十八話
「……そろそろ来る頃とは思ってはいたが、ユリウスが村を出るまでは来ないものとばかりタカを括っていた。最早隠しようもないから言うが、……あれはな、王都の連中からの嫌がらせだ」
家に戻れと言われ、仕方なしに不承不承ながらも俺が帰宅した十数分後。
親父も漸く帰って来たかと思えば、苦々しい表情を浮かべながらそう教えてくれた。
「……嫌がらせ?」
「あぁ。人を出すか、税を多く納めるか。その二択をあいつらは定期的に迫ってくる」
辺鄙な村とはいえ、一応この村も王都へ税を納めている。その事に関しては村長であるアレクさんから話を何度か聞く機会があった。
だから、俺も知っている。
……恐らく、あの申し出を断れば税を多く納めさせられる羽目になるのだろう。
そして親父の言い草からして、人手を出せば————ほぼほぼ間違いなく、死にでもするのかもしれない。
死ぬと分かっていて人を送り出す。
嗚呼、あぁ。なるほど。
それは悪辣だ。そんな事をすれば間違いなく村は割れる。だとすれば、用意された選択肢はたったひとつ。あの申し出を断り、税を多く納める選択肢だけだ。確かに、これ以上ない嫌がらせである。
「いいか、ユリウス。〝戦姫〟————ビエラ・アイルバーク。コイツだけには何があっても関わるな。冗談抜きで、周りから〝死神〟とも呼ばれてるようなやつだ。供回りの騎士ですら大半が数ヶ月で死に、そのスパンで代わりの者が配置され直していると聞く」
あまりの死亡率に、ビエラ・アイルバークが味方を殺してるのではと噂されるレベルであると親父は言う。
「……よく知ってるね、親父」
「……あの女はこんな辺鄙な村にまで悪名を轟かせるヤバいやつだ。分かったら今日の事は忘れて明日にでも村を出ろ。万が一にもないとは思うが、目を付けられたらロクでもない末路しか待ってないぞ」
あれだけ言葉を交わしたものの、親父は万が一にもないと言う。
……だけど、その理由は何となくだけど分かっていた。
あの女性——ビエラ・アイルバークは恐らく、他者に対して絶望的なまでに興味を持たない人種だ。
第一印象から、人形のようであるとは思ったが、恐らくそれは決して間違いではない。
「ちなみに、あのビエラさんとやらに俺が付いて行った場合はどうなるの」
ここまで言ってまだそんな事を考えているのかと目に見えて呆れの感情が表情に貼り付けられ、責めるような視線が向けられる。
そして遅れてやってくる深いため息。
「……ここから南西に行ったところに〝ミナウラ〟という街がある。魔物によって荒れに荒らされた街であるが、一応は街だ。……その近辺では大量の魔物が定期的に出現するんだ。そして、ビエラ・アイルバークはその〝ミナウラ〟にて魔物討伐の任を請け負っている責任者のひとりだ。……恐らく、魔物討伐の為にとボロ雑巾のようにこき使われるぞ」
少なくとも、今回の魔物討伐が終わるまで。
そして大半の人間は、その魔物討伐が終わるまで生きてはいられない。
と、親父は言うのだが、ふと不思議に思った。
大半の人間が生きていられないようなモノであるというのに、ではどうしてビエラ・アイルバークは無事なのだろうか。
親父の言い草からして、彼女が村に来たのはこれが初めて、とは考え難い。
加えて、もし仮に彼女が後方にて指示をするだけと考えたならば辻褄が合うが、何処からどう見ても剣士としか言いようがない佇まいをしていた彼女がそれをするとはとてもじゃないがどうしてか思えなかった。
「間違っても、余計な真似をするなよユリウス。いいか、私はお前には死んで欲しくないんだ」
知ってる。
だから、二年待てと親父は俺に言ってきたのだとちゃんと理解をしている。
だけど、俺の欲動がどこまでも邪魔をする。
頭では分かってる。
王都ではソフィアだって待ってるし、親父は俺が死なないで済むように色々と物事を教えてくれたのだと。
ただ、理性的な判断を下そうとする俺の思考を、『星斬り』に対する熱が何処までも邪魔をする。強くなれ。壁を超えろ。限界を壊してみせろ。そう囁くのだ。
これではまるで、死に狂いだ。
『星斬り』を成すには常人では考えられない経験や技量が必要である事は知っている。そして、それをほんの少しでも得る為には命懸けでなければならないと二年前に身を以て知った。故に。
届かない。
相応のリスクを背負い、戦い抜く行為に身を委ねなければ一生届かないぞと誰か知らない声は俺の心に向かって囁き続ける。確かな説得力を伴って嫌らしく囁き続けるのだ。
きっと、俺が「はい」といって頷くまでこの声は鳴り止まないのだろう。
「……ユリウス」
ぎり、と親父は力強く歯を噛み締めた。
その理由は俺がいつまで経っても返事をしないから。
二年前。
剣すら持たない状態でオーガに立ち向かうような命知らずであると知っているからこそ、親父の表情はいつになく険しい。
……そんな視線を向けられずとも、頭では分かってるんだ。これはただの俺の自業自得なだけであるから。
勝手に憧れて。
勝手に焦がれて。
勝手に理想に据えて。
勝手に、届かないのではないかと怯えて。
『星斬り』という行為に勝手に憧れた俺が勝手に押し潰されかけているだけ。
勝手に、悩まされてるだけ。
「い、や、分かってる。分かってるよ親父」
オーガの時は、ソフィアを助けるという明確な目的があった。逃げようと思えば逃げることも出来たが、立ち向かう理由があった。
しかし、今回はそれがない。
と、己を無理矢理に納得させようと試みた瞬間に、ぶわりと何かが全てを覆い尽くす。
理由ならば幾らでもあるじゃないか、と。
悪魔の囁きが聞こえてくる。
俺が向かいさえすれば、少なくとも村に課せられた税は増加されない。
王都に向かって、人と同じようにダンジョンに潜って。ああ、それは幸せだろう。
間違いなく普通の幸せがやってくる。ただ、それでは『星斬り』は夢のまた夢だろうがなと、何処からか聞こえてくる幻聴が俺を嘲笑う。
そこで漸く理解した。
ソフィアが待ってるというのに、俺がビエラに対して俺が行けば事は済むのかと逡巡なく口にしていた理由は、行くべきだと心の何処かで思っていたからなのだろうと。何かしらの超えるべき壁を俺自身が欲していたからなのだろうと。
立ちはだかる壁は、己より遥か高みに位置していなければならない。そう、あのオーガから教えて貰った筈だろうがと声は繰り返す。
「ちゃんと、分かってるから」
我ながらこれっぽっちも説得力のない言葉をひたすらに言ってのける。
けれど、俺の意識はずっと親父でなく先程の話に向いていた。
村の為になる。という免罪符を片手に、ひたすら〝戦姫〟と呼ばれていたビエラ・アイルバークに意識は向いていた。








