八雲発つ
煙るような春霞が、そのまま溶けて花の海になったようでした。
江戸の頃からのしがない墓地ですが、桜の頃が一番、にぎやかです。と言っても、花見の客はほとんどございません。花や新芽で界隈がぎわうのでございます。
桜と言わず黄色い菜の花や、薄紫色の勿忘草が、足元を華やかに彩っております。石畳のそこかしこから青々とオオイヌノフグリや、明るいタンポポの花が精一杯芽吹いているのも見逃せません。
墓石についた緑苔さえも、春の温かい夜露に洗われて、日の出る頃には潤って若やいだ草色を発します。
そしてもちろん、頭上に目を向ければ、目を奪われるのは桜の花海でございます。
目も眩むほど辺りを占める桜の花枝には気を抜くと、魂を奪われてしまいそうになります。
じっと見ているとまるでひんやりとしたその空白の中に突き落とされてしまうかのようです。
その花枝の間を、かすかに目白の影が飛び交っているのが見えます。せわしなく鳴きかわす声が、昼日中はいつまでも響いています。
人の気がないだけで、ここは盛り場のようににぎわっているのでございます。
穏やかな春の陽がまぶしいほどに当たっている斜面を桜の並木に沿って登りきると、硬い葉ばかりになった椿の垣の中へ落ちていく一角が微かに見えて参ります。
そこは石段もすり減り、坂も短いのに急すぎる段差がついております。見上げると一際大きな、姥桜がどっしりと根を張り、花の季節の末にはこの一角は、降りしきる桜の花びらで埋もれてしまうのではないかとすら思えてしまいます。
ここは、無縁塚です。元禄の頃かそれ以前、下手をすると戦国乱世の時分からあったかも知れません。桜の古木の根続きに赤ん坊のように小さな地蔵菩薩が五つ、肩身を寄せ合うように収められています。
目鼻がすり減り、肩が欠けしているその地蔵たちの前に膝をついて、両手を合わせている紳士がおります。
癖っ毛の半白を波打たせた小柄な殿方です。浴衣に下駄を突っ掛けていますが、在処の生まれの方ではありません。どころか西洋人です。
「オロクさん、来ますか」
目を閉じたまま、先生はわたしに呼びかけます。こう言うとき、先生はどうして分かるのかと、何度見ても不思議な気持ちになります。
先生は、早稲田大学に聘されております。『ヘルンさん』と家族や知人は呼ぶと、仰られていました。元々の職業は物書きだと言うことです。日本の古いお話を集めておられます。
「良き夢、ここで見ていました。…ここは、東京のどこよりも、なんぼ静かでしょう」
ヘルンさんは心地良さそうに、眠たい息をつきました。
「この頃の東京騒がしいです」
それから少し、顔をしかめて不平を口にしました。
なんでも 露西亜との戦端が開き、帝都は連戦連勝のお祭り騒ぎなのだそうです。
どこの町辻も提灯行列のお祭り騒ぎで、地獄にいるようだ、と言います。変なことにヘルンさんは、それでなくてもこの寂れた墓地へは何かと足を運びたがるのです。
「外には良き日本ありません。ここにはあります。だから来ます。お墓、桜の花、オロクさん」
ヘルン先生はそうやって微笑まれて、わたしの顔をのぞきこむようにします。
先生の目は、蛙のように大きくて丸く、今にも飛び出しそうに見えますが、怖くはありません。それに、少しかわいそうなのです。
だってこんなに大きな目なのに、片方はひどい近眼、もう片方は綱引き遊びをしているうちに傷つけて光を失ったそうなのです。
「悲しいことありません。お陰で私、良きものだけ見て過ごしてきました」
ヘルンさんは世界のそちこちを巡って生きてこられたそうです。
先生がわたしから古いお墓の話を聞くのと同じくらい、わたしは先生から、見たことのない外国のお話をうかがいました。
そもそも先生は希蝋の小さな島で生まれ、亜米利加や印度のとても暑いところを選んで過ごしてきたそうです。
それからなぜだかこの日本が一番気に入って、腰を落ち着ける決意をしたそうなのです。
「なぜここが一番良いのでしたか」
「精霊います」
ヘルンさんは即座に答えられました。そんなものなのかと、わたしは思いました。何しろわたしは生まれてこの方、この墓地のことしか知りません。
外海のどこどこの国の話の方がよほど魅力的なものがあるように思ってしまいます。
「そんなことありません。ここで十分、天国です。良き夢のある国、私は沢山歩いてきました。でもここは、何でもあります。静かです。ここで死ねる、ここしか知らない、とても幸せ思います」
そんなヘルンさんは、わたしをなぜか『オロクさん』と呼びます。墓守りの子として、拾われたわたしには本当は名前などないのです。みな、「おい」とか「やい」と呼びつけるだけなのです。
それにしてもなぜ、ヘルンさんはわたしを「オロクさん」と呼ぶのでしょう。そう言えばこの無縁墓地へ案内したときから、そうでした。
「名前とても大事です」
ヘルンさんは、わたしに言いました。
「名前あること、それはこの世に、誰かに必要とされていること。誰か用事ある、だからあなたに名を呼びます。これ『縁』と言います」
「でもオロクは仏さまの名でしょう」
わたしは言いました。
オロクのロクとは『南無阿弥陀仏』の六文字のこと。つまりこの無縁塚に眠る名もなき人たちのことを指しているのではないか、とわたしは思っていたのです。
「そんなことはありませんよ。それあなたの名前です」
ヘルンさんはかたくなでした。
「そうでしょうか」
わたしは、唇を尖らせました。
もちろんわたしに、呼んでもらう名前などもともとないのですから、なんと呼ばれようと、一向に構いません。何か、名前をつけて呼んでくれたのは、ヘルンさんが初めてですし。ですがそれでも、もう少し何かなかったのかと、思わなくもないのです。
「オロクさん、私も名前もらうこと、それによって『縁』を結びました」
しかし、ヘルンさんは言うのです。
「ラフカディオ・ハーンと、皆はわたしの本当の名前呼びません。でも、違う名前くれます。それ『縁』とりもってくれること。名前呼ばれる、これこの世界から寿がれていること。祝福です。私はこの『縁』に名前もらって幸せでした」
と、ヘルンさんはずっと遠くを見つめる目をしていました。
「さよならです。そう言えばオロクさん、私、これから遠くへ発つかもです」
ぽつんと、ヘルンさんが言い出したのは、そのあとでした。
「この国を、離れるのですか?」
ヘルンさんは飛び出しそうにせり出した眸子を閉じて、何度か首を振りました。
「いえ、もう私、日本人です。…この国を離れること、もうない。でも間もなく発つ。そう思います」
「それでは東京から?」
それも先生はかぶりを振って、否みました。
「私、最近、夢を見ます。…遠く、遠くへ発つ夢です。もしかしたらここへ帰って来れなくなる、そうかも知れない。これなんぼ哀しいことです」
ヘルンさんの言うことはとりとめがありませんが、その分、話しぶりはどこか物悲しいものでした。
「でも、それは夢なのでしょう?」
わたしが尋ねると、ヘルンさんは深く何度も、うなずきました。
「夢です。長くて、遠い夢です。…それで、これまでの『縁』なくなってしまうかも知れない。哀しいことです。だから私、ここへやってきました。いつか、必ず戻って来れるように。『縁』結ぶために」
そう言うと、ヘルンさんは何かを取り出しました。それは、古く綴じ紐もほとびかけた、小さな草紙でした。
「昨日です。…やっと、見つけました。江戸の頃の旧い縁起です。あなたにこれ、見せるため来ました」
わたしは不承不承ながら、その冊子を手に取ってみました。するとなんと言うことでしょう。そこにこの、無縁塚の地蔵のことが描かれていました。
「地蔵菩薩、六体おります。最初の三体は、天文、永禄、元亀天正の頃。戦国時代です。それから明暦の頃に一体、元禄の頃に一体。…あなたは、享保のときです」
「わたしが?」
わたしは思わず、息を呑みました。さっきまで五体しかなかったお地蔵さまの隣にもう一体、小さなお地蔵様が隠れていたからです。そこに『享保元年 お六』と、確かに彫り込まれていました。
「あなた、お六さんです」
「なぜ、分かったのですか?」
「なぜでしょう」
はね返したように口をついた質問に、ヘルンさんは困った顔をされました。そしていつもの優しい笑みを口元に引いたまま、小さくかぶりを振られました。
「どこかでたぶん私、あなたのこと読んでいました。でも、ずっと名前忘れていた。『縁』を忘れていました。心残り。…それがこの世の名残りだったでしょう」
ヘルンさんはその冊子をそのまま、わたしに託されました。
「出来れば、あなたのこと書いておきたかった」
ヘルンこと、小泉八雲はこの年の秋に急逝する。突然の狭心症発作、享年五十五歳だった。
亡くなる二、三日前に、なぜか書斎がある庭の桜の花が返り咲いた。それを家族と眺めて喜んだと言う。
本編を描くのに、『明治文学全集48 小泉八雲』(中野好男編、筑摩書房)収録、『思い出の記』(妻、小泉節子語る)の記述を参考にしました。