お嬢様と皇子
手紙に目を通しながら、机に寄りかかり紅茶をすする。紅茶にはラム酒が程よく混ざっており、上質な香りが口中に広がった。
「カイル様、レヴァン卿からも手紙が届いてます」
「ああ、わかった」
ジラルドから手紙を受け取り、その内容を確認すると、カイルは眉をひそめて硬い表情を浮かべた。
「定期の統計だな。領民は水かな…。やはり山脈からの影響が多いか」
「水…ですか?」
「ある程度の影響はあるだろうな。とはいえ蓄積量は十数年だろうし、血筋からの影響の方が強いかな…」
「コランダム国からの手紙は?」
「その土地での純度の高い精霊石が相性がいいって。あとでそっちにも返事を書こう。とりあえず少し休む」
そう言いジラルドを下がらせると、カイルはソファに深く腰掛け、両手を組んだ。絡めた指には指輪が当たり、おもむろに目線を向ける。リングの平面に埋め込まれたダイヤは手で触れてもさほど凹凸を感じないようなデザインになっている。
それでもダイヤは美しく輝き、存在を主張しているようだった。カイルは指輪を再度奥へはめ、ゆっくりと目を瞑り、頭をソファに傾けた。
◆◆◆
休み時間、教室は賑やかだった。私たち三人も囲んで楽しく談笑しているところだった。
「私ね、ついに俊敏の鷹の君の情報を掴んだの!」
クレアは得意げに言うと、私とフレジアは目を輝かせた。
「えっ!すごいじゃない!」
「どんな人なの?」
私たちの食いつきの良さに思わずクレアの口元が緩む。
「それがね、どうやら魔術科にいるみたいなの。名前はシノン・グリンベリル卿。しかもかなり成績優秀な生徒みたいよ」
「えぇー!あの俊敏の鷹の君ってそんなに頭が良いんだ…」
でもここで、一つ疑問が浮かんだ。クレアは魔力が見える時があると言っていた。新入生歓迎会はどうだったのだろう。
「クレアは俊敏の鷹の君の魔力は見えなかったの?」
「それがね!その時に限って見れなくって…。本当どういうタイミングで自分で魔法使っちゃうのかよくわからなくて…。はぁ、早く魔法うまく使えるようになりたいぃ…」
魔術科の授業が本格的に始まるまでにはまだ日があった。というのも、この一ヵ月間は普通科で魔力がある者もない者も共通して魔術についての基礎知識を学ぶ期間でもあるのだ。
魔法が使えない者でもこの帝国で魔法がどのような分野で使われているのか、精霊石の色や、大きさでもって威力が違うなど知識として知るべき点は多くある。
クレアにとってはやっと自分の悩みを解決する方法を学ぶ場でもある。だが魔法の実技は、一ヵ月後の魔術科に移ってから行われる。なので開始する数週間後がとても待ち遠しいといった様子だった。
「魔術科か…、でも二年生だものね。剣術科の時の様に何か披露しに来てくれたらいいのにな…」
「そうね。…あ、でもね!放課後、よくコーディエライト先生の研究の手伝いをしてる時があるんだとか?あ、そうそう、ルビーのお世話をしているところを見たって人もいたわ」
「ルビーちゃんのお世話ぁあ?!」
先程よりも声を大きく聞き返してしまった。
「それはどこでやっているの?お世話ってどんなこと?餌をあげてたの?それともブラッシング?」
「ティアラ、落ち着いて。本当ルビーが大好きなのね。そうね、ご飯をあげてるのを見たって言ってたわ。校舎の南側の奥の個室にコーディエライト先生の研究室があるみたいなの」
うんうんと熱心に聞きつつ、南側の奥といえば、以前カイル様とシオン様と稽古した場所の近くだと気づく。だから、会えたのかしら…。
「放課後はだいたいそこにいるのかしら。見に行ったら会えるのかな…。何かプレゼントとか渡したらいいのかしら」
フレジアは顔を赤らめ両手を頬に当て、ぽわぽわと俊敏の鷹の君のことで頭がいっぱいといった感じだった。
「あ、私、クッキーなら作ったことあるわよ!」
「本当!?寮に自由調理場があったわよね?そこでだったらたぶん作れるわよね」
材料は玉子と小麦粉と…とクレアはクッキーのレシピを語り、フレジアはメモを取り始めた。二人はどんどん盛り上がっていく。...が、ここでふと思った。
図書館での出来事
『好きでもない奴からもらっても…』と言っていたアルベルト様
二人は嬉しそうにあれこれとラッピングについての話に移っている。だが、結果を見てきた身としては、このままだと悲しい結果になってしまうのではないかという一抹の不安が過った。
…いやいやいや、俊敏の鷹の君だったら、もしかしたら受け取ってくれるかもしれないし。
―『処分しといてくれ』―
目を瞑ると、カイル様の声がこだまするように頭に響き渡った。
「………」
現実はシビアだった。
(やっぱり、このまま何も言わないのはよくないわよね…)
「…あっ、あのね?」
「プレゼントもいいと思うんだけどね。突然知らない子に渡されたら受け取ってもらえないことも多いみたいなの。そ、それに、甘い物嫌いな男性だっているかもしれないし!だから、まずは放課後様子を見に行ってみるのもいいんじゃないかな…」
一生懸命説得しようと口を動かす。言葉を選んでクッキー作りじゃない方に誘導しようと必死になってしまった。不自然じゃなかったかな…。で、でも悪い結果は避けたいし…。
「そっか、そうね!まず偵察が必要よね」
「なるほど、じゃあ今日早速行きましょう?!」
なんとか上手くいったようだ。ほっとして、顔の筋肉が緩みへにゃんとしてしまう。
「ふふ、ティアラのそういう一生懸命なところ、可愛いわよね」
「え?」
「本当、ティアラは純粋だしね。そういうところもぴったりな名前よね」
「それって…」
「月夜の天使様」
「知ってたの?」
「あら、ティアラもようやく気づいたの?フォルティス卿に教えてもらったのかしら?」
「ううん、知り合いの方が教えてくれたの。でも二人とも知っていたのなら教えてくれてもいいのに」
「だって、ねぇ?」
「そうそう、新入生歓迎会の後からティアラぽわぽわしてたから。フォルティス卿とのこと、少し話してくれたでしょ?幸せそうだったから、変に月夜の天使のお話を振ったら動揺しちゃいそうで可哀想かなって思って」
「ええ!」
そんな風に思ってくれていたなんて…。その気遣いが嬉しくてジーンとしてしまい、二人の手を取り「ありがとうっ!」と言いながらブンブンと握った手を揺さぶった。
嬉しさともどかしさが入り混じり、潤んだ顔になってしまったが、クレアもフレジアも「ティアラのことならお見通しだもんね?」とおどけながら微笑み返してくれた。
◆
放課後、クレアが言っていた、校舎の南側へと三人で俊敏の鷹の君ウォッチングに行くことにしたのだが。
「たぶんここら辺だと思うんだけど」
「まだ来てないのかしら?」
「あっちの木陰にベンチがあるから、お喋りして自然体を装いつつ待ってましょうよ?」
フレジアの提案に私達は手を挙げ賛成ー!とはしゃぎながら、ベンチへと移動した。
〈ベンチに腰掛けて待つこと数分〉
「…遅いわね」
「うーん。今日は来ない日なのかしら」
「あっ」
「鷹の君じゃないけど、あれ生徒会の人達じゃない?」
校舎の奥の方から生徒会会長のクリス皇子と副会長のグレイス・ジディス卿、書記のスネーク・ディガル卿が揃ってこちらの方へ歩いてくるのが見えた。
ディガル卿…!!!!!
肌が毛羽立つかのようにぞわぞわと鳥肌が立った。
表面上では笑顔で皆それぞれ平静を装いつつも、内心ドキドキしていた。引きつりそうな笑顔を固定し、三人でひそひそと話す。
(ねぇねぇ、なんだか道変えてない?)
(ほ、本当だわ。こちらに来るのかしら…)
(ええぇぇっ!や、やだ、ここ通るのかな?)
話している内に生徒会の方々は目の前までやってきてしまった。
「やあ、君は確かティアラ嬢だったね。こんなところで会えるなんて奇遇だね。お友達の方々もこんにちは。確かクレア・レイアード嬢と、フレジア・アルメイナ嬢だね?」
予想通り、皇子は素通りなどしない御方だった…。
構えていたはずにも関わらず、動揺しそうになる。なぜ二人のことも知っているのだろう?皇子の記憶力が素晴らしいのかそれとも、生徒会はそのような部分もすべて調べているとでもいうのか。
ひとまず私達はカーテシーをして、令嬢の固定挨拶のような定型文をスラスラと述べた。ノヴァーリス学園は爵位に関係なく平等性を掲げた学園ではある。
だが、この皇子に至っては、前回会った時の印象から考えて、きちんとした形で挨拶するのを好む方のような気がしたのだ。
「へぇ、この子があの月夜の天使か。スネークが揉めた子だろ?」
女性受けしそうな美形だが、チャラそうな印象の茶髪のジディス卿がそう言った。
「うるさいっ!俺はもう関わる気はない。話は振るな」
「お~、怖っ。何苛立ってるんだ?フォルティス卿に何か言われたのか?」
クスクスと笑いながら、ジディス卿はディガル卿の顔を覗き込む。ディガル卿は苦虫を嚙み潰したように黙り目をそらした。てっきり、また絡まれるのではないかと思っていたが、ディガル卿はなにか怯えたような様子で私の方へは目線を一切向けようとされなかった。
(ディガル卿どうしたのかしら?以前とは全然反応が違う…)
「まぁ、俺はこっちのお二人の方も気になるけどね?君たち予定がないならこれから一緒にお茶しに行こうよ。俺いいとこ知ってるから。ね?」
「あ、あの」
ジディス卿はフレジアとクレアに近寄ると甘い言葉を並べ口説き始めた。フレジアは少し戸惑い顔で押され気味だし、クレアは微笑みつつも眉が寄っていた。
「ティアラ嬢、ここへはよく来るのかい?」
「あ…いえ、…たまたまです。お天気もよかったので」
鷹の君ウォッチングしに来たとは説明しづらく、思わず適当に誤魔化してしまった。
「そう。じゃあ、偶然だったのか。でもちょうどよかった。実はずっと以前から話して見たかったんだ。皆が今注目している月夜の天使と言われていたし、何よりフォルティス卿が囲うほどの令嬢のようだしな」
クリス皇子は端正に整った美しい容姿をしていたが、その瞳の淡い青はガラスの様な無機質な色を放ち、表情から何か読み取るということはできなかった。
「囲う…ですか?」
「気づいてないのかい?おやおや……これは、だいぶ大事にされているようだ。彼はどうしてそんなに君に執着しているんだろうな…」
「…?」
囲う…、執着…?
「いや、こちらの話だ。気にしなくていい。それより、どうだろう。僕たちと一緒に生徒会をやってみないかい?先ほども言ったけど、君は月夜の天使として今注目されている。生徒たちのいい刺激になると思うんだ」
「あ、あの…」
「ああ、今すぐに決めなくていい。よく考えてから答えを出してくれ」
「あ、あのわたし…できません」
「……それはどうして?」
冷たい水色の瞳でジッと見つめられる。ビクッとして一瞬怯む。だが、直感的にカイル様の言葉が浮かんだ。
―目を逸らさないで……怯えないように……―
ああ、そうだ。動揺を悟られたら負けだ。目を逸らしたら押し通される。ぐっと手を握りしめ、身体を硬くする。カイル様は皇子に関わらないようにと言っていた。今断らなかったらまた言いに行かなければいけなくなる。私は自分自身を奮い立たせ、声を発した。
「…あの、…そ…のっ、私は人前で何かまとめたり、演説したりとか、得意ではなくて…。生徒会の皆様の足手まといになるだけですので…」
「へぇ…、僕の誘いを断るの?…それなら」
「会長!」
クリス皇子が話をしている最中に、割り込みの声が入って来た。
「お話し中すみません。頼まれてたものができたので来てくれとコーディエライト先生が言ってて…」
目の前の男性は、すらっとした長身で、深い堀を縁取る整ったアッシュグレーの眉と、切れ長の鋭い瞳が印象的な人だった。彼は急いでいたのか、皇子も最初こそ不機嫌そうな顔を見せていたが、話の内容を聞くうちに従い表情が柔らかくなっていくようだった。
「君たちもすまない」
(今のうちに行って…)
屈んで、頭上から小声で囁かれる。そしてさっと肩を軽く押された。ハッとして、急いでお辞儀をする。クレアとフレジアも引き際を感じ取り、その場を上手く立ち去ることに成功した。
だいぶ距離を取った後に、ぼそりとクレアが口を開いてこう言った。
「鷹の君だったわね」
「あ、あ会えたわね」
フレアの言葉に、先ほどの一連のこともあり、まだドキドキが止まらず、声が震えてしまう。隣にいたフレジアを見てみると…
「いた…。会えた…。きゃあああ……むごっ!…うぐっ!!ううぅ~」
いきなり叫びだした。ぎょっとして、クレアと私は咄嗟にその口を塞ぐ。さっきの場所から離れたとはいえ、大きな声を出したら気づかなくもない距離なのだ。私たちは口を押さえつつ、二人三脚…するようにフレジアの両端について早足でその場をさっさと離れることにした。
【俊敏の鷹の君ウォッチング中】
ティ「あ、うぐいすの声が聞こえる。あっちはつばめだわ!」
クレア「あそこにつばめの巣もあるわね」
フレジア「ちょっとちょっと、二人とも鳥じゃなくて鷹の君の方探して」
「「は~い」」




