重大じゃない…。これは絶対当日休めないわ…。
重たい重りが背中にずしんとのしかかったような気分になった。
「くくっ、そんなに身構えなくても大丈夫だ。演奏会も立派にこなしていたじゃないか。同じだろう?」
「おおお同じじゃないです…。荷が重いです……。お腹が痛くなりそうです」
「おや、少し虐めすぎたかな?だがそれだけ評価が高いということだ。自信を持ちたまえ」
クスクスと笑いながらクリス皇子は楽しそうに会話を続ける。
「歌の中には時間の関係で、歌詞の三番を省略しているものもあるから気をつけてくれ」
「あ、はい」
もらった文書に目線を落とすと歌のリストに注意書きが添えられていた。
「この歌…」
「ああ、うん。私の好きな歌も混ぜたんだ。いいだろう?それくらい。こっちは書類地獄なんだ、少しくらい褒美があってもいいと思ってね。それに、君を歌わせるには厳しい騎士が常に見張っているからね」
思わず口元を緩ませてしまった。私生活はわからないが、クリス皇子は生徒会の仕事に関しては一応真面目にこなしているように思っていた。だがこういった一面も持ち合わせているのかと少し意外だと感じた。
私の歌でよければいつでも歌いましょうかと言いたくなったが、ぐっと口を閉じる。『少しでも気を許してしまったら、そこからスキを突かれるから絶対に許してはいけない』ともカイル様に言われていたのだ。
(危ない危ない……)
普通の人を相手にしているのとは訳が違うのだ。相手は王族。そしてクリス皇子のお考えは計り知れない。
「…さて、そろそろ次の仕事に取り掛からないとな。ここで失礼するよ。……あ、そうだ」
「……?」
「ティアラ、警戒しているのだろうが私には意味がない。顔に出すぎだ。それから、質問に対しすぐに返答できるくらい頭を働かせないとね?」
「…あ、……ええ?」
「どうせフォルティス卿にあのように答えるように言われたんだろう?」
思わずドキッとしてしまった。
(ううっ…。バレてた………)
「人を頼ってばかりだと、………いなくなった時に自分を見失うよ」
「……え?」
頭をポンポンと撫でられ、クリス皇子は教室を出ていかれた。
どういう意味だろう………。
◆
「なるほどねぇ。なんなんだろうな。会長は何がしたいんだか………」
ジディス卿は顎に手をあて、悩んだ表情を見せた。
「フォルティス卿に頼るなだなんて…。でも、そもそも皇子が不思議なことばかりするからじゃないっ。」
「俺といる時はまた違った態度をとるけどなぁ……」
「そうなのですか?」
「ああ。ビシッと命令するというか、上司と部下って感じかなぁ。たまに優しい一面も見せるけどね」
色んな表情を持っているとは以前言っていたけれど…。じゃあ、本当のクリス皇子はどれなのかしら………。
「とりあえず、こういう時はフォルティス卿に相談するのが一番じゃないかな」
「……ですよね」
悩んでもやっぱり答えはでず、三人でうんうんと深く頷てしまった。
秋の剣術大会について、何も企てていなければいいのだけれど……。悩みすぎて、私の頭はパンクしてしまいそうだった。
◇◇◇
放課後、辺りはゆっくりと日が落ち、ほとんどの生徒たちは寮へと移動する頃。研究生の棟へと続く廊下は静まり返っていた。
「フォルティス卿………」
「………なにかようかな?クレア嬢」
「あの…少し聞きたいことがあるんですが……」
彼は足を止めてこちらを向いた。
「フォルティス卿は…魔法を使えますよね?」
「…………ああ、そうだね」
「では………、なぜティアラはそのことを知らないのですか?」
ティアラは言っていた。小さい頃から一緒に遊ぶ仲だったと。それなのに彼女は知らないと答えたのだ。その表情はぼんやりとしていて、おもむろにお気に入りの青いリボンに触れどこか不安定な危うさを伴っていた。
彼は口元を少しだけ上げて微笑んだ。だが夕日が陰ってどこか漠然とした恐怖を感じるような雰囲気を纏っていた。




