三十五話
なれど、必殺の一撃が決まろうと、悦に入る余裕なんてものはやってこない。
目まぐるしく変わる状況。
虚空を彩る赤黒の鮮血。
斬ったと認識をした直後、直接心臓を鷲掴みにでもされたのではと錯覚してしまう程の重圧が俺という存在を覆い、連動するように這い上がる悪寒に身がぶるりと震え上がった。
————ま、ず……っ!!
それは、確かな予感だった。
己の死という確かな冷たい予感。
それを本能で感じ取り、俺は足が地面につくより早く、〝刀剣創造〟にて足場を作るや否や、鋭い呼気を吐きつつ後退。
直後、先ほどまで俺がいた場所へ轟音を伴って大地より勢いよく上空へ向かって生える鋼鉄の尾。
「デタラメ過ぎる、だろッ!!?」
予備動作は一切見受けられなかった。
まごう事なき、不意の一撃。
一瞬前の予感に身を委ねていなければ今頃俺は串刺しであった。そんな未来を幻視して、なりふり構わずヤケクソに叫び散らす。
そして、傷を与えてしまった事で俺へと向けられる規格外の殺意の波動。
程なく四方から鋼鉄の尾が繰り出される。
一体幾つ尻尾持ってんだよと思わず叫びたくなる。だけれど、そんな暇は何処にも存在しない。
「これ、は……ッ!!!」
避けるか。斬るか。
迫られる究極の選択。
しかし、俺が取捨選択をするより早く轟く二つの声。
「————伏せてッ!!」
「————〝刺し貫く黒剣〟ッ!!!」
殺到する灼熱の奔流と、漆黒の数多の凶刃。
それらがフィオレとシヴァからの援護であると瞬時に理解。胸中で感謝の念を抱くと共に、ざり、と音を立てて思い切り大地を踏み締める。
ほんの僅かに、脚をバネのように曲げて予備動作。そして————再度の肉薄。
眼前に存在する的は特大。
これであれば目を瞑っていても当てられる。
故に、集中力は全て剣に向けてしまえ。
それ以外にリソースを割くな。
無駄だ。邪魔だ。捨て置け。
「こん、どこそ————ッッ!!!!」
向けられた攻撃はシヴァとフィオレが対処してくれた。なら、俺がやるべき事はこのまま〝流れ星〟を撃ち放つという行為だけ————。
はぁっ、と大きく息を吸い込み、血潮の猛りに身を任せる。そして、
「——————」
やって来る空白の思考。
俺の視界が突然、またしても斜めにずれた。
気付けば俺は足を、踏み外していた。
「だ、から……っ!!!」
なんで正常に剣が振り下ろせないんだと嘆くように目を怒らせ、目の前の理不尽に対する言葉にならない憤怒を吐露する。
全身を支配して来る酩酊感。
心なし、ぐにゃりと視界も歪んでいた。
「————く、そがっ」
思わず飛び退く。
すると、身体を支配していた酩酊感が消え、視界も元に戻っていた。
けれども、お陰でずしりとのし掛かる疲労感。そのせいで一瞬だけ、反応が遅れる。
「———————ッッ!!!!!!」
言葉にならない〝ジャバウォック〟の叫び声——咆哮。同時、ほんの一瞬の意識の間隙を突いて繰り出される前脚による脚撃。
颶風を伴って放たれたその一撃。
最早、来ると分かっているのに身体が正常に動いてくれない。
「ぁがッ、」
衝突する鉤爪と、剣。
しかし、地力の差は火を見るより明らか。
残酷な現実は容赦なく俺に襲い掛かる。
まともに抵抗出来ていたのは一秒あったかどうか。やがてやってきた一撃を剣で受けた事でその衝撃を一身に受けてしまい、塵芥のように吹き飛ぶ身体。
「っ、ぐ—————!?」
砂煙を巻き込みながら視界の中で忙しなく移り変わる天と地。まるでボールのように何度も地面をバウンドした後、十数秒経て漸くその勢いが衰え始め、ずざざと地面に身体が擦られながら止まる。
「随分と変わった戻り方すんだな」
「うっ、さい」
ぐぃ、と手の甲で鼻から垂れる鮮血を拭う。
どうやら俺は、シヴァのすぐ側にまで力任せに飛ばされていたらしい。
ほら言わんこっちゃねえと言わんばかりの言葉が俺の鼓膜を揺らしていた。
先のやり取りのせいで身体のあちこちに擦り傷が生まれてはいたが、上手く防御出来ていたのだろう。致命傷は何一つとして負ってはいない。
十分及第点と言っていい筈だ。
「とはいえ、あれで身を以て理解しただろ? ……あのデカブツに接近して攻撃を仕掛けんのはほぼ不可能にちけえ」
「……結局、あれは何?」
「〝魔法〟だろうよ。ごく稀にだが、変異種と呼ばれる魔物共の中に先天的に〝魔法〟を扱えるヤツが現れる、なんて話を何処かで耳に挟んだ事がある」
当時はとんだ法螺話を語る奴もいたもんだと思ってたんだがな。どうやら違ったらしい。
まるで勘弁してくれと言っているかのような口振り。しかし、当の本人たるシヴァの面貌は喜悦に歪んでいた。口角を吊り上げるその行為は紛れもなく歓喜のあらわれである。
—————心が躍る。
そうでなくては。
いや、そのくらいじゃなきゃオレの名は轟かねえよなあ、などと頭のおかしい持論を今頃胸中で展開しているのではないだろうか。
何となく、そう思った。
「……だが、遠間からちまちま攻撃仕掛け続けていても埒あかねえ。だから、何とかあの魔法の穴を見つけたかったんだが」
八方塞がりだとため息をついた。
先程、俺を向かわせた理由も、何らかの糸口を掴めるきっかけになれば。と思っての事だったのだろう。
「普通、あんだけ的がでかけりゃ本来、オレの魔法は有効的な攻撃手段となり得る筈なんだが、外殻が硬過ぎるせいでロクに攻撃が通りゃしねえ」
峨峨たる城壁の如き防御力を有する外殻の前には、生半可な攻撃は微塵も通らない。
「オレみたいに、極限まで〝魔法〟を突き詰めようとしてこなかった人間とは最悪に相性が悪ぃ」
〝刺し貫く黒剣〟を見せられているとつい、勘違いをしてしまうが、シヴァは剣士である。
剣士とは基本的に、接近し、剣を振るって斬り裂く事を当然としている。
故に、得体の知れない〝魔法〟のせいで迂闊に近づけない今、打開策を模索しながら時間を稼ぐしかないのだと彼は言った。
「極め付けに、あの再生能力と背中に生えてやがる趣味悪ぃ翼だ。空に飛ばれる前に地上で一撃で仕留めとかねえと面倒臭い事になるだろうなぁ」
……シヴァの言う通りであった。
先程、俺が斬り裂いた筈の尾は程なく断面同士が癒着し、キレイさっぱり再生を遂げていた。
だからだろう。
執拗に追撃される事はなく、己を取り囲むフィオレの魔法——〝埋め尽くす屍骸人形〟へと俺から既に焦点を変えていた。
まるで、それは済んだ話であると言わんばかりに。
「……だろうね。飛ばれると面倒だ」
フィオレが〝ピィちゃん〟と名付けた魔物との戦闘を懐古しながら俺は言う。
しかし現実、俺とシヴァの手に、〝ジャバウォック〟に対する有効的な攻撃手段は一つとして存在していない。
しかし、倒したい。どうにかして、あのデカブツを叩きのめしてやりたい。
————ならばどうする。
「だから、早いところどうにかして斬るしかない」
がしゃり、と親しみ深い金属音を立てる。
それが自問する言葉に対する答え。
どこまで煎じ詰めようが、俺という存在が剣士である限り、斬り裂くくらいしか倒す手段は残されていないのだ。
「いいように弄ばれてたヤツが言っても説得力ねえよ」
面白おかしそうにシヴァはケタケタ笑う。
「まぁね」
「で、なんだ? 何か取っておきでも隠し持ってんのかよ?」
自信ありげに語る俺の様子から、彼はそう判断。
続け様、策があるんならもう一回くらいは譲ってやってもいいぜとシヴァは言った。
どうにかして接近したいと考えるなら、必然、接近を試みてあの〝魔法〟の穴を見つけるしかない。それを分かっているから、シヴァは倒したいと口にしながらも俺にまだ譲ると宣ったのだろう。
「当然。なにせ俺は〝星斬り〟だからね。奥の手なんてものはそれこそ、両の手で数え切れないほどあるよ」
————ただ、その半数以上は今の俺じゃこれっぽっちも扱えないけど。
この状況で弱音を吐くわけにもいかないのでその言葉は胸中にて留め置く。
「……言うじゃねえか」
なら、ぜひとも見せてくれよと。
喜色に染める表情から感情を読み取り、期待に応えんと、彼に倣うように俺も笑う。
ぶっつけ本番。
まさかこんな事になるとは思ってもみなかったので一度として試したことすら無い。
というより、試す段階に至れてなかった。
ぶっちゃけると、今もそれは変わらない。
しかし、俺に用意された選択肢はひとつだけ。
やる。やらない。ではなく、やる。その一つのみ。
故に。
「時に————」
まだ明るいとしか形容しようがない空を仰ぎながら俺は何の脈絡もなく、頓珍漢な言葉を述べる事にした。
「————シヴァは、星が降る夜を目にした事はある?」








