二十二話
* * * *
「……結局、無断で出てきちゃったなあ」
とは言うものの、考えれば考える程、王都に向かわないのであれば無断で家を飛び出す選択肢が何より俺にとって都合が良かった。
だから、
「だけどまぁ————これは仕方ない」
そう言って自分勝手に己の行動を肯定する。
ただ、本当に無断で家を出ると親父が慌てて追いかけて来る可能性も無きにしもあらずだったので、「星を斬るまで死ぬ気はない」とだけ置き手紙を残している。
恐らく、これで親父が追いかけて来る可能性は消えたと言って良い。
『星斬り』が絡んだが最後。
何を言っても俺はテコでも動かないと親父は誰よりも知っているだろうから。
「……この事は今は割り切って、〝ミナウラ〟にたどり着く事だけ考えないと、ね」
ポケットの奥に押し込んでいた地図を取り出し、内容を確認。
置き手紙を書き終えてからそのまま予め用意していた荷物袋を背負って家を出ている。
その為、辺りはまだ夜の世界から抜け切ってはいない。曙光が差し込むまであと二時間といったところか。
夜は、魔物の世界。
出てきてしまった以上、日が昇るまでは歩き続ける必要がある。あれだけの事を宣っておいて、道中の魔物に殺されでもしたら死んでも死に切れない。
「急げば恐らく一週間」
俺の暮らしていた村と、その辺りにある小さな湖。それらが地図に記載されていたお陰で〝ミナウラ〟までの距離は大体ではあるけれど把握する事が出来る。
故に、一週間。
「……ひとまず一日でどこまで進めるか把握しないと」
いくら満月までまだ時間があるとはいえ、悠長な事はしていられない。
幸い、〝ミナウラ〟までの道中に幾つか目印となりそうなものが地図に記載されている。
それを目安として今は進む他なかった。
* * * *
この世界において、人の命というものは比較的軽い存在だ。出会って、意気投合して、同じ釜の飯をかっ食らった友や家族が何らかの悲劇に巻き込まれ、次の日に命を落としてしまう。
————どこにでもある事だ。
そんな言葉が当然のように口を衝いて出てくるのがこの世界。
悲しい出来事ではあるがさして珍しくもない。
魔物という人を襲う存在がいるこの世界では、別段珍しくもない惨劇である。
そして人の命が軽いが為に、乱暴を働く者も多々存在する。欲しいものがあれば殺して奪ってしまえ。などと考える連中が偶にいるのだ。
そう、例えば————賊であるとか。
「————……凄いね」
気付けば、感嘆めいた言葉が俺の口からこぼれ出ていた。
家を無断で飛び出してから早、数時間。
既に外はすっかり明るくなっており、熱気を伴った日差しがこれでもかと言わんばかりに頭上から降り注ぐ。
そんな中。
〝ミナウラ〟へと歩み進める俺の眼前に、本心から素直に凄いと、思わざるを得ない光景が俺の視界に映り込んでいた。
それは、数名の賊を相手に立ち回る一人の青年の姿。見る限り俺と歳はそう変わらないだろうに、その立ち回りは歴戦の剣士を彷彿とさせる熟練としたものであった。
「……先を急いでんだ。そこ、どいてくれねぇかな」
気怠げに目を細めながら青年は鞘に納められた剣を片手に言葉を並べ立てる。
彼の目の前には盗賊が……八名。
————拙い。
そんな言葉がいの一番に思い浮かぶべき場面であると言うのに、青年から焦る様子は一向に見受けられない。寧ろ、手間が増えたと言わんばかりに疲れ切った表情をつくってみせるだけ。
しかし、それが決して現実逃避をしたが故のものでなく、ましてや、中身のない虚勢でない事は数瞬前に行われていた攻防で実際に相対していない俺ですら、否応なしに理解させられた。
彼がやった行為は避ける。受ける。
たったその二つだけ。
だけれど、彼の力量を判断する材料としてそれらは十分過ぎた。
「……手助けを、と思ったけど」
どちらが悪かなど一目瞭然。
だからこそ、俺は囲まれる青年の手助けをしに駆け出すべきであると考えたが、先の攻防でその考えはものの見事に霧散していた。
……恐らく、かえって邪魔になる。
木陰に隠れながら俺はそんな事を思っていた。
「一度目は見逃したし、忠告もした。これ以上邪魔するのなら相応の対応をこっちも取らなくちゃいけなくなる」
「オイオイ、言うじゃねえか。……まぐれが二度も続くとは思わねえこった」
蔑んだ言葉が青年に向けられる。
しかし、青年は一顧だにせず、亜麻色の双眸で呆れたように居並ぶ賊を睨み据えるだけ。
そしてひと息。
相手に譲る気がないと理解して、つくづくと青年は呟いた。
「————……はぁ。どうにも今日は厄日らしい」
面倒臭い事この上ねえと愚痴る青年であるが、その瞳は狩猟に向かう狩人そのもの。
猛禽類もかくやという炯眼で己が敵へと焦点をジッとあて続けていた。
そんな様を目の当たりにし、もし仮に俺があの青年と対峙する事があったならば果たして打ち勝つ事は出来るだろうかと考えて。
恐らく無理だろうねと判断し、俺は破顔する。村を出た途端にこれだ。
ビエラ・アイルバーク然り、世界はこれほどまでに広く、己の立つ段階を上げてくれるであろう機会がこれほどまでに溢れている。
だから、笑わざるを得なかった。
「……お前らがふっかけてきたんだ。当然だが、文句は受け付けねぇ」
悠然とした動きで、青年は手に掴んでいた鞘から剣を引き抜き————中身の無くなった鞘を手から離し、地面に落とす。
視界に映る泰然とした立ち姿。
それが、手にする剣が決して見せかけだけのものでないと確かな説得力を持って俺に告げてくるのだ。
しかし。
強気の言葉の反面、どうしてか青年は剣を構えながらも一歩後退。
見方によれば逃げ腰になったとも取れるその行動。それを確認した賊共が、やはり虚勢だったかと勝手に納得し————目を輝かせながら大地を蹴り上げ、青年へと殺到を始める。
(……上手い)
傍目から見ていたお陰で正しく判断する事が出来た。あの青年は臆したわけでも、虚勢を張っていたわけでもない。
————釣ったのだ。
自分に賊が嬉々として殺到するように。
だから、腰が引けたかのように一歩後退した。
とすれば————最早、結末など見え透いているようなもの。
そしてその予感は間違いでなかったと肯定するように、ぶん、と力強く鼓膜を揺らす剣風の音と、程なく舞い飛ぶ鮮紅色の液体。
一瞬にして死臭によって五感すべてが埋め尽くされる中、その光景を前に、ぶわりと俺の汗腺が一気に開いた。
「…………は?」
聞こえる素っ頓狂な声。
それは斬られた賊の男によるものであった。
何が起こったのかが分からない。
そう言わんばかりに声が漏れ出ていた。
泣き別れした己の胴体を見遣りながら、断末魔の叫びすらあげられず、ごとり、と重量感のある音を遺してその声は消え失せる。
「次」
剣を返し、再度ぶん、と傘の水を払うような血振りの動作を一度。
そしてその動作を隙と断じ、懐に入り込み、斬り込もうとする一人の賊がいたが、
「これは隙じゃねえ。あえてつくったんだよ」
鋭い右の脚撃が吸い込まれるように賊の男の鳩尾へと叩き込まれ、めきり、と軋む骨の痛みに顔を歪めながら目をせり出し、ボールのように後方へと二度、三度と大地に弾んで蹴り飛ばされてゆく。
飛ばされた先は角ばった岩が存在する場所。
ぐしゃりと何かが潰れる壊音がいやに耳に残った。
残るは、六名。
と。
思わされた瞬間、残りの五人の身体から噴き出すように一斉に血飛沫が上がった。
(今、あの人は何をした……?)
……ただ、ほんの僅かな違和感は感じていた。
まるで、俺が剣を創造する時のような独特の感覚を。
タネがあるとすれば、恐らくは〝魔法〟か。
……ともあれ、威勢よく青年に話し掛けていた一人の男を除き、これで全員が凄惨に大地を彩る血に沈んだ。
思わず見惚れる程恐ろしい手際である。
「ま、待ってくれ!!! 違うんだ!!! 俺はただ、頼まれて———!!」
「文句は受け付けないと、そう言った」
目の前の青年が己らの手に負えない怪物であったと今更ながらに理解をした賊の男が必死に言葉を並べ立て、命乞いを始める。
けれど、青年がそれに耳を傾ける様子は一切なく————向けられた言葉に対する返答は、横薙ぎに繰り出される冷ややかなひと振りであった。
「…………はあ」
血振りの動作を一度。
地面に落としていた鞘に剣身を納めながら青年は深いため息を一度吐いてから
「それで、あんたはいつまでそこで隠れてるつもりだ」
分からないとでも思ったかと。木陰にずっと隠れていた俺に呆れの言葉が向けられた。
やはり、と言うべきか。
いくら不可抗力であったとはいえ、覗き見をしておいて、何事もなくはい終わり、とはなってくれないらしい。








