七十三話
戦闘が始まり、幾分経過しただろうか。
一秒が何十秒にも引き延ばされたと感じる激闘の中、操られていた魔法使いや魔物を相手にしていたリューザスが不意に言葉を紡ぐ。
「……センスがちょっとあるだとか、物覚えが良いとか、もうこれはそんなレベルじゃねえぞ」
それはまるで、信じられないと言わんばかりのものであった。
「ゼノアの嬢ちゃんが見たらどう言うだろうな? 天才? 鬼才? いいや、きっと、ちげえだろうなあ。この次元になると、そんな言葉すら生ぬりぃ。言うなればこれは————〝バケモン〟の類だ」
その戦い方は、まるで熟練の戦士のソレ。
少なくとも、闘争という名の坩堝にある程度の期間。少なくとも老齢の人間にとっての半生以上の時間、身を置いていた戦人にしか見えない。
だからこそ、くつくつと喉を鳴らす。
否、鳴らさずにはいられない。
その差異を見てしまったから。
異常性を理解してしまったから。
喉の奥を震わせ、笑いでもしなければ、この事実を前に、冷静さを保てる自信がなかったのだ。
「嗚呼、全く。まったく意味がわかんねえ。何でそんなに上手く使える? なんで、攻撃をそこまで完璧に予測し、避けられる? あの夜、見た時も規格外とは思ってた。すげえ坊主がいると思った。だが、だが、ここまでじゃなかったろ? えぇ!?」
本来、土台あり得ない話なのだが、その変貌っぷりは正しく、人が変わったかのような。
事情を知らないリューザスだからこそ、理解が出来ない。追いつかない。
ユリウスの中には常に、最上の『手本』はあったのだ。足りなかったのは彼自身の能力。
劣っていたのは理想を体現出来るだけの純粋な身体能力。
故に、ゼノアから〝纏い〟を見て盗んだ時点で、戦闘能力に明らかな差が生まれるのは最早、必然でしかなかった。
機動力を得たと言うより、彼の場合は脳裏で描く理想を現実で限りなく近い次元で模倣出来るようになった、であるから。
それさえあれば、たとえ相手が誰であろうと、勝てない道理はない。
ただ、それだけの話だったのだ。
故に————。
「———————」
力量の差など無いかのように、打ち合う剣戟の音がひたすらに鼓膜を殴りつけ、大気を揺らし続ける。持ち前の魔法で身体能力を極限まで強化し、雨霰と攻撃を降り注がせて尚、致命傷は生まれない。
経験も、技量も、何もかもが優先であると思われたアルステッドが攻めきれないという奇妙な展開が出来上がっていた。
その事実を前に、焦燥感が身をこがす。
しかし、なまじ経験があるから。
戦士として優秀である事が、今回に限り、不利に働く。一向に事態は好転しない。
一瞬一瞬で移り変わる戦況の中で、何が一番適当であるか。
それを理解し、それを選択し続けるが故に、ユリウスは対処出来てしまう。
何故ならば、闘争の記憶は何千通りと頭の中に存在しているから。そして、その闘争の記憶の中で、ひたすら、最善を選び続けた人間の記憶を実際に見て、憧れて、模倣しようと試み続けていた人間こそが————ユリウスであるから。
だから、通じない。
最低限の裂傷のみで抑え込めてしまう。
……ただそれでも、身体に強いた負担による限界は、すぐ側にまで忍び寄っていた。
技術をいくら覚えたところで、肝心の身体が追いついてはいなかったから。
* * * *
心底、楽しくて、嬉しくて、高揚としていて————それでもって、どうしようもなく悔しかった。手が届きそうなのに。あと少しで届くと分かってるのに、それが無理であると。
そこに至る前に限界がやって来ると薄らと理解が出来てしまうだけの身体への理解がある為に、苦笑いを浮かべずにはいられない。
そして、歯列の隙間から喘鳴を漏らしながら、上限知らずに高まる剣戟の音をまた一度と生み出す。
身に余る技術を使用すれば、先に身体の限界がやって来ると〝流れ星〟で身に染みて分かっていた。自明であった。
ただ、限界が来るからとそもそもやらないという選択肢だけは取るわけにはいかなかった。
なにせ、強くなる為には限界という壁を超えなきゃいけない事は、自分自身が一番分かっていたし、かつての己が肯定した事であったから。
「……勘弁して欲しいね」
痛みには慣れている。
だから、痛みが付き纏う程度であれば、考慮にすら入らない。けれど、身体が思うように動かないとなれば話は別だった。
……ただ、それでも負けられない。
限界はすぐそこまで迫っている。
それでも対峙したからには負けられないし、無様は晒せない。
故に俺は、剣を合わせながらも、気の抜けたようにふは、と笑う。喜色を表情に彩らせながら、「楽しい」という感情をさらけ出す。
「こんなに楽しいのに、限界がすぐ側まで迫ってるってのは、さぁッ!!!」
一歩、一歩、確実に前に進んでいるという確固たる自覚が己の胸の内にあった。
強くなっている自覚がある。
これまで出来なかった事が、理想にまた一歩と近付けているという感覚がある。
「いい、加減……!! くたばりな、よッ!!!」
力任せに振われる剣が、交錯し、腕に痺れを残しては次へ、次へと攻撃がひっきりなしに行われる。
しかし関係ない。悲鳴をあげる身体を無理矢理に動かして全てに対応する。
見てから反応出来る速度の限界を超えて、かつて星斬りと呼ばれていた男が生涯かけて培った戦闘勘を用いて、全てを対処する。
「く、そが……」
言葉での説得は不可能。
実力での突破も、まだ出来ていない。
故に、アムセスは下唇を噛み締めながら、赫怒の形相で言葉を紡ぐ。
目尻から滴る鮮紅色の涙は、怒りによるものか。はたまた、魔法の代償か。
だが、そんなものは一顧だにする価値すらないと切り捨てて、アムセスは空いっぱいに広がる魔物に指示を下す。
「何も知らない理解しようとしない君が、邪魔をして良いような話じゃないんだよこれはさァッ!!!」
侮っていたのだろう。
だけど、それは仕方がないと思う。
星斬りの男の記憶さえ除けば、俺はただの剣士でしかない。〝流れ星〟のような反則染みた技を使えはするが、それでも対処出来る範疇であるとアムセスは決めつけていたのだろう。
誤算があったとすれば、ゼノア・アルメリダから、俺が〝纏い〟と呼ばれる歩法を学んだその一点。
「ああぁぁあッ!! 予定、を、変更だッ。もう、ここで潰す。王都のど真ん中でぶっ放してやろうと思ってたけど、ここでぜんっいん、潰してやる。そんなに戦いたいならお望み通り、全力で相手してやるよ……!!」
魔物の鳴き声が、一際大きく響き渡る。
そして、数える事が億劫になる程の数の魔物の殺意孕んだ視線が、俺という人間に注がれる。
僅かに、首筋が怖気立った。
「……というか、数、更に増えてない? あいつ、どんだけ備えてたのよ」
口元で笑みを作りながら、リレアは呆れる。
まるでそれは、襲って来るなら相手になるぞと言わんばかりの態度であって。
リレアらしい言葉を耳にしながら、俺もまた、笑みを浮かべる。
魔物を全て投入したいなら、すればいい。
立ち塞がるなら、立ち塞がればいい。
ならば俺はただ、その全てを撃ち落とすだけだから。
「……きれ、い」
展開する星斬りの御技————〝ナグルファル〟。
空を覆い尽くす程の物量を誇る魔物達によって、陽射しは遮られ、暗雲が立ち込めているかのように、あたりは暗くなっていた。
お陰で、光がよく目立つ。
光を帯びる攻撃、その一つ一つが、まるで夜空に煌めく星のように存在をその場に刻み付ける。
故に、ソフィアは綺麗、と口にしていたのだろう。
「こういう構図は好きだよ。こういう、我慢比べみたいな分かりやすい構図は」
先に倒れた方が負け。
先に意地を張れなくなった方が負け。
実に分かりやすい、のだけれど、正直に言うと勘弁して欲しい、というのが本音だった。
ゼノアとのやり取りから、疲労は蓄積しっぱなし。〝ナグルファル〟はもう幾度も撃ち放っている。限界という言葉があるなら、きっと既に通り越している事だろう。
しかしながら、これらは言ってしまえば、今更。
故に、とことんくたばるまでやろう。
「〝星降る夜に〟」
己の魔法である〝刀剣創造〟にて創った剣を振るう。
それを、二度、三度と繰り返す。
程なく、魔物へと飛来する刃は放たれる無数の息吹を斬り裂き、対象へと一直線に向かってゆく。
咆哮。断末魔。衝突音。破壊音。
それらを耳から耳へと素通りさせながら、ひたすら剣を振るう。
それこそ四方八方。
全てを覆うように、展開を続け————光輝く刃の軍勢と魔物の軍勢は交錯した。
「オリヴァーの方に君を行かせなくて正解だったよ……ッ!! 嫌な予感は薄々感じてはいたけど、まさか、こうも的中するとはさぁ」
衝突した側から巻き上がる砂煙。爆風。
天井知らずにそれは広がり、無差別に周囲を巻き込んでゆく。
アムセスが何かを言っている————それが何だ。知らない。聞こえない。気に留めない。
言葉を返すという行為すら惜しい。
その労力すら今は惜しい。
広、がれ。
広がれ、広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ広がれ————。
「ふ、はっ、」
身体を駆け抜ける激痛。
精一杯の見栄を張るように、歪んだ笑みを一つ。
空に溶けてゆく〝ナグルファル〟の残滓を見詰めながら、血の一滴まで余力という余力を今につぎ込む。
星斬りとは、星を斬るのは勿論。
何もかもを斬り裂く刃でなければならないから。そこに嘘をつくわけにはいかないから。
それを、嘘にするわけにはいかないから。
故に、故に————。
「————〝淵源波及〟————!!」
ここで手札を切る。
誰にも見せたことの無い手札を切る。
左右へ、両手を大仰に手を広げながら紡ぎ、その言葉を始動の合図として彼方此方に眩い輝きが生まれた。それはさながら、星のような。
「〝星溢れる夜天に〟」
空には、夜半でもないのに魔物の影に紛れて星のような輝きが無数に存在していた。
記憶の中の星斬りの男はこれを、何の下準備もなく一瞬で展開していたが、俺が展開する為には下準備が必要だった。
〝ナグルファル〟を用いて、周囲に乱発し、残滓を散りばめておく必要があった。
そこまでして漸く、使用が出来る。
「———————」
幻想的とも思えるその光景に、アムセスは言葉を失っているようであった。
理由は分かる。
そこまで驚く理由は分かる。
なにせ俺は、魔法使い狩りの男のように〝蒐集家〟などという魔法に恵まれたわけでもなかったから。
この世界において、使える魔法はひとつだけ。
それが不文律で、絶対のルール。
多少の例外は存在するものの、その例外を作っているのは他でも無い魔法だ。
だからこそ、魔法の力を一切借りる事なく、魔法染みた何かを創り上げる事は、あまりに常識外れ過ぎたのだろう。
涯なき数の星のような刃は、魔法という説明でなければ、魔法使いだからこそ、納得が出来ない。
「だから、称えたんだ。誰もが称え、憧れて、最後は誰一人として馬鹿にはしなかった」
人の身では、およそ成せる筈のない星を斬るという夢を、お前ならばいつか叶えられると————。
誰もがそう言った。
「そして、俺もその一人であるから、おめおめとくたばってやるわけにはいかないんだよ、ね」
あげる事にすら苦痛を伴うボロボロの右腕を、空に掲げる。
次いで、それをゆっくりと下ろしながら、胸中にて「降り注げ」と一言。
アムセスが慌てて、使用者である俺を始末せんと肉薄を始めていたが、既に手遅れ。
既にアレは俺の制御から離れている。
たとえ俺を殺したところで、アレが掻き消える事はあり得ない。
だからこそ。
「もう遅い」
ジュッ、と肉を灼き、地面を穿つ星降の音を耳にしながら、俺は不敵に笑ってやった。
頰に一筋の赤。
知覚する速度すら上回って飛来した攻撃に、慌てて肉薄を取りやめて大きく後方に跳躍したアムセスを前にしながら、ふらつく身体を支えきれず、俺は後ろに倒れ込んだ。








