四十二話
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研ぎ澄まされた戦闘勘。
袈裟に剣を振り下ろせば、身体は呆気なく泣き別れ、思い切り得物を投擲すれば標的は四散。本能の赴くまま、剣を振るうが最適解。タネも仕掛けもないただの一撃を振るい————気付けば、それにて全ては仕舞い。
ぶん、と傘の水を払うような血振りの動作。
辺りに広がるは思わず顔を顰めてしまう程の異臭。鉄錆と、肉塊の死臭である。
大地を彩る真紅は、まるで茜空を掬いあげたような透き通った色で、「う、っ」と、引き攣ったソフィアの声が俺のすぐ側から聞こえて来た。
「……着実に力を付けてきてるわね」
勝手に一人で先走り、依頼内容に書き記されていた魔物を難なく一掃してみせた俺の姿を見て、リレアは面白くないと言わんばかりに言葉をもらす。
「ま、ぁ、ここらの魔物は投げれば当たるし、振ればちゃんと斬れる。あ、後、ちゃんと距離も詰められるし」
だから、手間取る筈がないよと俺は言う。
割と練習していた投擲はフィオレが〝ピィちゃん〟と名付けていた魔物にすら通じなかった。
〝ジャバウォック〟に至ってはまともに接近出来ないどころか、腕の消耗を犠牲にして撃ち放った渾身の〝流れ星〟ですら、尾の先端を斬り裂くだけにとどまった。しかも、その傷はすぐに癒着されてしまったというオマケ付き。
それを考えると、ちゃんと近づく事が出来る。
振れば斬れる。投げれば当たる。一瞬の意識の間隙を突いた高速の一撃がやって来る事もない。
なんともまあ生温い事か。
「……〝ミナウラ〟にいたとは聞いたけど、キミ、どんな化け物と戦ってきたのよ」
本来、当たり前である事実を、恵まれていると認識する。それ即ち、その当たり前が当たり前に享受出来ない状況に立たされていたという事実に他ならない。
そう解釈したのか、リレアはリレアでソフィアとは違う意味で顔を引き攣らせていた。
「とんでもない化け物だよ。でも、俺ひとりだったら間違いなく呆気なく死んでた。俺がこうして生きていられてるのは、人の縁に恵まれてたからだし」
「……でしょうね。〝ミナウラ〟の魔物はとんでもなく強い事で有名だもの」
流石は別名、呪われた街と言ったところか。
その悪評は多くの人間の周知であったらしい。
「ただ、これだけ戦えるようになってるのなら尚更、キミの考えが理解出来ないんだけれど」
「と、いうとあの時の返事?」
「それ以外に何かあったかしら?」
「いいや? ただ聞いてみただけ」
あの時の返事とは、リレアが口にした怪獣討伐の件について。
アムセスと名乗る一人の冒険者が声を上げた魔物討伐の話を、彼女から聞いた後、俺はその話を受けるのではなく、断るという選択肢を選び取っていた。
それが、剣馬鹿仲間であるリレアには心底理解出来なかったらしい。
「……もしかして、あたしに遠慮してる?」
おずおずと言った様子で、血が見えないように気を付けているのか。若干顔を背けながら今度はソフィアが問い掛けてくる。
「いいや? これっぽっちも」
刹那の逡巡すら要す事なく返す言葉。
直後、ぎゅう、と思い切り足の甲を踏まれた。
……俺にどうしろと。
「でも、またとない強くなる機会だとは思わないの?」
「思うよ。俺だってそれが強くなる機会だと思ってる。でも、俺が求めてるのはそういう状況じゃないんだよね」
まず第一に、俺が剣を振る場合は大小に限らず理由がいる。
そして第二に、己の限界を超えられる機会が存在する闘争を求めている。『星斬り』へ至る為の近道は、まさしく、目の前に立ちはだかる壁を超え続ける事であると思うから。
「ぶっちゃけ、俺からすればその〝魔法使い狩り〟の方が興味あるかなあ」
理由もちゃんとある。
俺と同じ魔法使いであるソフィアの安全を守る為。そして、件の〝魔法使い狩り〟は高名な魔法使いを一方的に殺しているらしい。
それで第一、第二の条件はクリア。
多くの魔法使いが集まって、怪獣をみんなで討伐より俺からすれば余程そっちの方が魅力的に映る。何より、みんなで協力して強力な敵を倒す。などという当たり前の段階を踏んでいては己の壁を超える事なぞ、夢のまた夢である。
「それに、〝魔法使い狩り〟を捕らえるなりすれば、少なくない褒賞金が出るんでしょ? 多分、そっちの方が美味しいと思うけどな」
「……でも、姿形、声、性別、まだ何もわかってないのよ?」
いくら懸賞金がかけられているとはいえ、そんな相手にどう立ち回るのだと呆れるリレア。
「そこ、なんだよね」
一番の問題はやはりそこなのだ。
「だけど、〝魔法使い狩り〟の姿形を確認する方法は一つだけある」
「……自分が餌になる。そういう事かしら」
即座にやってくる答え。
その言葉に、俺は頷いた。
すると、コイツまじか。
みたいな視線を向けられた。
呆れて何も言えないと言わんばかりの様子である。
「次現れるのは明後日、なんだっけ。恐らく、ひとりで夜道を歩いていれば遭遇する可能性はかなり高いと思うんだよね」
要するに俺が言いたいのは、鴨がネギを背負ってやって来たと見せかけておきながら、実はネギを背負ってたのはお前だったんだよ大作戦を決行してみてはどうかという事。
「キミ、下手すれば殺されるわよ」
「でも、この方法が一番手っ取り早いと思うんだけどな」
「……そりゃそうでしょうけれど」
リレアが渋面を崩さない理由は、そもそも、高名な武人達は不意をつかれたからといって簡単に殺されるようなヤワな者達ではないと、そう言いたいからなのだろう。
いかに警戒をした上で迎え撃とうと試みても、それが失敗に終わる可能性は極めて高い、と。
「————あたしは、それでもいいと思う」
「……ソフィアちゃん?」
そんな折、話を黙って聞いていたソフィアから声が上がる。そしてそれは、意外にも俺の主張を支持するものであった。
「だってユリウス、何言っても言うこと聞いてくれないし。どうせ、ここでいくら反対しても自分勝手にあたし達に何も知らせずに行動を起こすんでしょ?」
「…………ぐ」
思わず言葉に詰まる。
確かに、その言葉通りの未来になってしまうような予感が心の何処かに存在していた為、上手く反論は出来なかった。
「だったら、行動を把握しておいた方がまだいい。それならあたし達も手助けしやすいだろうから」
流石は幼馴染み。
俺の事をよく分かっている。
〝ミナウラ〟に寄り道した俺に対してグーパンチ一発で済ませてくれるだけの事はある。
「……確かに、言われてもみればそれが最善手かもしれないわね」
呪われた街とまで言われた〝ミナウラ〟に自分の意思で進んで向かうような阿呆である。
しかも、向かった理由は星を斬る上で可能な限り早く今より強くならなければいけなかったから、というものを根幹に据えている。
故に、正論を説いて俺の意見を変えようなんて事は土台無理な話でしかないのだ。
「……というより、たった一ヶ月とちょっと会ってなかっただけですっかり頭の中から抜け落ちてたわ。キミは、普通じゃなかったんだって」
肩を竦めながら言い放たれるその言葉に、俺は笑った。
基本的に、人という生き物はリスクを冒そうとする時は決まって、何らかの〝真っ当〟な理由を胸に突き進もうと試みる。
曰く何かを守る為に。助ける為に。
曰く科された使命を全うする為に、等。
そして、それが常識であり、世間で言うところの当たり前。
だからこそ、強くなりたいからという頭の可笑しな理由でその身をベットし、死地へと赴くのだと宣うヤツなんてものはまず間違いなく普通であるとは思われない。
故に、その思考というものは本来であればこれっぽっちも理解はされない。何故ならば、そいつらの存在というものは埒外に位置しているから。
「棒切れひとつで変異種のオーガを相手取った挙句、それを純粋に楽しんでたお馬鹿さんって事を忘れてたわ」
果てしなく先に存在する目標に向かってひた走っているといえば聞こえはいいが、ハッキリ言ってしまえば——ただの痴れ者である。
「それに、〝ミナウラ〟で剣を振ってきたなら、そのくらいじゃないとキミは満足出来ない、か————死んでも私は知らないわよ」
「そういえば、〝ミナウラ〟でも似たような事を言われた気がする」
「……二年前からずっと、相変わらずの命知らずね、キミは」
「褒めても何も出ないよ」
「……はぁ」
俺の顔を見詰めていたリレアは、そう言って深いため息を吐いていた。








