お嬢様と演奏会
薄い素材の生地を上品に何枚も重ね、繊細なレースと美しい金の刺繍が施された淡いピンクパールのドレスを纏い、鏡の前に座る。胸元にはカイル様から頂いた指輪が窓から差し込む朝日を浴びて輝いていた。ネックレスのチェーンを服の中にしまう際に、いつものように指先でそっと撫でる。
そして願掛けするかのように、両手で包み込み瞳を閉じた。
―上手に歌えますように―
「お嬢様、そんなに緊張されなくてもきっとうまくできますよ」
髪を綺麗に編みこまれ、ところどころに花を添え整えていたマリアが励ましてくれた。さ、できましたよと声を掛けられると、私は背筋をピンっと伸ばし立ち上がり全体の仕上がりをチェックした。
「マリア、私、子供っぽくない?着せられているって感じじゃないかしら?」
鏡の前で裾を持ってくるっと回ると、薄い生地を何枚も使ったドレスが波を打つように軽やかに舞った。このドレスはお父様が贈ってくれたものだった。
お父様は演奏会のことが本当に嬉しかったようで、その熱意があの蜂蜜飴になり、そして今度はこのドレスが贈られてきたのだ。
「そんなことありませんよ。とてもよくお似合いです」
マリアの言葉にほっとして笑顔になる。
「ありがとう。マリアにそう言ってもらえたらちょっと元気が出てきた…」
そわそわする気持ちを落ち着かせるように深くゆっくりと息を吐く。
数日前、リズレイアさんたちとの一件後、フォルテ先生の行動は早かった。リズレイアさんたちのことを調べると、彼女たちは練習など全くせず、時には生徒会の者たちを囲んでのお茶会に参加する日もあったようだ。
フォルテ先生はその事実を学園長に伝えた。そして、学園全体に、一年生の部はティアラ・レヴァンのみの出席とし、二人は諸事情により欠席とだけ公表することとなった。
私は一人で歌うことになったのだが、フォルテ先生もそこに関してもフォローにまわってくださり、当日までの数日、授業を調整し先生とのマンツーマンでの練習も組み込んでくれた。
そして、いよいよ当日。
今日は朝から夕方頃まで忙しい。演奏会は午前中、その後は生徒会主催のガーデンパーティーが用意されている。
「お嬢様、会場の控室は西の演奏会場から北の演奏会場に変更されたそうですので、場所を間違えないよう気をつけてくださいね。」
「うん、北ね。練習で行ったことあるから大丈夫よ。それじゃあ行ってきます」
マリアと別れて、私は演奏会に歌や楽器演奏に選ばれた生徒が集まる控え室へと向かった。
◆
会場の控え室に着くも、部屋にはまだ誰も到着しておらず、どうやら私が一番乗りだったようだ。椅子に座って他の生徒達が来るのを待つことにしようと部屋の奥へ進むと『カチッ』と扉の外から音がした。
「え…?」
慌てて扉を開けようとするがびくともしなかった。どうやら外側から鍵を掛けられてしまったようだ。だが、鍵は両側から掛けられるはずだ。急いで開ける…が、硬くて動かない。
「なっ、どうして…?」
「フ…フフ……アハハハッ。そんなことをしても無駄ですわよ?ここの会場は鍵が古くて、施錠できても開錠は少しコツがいるんですって。あなたにはきっと無理だと思いますわ」
「なっ…!その声は…フェルマーナさん?どうしてこんなことするんです?」
「あら?そんなこと言われなくてもわかるでしょう?目障りなのよ…。あなた一人が目立つなんて許せない…。演奏会が終わるまでそこにいればいいんだわ」
それだけ言うと、足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
「ちょっと待って……!ここから出して!」
いくら叫んでも返事はなく、次第に焦りと不安が増していく。窓はあるが、私の背丈では届かない。
「……どうしよう」
時計を見ると、演奏会が始まるまであと数十分といったところだった。きっと学園のほとんどの人が西の演奏会場に集まっているころだろう。こちらを通る人などほとんどいないだろう…。
◆◇◆
フェルマーナは東から西へと続く渡り廊下を歩いていた。手には先ほどの鍵を持って…。
「フェルマーナ……本当にやるの?」
「もちろんですわ。ティアラさんも簡単に引っかかってくれたことですし。フフ…、私達が偽の手紙を送っていたことにも気づかなかったなんて、…笑ってしまいますわ」
「……でも、何かあったら…どうするの?」
「リズレイア、いまさら何をおっしゃっているの?あなただってあの子が煩わしいって言っていたじゃない。それに演奏会が終わったらちゃんと鍵も開けてあげますし。私だってそこまで意地悪じゃないわ?」
フフフッと意地悪そうな笑みを浮かべるフェルマーナとは対照的にリズレイアはどこか後ろめたさがあるような表情をしていた。
「そうね……ごめんなさい、フェルマーナ」
「いいわ。それより早くいきましょう?」
二人が立ち去ろうとしたその時、後ろの方から人の足音が聞こえてきた。振り向くとそこにいたのは演奏会に備え正装されたクリス皇子だった。
◆◇
演奏会の時間になっても、舞台上は暗いまま、一向に始まる気配がなかった。
「どうしたのかしら……。もう予定の時間になっているのに」
ソフィアは首を傾げ、辺りを見回す。すると突然会場内の照明がゆっくりと落とされていった。
「……ん?ようやく始まるんじゃないか?」
ソフィアの隣に座ったアルベルトが呟いたその時、スポットライトが舞台上に灯された。そこには白い上品なブラウスと黒いスカートを着たフォルテ先生が立っていた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。――」
フォルテ先生が全体挨拶をするが、どこか少し落ち着きのない様子だった。そして最後に「プログラムは一部変更され行われます」とだけ付け足して、演奏会が始まった。先生と交代して舞台に立ったのは二人の少女だった。
「ねぇ、一番目って、一年生だったわよね?…ティアラはどうしたのかしら…」
ソフィアは戸惑いながらアルベルトに問いかける。
「確か、あの子たち、元は欠席だった子だろう?お知らせにあった…」
「そうよね。なんで歌ってるの……?」
疑問を抱き動揺していると、すっとカイルは立ち上がる。
「お兄様?」
「少し、席を外すよ。確かめて来る」
そういうとカイルは颯爽とホール奥の関係者用の控え室の方へと向かっていった。
中へ入ると、先生方が数人何か相談しているようだった。その中にフォルテ先生を見つける。
「すみません、フォルテ先生、何かあったんですか?ティアラは今どこにいるんですか?」
そう尋ねると、先生は困ったように眉を下げた。
「あ、あなたはティアラさんの…」
どうやら、ティアラは朝からここに来ていなかったようだ。フェルマーナ達がティアラはここに来る途中体調を崩したので寮に戻らせたのだと。そして、その穴埋めとして自分たちが舞台に立つと言われたそうだ。
時間が限られていたので仕方なく歌うことを許したそうなのだが、先生も二人の言動を信じるにはためらいがあったそうだ。
「では今ティアラは自室にいるということですか?」
「ええ、彼女たちが言うにはそうなるけれど。私も今彼女の侍女に確認を取っている最中なんです」
フォルテ先生は演奏会の主催関係の職員としてこの場から動くことは困難な立場にあった。本当ならば自分で確認したかったと悔しそうな表情を見せる。
「失礼します。ティアラお嬢様の侍女のマリアと申します。ティアラ様はっ…?!今どちらに?!」
息を上げ、慌ただしく入ってきたのは先ほど話題に出ていた侍女のマリアだった。
◆◇◆
時計を見ると、もう演奏会が始まる時間だった。プログラムでは、一番目が一年生の部の歌、二番目が二年生の部の演奏、三番目は三年生の部の演奏と歌だった。
「はぁ…始まっちゃった……」
思わずため息が出る。一番手だったティアラの出番は過ぎてしまった。一緒に練習してくれた先生や、協力してくれたカイル様の顔が浮かび、きゅっと胸が苦しくなった。
「せめて誰か通りかかってくれたらな……」
淡い希望を抱くが廊下はずっと静かなままだった。待っていても解決しない、自分でもなんとかしなければと立ち上がり、扉へと近づきもう一度内側の鍵を捻る。
「うっ、くくくく、う~~~~んっ!」
必死に力を入れて鍵を回してみるもやはりびくともしない。
「はぁ…だめ…か。どなたかいませんかぁーーーーーー!」
回せないのなら…と扉を叩いて声を出してみる。だが、やっぱり誰も来ない。
「……どうしたらいいのかな」
はぁ…と息をつき上を向くと天井近くに窓があった。でもこの高さだととても届きそうもない。周囲を見渡すと、台になりそうな椅子がいくつか置いてあった。
「……あれに乗ったら届くかな」
椅子を一つ抱えて、窓の下の台の上に置く。そして椅子の上につま先立ちし、窓の縁を掴んでみた。
「うっ…えいっ…はぁっ!届いた……!」
窓のふちに掴まる。だが足が椅子から浮いてしまった。そしてここにきてハッと閃く。
(待って…。もしこの窓から出られたとしても、この高さをジャンプするということで…)
少し考えたが小さな自分には少々難しい。やっぱり無理か…とつま先を椅子へと降ろそうとする。だがその時グラつき、バランスを崩してしまった。
「きゃあ!」
部屋中に大きな音が響く。椅子は横に倒れ、床に身体を打ち付けてしまった。受け身はかろうじてとったとはいえ痛みで涙が出た。
「いたたたっ……」
なんとか上体だけ起こすと、椅子が転がっていた。
「誰かそこにいるのか…?」
外の方から聞き覚えのある声がした。
「えっ!?あっ、あの!います!!助けてください!鍵が開かなくて出られないんです」
「今行く」
ガタガタッと音が鳴り、しばらくすると鍵の開く音が聞こえ、勢いよく扉が開いた。
「大丈夫か?…ティアラ嬢?!まさか本当にこんなところにいたとは…」
――そこに現れたのはカイル様…ではなく、
「クリス皇子殿下…!」
ゆっくり身体を起こし立とうとするも足首に軽い痛みが走り、少しだけよろけてしまう。どうやら捻ってしまったようだ。
「無理するな」
「すみません…」
痛みが緩和するまで、そのまま床に座り込み、目線を下へ落とすと、床にはピンクのジャスミンの花が落ちていた。転んだ時に髪につけていたものが落ちてしまったようだ。
「クリス皇子はなぜこちらに?」
「私は君を迎えに来たんだ」
「……え?」
そう言うと、転がってしまったジャスミンを拾い上げ私に差し出した。
「……あ、…ありがとうございます。どうして私がここにいるとわかったんですか?」
「ああ、実は西の演奏会場へ向かう途中に、一年生が二人で話している様子を見かけてね。私も今日の主催関係者だからね。大体の生徒の顔は把握しているんだ」
「なるほど」
「欠席になっていた二人がうろうろしているのも不思議だと感じたし、そのまま関係者の控え室へ行くと今度は一向に到着しない君の代わりに舞台で歌うと言い出したものだからね」
私の代わりに舞台で二人が歌ったのか…。なんだか胸がチクリと痛んだ。そんなに歌いたかったのか…。でも、こんな方法で歌って本当に嬉しいのかな。
「実は以前彼女達とお茶を共にしたこともあったんだ。その際に、ここの控え室は鍵の施錠が良くないから気を付けるようにと言ってもいたんだよ。私は彼女たちが演奏会の練習の際にここも使うと思ったから親切のつもりで伝えたんだが…」
「フェルマーナさんたちは私を閉じ込めるために使ったということですね」
「……そういうことになる。フォルテ先生も君のことを心配していたよ。彼女たちは君が体調を崩して寮に戻ったと言っていたんだが、本当かどうか怪しくもあったからね。私も、もしかしてとこちらにいるのではないかと思って念のため来てみたんだ」
「……そうだったのですね。ご迷惑をおかけしました。おかげで助かりました」
クリス皇子は「いや、無事でよかった」と安堵のため息と共に微笑みかけてきた。
「さぁ、会場へ戻ろう。今ならまだ最後に歌うことくらいできるだろう。私が取り次いでやってもいい。君の歌はもっと皆に評価されるべきだ」
「あ、でも、そんな……」
「君は、今までずっと練習してきたじゃないか。近くで聞けなかったのは残念だったけどな」
「あっ……う、すみません…」
「いや、いい。ただ今日こそ、きちんと聞けると思って楽しみにしていたんだ。どうか私の為にも歌ってほしいんだ」
そう言うとクリス皇子殿下は手を差し伸べ立ち上がらせてくれた。だが、歩こうとすると捻った足が痛んだ。しかし耐えられないほどでもない…。このままやり過ごそうと思って足を少々庇うように一歩ずつ歩き出す。
「ティアラ嬢…足をひねったのか?」
「うっ!なんでわかったんですか…」
「やはりか。それくらいだいたいわかる。少々失礼する」
そう言って、クリス皇子はしゃがみこむと、軽々と私の膝裏に腕を通し、そのまま持ち上げた。
「きゃあ?!」
所謂お姫様抱っこの状態で抱き上げられてしまい、慌ててしまう。
「あ、ああるけます。だいじょうぶです」
「ククッ…。無理をするな。それに君は羽のように軽い」
「……っ」
なんてことを軽々と言うのだろう。目を丸くして驚く。だが、今の自分たちの状況を見て今度は口元が自然と緩んでしまった。
「ふっ、ふふふっ」
「なんだ?」
「い、いえ、なんでも」
口元を押さえて笑っていると、不思議そうな顔で見られた。
「良い。二人でいる時は堅苦しいのはなしだと言っただろう?不敬罪にはしないから」
「……。あ、あの、なんだか本当に物語に出てきそうな白馬の王子様みたいだったから…」
「……」
「……あっ、あのあの、やっぱりすみません。失礼なこと言いました」
無反応なクリス皇子に不安になり謝る。
「……ティアラ嬢」
呼ばれてゆっくりとクリス皇子の方を見る。
彼は優しく微笑んでいた。
「やっぱり君は可愛い人だな」
「……っ!」
コツンッと物音が鳴り、扉の方を見るとそこにはカイル様が立っていた。だが、彼の瞳は冷たく、内に怒りを秘めたような色をしていた。
「カイル様」
「おや?これはフォルテス卿…。君の大事な姫君は無事だったよ。私の方が一足早かったようだがね」
カイル様は無表情だったがその言葉にピクリと眉を動かし、そしてゆっくりと近づいてきた。
「保護してくださってありがとうございます。殿下も壇上での挨拶が控えているでしょう?後は私が引き受けますので、行っていただいて結構ですので」
「ククッ、そう睨みつけるなよ。保護しただけだろう?」
クリス皇子殿下は私を下ろすと「ではティアラ、またな」と言い、その場を後にした。
「カイル様…」
「大丈夫だった?怪我はないかい?」
「あ、はい。でも、窓から出ようとしたときに…足を少し捻っちゃって。それで皇子殿下が抱き上げてくださったんです」
「そうか…。少し見てもいいかい?」
「えええ、いえいえいえ、たいしたことないのでって!わっ、わあっ!かいるおにいさまっ!!」
私の返事を待たずにカイル様は私を椅子に座らせると足元に膝をつき足首を見てくれた。
「あぁ……腫れてはいなさそうだ。よかった」
「うう…だから言ったじゃないですか…」
「それでも心配なものなんだよ」
そのまま手を髪へと伸ばす。添えていたピンクとオレンジ色の薔薇も良い位置に整えると、優しく微笑まれた。少し気恥ずかしさがあったが、それと同時に一番来てもらいたかった人が来てくれて安堵の気持ちが広がる。
「そろそろ行こうか」
こくんと頷き、立とうとするが、ぐっと抱き寄せ持ち上げられる。
「ひゃああ!カ、カイル様!そこまでされなくてもっ…」
「あいつにさせたのに、僕がやらないと思ったの?」
耳元で囁かれ、思わず顔が熱くなる。そのままカイル様は気にせず歩き出す。見上げると、カイル様の整ったいつもの優しい顔が近くに見えた。それだけでホッとする。来てくれたことが嬉しくて、ぎゅっとジャケットを握りしめた。
「あの…カイルさま…」
「ん?」
「見つけてくれて…嬉しかったです。ありがとうございました」
「うん」
私はそう伝えると、そのまま彼に身を委ねることにした。
・ピンクのジャスミン(花言葉):「あなたはわたしのもの」
・オレンジの薔薇(花言葉):「絆」
・ピンクの薔薇(花言葉):かわいらしさ、上品等
ジャスミンの裏の花言葉もあるんですが、直接的な意味では当てはまらないかな…といった感じです。
・ティアラのドレスはチュール生地のカーテンのようなAラインのビンテージドレスがイメージです。




