お嬢様の夢と婚約者様の好きなもの★
――伸ばしたその手は虚しく空を掴み
その弾みで、辺り一面は一気に黒く暗転した
恐怖で閉じた瞼を恐る恐る開けると、そこは広大な星空で、地面にもこぼれ落ちたかのように辺り一面同じ色を映していた
無数の砂金を散りばめたような光がちりりと震え瞬くさまは切ないほど美しかった
…掴めそうで、掴めない
不思議な世界
その中でひと際輝く光が流れ星のように一つ落ちてきた
両手で受け止めるとそれは熱を持ち、全身を包むかのように心地よい温かい光となった
陽だまりのような…、母の腕の中にいるような…
不思議な安心感に見まわれ、うとうとと眠くなる。身体を縮こませ、甘えるようにぎゅっと掴み、頭を擦りつけたくなった
……ティアラ
…クッ…
………フフッ……フフフッ……
……くすぐったいよ
…………ん?
ぱちっと瞼を開くとそこにはカイル様がいた。……目を擦ってもう一度見たがやっぱりいた。
「…え?」
夢を見ていたのだと1テンポ遅れてようやく気づく。どうやらあのまま、あそこで眠ってしまったようだ。私はカイル様の膝の上で猫のように丸くなっていた。ぎゅっと彼の服を掴み、お腹に蹲っていたようだ。自分がしていたことを瞬時に理解しパッと手を離す。恥ずかしすぎて顔を覆って悶えた。頭から湯気が出そうだった。…な、なんてことしちゃったんだろう。
「ティアラ…大丈夫?」
「全然大丈夫じゃないです」
「あ、大丈夫だね」
だいじょうぶじゃないって言ってるのに……恥ずかしい。急いで起き上がろうとしたが、身体が思うように動かずグラつき、カイル様の胸に力なくもたれかかってしまった。
「あ、あれ?…ごめんなさい。なんだか身体に力が入らない…?」
「………もう少し、落ち着いてから帰ろうか」
どうしたんだろ……。身体が鉛のように重くて眠たかった。
「なかなか帰ってこないってマリアが僕のところに尋ねてきたんだ…。探してたらここで寝てたからびっくりしたよ」
蝶の髪飾りをつけていたとはいえ、それでも時間通りに帰ってこなければ心配されるのは当然かもしれない。自分自身でも、こんなに深く眠ってしまうなんて思いもしなかった。
「私…、コーディエライト先生の猫ちゃんと遊んでて、それで…。カイル様、ルビーちゃん見かけませんでしたか?」
「…いや?僕が来た時にはティアラだけだったよ」
「そうですか…。じゃあ、ちゃんと先生のところに帰ったのかな……」
キョロキョロと顔を傾け周囲を見渡してみるが、周りには誰もいなかった。すると、上から大きなため息が零れ落ちてきた。目線をカイル様の方に戻すと、頬を軽くつねられた。
「こんなところで寝ちゃだめだよ…?」
眉目秀麗な顔を歪ませ、心配そうに見つめられる。自分の行動に負い目を感じていたこともあり、「うっ」とたじろいでしまう。目を泳がせていると、ふいに抱き寄せられ、カイル様の輪郭の整った綺麗な顔が近づいてきた。
ドキッとして目を瞑ると、コツンと額と額がくっついた。「心配した…」そう、耳元で囁くと小さな吐息と共に密着した肌からお互いの心臓の音が共鳴するかのように響いているようだった。
「……ごめんなさい」
背中に回された腕に身を預けると、カイル様はもう一度強く抱きしめてきた。
◆
ウツラウツラしながら、先ほど見た不思議な夢のお話をする。喋らないとまた眠ってしまいそうだったから…。
「夢の中で…誰かと会う夢を見た気がするんです…」
「誰だかわからなくて…」
「…でも、悲しそうで…」
「手を伸ばしたら…真っ暗になって…見えなくなっちゃって…」
「………っ」
カイル様は陰りのある表情で、瞳の青が悲し気に揺れているようにも見えた。
あぁ……そんな表情だったかも……。
そう思い、彼の頬に手を伸ばし、触れると今度は感触がちゃんと手に残った。それが何故だかとても嬉しくて自然と笑みが溢れた。
次に目が覚めると、そこは寮の自分のベッドで、身体はすっかりいつも通り動いて元気いっぱいだった。カイル様に会ったことも実は夢なのでは…などと言っていたら、マリアに、「カイル様がここまで運んでくださったんですよっ!現実です!」と言われた。本当に申し訳ない……。
そしてその後マリアに厳しいお小言も頂くことに…。令嬢がそこら辺で寝るとはどういうことですかと……。本当その通り過ぎて返す言葉もなかった。
◆
雲がちらちらと浮かぶ陽気のいい昼下がり、自室にソフィアを招いて、つかの間の休日をのんびりと過ごしていた。お気に入りの焼き菓子を振舞い、紅茶はレヴァン領で人気の香り豊かな紅茶だ。ミルクと相性がよくて、私もよく飲み慣れ親しんでいるものだった。
今日彼女を呼んだのは、一緒に遊びたいということもあったのだが、もう一つ。悩みを聞いてほしかったからだ。
「私、いつもいつもいつもお世話掛けてばかりでね。何かお返しをしたいの。カイル様ってどんなものが好きなのかな」
毎回どこか抜けている為、ご迷惑をおかけしている自覚は沸々と感じてはいたのだが…。更に蝶の髪飾りの魔法を知ってから余計に何か感謝を形にしたくてずっと悩んでいたのだ。
「ティアラ」
指を差して答えられる。いやいや、そうじゃないよっ!と顔を赤らめ、目で不満を訴える。
「うーん…そう言われてもなぁ。ん?…もしかして後ろに置いてあるもの全部お兄様からのもの?」
ソフィアの目線の先にはベッドに腰かけたくまのぬいぐるみ、うさぎのぬいぐるみ、花飾りがついた帽子、宝石がついた紫のリボン、珍しそうな水晶……とカイル様から頂いた品々を指差した。
「うん、そう。私もその都度お返しの品はしているんだけど…そろそろネタが尽きたというか…」
「うーん……んー…。あ!原点回帰でリボンとかは?以前一緒に選んだじゃない?」
「うん、留学してた時だったかな。お手紙に、髪が伸びたってあったから一緒に選んでプレゼントしたよね」
ふふ…懐かしいねぇと、当時もこうやって一緒に相談したときのことを思い出した。
「そうそう。今回はそのリボンに刺繍を入れてみたらどうかしら?幸運のシンボルマークとかあるじゃない?そういうのはどうかしら」
「なるほど。…でも、今までしてきてもらったことを思うと、リボンだけではお返しにならないよ…」
「そう…?たぶんお兄様は喜ぶと思うけどな。あ、じゃあ、観察しに行きましょ!」
「かんさつ?」
「そうっ!相手の好みを知るには相手を観察して、身に着けているものや、普段よく食べているものとか色々調べるの」
ソフィアはにやにやと楽し気に話し、思い立ったら即行動よっ!っととても意欲的だった。若干の不安を抱きつつも、それでも心強い親友と共に私はカイル様を観察することにしたのだった。
◆
「カイル様の好きなものですか?」
まずはここよ!とソフィアが連れてってくれたのは、カイル様のお付きの従者であるジラルドさんのところだった。とはいうものの、カイル様のいる男子寮には入れないので、ソフィアの侍女のマリを通して双方の寮の中央にある談話室まで来てもらうことにしたのだ。
フォルティス家のマリさんとジラルドさんは兄妹なのだそうだ。銀髪で鋭いナイフのようにキリッとした姿勢がとても印象的だった。
「そうですねぇ、ティアラ様ですかね?」
ニコッと即答される。
「いえ、聞きたいのはそういうことではないんですっ」
頬がさっきよりも赤くなるのを我慢しながら否定する。また言われた……。
「フフッ…。失礼しました。ティアラ様の一生懸命な表情を見るとつい…。カイル様がからかいたくなる気持ちがわかりますね」
「
ジラルドさん~」
「兄さん、いたいけな少女をいじめてはいけませんよ」
マリがぴしゃりと注意をする。
「あぁ、そうですね。こほんっ。カイル様は青系や深い色が好きですね。後は行動派でもあって旅行好きですね。それから最近ではワインにハマっていましたね」
「ワイン?」
「はい。カイル様は結構コレクターなので、色々な味を吟味して楽しんでいましたね」
私は頭を悩ませた。というのも、ワインは得意ではないのだ。一応一口二口くらいは飲んだことはあるのだが、口の中に広がるアルコールと喉を焼くような熱さが苦しくて、美味しさについてはよくわからなかったのだ。
「えっと…、お気に入りとか、一般的にどういうものを選ぶべきなのですか?」
「カイル様はカシスやストロベリーなどベリー系の香りがする赤が好きですね。肉料理にも合いますしね。とはいえ、白のライム系も…。あ、プレゼントにするのでしたら、お相手の方の誕生日の年のワインをお選びになるのもお洒落かもしれませんね」
「ベリー系…。フルーティーなものがいいのかしら。誕生日…」
「まぁ、とはいえ、ワインの種類は産地によって種類も味もさまざまですしね。それに同じ銘柄の物でも、その年にぶどうの質が悪ければ、味もまったく変わってしまうこともあるのです。なので、なかなか…」
「プレゼントするには当たり外れがあるから難しいってことかしら?」
「ええ、よくお調べになってからじゃないと難しいかと」
「ふむっ…。ティアラ、もう少しお兄様を観察しましょ。ジラルドありがとう。お兄様は今日はどちらに行くか言っていた?」
「図書室に行くと仰っていました」
「よしっ!ティアラ、私達もそっちへ行ってみましょう」
ソフィアは私の手を取って、先へ先へとぐいぐい引っ張っていった。
渡り廊下を抜け進んでいくと、視界に中庭の新緑が目に入ってきた。太陽の日差しを受け、青々としげっている。その奥には皇子様とそれに群がる女生徒が数名楽しそうに談笑していた。 私は横目で見てさっと視線を移そうとしたのだが、そこを呼び止められてしまった。
「こんにちは、ソフィア嬢。休日の日にお会いできるとは、今日はとてもついているようだ」
「ごきげんよう、皇子殿下。可憐な花々に囲まれ、今日も一段と優雅なひと時を過ごされていらっしゃるようでなによりですわ」
私達は綺麗なカーテシーで挨拶をし、ソフィアは丁寧な言葉を返した。
「君のそばにいるのは、誰だい?顔を上げてごらん」
「はい、ティアラ・レヴァンと申します」
「とても可愛らしい子だね。どうだい、今からみんなでお茶をしに行こうと思っていたんだけど君たちも一緒に行かないかい?」
皇子は柔らかな美貌を惜しげもなく振りまくように私たちに笑顔を向けた。
「申し訳ありませんが、生憎外せない用事がありまして…。それに皇子殿下の周りのお姉様方と約束されているのにも関わらず、突然ご一緒するのは失礼にもなりますので」
では…と、ソフィアは私の手を強く握り優雅に、されど足早にその場を移動してくれた。
◆
「ソ、ソフィアすごいね!さーっと断ってかっこいい!私、ドキドキしてどうしようかと思ったぁ…」
突然の皇子の登場に驚いたけれどソフィアは上品で優雅に、そして周りの女生徒の関心を避ける為、できるだけこちらに敵意を向けられないようシンプルに対応して立ち去ったのだ。
「ふふ…、私も本当はあまり得意じゃないんだけどね。でもあの場にずっといたら、皇子殿下も余計なこと言ってきそうだし、周りの女の子たちには敵意の目を向けられちゃうしね。ティアラも気をつけた方がいいわよ?可愛いからホント狙われちゃうわ」
「えぇ…。そんなことないよ。婚約者の方もいるのに恋多き行動なんて皇子にとってもよくないんじゃないかしら。って…あれ?ソフィアにもいるわよね。婚約者様」
「皇子殿下にとってはそこら辺はどうでもいいんじゃない?王族だから許されると思ってるとか。まぁ、私も何かあったら婚約者様に相談するけどね」
「ソフィアも婚約様と仲良しなのね!」
「ちっ、違うわよ!そんなんじゃないわ。私の健康茶飲んでも倒れなかったからちょっと認めてあげてるだけ!!」
まさかのここで突然の健康茶発言。あからさまな動揺。どういうことだろうか。とても気になる。
「飲ませたの?大丈夫だったの…??」
「なぜだか大丈夫だったわ…。他にも色々試したんだけど駄目で」
駄目ってどういうことなのかな。他にも試したのか。そして倒れてほしかったのかしら…。ソフィアの恋愛観がちょっとよくわからなくなる発言だった。
「すごい強靭な胃の持ち主なのね…。でも、あれ?飲んだって…この学園にいるの?」
「ええ、いるわよ。今度会わせてあげるわね」
そういうと、はい、私の話はもうおしまい!今日はティアラの方をしっかりサポートするのっと言って、赤らめた頬を隠すように、前を歩いて行ってしまった。
◆
図書室は広い空間で、本の種類も豊富に取り揃えてある。円状に大きく開けた場所に受付があり、全体をざっと見渡すことができるようになっている。
四方には本棚が陳列され各コーナーに本が分類されている。いたるところに椅子が設けられており、ゆったり腰掛けて読める工夫もされていた。
また二階には勉強もできるよう机と椅子が集中して置いてあった。数名が既にそこを利用にしているようだった。私達は周囲を見回しカイル様を探すことにした。




