お嬢様と本当の皇子★
あの騒動から一転、ジディス卿は学園から一ヵ月ほどの謹慎処分を受けることとなった。
私も、生徒会と二度も揉める形になってしまったので、周囲からの目を恐れていたのだが、意外にもこちらへの被害は特にあらわれなかった。ジディス卿側が処分対象と公表されたので、私やカイル様は被害者だと認識されたのかもしれない。
カイル様曰く、「彼の日頃の行いも兼ねてちょっと注意させてもらったからね…」とにっこり言われたが、目が笑っていなくて少し怖かった。ジディス卿と揉めた時に、カイル様が何か言っていたことと関係しているのかな…。でも、あれから、クリス皇子も目立った行動はなく、私の学園生活は緩やかで平和な日々へと戻っていった。
ただ、本格的に魔術科と剣術科の授業が始まったので、普通科の授業の時は三人一緒にいるが、それぞれの科目がある時間帯は私の方はマナー授業が組み込まれたり、授業そのものが早く終わってしまったりと、三人別々の行動になってしまうのが少々寂しくもあった。
それに、放課後には私も演奏会の練習もあるし…。
「それじゃあ、この二番目のところから合わせましょう。よろしいですね」
音楽のフォルテ先生のピアノ伴奏と共に私と、AクラスのリズレイアとCクラスのフェルマーナが声をあわせる。音が重なり綺麗な音色を奏で部屋全体に広がっていく。
リズレイアはお喋り上手な陽気な子で髪を二つに分け編み込みを入れた猫目の女の子で、合間合間に面白いお話をしてくれる。もう一人のフェルマーナは片方に髪を一括りにしいつも可愛いリボンやお花の髪留めをつけたオシャレな子だった。おっとりした子で三人の会話を上手にまとめてくれるような子だった。
「フェルマーナさんはもう少しここの部分の音を三人と同じになるように。リズレイアさんはもう少し抑揚をつけてみてください。ティアラさん、あなたはここからこの部分のところをソロパートとして歌ってもらえますか?」
「え…、ソロですか?」
「ええ、三人の音がブレやすいので、ティアラさんがやった方がいいでしょう。他のお二人もよろしいですね?」
「「はい」」
「ティアラさんすごいわねっ!」
「本当、羨ましいですわ〜」
ひそひそと小声で囁かれた。大役を頂いて、嬉しさと照れ臭ささが混じって口元が綻む。
「では、今日はここまでとします。皆さんよく練習に励むように。演奏会までもう少し頑張りましょうね」
◆◆◆
それから数日経ち、練習の日々が続いたのだが、ここで少しズレが生じ始めた。
私の前を歩く二人がひそひそと話してはこちらをちらっと見てくる。最初こそ、優しかった二人だったのだが、あの日を境にニ対一といった組み合わせでどこかよそよそしい。というか、避けられている…。
先生が付き添う日は二人とも参加するが、自主練習の日は早めに帰ってしまったり、来ない日もでてくる始末だ。一刻一刻と演奏会までの日が近づいてるというのに…。
「ティアラさん、私達今日はお先に失礼しますわ~」
フェルマーナさんはそう言うと、早々と支度をして二人で音楽室から出てってしまった。
一人ぽつんと残され教室は一気に静まりかえってしまった。開けられた窓のカーテンが風に乗ってひらひらと揺らめく。外から小鳥の鳴き声が小さく聞こえてくる穏やか午後だった。
「皆でやらないと、完成しないのにな…」
呟くように出た声は静まり返った部屋でやたらと大きい声のように聞こえた。何度も歌った歌詞はもう頭に充分記憶されている。でも、一人で歌ってもどこか頼りなく音が乗らなかった。
二人共本当は私がソロをやるのが気に入らなかったのかな…。いっそのことどちらかに譲ればよかったのか。
それともソロを断って皆で歌うことを提案すればよかったの?もやもやして、ここで歌うことが段々と辛くなってしまい、居た堪れなくて教室を出ることにした。悩んでもこればっかりは解決できなさそうな気がした。
ぼんやりと気の向くままに歩いていると行き着いた先は大きな白猫と会ったあの丘だった。けれど、白い綿毛のような猫ちゃんはそこにはいない。そうタイミングよく会うなんて難しいか…。期待が外れ、悲しくなって大きなため息が一つ零れ落ちた。
そよ風が吹いて、シロツメクサとタンポポがゆらゆらと揺れている。日差しは温かく、空気が澄んでいて気持ちがいい。
見上げると薄っすら雲がかかった青い空と小鳥が数匹飛んでいくのが目に入った。両手を空へと大きく広げ、すーっと肺に沢山の空気を入れる。それから少しずつ息を吐いてみる。
お腹の底から声を出してみた。伸びた声が気持ちいい。
大きな音は次第にこの場に溶け込むように響き渡った。
小鳥の囀りのように音をテンポよく弾ませると心のもやもやが少しずつ軽くなるようだった。
いや、そうしたいと思った。今自分に出来ることを最大限頑張るしかないような気がしたから。
段々と声を大きく力強く出してみる。風を吹かせるように音の波が空気を震わせた。
◆
「天使…みたい、だな」
声がする方に顔を向けると、そこには茫然とした表情で立っているクリス皇子がいた。彼の透き通る淡い青の瞳から涙がはらはらと流れ落ちている。
「皇子殿下……。あ、あの、よろしければこちらを」
皇子の意外な姿に動揺してしまい、思わずハンカチを差し出す。
「…え、…ああ、私は泣いていたのか…」
陶器のようなきめ細やかな頬に涙の滴が何度も滑り落ちる。それが自分のものだということにいまだ信じられないとでもいうかのように不思議そうにしていた。いったいどうしたのだろう。私も突然のことで対応に困ってしまった。
「…ははっ…、こんなに純粋に感動してしまうなんて初めてだ。君の声は不思議だな」
感動…?皇子が私の歌に…?
「そのようなお言葉を頂けるなんて。お、お褒め頂きありがとうございます」
「いや、今はそういった堅苦しい言い方はしなくていい。今日は私も一人だし…」
顎に手を添え、少しの沈黙の後、皇子は呟く。
「……ずっと仮面をつけるというのも疲れるな」
どういうことだろう?意味を解こうとじっと彼を見つめると、彼は少し眉を寄せ悩ましげに微笑んだ。
「ああ、私は皇子だから…。色んな表情が必要なんだ。第四皇子という地位は、優れすぎても堕落しすぎても駄目なんだ。程よい程度の愚かな皇子を装っていないといけなくてね…」
内緒だよ…?と少し筋張った人差し指を口元に寄せ少年と青年の中間のような薄っすら幼さが見え隠れするような子供らしい表情をされた。
「そんな大事なこと、私なんかに言っていいんですか?」
「ああ。君はきっと変な風に喋ったりしなさそうだし。それに、言ったところで、まぁ皇族なんてそんなものだろうって思われて終わりだよ」
「……あ」
「嘘でも本当でも他人にとっては些細な事さ。…でも、私は、自分を偽ってばかりでそろそろ疲れていたのかもな…」
そう言うと彼は目を細め、静かに息を吐いた。
「すまないが…、もう一曲歌ってくれないかな?」
その歌は、この帝国で古くから親しまれている有名な曲だった。第四皇子の母である皇妃様が好きな曲で、小さい頃よく聞いた歌なのだそうだ。だが、その母も側妃ゆえ正妃に疎まれ、早々に命を絶たれた。
この帝国内での帝位継承について、第一皇子はクリス皇子殿下と血の繋がりのある実の兄だったが幼い頃に亡くなったそうだ。第二皇子は温厚な方だが床に伏せがちで、今有望なのは少し気性の荒さが目立つ第三皇子との噂がたっていた。
第一皇子の死についても正妃による毒殺なのではないかと当時噂が絶えなかった。詳しくは聞かなかったが、クリス皇子がそのように色んな表情を…、仮面を被らなければいけなかったのは自身を守る為だったのではないか。そう考えるととても息が詰まりそうだった。
-皇族は嘘ばかりだ…-
カイル様は以前そのようなことを言っていた。私も警戒は完全に解いているわけではない。でも、確かに皇妃や第一皇子は亡くなっている。そして皇子の話や表情が全て嘘だというには、少し判断が難しかった。クリス皇子は母の好きだった歌を聴き、また一筋の涙を流していた。その涙まで嘘だと、私は思いたくなかった…。
「皇子殿下は…どうして私を生徒会にと思ったのですか?」
「必要だと思ったからだよ。統括する際に宣伝塔というものは重要なんだよ。この人なら支持したいと思わせるような存在はどのような場においても必要なんだ。でも、ジディス卿が失礼なことを言ったようで申し訳なかったと思っている。けして害をなしたくて近づいたわけではないのは理解してもらいたい」
皇子の薄い色の瞳には、日の光が灯り長いまつ毛の影ができていた。その整った容姿は、誠実そうな真剣な顔のようにも見えた。
「そ、そうだったのですね…」
「今もやっぱり生徒会は嫌かな?」
「………すみません」
「ククッ、即答か。それはやっぱりフォルティス卿に言われているのかい?」
どのように答えようか迷ったが、結局隠すことでもないと判断し頷いて見せた。
「従順なんだね。どうしてそんなに彼を信じるんだい?」
「……?」
そんなこと、考えたことなかった。
「幼い頃からいつも遊んでもらっていたので、ずっと頼りになる方だと思ってて…」
「頼りになる人だったら誰でもいいの?」
「いえ、そういうわけじゃ…」
皇子の目はとても印象的で、吸い込まれてしまうようだった。
「ミャ~ァ」
ハッとその声に反応し、声の主を見ると私とクリス皇子との間に、ルビーがちょこんと座っていた。
「ルビーちゃん!」
突然のもふもふの登場に一気にテンションが上がってしまった。座って、おいでおいでと両手を広げるとルビーはしなりしなりと上品に歩いてまた膝の上に乗って来た。
「よく懐いてるな。こいつ私には全然懐かないのにな…」
「え?そうなんですか?ルビーちゃん、皇子殿下も仲良くしたいみたいよ」
両脇に手を入れお顔を近くに寄せてお話ししてみる。ルビーは、ミャーと鳴くとまたクンクンと鼻を動かし私の鼻にキスをしてくれた。
「挨拶してくれるの?かわいい子ね。あ、皇子殿下も触ってみますか?私が抱っこしておくので背中にちょっと触れてみてはどうですか?」
急に振られ、皇子は少し戸惑い遠慮すると断ったが私が持っていますのでひっかいたりさせませんと言うと苦笑しながら、じゃあ少しだけ…と手を伸ばしルビーの背中をガシッと掴んだ。触られたルビーはビクッと反応した後、うぅ~と唸り怒りの声を表した。
「あ、皇子殿下そんなに強く掴んだらびっくりしちゃいます。触るときは、優しくこのような感じで、そっと撫でてください」
頭部をこしょこしょっと撫でてから、背中を優しくスルリと撫でて見せる。ルビーはゴロゴロと喉を鳴らしてぐるるにゃ~っと嬉しそうに鳴いて見せた。態度の違うその様子に皇子は複雑そうに不満を漏らした。
「…納得いかないな。なんでこんなに違うんだ?」
「動物は皆怖がりですからね。でも、優しく触ったらきっとルビーちゃんもわかってくれますよ」
「ふぅん?難しいものだな」
私の膝に大人しく座っているルビーはふわふわで、顔が半分埋もれてしまいそうだった。皇子はその様子をじっと見つつも、それ以上ルビーには触れようとはされなかった。
「ティアラ嬢はのんびりしているな…」
「え?」
「変に馴れ馴れしくしたり、媚びを売ったりしてこないから楽だなと思ってな」
「ええ?」
「何のしがらみもない友達って感じ。なぁ、またここに歌いに来てくれないか?もう生徒会としては誘わないからさ」
「それは…。カイル様に怒られてしまうのでできません」
「私は皇子だぞ、従えないのか?」
「え、えっ…?も、申し訳ありません」
凄みのある声と、以前見せた重々しい態度に変貌してしまい、顔を真っ青にして驚いていると、クリス皇子はパッと表情を変え、今度は口元に弧を描き微笑んだ。
「ふふ、はははっ…。すまない、そんなに本気で驚くとは思わなかった。今のは冗談。でも君もブレないね。じゃあ、そうだな…。またここで歌ってほしい。実はね、ここの近くの校舎でよく書類仕事をしているんだ。私はそこで聞くから。それだったらいいだろう?」
それなら、皇子に近づいているわけではないし、問題はないかな………?少し迷ったが、私の歌で泣いていた皇子を見た後だと、どうしてもそれ以上断ることはできなかった。




