005――異世界長野の歩き方
この土地についてあまり知らない人のために、異世界長野について簡単に説明しておこうと思う。異世界のことなので知らなくても全く恥では無いから安心して欲しい。俺も異世界島根と異世界鳥取のどっちが東にあるのかさっぱりわからん。
長野は大体日本の中心にある県で、日本のへそや日本の中心という地点も県内に多々ある。地図で見てみても実際大体中心にあるので、つまり長野は日本の中心と言える。Q.E.D。
長野は広いので、東信、北信、中信、南信という4地方に分けて統治されている。帝政ローマもディオクレティアヌス氏によりテトラルキアされていたので、4分割は由緒正しい統治法だ。ほんと東京とかあんなに狭いのに23分割もしてどうするんでしょうね……。劉備さんも諸葛亮さんが天下23分割とか言い出したら暇を出していただろうに。
このあたりは4分割されたうちの関東寄り、東信地方に当たった。
軽井沢の隣? いや、軽井沢が佐久の隣なんだ。わかった? いいね?
佐久を田舎と言ったらきっと田舎の人に怒られるだろうし、都会と言ったら都会の人に鼻で笑われるのだろう。
スタバもあるが、シャトレーゼもある。そういった栄え具合の街だと思っていただければ有り難い。
もっともスタバやらマックやらそういった有名チェーン店は、新幹線の駅の回りに広がったショッピングモールやらの割と新しい商業地区に集中していて、昔からのローカル線の駅まわりや、旧街道沿いにはこじんまりした商店街が広がっていた。
俺やはるかが小さい頃遊んだのはどちらかと言えばそう言った旧い街の方だった。ちょうど小学校への通学路だったということもあったんだろう。
「……大分お店も閉まっちゃったんだね」
「そうだな。時代の流れって奴かなぁ」
長野の春の肌寒さが堪えたのか、いとこは目の細かいベージュのセーターを着込んでいた。どうでも良いけど、お風呂上がりの女子ってこう良い匂いを漂わせるんでしょうね。髪とかももうすっかり乾いているのに。
嗅覚というのは、他の感覚よりも脳にダイレクトなところがあるらしい。異世界転生さんという巨大なマイナス要素をも貫いて、ときめきを感じさせるこのダイレクト力。俺も良い匂いを漂わせればもうちょいクラスでの好感度上昇するかな……しねぇな、なんかトイレの芳香剤みたいな臭いするんですけどw とか言われて終わりだな。
はるかと歩く道沿いは、シャッター商店街と言うほどじゃ無いが、やはり人通りも少なくて、閑散とした感は否めない。普段賑わうショッピングモールの様子を目にしていればなおさらだ。
閉まった店を交流広場に変えたりして、色々頑張ってるみたいだけど、やっぱり厳しいんだろうななんて思ったりもする。
そんなことを考えてから、少し自嘲気味に唇の端を歪めた。
はるかが未だ居た頃……小学生の頃はもっと無邪気だった気がした。商店街は今思えばあの頃からもう寂れかけていたけれど、そんなことみじんも思わずに。
どんなこじんまりした駄菓子屋でも、どれだけ商品入れ替えて無いんだといぶかるくらいくすんだパッケージだらけのオモチャ屋でも、その中には楽しいことが山ほど詰まっている気がして、わくわくしながら覗き込んだもんだ……それこそ、一つ一つの店が異世界なんだってぐらいに。
……それが異世界転生して可愛い異種族の女の子達に囲まれたいとか思うようになっちゃうんだから、人間ってダメですね。その上いとこは、異世界転生できなかった私はしぶしぶ長野に引っ越すことを決意しましたとか言い出す始末。
もう長野県は佐久が異世界ってことで良いんじゃねぇの。東京から見たら大分異世界だろ、ここだって。
魔法だって使えるぞ。100度で沸騰するはずの水を96度で沸騰させたりな。これが、佐久魔法(標高705メートル
実際、俺が案内するまでもなく先を言って色んな店を覗き込んで、表情を変化させるはるかは、冒険を楽しんでるみたいな様子だった。
「昔シノくんこの辺りでこけて頭うって大泣きしてたよね」
「そういう余計なことは思い出さなくて良い。親戚のおばちゃんか?」
「おばちゃんとは失礼な。こんなに若くてぴちぴちなのに」
「ぴちぴちって語彙がもうおばちゃん。昭和」
「東京育ちの女子高生に向かってなんたる言い草」
確かにはるかは、服装とかクラスの他の女子より、少しだけ垢抜けている気がした。
それがどうということもないが。
店先を覗き込む、形の良い耳の後ろを柔らかい髪が流れ落ちる。
「あ、ここ、お祭りの時にカブトムシ買ったりしたっけ。金魚すくいもやったね」
「二人とも下手くそで一匹もとれなかったけどな……」
小さい頃、と言っても生まれて10年ぐらいは同じ街で暮らしてたわけだから、まぁ思い出話は尽きない。
はるかが戻ってきて、これから……また昔みたいな感じになるのかな。
それは、悪くないことのように思えた。
ただし、まずは異世界転生患者を更正させてからの話ですけどね……。
「あ、本屋さんまだ潰れずに残ってるんだ」
商店街も終わりかけの街角、小さい頃も良く入っては立ち読みさせてもらっていた本屋をはるかは目ざとく見つけて、入り口に立つ。俺が追いかける間も無く、古びた自動ドアが頼りなさげに開いて、何年ぶりかの来訪者を迎え入れた。
俺もなんだかんだで、売り場面積が広くて品揃えが良いショッピングモールの本屋に足を運びがちだ。随分久々に踏み込む、昔からの本屋の少し埃っぽい紙の匂い。
売り場のレイアウトも大分記憶とは変わっていた。そろそろと、店の中を見回して、なんとなくまずは漫画のコーナーに向かってしまうのは、習性みたいなもんだ……はるかも俺に先行していたしな。
立ち読み防止のビニールに包まれたコミック。一応新作は入荷しているみたいだったけれど……。
「あら、桜井くん?」
そんな突然の声に、俺はびくりとして肩をこわばらせた。
当然、はるかが俺のことをそんな風に呼ぶはずが無い。なんなら俺の名前を呼ぶ奴なんてクラスメイトには居ないまである。
だが、ただ一人、城戸が丘高校で俺のことをそんな風に呼ぶ人がいる。
そしてこんな時に最も会いたくない人がいる。
おそるおそる振り返った。
はるかの髪よりも黒い黒。昔の人がぬばたまの、と詠んだのはこんな色のことを言ったんだろうか。
ぬばたまの、夜天の色の髪を背中にまで流して、セルフレーム眼鏡越しには、長い睫毛に彩られた切れ長の目。
俺よりは流石に低いが、女性としては長身の体はすらりとして、手足も長く、どこかのモデルを務めてもおかしくなさそうだ。
認める。何度見ても目が覚めるくらいに綺麗な女の子が居た。
「……ども」
「奇遇ね、こんなところで会うなんて。大きな本屋では人目を憚るいかがわしい本でも、探しにきたのかしら?」
後ろではるかが固まる気配がした。
認める。見た目の綺麗さは。
ただし、見た目に限る。