暗い森の少女
好き嫌いが別れる主人公です。
ジメジメとした深く暗い森の中、この場に似つかわしくない立派な洋館がそびえ立っていた。
館の主はまだ12にも満たない幼い少女であった。
「はぁ…… お父様が居れば」
そう言いながら、少女の細い腕で持ちあげられない程、分厚くて重そうな本を捲る。本の背表紙には金文字で「生命維持の構成理論(細胞)」と書いてあった。
教養のある大の大人でも投げ出してしまいそうな難解な本を、再び食い入るように読んでいく。
「こっちはまた今度にしよ。次は……これかな?」
そう言って手に取ったのは、これもまた古めかしい辞書のような分厚い本。
タイトルは「魔術的死霊術 中級」、ベノン=アーノルド著と書いてあった。
一人で勉学に勤しむ少女の名前はリアン=アーノルド。
高名なネクロマンサーの一人娘であった。
すっかり太陽は沈み、手書きで書かれた文字をカンテラで照らす。
少女が使うには広すぎる書斎は、彼女が使う机以外は闇に閉ざされている。
ページを捲る以外の音は無く、静寂の音が聞こえてきそうな程だ。
やがて満足したのか、重い本を閉じると闇に向かって言葉を投げ掛けた。
「アラクネ! ディナーにするわ。」
すると誰も居ないはずの闇から、音も立てずに何者かが姿を現した。
それは儚げな雰囲気のある上品な美女だった。
少女と同じ透き通るような銀髪で、白を基調としたゆったりとした服装の為か穏やかな印象を受ける。
だが、その頭の位置は3mを越える。
それもそのはず、美女の下半分は巨大な蜘蛛の胴体で出来ていた。
相容れない2つの存在を繋ぐ結合部は、どこからが蜘蛛なのか、どこまでが蜘蛛なのか。驚くほど自然に繋がっていた。
正反対とも言える、美しい女の上半身と醜い巨大な虫の下半身。
それがアラクネと呼ばれたものの正体だった。
アラクネは本を読むときに使っていたカンテラを持つと、扉へ向かって音もなく歩き出す。
少女は火の灯りで照らされた、艶々とした蜘蛛の後ろ姿を見ながら付いて行く。
特に今さら驚きもしない。彼女が生まれたときには既に側に居たからだ。
アラクネの巨体が通れるような重厚な扉を苦もなく開き、木の軋む音が鳴る。
そこは会議をするような大きな部屋と、立派なテーブルがあった。
家具は決して豪華さは無いが、見る人が見れば全て高級品の類いだ。
少女は慣れたようにアラクネの世話を受けながら、卓につく。
「料理を持ってきて頂戴」
そう声をかけると、扉の向こうから皿を乗せた銀のトレーを持ってきた。
そして少女の前に並べ始めた。
「今日はなに?」
アラクネが腕を上げると、料理の蓋が同時に消える。
その中身を見て少女は明らかに気分が下がった。
「また熊肉?もう飽きたわ……」
少女は食べる前からその味を良く知っている。
前日にも、今日のランチにも同じものが出たからだ。
焼き加減は少女が好みのウェルダン。
良く焼かないと臭くて食べれない。
所々焦げたサイコロ状の熊肉と、そこら辺に生えている野草のサラダ、残りは何処にでも売っている平凡なパンのみであった。
品のある皿を馬鹿にしているような料理達を前にして、少女は不満を爆発させた。
「美味しいものが食べたい! 食べたいの!!
もっと甘い物とか無いの!?」
するとアラクネは再び扉の向こうに消える。
今度は指先で何かを摘まんできた。
「何?それ?」
リアンが問いかけると、パンを手に取ってナイフで切れ込みを入れた。
そのまま摘まんでいたものを間に入れた。
それを見て、不満顔が晴れた。
「チャコの実!もう実っていたのね!」
喜んでパンを頬張る。
チャコの実は酸味があるが、甘さも仄かにある小さな果物だ。
光が少ないところでも良く成長し、暖かくなると実をつけ始める。
これがリアンの唯一の甘味であった。
気を直し、豆粒程の変化が加わったディナーを食べ終える。
それでもリアンにとっては大きな変化だ。
アラクネの料理は単純な物しか作れなかった。
切る、焼く以外は殆ど出来ない。
味付けなど、後から塩をかけるくらいだ。
リアンは素材の味のみの質素な料理に慣れきってしまっていた。
「お父様ももう少し、料理をアラクネに教えていたら……」
アラクネをじっと見つめる。
お父様と呼ばれたベノン=アーノルドは一人娘に自らの作品を残していった。
その一つがアラクネである。
「お父様の傑作と唱うなら、料理も出来るようにしてほしかったわ」
アラクネは無表情でじっと佇んでいる。
リアンは別に反応を求めている訳ではない。
唯の独り言だ。
リアンの愚痴が終わると、アラクネは何処からが衣類を取り出していた。
その素材は混じりけの無い滑らかな糸で、誰が見ても上等なものだ。
それを幾つか畳んで手渡した。
「そう…… もう無くなったのね」
そう言うと、アラクネが普段使っている台所へ足を向ける。
「パンと塩、後は研究用の魔晶石。まあ今回はこんな所ね。」
必要なものを洗い出すと、残りの量を確認する。
「アラクネ、明日村に行くわ」
行き先は、暗い森を抜けた農村である。
リアンは定期的に物資を交換しにその村に訪れていた。