七十一話
「……とは言っても、割と厳しいんじゃないの? 一人頭、何体と何人よ」
破壊の音。接地の音。衝突。喧騒に、鳴き声。
様々な音が入り乱れる場にて、不思議とリレアの声は隙間を縫うようにして俺の耳に届く。
「俺はアムセスと戦いたい」
だから、一方的にそれだけを告げ、突き刺すような濃密な殺気がぶわりと膨れ上がったと同時、土塊を後ろに蹴り飛ばしながら肉薄を開始する。
「ぇ、ちょっと、言い逃げは狡いんじゃないの!?」
————ソフィアちゃんに関する私の話、本当に聞いてたのかしら。
そんな呟きとも取れる声が聞こえて来る。
しかし、俺の行動を遮ろうにも、割り込むようにして躍り出てくる魔法使いによって、足は止められていた。
直後、煩わしいと言わんばかりの叫び声が続いたが、他に意識を割けるだけの余裕を抱ける余地はないとしてシャットアウト。
弓から放たれた矢が如き速度————〝纏い〟を用いて数メートルと空いていた距離を刹那でゼロへ。
首筋目掛けて吸い込まれるように振るう剣は、最早、耳にタコが出来る程聞き慣れた金属音に阻まれ、鈍い感触と共に痺れが腕を伝う。
「……実に、やり辛いね」
アムセスは顔を顰める。
絶妙に噛み合い、劈く金切音を耳にしながら生まれる再度の膠着状態。
しかし、俺の腕はその時点でビキリと悲鳴をあげていた。でも、それでもと体重をかけ、力を込めて五分の状態へと持ってゆく。
「僕の魔法に限らず、やはり、精神系統は君のような人間とは絶望的に相性が悪い」
落胆。失望。萎え。
そんな感情を見え隠れさせながら、言葉を並べ立てる。
「君や、リレアさんみたいに、一つの物事に固執して、どうにかしてソレと結び付けようとする人種とは、絶望的に噛み合わない」
自分の都合通りに動かす魔法。
それが精神系統とも呼ばれる魔法の本質。
ひたすらに幻惑し、誘導し、ミスリード。
果てに、対象は術中にはまる。
だが、それが一切機能しない人間もいる。
不可能を可能とする魔法であって尚、これっぽっちも機能しないおかしな人間が存在するのだと彼は言う。
「ただ、これは中途半端に賢しい人間にはよく効くんだ。あの連中や僕みたいな奴には特にね」
ただでさえ圧倒的だった膂力が更に、圧を増す。俺とさほど変わらない細腕。
その何処にこれ程までの力があるんだ。
つい、そんな泣き言を漏らしたくなってしまう。
————が、こと、俺に関してはその後に、歓喜の感情が付き纏う。
〝魔法使い狩り〟を相手出来ないことに落胆があった。失意があった。心残りがあった。
しかし、アムセスのコレは、俺の胸中の大半を占めていたそれらの感情を全て吹き飛ばしてくれる程のもの。
恐らくは、彼の魔法の効果。
単純に考えるならば、本来の身体に備わるリミッターを精神系統の魔法で痴れさせているのか。
だから、〝纏い〟を使用していても、こうもあっさりと対応されてしまうのだろうか。
分からない。全くもって分からない。
でも、それでもただ一つ。
目の前で言葉を交わすアムセスという人間が強いという事実が揺るがない事だけは分かる。
程なく俺は力負けし、身体ごと後ろに小さく押し返された直後、白銀の軌跡が頭部を刈り取るべく迸り、それを一寸の見切りで以て紙一重でどうにか避ける。
一瞬遅れて聞こえてきた風を斬る音が、俺の首に死神の鎌が掛けられていたのだと否応なしに伝えてくれた。
「ふはっ!!」
精神系統が通じないからと落胆していたが、それがなんだ。たとえ通じずとも、アムセスという人間の強さにはヒビひとつ入らない。
次いで繰り出されるは、喋る暇すら与えないと言わんばかりの追撃猛攻。振り回される暴威をどうにかいなす。
そして、機を待つ。
眼前の景色。壁、敵その全てを
「斬り裂け、————〝流れ星〟————ッ!!」
「遅い」
ほんの僅かの隙を突き、ここなら必中であると判断して繰り出した一撃。
しかしそれを、「遅い」と一言で片付け、薄皮一枚の犠牲で回避。
次いで、振り下ろされた剣を咄嗟の判断でどうにか防ぐも、すかさず、俺の脇腹へと、鋭角に脚撃が叩き込まれ、肺にたまっていた空気が一気に口から無理矢理に吐き出てゆく。
「か、ハッ……!!」
反応速度。
反射神経だけ見るならば、あの夜に対峙した〝魔法使い狩り〟をも凌ぎかねない。
というより、ただでさえ早かったのに、まだ更に速度が上がるのか……!!
「……ッ、ぐ」
蹴り飛ばされながらも、どうにか足を伸ばし、地面に擦り付ける事で勢いを殺す。
ずざざ、と音を立てながらも、完全に勢いが死んだと認識出来たと同時、目の前には得物を振り下ろそうとするアムセスの姿。
「精神系統の魔法使いだから、近接戦は出来ないとでも思ってたかい?」
————残念。寧ろ、僕は近接戦の方が得意なくらいだ。
付け足されるその言葉に、笑みをこぼす。
残念? ……いやいや、それは違うだろ。
そこは、幸運だったねと言うべきだろうに。
超える壁は、出来る限り高い方がいい。
「まさか」
僅かに痺れの残る腕で、再度得物を振るい、迫っていた一撃を防いでみせる。
そして破顔。
ひと回り以上の歳の差があるだろうに、油断も隙もなくこうして殺すと決めたら躊躇なく殺しに来る姿勢に、身体が震える。
それが武者振るいなのか。
この男を倒さねば生き残る事はできないと理解をしたが故の恐怖から来る震えなのか。
分からないが、出来れば前者であって欲しいとは思う。
「その程度はして貰わないと、貴族を纏めて殺すと宣いながらその程度かって拍子抜けしたと思う、よ————ッ!!!」
ばん、と大地を踏み鳴らし、深く大きく踏み込む。
————神速一斬。
一切の無駄を削ぎ落とした一撃。
これ以上ない一撃であると一瞬で放った己も理解した。大抵の相手ならば、これでどうにかなるのだろうが、ただ、アムセスがその「大抵」という枠組みに収まらない事は既に理解している。
故に。
————〝刀剣創造〟————。
振り抜いた側から、もう一方の手に収まるように、剣を創造。そして、両利きという特技を活かし、そのまま腹部目掛けて刺突を繰り出す。
「……ほんと、どんな反射神経してんの」
しかし、予測していた光景を裏切る結果が視界に映り込んだ。
ポタリと滴る真っ赤に染まる鮮血。
だがそれは、腹部を貫いたからによるものではなく、アムセスが手のひらで刃をガシリと掴み、止めた為に生まれた小さな傷故のものであった。
一瞬で手にしていた剣の片方を地面に捨てる選択を下し、突き出された剣を掴み取る。
果たして、逆の立場であった場合、俺は瞬時に弾くには時間が足りないからと判断して、その選択を掴み取れていただろうか。
……そしてそのせいで、一風変わった硬直状態が生まれる。
それが、二秒、三秒と続き、手にしていた得物を俺とアムセスがほぼ同時に手放した事で、その均衡は唐突に終わりを告げる。
次いで、アムセスの腕によって繰り出される直線の振り下ろし。
その威力は、先ほどから剣を合わせ続けていたから、痛いくらい理解をしている。
「でも、」
一瞬、脳裏を「躱す」という文字が過ぎる。
しかし、その考えをすぐに振り払い、僅かな臆しすら見せずに軌道を確認。
そして、手にしていた片方の得物を合わせるように振るい、ガキンッ、と一際大きな衝突音が立った。
「そのくらいじゃなきゃ、あえてこうして戦う意味がないよねえッ!!!!」
腕ごと持っていかれそうな衝撃に、眉根を寄せる。異様とも形容すべき威力だった。
だが、それでもと胸中で言葉を重ねる。
満腔に力を込め、歯列の隙間から息を漏らしながらも、一言を吐き出す息と共に紡ぐ。
〝流れ星〟。
合わさる攻撃と、攻撃。
その結果として、一瞬の互角の均衡の後、俺とアムセスの身体が弾かれるようにして彼方へ吹き飛ばされる。
アムセスは魔物の大群の下へ。
俺は、空き家らしき場所へと衝突し、瓦礫に埋もれる羽目となった。
「ユリウスッ!?」
吹き飛ばされた事で距離が縮まったのか。
ソフィアの悲鳴のような叫び声はよく聞こえた。
だが、それに返事をする事に時間を割く事をせず、俺は黙考する。
俺が警戒すべきは、アムセスのあの身体能力。
恐らくは彼の魔法がタネなのだろうが、対策は見つけようがない。弱点だって不明だ。
万全の状態の〝流れ星〟を当てられれば、それでアムセスを倒せるのだろうが、十分に溜めた一撃ともなれば……あの俊敏さだ。
恐らく、当たりっこない。
圧倒的な物量で封殺をするのは一つの手であるとは思うが、規模が膨らめば膨らむ程、制御が甘くなる。ソフィアやリレア達がいる状況で、それはあまりに拙い。
ならばどうする————と考えて、自虐めいた苦笑いを俺は浮かべた。
「……ぃてて、ほんっと、どうしたものかな」
後先考えず全力でぶつかり、剣戟の果てに、ともすればアムセスを倒す事が出来るだろうか。
そんな脳筋染みた考えしか浮かばず、思考をそこで止めた。
とどのつまり、手詰まりだった。
星斬りの技というものは結局、どこまで煎じ詰めても「星」を斬る為に存在するもの。
だから必然、その技は大技ばかり。
勘と本能で力を振り回すような魔物相手には有効ではあるが、獣の如き俊敏性を誇る相手にはてんで効き目がない。
こんな時、星斬りの男はどうしていただろうか。そう考えて————しかし、あの男は対人戦闘であっても無類の強さを誇っていたなと思い出す。
全くもって参考にならない。
でも、そういう相手をどうにかして下してこそ、剣士として成長が出来るか、と己を納得させた。
「オリヴァーから聞いてるよ。君の一撃は驚嘆に値すると。でも、仮に一撃必殺だとしても、当たらなければ意味がない。撃てなければ意味がない。だったら、撃たせなければ良いだけの話」
遠間からアムセスの声がやって来る。
確かに、その通りだと思った。
ある程度の距離が離れていれば、〝流れ星〟はまず間違いなく避けられてしまうだろう。
単に、腕が疲弊するだけ。
それを分かっているから、無闇矢鱈に放てない。
解決策があるとすれば、無理矢理にでも撃ち放ち、当てる事くらいか。
その為には、何をすればいいだろうか。
そう考えて————やはり、剣戟の果てにともすれば。またしてもそう帰結してしまい、唇のふちに笑みを浮かべながら俺は立ち上がった。
「なら俺は、その上で撃てばいいってわけだ」
威力を抑えた中途半端なものでなく、かつてオーガに対し、腕を折りながらも撃ち放ったあの時のような渾身の〝流れ星〟を当てさえすれば。
だったら、実に単純過ぎる作戦ではあるが、ありったけの力を振り絞り、〝ナグルファル〟を撃ち放つ事でアムセスの余裕を奪う。
そして、〝纏い〟を使って接近をするなりをして〝流れ星〟を撃ち放つ。
……それが、一番俺に出来そうで、尚且つ勝率が高そうな選択だろう。
ついでに、数える事も億劫になる程の物量の魔物もある程度は始末出来る。
リレアには余計なお世話と言われるだろうけど、彼女達の助けにもなれる。
ならば話は早い————。
「じゃあ、そういう事なら意地の張り合い、といこっか」
ブン、と傘の水を払うような動作を手にしたままの得物で一度。
そして、ミシリ、と音が立つ程に強く柄を握り締める。
さあ、一度は途切れてしまった戦闘。
その開戦の狼煙といこうか。
「す、ぅっ……撃ち、墜とせ————!!!」
真一文字の軌跡を描き、声帯を震わせる。
果たしてどこまで保ってくれるのか。
それは不明でしかないが、何事も、やってみなければ分からない。
というわけで、ソフィア達に重ね放つ星降が向かないように意識をしつつ、アムセスの余裕を根こそぎ奪う為に息を大きく吸い込みながら言葉を紡ぐ。
「————〝星降る夜に〟————!!!」








