第二章
その後、すくすくと成長した私は、とりあえず幼稚園に行くことになった。
そのころには自我も芽生え始め、意識もはっきりするようになっていたために、徐々に過去を、断片的にだが思い出し始めた。
まず、初めに感じたのは、私は一体何をしているのかという事だった。
過去を思い出すとともに、急速に理性と知性が成長し、今まで何の違和感も抱いていなかったこちらの世界が、途端に歪なものに感じられ始めたのだ。
一体なんだこの謎の機械文明は!?
いきなり、中世レベルの文明からやってきて、現代のテクノロジーに触れた者として、かくあるべしという驚愕と戸惑いを今更覚え、自分でも何だかおかしくなった。
急速に増大した知識と知能のために、幼稚園では、私と同年齢だと称する、あの低能なチビゴブリンの群れとのコミュニケーションが、逆にあまりにも無益でバカバカしいために、実に難儀させられた。
これは、大人として子供と接するのとはわけが違うのである。
ほぼ同規模の大きさの自然動物と、自分も素っ裸で四つん這いになり、大自然の中で”対等に”交流すれば分かるだろう。
想像するだけなら、最初は面白いと思うかもしれない。
だが、ほぼ毎日、一緒の小部屋の中に、数時間もぎゅう詰めにされ続ける苦痛を理解してほしい。
子供を嫌いだと思ったことはなかった。
だが、いざイヨちゃんが、私に好意を抱き、ダンゴムシをプレゼントしてくれると、実はイヨちゃんのことが好きなヘキル君が、機関車の積み木を投げつけてきたり、絵が上手いと評判のトウタ君の絵を、みんなで絶賛する空気になって、その絵が落書きに見えないのに、手を叩いて褒めてあげなければいけない時や、女ボスのキリアちゃんが、私に懸想をして、結婚しないと死んでやると叫びながら、クッキングトイの包丁で、自分の手首を切りつけまくっているのを見て、取り巻きの女子たちが、葬式で雇われる泣き女も顔負けの大号泣をしているさまを見せつけられていると、これは堪ったものではない。
ただ、唯一面白いと思ったことが一つだけあった。
どんな状況でも、目をかっぴらいてさえいれば、学ぶべき発見の一つや二つあるものだ。