クレアの魔導書とお嬢様の歌
◇◇◇の部分はクレア
◆◇の部分はカイルです。
◇◇◇
魔術科の授業が始まり、クレアは日々着々とその実力を発揮していった。
「では、この水を器から浮かせ球体になるようにしてみようか。高度な魔法になるほど、その構造や原理を考慮しなければいけないのだが、君たちはまだ初歩段階だ。さっき教えた数式を頭に入れながら体感的にも覚えていきなさい。まずはそれぞれ試してみるように」
教卓に置かれた大きな器に入った少量の水に先生は菫青石で作られた精霊石の杖をかざすと宙に水の球体を作って手本を見せた。
生徒たちはそれに倣い、それぞれ自分の机の上にある器に入った水を精霊石の杖を使って浮かせようとした。
だが、まだ魔法を使うことに慣れていない生徒たちは水を波立たせるだけだったり、浮かんでもすぐに器に落としてしまったりと魔法が不安定な者ばかりだった。
クレアも同じように杖をかざす。できるだけ杖の方に魔力を集中させるように精神統一する。すると、器から水が浮かび上がり、見る見るうちに球体へと変化させていった。
「クレア・レイアード。素晴らしい!上手に変化させたな」
「は、はいっ」
クレアはそのまま状態を維持し集中させる。ゆらゆらとした球体は更に綺麗な歪みのないボール状にまで変化した。
【魔導書Ⅰ】
―魔法―
・魔法を使う時には自身の魔力を精霊石に集めるように力を込める。精霊石に自分の魔力が伝わると、精霊石は反応するように光り、自分の魔力を精霊石を通してコントロールできるようになる。
・強い魔力を持つ者は、精神を安定させれば精霊石がなくとも魔法を使うことは可能である。
・魔力安定のできない者は精霊石を使い精神を安定させる方法もある。
―6つの精霊の力とアルマンディン世界との関連性―
・このアルマンディン世界は、光、闇、水、火、風、土の6つの精霊の力とが深く関わっている。この世界に存在するものにはすべてそれらの精霊の力が宿っていると考えられている。
【精霊石】とは、大地や海、山など自然から精霊の力が集結し、結晶化したものである。それらは鉱物、鉱石となり、私たちの生活の中での重要な資源とも活用されている。
【人間】にも皆それぞれ6つの精霊の力を宿して生まれてくる。しかし、その力は個体差があり、血筋や環境に左右されることもある。また、食物や自然豊かな場所で生活するなど、持って生まれた魔力がそれらによって強化、弱化することもある。
―人間と精霊石との相性―
精霊石と人間とにはそれぞれ相性が存在する。人間の体内に宿る6つの精霊の力=魔力の内、水の力が特に秀でた者は湖や川、海岸など水に関係した鉱物、鉱石などの精霊石と相性が良い。
逆に火が秀でた者は、スカルン、ペグマタイト、ホルンフェルスなどマグマに関与した鉱物と相性がいいなどがあげられる。
闇においては、精霊石が作られる上で条件が揃いやすいので、対象になる人間にとってはどの精霊石も使いこなすことができる。
だが逆に、光に関しては、隕石がぶつかった衝突でできた石やプラチナ、鉱物の純度や希少性の高いものなどで補うなど、まだわかっていない部分が多く研究の対象となっている。
このバナディス帝国では水、火、風、土を操る者が主流であり、光、闇の能力者は限られた者とされている。
―精霊石・付属効果の研究―
近年バナティス帝国では精霊石の更なる効果、性能について研究が進められている。保温、冷気効果、身体保護魔法などの補助魔法を精霊石に込め一定時間魔法の効き目を持続させる技術などが研究発表され実用化に向けての準備も進まれている。
クレアはここ数日、図書室で魔導書を読み漁りながら一人で考え事をしていた。自分の秀でた能力は火が強かった。その為、火を用いた魔法は特段上達が早かったり、得意分野となると教えられた。
だが、人の魔力を見れるという部分に関してはとても特殊で魔術者すべての者ができるわけではないそうだ。その能力は光の魔力からのものだとコーディエライト先生は教えてくださった。
その特殊能力をコントロールする為、モルダバイトの精霊石を常に持っているようにと言われ、ブレスレットに加工し、つけるようにしていた。
深い森林のようなモスグリーンの色合いが特徴的で、ページを捲るたび彼女の白く細い手首をゆらゆらと揺らしていた。
彼女は思った。あの時、先生に頼ったのは本当に正しかったのかな…と。そして、自分の予想が当たっていたとしたら、ティアラになんといえばいいのだろうかと…。
――――――――――
「先生、私の特殊能力についてなんですが、人の魔力というものは一色なんですか?それとも、色々な色がついたりするものなんですか?」
「…それは、どういうことかね?」
コーディエライト先生はこちらをじろりと睨みつけるような暗い青の瞳で見てきた。
「えっと…、以前そういったものをちょっと見たことがあったもので」
「ほほぅ、それは興味深い…。私はその能力がないから実際の色というものはわからないが…。文献や研究資料には、他に色は見えると記されているね。君はどこでそれを見たんだ?」
「あ…、あの…」
先生は典型的な魔術者といったおどろおどろしい雰囲気を醸し出しており、遅くまで研究してでもいるのか目元はクマができていた。
明らかにちょっと変わっていそうな風貌な為、そのまま真実を話すべきか迷い口ごもる。
実は見てしまったのだ。ティアラの蝶の髪飾りに黒い靄の様なものを。そして、新入生歓迎会の時にも…。
彼女の婚約者のフォルティス卿の魔力。それは通常の魔力の光と共に蛇のように渦巻くような淀んだ黒い靄がかかっていた。
「以前、見かけたんです。数年前に領地に遊びに来てくれた方がいるんです。その方の首元に黒い輪っかの様な靄が見えた気がしたんです」
それは嘘ではなかった。本当に領地に視察で来られた高貴なお方がそうような状況になっていたのだ。そして、後日その方の近況を聞いた時には病に臥せっているとのことだった。
「なるほど…それは、とても興味深い…。闇は特殊ゆえ、その魔力は黒く見えるとも言われるが…。君が言っているものは禁術の部類か…?いや、…帝国魔法の部類の方か…?」
先生はぶつぶつと呟いている。
「せ、先生…。それは、じゃあ魔法にかかっているということですか?体にはどのような影響があるのですか…?」
「…ものによる。即効性のものあるし、遅延性のものもある。どちらにせよ、良いものではないだろう。徐々に毒に侵されるようなものだろうな」
「それって、精霊石にその禁術を掛けて装着させることもできるんですか?」
「……なぜそう思う?」
「あ、あの…、新入生歓迎会の魔法はそのように精霊石に魔法を込めたと聞いたので…。できるかな~って?」
「…ふむ。禁術に関しては更に高度だ。簡単には精霊石に宿せない。できたら、犯罪が多く起こってしまうだろうしな」
「……だがしかし…。…いや。……可能性はなくはないな……」
と、そのまま自分の研究室の方へと歩いて行ってしまった。少し不気味さがあったが、魔法について詳しく知っている者はあの先生しかいなし…。
臥せてしまった方が今現在どのような状態でいるのかもわからない。自分には情報も調べるすべも少なすぎた。ただ、これで少し得たものもあった。
◆◆◆
放課後の演奏会の練習日、やはり二人は練習に訪れることはなかった。数分待った後、私はカイル様にお願いして一緒に外で練習するのを付き合ってほしいことを伝えた。
カイル様の研究を邪魔するのは少々申し訳なくも感じたのだが、あらかた自分の研究論文はできてるから平気だと言われてしまった。
私はすぐに悩んだり躓いたりしているのに、どうしてそうも簡単に彼はなんでもこなしてしまうのか。優秀な婚約者に対して自分は…とつい比較してしょげそうになった。
いつものシロツメクサの場所へとやってくると、そこは静かで白い鳩が数匹ベンチの端にとまっていた。
私たちが近づくと、パタパタパタッと一斉に飛んで行ってしまった。カイル様とシオン様がよく稽古している場所から奥の丘の上まで移動する。辺り一面は今日も穏やかでシロツメクサがそよそよと揺れていた。
「カイル様、こっち見ないでください」
「どうして?」
「前に立たれると、恥ずかしいので…」
眉を寄せ、頬をほんのり桃色に染めて抗議させてもらう。ただでさえ気恥ずかしいのに、前に立たれるのは居たたまれない。
クスクス笑いながら、わかった、じゃあ横に行くよと言うとカイル様は横の方に移動し、腰掛けるのにほどよい岩に寄りかかった。
その姿を見届けると、向きを前に戻し、大きく息を吸って、吐いてを繰り返す。あの時のイメージを思い出しながら。
大きく大きく、手を鳥の翼のように広げ、ゆっくり下す。見上げると今日も綺麗な水色の空が広がっていた。
「……可愛いな」
「カッ、カイル様。急に何言ってるんですか」
「ごめんごめん。だってパタパタしてるから」
「これは深呼吸です」
「え?そうなの?なにかの儀式かと思った」
「も~~」
頬を先ほどよりも赤く染めて怒ってみせた。はいはい、ごめんって、もう一回深呼吸してと催促され、さっきの様に深く深呼吸する。小さい声で、「小鳥みたいだな…」という声が聞こえてくるが無視することにした。
もう一度集中、集中。
目の前に見える大きな山の方に目線を合わせ心を落ち着かせる。発声練習をして音を合わせた。
風が吹き、サッ――と草木が震える。そのタイミングに合わせるかのように一つずつ音を乗せていく。風がやみ、静寂の空気に包まれた瞬間、声を発し大きく歌い始めた。
◆◇
その声はどこまでも透明で優しい歌声で、カイルは全身鳥肌が立つような迫力を感じた。心臓を食らいつくように音が鳴り響き共鳴する。感情が容赦なく揺さぶられるようだった。
澄んだ声は体の奥底まで響き渡り、全身を優しく包み込む。無垢な優しさが胸に突き刺さる。
その瞬間、過去の記憶が走馬灯のように駆け巡るような錯覚に陥った。その中で一番強い記憶が思い起こされ冷静さを失いそうになった。
それは『笑顔を向け駆け寄る少女が黒い渦に飲み込まれ倒れた』時の記憶だった。
◆
手を胸にそっと置き、大きく大きく音が響く。遠くの山まで風と一緒にはばたくように。たんぽぽの綿毛がふわふわと舞うように、穏やかな木々の木漏れ日の煌めきのように、声に抑揚をつけて。
自分が自然の一部となったかのように、歌声は響き渡り、溶けていった。
「ティア…」
ハッとして横を振り向く。その名前は、懐かしい呼び方だった。幼い頃、そうやって自分のことを呼んでいた。
そしてカイル様も私のことをそう呼んでいた。でも、いつしかお互い大人になって、言葉使いを正して、「ティアとカイルお兄様」から「ティアラとカイル様」と呼ぶようになっていたのだと思う。
だから、とても懐かしくて心の奥底でドクンっと反応したような気がした。
「カイル…さま?」
「ふ、ふふ…これは、確かにすごいな…。参ったな」
そう言うと手で目元を押さえて辛そうに息を吐いた。
(わ、私、またやっちゃったの…?)
慌てておろおろとカイル様の隣に近寄ると、ぐっと何か湧き出る感情を堪えて黙っている。
なんと声を掛ければいいのかわからず、でも心配でどうにかしたくて、いつも私の手を握ってくれたように、そっと手に触れてみる。しかしその手をパッと放し、恐怖で青ざめたような顔をされた。
「っ……」
いつもと違う反応にたじろぎ不安になる。顔が一気に強張ってしまった。
「あっ…、ごめん…」
ティアラの歌が予想以上にすごくて感極まっちゃっただけだから…。そう言って苦痛を無理に隠そうと笑ってみせた。
「あの、…私の声、なにか悲しくさせるのでしょうか…」
「そういうわけじゃないよ」
「でも…!」
頭をぽんぽんと撫でられる。ゆっくり息を吐きながらカイル様は教えてくださった。
「それだけ、ティアラの歌は感情を揺さぶるほど上手だったってことだよ」
「……本当に?それだけなのですか?」
「…いや、正確にはそれだけではないよ。もっとすごい」
「もっと?」
「うん。簡単に言うとセイレーンの様な力がある、といった感じかな。留学先でもそういった歌手がいてね。人間の体の中には精霊石のような微弱な力が宿っているというだろう?ティアラの歌はね、歌自体上手なんだけど、更に体内の魔力も共鳴させてしまうような音を持っているんだと思うよ」
「音…ですか?」
「上手な歌を聴くと締め付けられるような切なさや心が揺さぶられたりするだろう?自分の魔力と自然の精霊の力が触れ合うと共鳴して心臓と脳が刺激されるというか…。そのせいで過去の記憶を思い起こしたりしちゃうんだ」
「そうなのですね。カイル様は何でも知っているのですね」
「ああ、精霊石を研究する過程で色々調べなきゃいけないことが多いからね」
「そうなのですね。でも、過去のことを思い出して、みんな悲しくなってしまったら…」
「あー…いや、記憶っていっても、例えば、母の子守唄を聞くと自然と反射的に切なくて泣きたくなるような懐かしさや切ないものと言えばいいのかな。…僕の場合はちょっと別のことを思い出しちゃっただけだから…」
カイル様が思い出した過去の記憶…。
ふと、ずっと奥にしまっていたようなおぼろげな記憶が雫のように一つ二つと心に溶けていった。
「…カイルおにいさま…?」
ぼーっとしながら呟く。逆にカイル様は目を見開いてとても驚いた表情をされた。
「あ、その、ティアって言ってたから…。ふふ…懐かしいですね。昔はそうやって呼んでたなと思って」
「……ティア」
頬に触られその指をそのまま顎に滑らせ上にそっと向けさせられる。カイル様は私の表情や体を窺いどこか異常がないかと医者が患者の状態を見るようなそぶりをされた。
どうしたのですか?と首を傾げてみせると、その拍子でカチッと鈍い音と共に蝶の髪飾りが地面へと落ちてしまった。
「あ、落ちちゃった…」
しゃがんで取ろうとするが…
「……えっ?あ…壊れて…る…」
・スカルン(石灰岩の地層に、マグマが触れて変化した部分)
・ペグマタイト(マグマが固まって岩石になるときに最後まで固まらずに残った部分が集まった部分)
・ホルンフェルス(泥岩がマグマの熱で変化したもの)
精霊石=鉱石、鉱物にしたいなーと、ふわっとした思いで書き始めたら、書いていくうちにとても細かい設定になってしまいました。もっとふわっとしてふわっと終わるはずだったんですけども…。
※鉱物、鉱石はただのこだわりなので、この宝石はこの色か~って感じで軽く読んでいただいて構いませんので。




