六十話
「で、なんだが、こうして散々やり合っちまった手前、流石に坊主相手には関係ねえ話だとは言えねえよなあ……」
ポリポリと頭を掻きながら困ったと言わんばかりに、リューザスと名乗った気怠げな印象を真っ先に抱かせてくれる無精髭を生やした男は、苦笑いを浮かべる。
そして言うか、言うまいか。
数秒ほどの沈黙を挟み、やがてリューザスは観念したように言葉を紡ぎ始めた。
「……まだオレの予想の範疇でしかないんで断定をするつもりはねえが……————ガヴェリア侯爵家。剣と槍が交差したような家紋を掲げてる連中には気を付けろ」
ガヴェリア侯爵家。
頭の中で何度か繰り返し反芻してみるけれど、その名前には勿論、心当たりはない。
一体、どういう事だろうか。
頭上に疑問符を浮かべる俺の反応に覚えでもあったのか。
リューザスは「……嗚呼、そうか。坊主は王都にやって来たばかりのクチか。道理で見ねえ顔だと思ったぜ」と的確に見透かしてきた。
恐らく、ガヴェリア侯爵家という名は王都にいれば誰もが知っている有名な名前だったのだろう。
「……なぁ坊主。どうして騎士団を辞めた連中が、こうして未練たらたらに王都に居座っているか。その理由は分かるか?」
「さあ?」
そもそも俺がその問いに対して答えられると微塵も思っていなかったのか。
落胆した様子もなくリューザスの言葉が続く。
「簡単な話だ。許せなかったからさ。政争だかなんだか知らんが、下らん事情でオレらのような直接は関係のない連中を一方的に巻き込み、好き勝手する貴族共が許せなかったからオレ達は王都に居座っていた。……ま、これは単にバミューダに対する罪滅ぼしでもあるんだがな」
少しだけ寂しそうに。
過去に対する自責の念のような感情。その欠片が、一瞬、俺から顔を背けたリューザスの横顔から見えた。
「それで、だ。オレ達は何度か秘密裏にロクでもねえ貴族連中の邪魔をしてたんだが……恐らく、今回の一件はそれが原因だろうよ。……いつかはと覚悟は出来ていたんだが、まさかバミューダの弟を巻き込んでくるとはな。……露見するようなヘマはしてこなかった筈なんだが、そうであるならば、元騎士団の連中だけを殺し回っている事にも納得が出来る」
〝魔法使い狩り〟の男がリューザスらにとって負い目のある相手であり、そしてその正体に気づいていたからこそ、甘んじて彼らは受け入れようとしていた。
しかし現実、〝魔法使い狩り〟は精神を弄られていたと、そうリューザスは判断を下している。
だとすれば必然、誰かが〝魔法使い狩り〟の男を嗾けた上で精神を弄り、リューザスらを殺そうと試みた。
そう結論付けるべきだろう。
そして、彼らにとって〝魔法使い狩り〟の男を嗾ける事が一番効果的であるという内情を知っていた人間こそが間違いなく下手人。
では一体誰が嗾けたのか。
という話にたどり着くのだが、どうにもリューザスには心当たりがあったらしい。
「で、それをしそうなやつがそのガヴェリア侯爵家の人って事?」
「恐らくな」
「へえ」
今回の一件の、背後にいるかもしれないガヴェリア侯爵家には気を付けろ、という忠告。
それを聞き終えた俺は話はもう終わりだろう。
そう判断をして、軽く返事をしてから踵を返し、彼に背を向ける。
「じゃあ気を付けておく。情報ありがとうね、リューザスさん」
「……おいおい、本当にオレの話聞いてんのかよ。下手すりゃ坊主だって、殺される可能性があんだぞ? 裏にあいつらがついてんなら今回邪魔をしちまった坊主だって十二分に狙われる可能性はある」
しかし、待て待てと言わんばかりに呆れられ、諌められる。俺が事態を軽く考えている。きっとそう捉えられでもしていたのだろう。
……まぁ、それはある意味正しくもあったので否定はしないでおく事にした。
「分かってる。分かってるから、こうして悠長に話してる場合じゃないかなって思って」
「あ、ん?」
言っている意味が分からないと。
その反応から彼が言いたいであろう事柄を理解する。
ただ、その間にも俺の両手は僅かながら震えていた。頭の中は、どうすれば〝魔法使い狩り〟を超えられるだろうか。
その一点で埋め尽くされており、武者震いのような震えが止まらなかった。
火事場の馬鹿力であろうと、アレを超えるのは無理だろう。ただ限界を超えるだけでは恐らく不可能である筈だ。
ならば、どうする。
考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。
そう思考を巡らせるだけでも、既に歓喜の感情が溢れて仕方がなかった。
「俺はね、強くなりたいんだ。強くなって、最強を証明したいんだ。だから勿論、まだ殺されてやるわけにはいかない。だったら、取り敢えず剣でも振って対策を考えなきゃだなぁって」
今のままでは届かない。
それは火を見るより明らかな事実であった。
そしてふと思う。
————〝魔法使い狩り〟に勝つ為に、俺に足りていなかったものはなんだろうか。と。
「……ああくそ、足りないなあ。何もかもが、足りてない。不足だ。不十分だ。本当に、全部が拙い」
気骨が。技量が。地力が。思考が。経験が。手段が。勘が。意気が。
何があろうと、己を貫き通せるだけの力量が絶望的に欠けている。
先のやり取りを踏まえた上で行う脳内シミュレーション。しかし、勝てるという結果にはどうやってもたどり着けやしない。
「肉体は弱い。精神も足りない。思考も平凡。頭の中にある手本通りに真似をすれば良いだけの話なのに、それをする技術も足りてない」
さぁどうする。
そう己に対して、己が問いを投げかけても都合よく正しい答えというやつが手の中に収まっているだなんて事はない。
「————だけど、ううん。ここは、だからこそ、か。あぁ、うん。悪くない。悪くないんだよね」
一筋縄ではいかないこの現状に、破顔する。
逃げようと思えばきっと、今ならば逃げられる事だろう。でも、俺の頭の中にその選択肢だけは存在し得ていなかった。
「……オイオイ、正気かよ」
俺が〝魔法使い狩り〟に対して再度、単身で挑もうとしている事を先の言葉から察したのか。はたまた、狙われる事実に。己よりもずっと格上の相手と戦う羽目になるであろう事実に対して虚勢でなく本心から喜んでいると見透かしてか。
身体から燃えるような闘志を立ち上らせる俺を見て、リューザスがそんな言葉を口にする。
「これが正気だから、あの場に無理矢理に割り込んだんだけどね」
ただ、向けられたその言葉があまりに今更過ぎて笑い混じりに返答する。
そうでもなきゃ、先の行動を起こした理由というものに、どうやっても説明がつかない筈だ。
誰かが襲われていたから助けた。
そんな正義感に満ち満ちた理由でない事は万が一にも有り得ないと彼だって分かっているだろうに。
「……分かってると思うが、今の〝魔法使い狩り〟は土台、人の手に負える範疇を明らかに逸脱してる。にもかかわらず事もあろうに強くなりたいだぁ? ……そんな理由で挑んでみろ。間違いなく、今度は死ぬぞ坊主。相手に殺す気がないとタカを括ってんならその考えは今ここで改めとけ」
「それこそ、まさかだよ。実力差はきっと、俺が誰よりも正しく認識してる。その上で、俺は言ってるんだ」
「…………」
「俺にも、譲れない理由ってやつがあるんだよ。だから、この考えを改める気はない。それで死ぬなら、俺は所詮そこまでだったってだけの話。この考えが認められないなら、いっそ殴りつけてでも止めてみる? それならそれで歓迎するけど」
「……冗談。坊主と戦う気はオレにゃねえよ」
「そっか」
無論、本気で言ったわけではなかった。
「……にしても、わっかんねえな。坊主のその、思考回路はよ」
その言葉に、俺は何も言わず苦笑。
やがて口を開かせ、俺はリューザスの発言に言葉を返す。
「そうかなあ。俺としては、自分がどこまで駆け上がれるのか。どこまで壁をぶち壊せるのか。……ただの村人でしかなかった俺が、どこまで強くなれるのか。それを証明し続けるこの生き方が楽しくて仕方がないけどね」
————果てに、星を斬ってみせる。
それこそが、俺の生き方であり、道標であり、未だ色褪せぬあの記憶を見せてくれた『星斬り』の男に対する俺なりの礼なのだ。
「ま、〝魔法使い狩り〟の男については俺に任せておいてよ。言葉を裏付ける根拠なんてものは何処にもないけど、今度こそちゃんと俺が責任を持って斬ってみせるから」
説得力はゼロ。
どこにも信用する要素なんてものは無いのだと当人たる俺自身が理解していた。
だから、任せるだとか、そんな言葉が返ってこないであろう事は納得ずく。
「いつ、何処にやって来るかも分かんねえのにか」
リューザスは〝魔法使い狩り〟の男をこの場から遠ざける為に、魔法を用いて飛ばしただけに過ぎない。
だから、彼のその質問に対する答えを持ち得ている人間はこの場には存在していなかった。
ただ。
ふと、脳裏を過ぎるある言葉。
————予知系統。
己の魔法の正体をそう呼んでいた男——アムセスの顔がまるでそいつを頼れと言わんばかりに、浮かび上がっていた。
彼の能力を使えば、的確に予知出来るのではないのだろうか、と。
「そこらへんはまぁ、誰かの手を借りるからさ」
だから、ま、何とかなる気はするんだよね。
そう言って茶を濁し、今度こそ、俺は言葉を残してその場を後にした。








