二十三話
「……隠れてて申し訳なかった。信じて貰えるかは分からないけど、俺に貴方を害する気はないよ」
木陰から姿をあらわしながら俺はそう口にする。だが、案の定と言うべきか。
青年は呆れたように口を尖らせるだけで俺の言い分なんてものを信じる様子はこれっぽっちも感じられない。
「なら、この場に居合わせた理由は? ……分かってるとは思うが、ここはあまりひと気の多い場所じゃねえ」
それもそのはず。
ここは森だ。それも、賊が待ち伏せて襲い掛かる絶好のポイントと呼べる程に、身を隠す場所に恵まれている。加えて、絶望的なまでのひと気の無さ。偶然居合わせたと言うには些か理由としては無理があるぞと青年は言う。
しかし、いくら怪しまれようが俺がこの場に居合わせた理由は本当に偶然の賜物。実際、それが事実なのだからこれ以外に言い訳のしようがない。
「〝ミナウラ〟に向かう途中だったんだ」
「……〝ミナウラ〟に?」
「村にお偉い王都の貴族様が来てね。税を上げられたくなかったら人手を出せと言うんだ。だから、その人手として俺が向かう事になった。だから、こうしてこの場所を通ってた」
「それが本当であると証明出来る証拠は」
そう言われて、俺は手にしていた地図を差し出すように彼へと突き付ける。
証拠と呼べるかは分からないけれど、それでもビエラ・アイルバークの供回りであった騎士から渡されたもの。少なからず〝ミナウラ〟に向かうという証明になるのではと思った。
「地図ならある。こんな上等な地図を理由もなく俺みたいな村人が持ってる筈ないでしょ?」
だから信じろと。
目で口程に物を言いながらも、興味尽きぬ目の前の青年に警戒心を向け続ける。信じて貰えないのならば、恐らく自ずと戦闘に発展する事は必至。
いつでも剣が抜けるようにと心掛ける俺であったが、その反面
「……確かに、それもそうだ」
口にした言葉に対し、思わず拍子抜けする程あっさりと、青年は納得の言葉をもらしていた。
「あんたが手にするその地図。そりゃ王国騎士の連中に支給されてるブツだ。確かに、本来あんたみたいな餓鬼が手にしていい代物じゃあねえ」
何より、奪うにせよ、とてもじゃないが奪えるだけの技量があんたにあるとは思えねえと、理由には少しケチつけたくもあったけど、青年は納得をしてくれる。
「……ただ、〝ミナウラ〟というと、あんたも魔物の掃討か。此処で会ったのも何かの縁。折角だから有難い忠告をしてやる。〝ミナウラ〟に向かうのはやめておけ。あそこはあんたみたいな餓鬼が来ていい場所じゃねえよ。せめて後五年歳食ってから出直せ」
……あんたも。
という言い回しを選んだという事は目の前の青年も〝ミナウラ〟に向かうクチなのだろう。
確かに、彼の忠告は正論だ。
親父からも行くなと言われた。
ビエラ・アイルバークも向かうと口にする俺を見て、心なし何処か呆れていた。
けど————関係ない。
己の技量。分相応。経験。しかし、関係ない。
今の俺には足りない物だらけだろう。
あぁ、分かってる。
そんな事は誰かに言われずとも、俺が一番分かってる。自分の事は一番自分が分かってる。
それでも関係がない。
俺の願望であり、夢ですらある『星斬り』の熱の前では全てが塵芥。
だから全てが関係ないと収束出来てしまう。
だから————。
と、混濁とした思考に塗り潰される俺をよそに、出直せと口にした青年はいつの間にやら勘弁してくれよと、ため息混じりに髪を掻き上げていた。そして、掻き混ぜる。
「……なんだ、ワケありか」
無意識のうちに心情を発露させてしまっていたのだろう。漏れ出たそれを感じ取ってか、青年は毒気を抜かれたように呟いた。
「じゃあなんだ? あんたもオレのように名をあげに向かうクチか?」
ほんの少し顔を綻ばせ、彼は言う。
けれどその実、その会話が打ち解けたからによるものではなく、何処か確認の為のものであると感じた俺は恐らく間違ってはいない。
「……これは名をあげたい、になるのかな。ともあれ、俺は親父達に恩返しをしたいし、強くもなりたい。その上で、今回の〝ミナウラ〟の一件は何より都合が良かった。ただそれだけだよ」
「あんたみたいな餓鬼が今の〝ミナウラ〟に向かっても十中八九死ぬだけとしか思えねえがな」
それはちゃんと、分かってる。
「だろうね。でもだからこそ、意味があると思うんだ」
「……あん?」
言ってる意味が分からないと彼は眉を潜める。
死ぬと指摘されてるのに意味があると口にする俺の本心が全く以て理解の埒外なのだろう。
そう思われる心当たりはある。
だから。
ああ、ああ、好きに宣え。たとえ誰に何と言われても、俺の考えは変わらないだろうから。
「十中八九死ぬ機会のなかで、残された一、二の生を掴み取る。そうでもしなきゃ、俺はいつまで経っても届きやしない」
記憶に残る『星斬り』の男の言葉を。思考を。技術をいくら真似ようと、壁を超える努力を怠ればただの張りぼてに成り下がる。
「だから、人から死ぬぞと言われるくらいが俺にとっては丁度いいんだ」
「成る程。言葉を交わしてよく分かった。あんたは賊共の仲間じゃない。理想に殉じようとするただのバカだ」
的を射てると思った。
ただのバカ。
あぁ、うん。
そう言われる覚えはあるし、理想を掲げる俺ですら時折思ってるよ。俺はバカであると。
だからこれと言って反論もしない。
「結論は出た。なら、話は終わりだ。あんたが賊でないのならオレがあんた相手に剣を向ける理由はねえ。疑って悪かったな」
若干早口にそう言って会話が切り上げられる。
そういえば、賊に対して先を急いでいる、と言ってたっけかと思い出す。
満月までまだ時間があるとは思うが、俺の目には眼前の青年が村人であるとは思えなかった。
どちらかと言うと、ロウやリレアのような冒険者と呼ばれる者の身なりに限りなく近い。
加えて、先程の賊に対する対応。
村人と言うには随分と無理があるだろう。
ならば、俺とは違うのも道理か。
と、思ったものの。
ひたすら地図を頼りに〝ミナウラ〟へ向かっていた俺とは全く異なる方向に「じゃあな」と言って進み始めた青年を見て、思わず言葉が口を衝いて出てしまう。
「……そっちは多分、〝ミナウラ〟に続く道じゃないけどいいの?」
片手をあげて立ち去ろうとする青年であったが、俺のその言葉を耳にしてピタリと足を止める。
「……まじで?」
ぎぎぎ、と壊れたブリキの人形のような動きをしながら彼は俺へと再度向き直った。
嘘だろオイッ、と刻々と変化してゆく表情が彼の悲痛の叫びを鮮明にあらわしている。
……この人、もしかして。
なんて考えが浮かんだ刹那。
「悪い。その地図、一度見せて貰ってもいいか?」
そう言って足早に男は血走った目で俺が手にする地図を見詰めながら歩み寄ってくる。
「……〝ラスカ〟って街で〝ミナウラ〟までの道を聞いた筈なんだが、中々たどり着かなくてよ」
本来ならもうとっくの昔に着いててもおかしくねえのに。と言いながら男は俺の持つ地図に視線をやり————。
「————あ、っ、アイツら……!! オレが知らねえからって出鱈目教えやがって……!!!」
〝ラスカ〟は本来、俺達がいる現在地よりも〝ミナウラ〟に近い場所に位置する街の名前である。だというのに、青年は近づくどころか遠ざかり、尚且つ、賊にまで絡まれていた始末である。
目も当てられないとはこの事か。
「……くそ、道理で幾ら進んでも森しか見えねえワケだ」
アイツらぶっ飛ばす。
そう意気込んで来た道を引き返そうとする彼であったが、
「……急いでたんじゃ?」
「そ、そうだった。……悪いな。何から何まで」
俺の一言によって我に返り、それじゃあ全部終わったらぶっ飛ばしに行ってやると物騒な言葉をもらす青年であったが、やはり向かった先は〝ミナウラ〟に続く道ではなくまたしてもトンチンカンな方角。
……きっとこの人アレだ。方向音痴の人だ。
そう思ってしまった俺の感想は間違いなく正しい。
そして直感的にこの人は多分、悪い人ではない。と、思っていたからだろう。
「……あの」
「……あん?」
「〝ミナウラ〟までで良ければ一緒に向かっても良いけど?」
その様子だとたどり着くまでに相当時間掛かるだろうし。
抱いた言葉を飲み込みながら、俺は彼に向かってそんな提案をしていた。








