002――いとこのヒロインムーブ
今日のカリキュラムは半日で終わりだ。始業式をやって、特に授業は無く。太陽が一番高くなるちょうどぐらい、春の薄煙る空にチャイムが鳴り渡る。
背伸びをしながら、隣の席にちらりと視線をやった。
「ねぇねぇ、東京の方ではどういう感じだったの?」
「どういうって? ……うーん」
「学校で。やっぱりみんなお化粧ばっちりしてたりとか? うち校則厳しくてさー」
「そうだね、してる人は結構いたかも」
「趣味とかは?」
「部活とか何してたの?」
「どうして引っ越してきたの?」
始業式が始まるまでも、終わってからも、そして終業のホームルームを終えた今に至るまで、はるかはずっとクラスメイト連中に囲まれていた。矢継ぎ早に投げかけられる質問。
黒髪の楚々とした女の子は、人好きする笑顔を浮かべたまま。異世界だの転生だのおくびにも出さずに、みんなからの問いに無難に受け答えを続けている。本当、俺に告げたあの言葉はなんだったのか。
……よほど、俺にだけ伝えたいことだったのかな。あの時の逡巡するような間と、思い詰めたような表情。まるで、この世界が滅びるかどうかの瀬戸際を告げるように、いとこの薄造りの唇が紡ぎ出した言葉は。
――――私、異世界転生出来なかったから……。
馬鹿にしてんのか。
桜井はるか? 贅沢な名だねぇ。いいかい、今からお前の名前は異世界転生失敗したマンだよ。
鞄に教科書の類いを詰めながら、本性を隠し続ける異世界転生失敗したマンの方を眺める。
俺の席の周りに人が集まることなんてないから、人いきれさえ感じられてなんとも鬱陶しかった。まぁ周りといっても、集まってる連中の視界に俺の姿なんか入っちゃいないんだけどな。せめて、まだ俺いるわけだし、人の机の上に腰預けるの止めて貰えませんかね。クラス委員長の内山さん。俺のテリトリーの上にあるものなんで好きに触っても良いって事ですかね。
ふぅとため息をついて、不法行為は脳内に止め(思想の自由)、俺は鞄を肩にひっかけて立ち上がった。
授業も終わった教室に止まる理由もない。久々の学校で体力も消耗したことだし真っ直ぐ家に帰ってごろごろするか。
しかし、本当に女子って良くこうも色んなこと話し続けられるもんだな。男同士だったら、5分、10分も話せば十分感でてくるというのに。あれ、俺だけ? 俺だけだったりするかな……。会話のキャッチボールが出来なくてすまない……なんなら普通のキャッチボールも出来なくてすまない。自分……不器用ですから。
相も変わらず賑やかな隣に感心しながら、身を翻そうとしたその瞬間に、異世界転生失敗したマンと目が合った。
ひっきりなしに話しかけてくるクラスメイトに応じながら、その合間合間の隙にちらりと、俺のほうに向けられていた視線。
……なんだよ、その顔は。
ずいぶん楽しそうに話し込んでる癖に、なんでそんな懇願するような目で俺の方を見るんだよ。
なんなら喧嘩中と言ってもいい、異世界転生失敗したマンの眼差しに気をかけてやる義理なんて全くないはずなのだけど。
ふと、小さい頃のはるかの顔がダブって見えて、俺は喉を詰まらせた。
昔のはるかは……時々どうしても困ることがあると、でも、なかなか言い出せなくて、よくこんな顔をして人の方をじっと見つめてきたっけ。
こういう時にばっかり、幼馴染み特権スキル発動とかずるくない?
落ち着け、こいつは昔結婚の約束をした可愛い幼馴染みとかじゃなく、単なる異世界転生失敗したマンですぞ。
視線を引きはがして、歩き出そうとする。
「あ……」
掠れた声が耳に忍び込む。周りの奴らなんて気づきもしないぐらいの声なのに。
はーい、抵抗失敗、ファンブル! あー、くそ。
「ちょっと話の途中に悪いんだけど……」
切り出した言葉に、クラスメイト連中の顔が一斉にこっちを向く。それのいくつかは邪魔するなと言わんばかりの剣呑な色を宿していて、俺は露骨に怯む。
やっぱ良いです、と口を滑らせそうになるのを必死で押しとどめて、手を合わせて申し訳なさを精一杯アピールしながら、言葉を繋いだ。
「あの……お前、今日引っ越しの荷物大物が届くから荷ほどきしないと行けないんじゃ無かったっけ」
「あ、そうだった! ご、ごめんね、今日は帰らないと」
いかにも忘れてた、とばかりに口元に手をやって、オーバーリアクションを決めるはるかに無性にイラッとしたのをこちらも必死に押しとどめて、俺は鞄を担ぎ直して席を立った。
はるかのことを引き留めようとする奴はまだ何人か居たが、俺の事を止めようとするクラスメイトなんていやしない。なんだろう、いとこ同士なのにこの落差は……転校生特権EXかな。そういうことにしておこう。数日もすればはるかの扱いも普通になるに違いない。
別に呼び止められたいわけでもないしな。ホントだよ。一人で居る方が……気楽なんだ(ラノベ特有の序盤の思わせぶりな伏線張り
廊下に出て、特に急ぐ理由も無くのんびりと昇降口に向かう俺を、しかし、追いかけてくる足音が一つ。
「……なんだよ」
クラスメイトが全く気にすることのない俺のことを、唯一気にかけてくれるクラス随一の美少女……なんているはずもなく。
真新しい上履きをぱたぱた鳴らして横に並んだのは、異世界転生失敗したマンだった。やっぱこの名前いい加減長くてだるいから無しで。
「置いてかないで欲しいな」
「別に待ってる義理もないだろ」
不満そうに口をすぼめたはるかにため息をついた。
むしろクラス全体から置いてけぼりを食らっていた俺の方が抗議する権利があると思わない? まぁ別に単独行動スキル持ちの俺は置いてけぼりくらってもなんともないけどな。単独行動EXともなれば一人カラオケから一人焼き肉までなんでもOKだ。そろそろ俺も長野県のアーチャーとして召喚されてしまうかもしれないな……。
「大体あんなに盛り上がってたんだから、みんなと遊んでくりゃ良かったのに」
「だって……なんていうか、えっとね……」
いとこは回りに人が居ないことを確認して、声をひそめる。
「話しかけてくれるのは嬉しいんだけど、気疲れしちゃって……」
にへらと笑って、申し訳なさそうに頭をかくはるかは、お人よしというかなんというか。
「変に猫被るからだろ。素直に言っちゃえよ、私は異世界転生が好きな卑しい女ですって」
「い、卑しくない!」
「ああ、間違えた。異世界転生が好きないやらしい女ですって痛ぇっ!」
「シノくんの変態! オーク好き!」
おう……はるかさんも随分ディープなジャンルをご存知で。もうだめかもしれないね、このいとこ。
「……まぁ、でも、そのありがとうね。助けてくれて」
控えめな声で、はるかはそんなことを言って、予想外の言葉に俺は少し固まってしまう。
「なんだよ、改まって。助けるってそんな大げさなことじゃないだろ」
「いいの、助けて貰ったことには変わりないんだし……それに昨日鞄ではたいておいて……その、ごめんね」
「いや、いいけど……」
「なんだか、小さい頃のこと思い出しちゃった」
そんなことを言って柔らかく微笑む。何その突然のヒロインムーブ。暴力系ヒロインへの風当たりの厳しさを悟ったのかしら。
とはいえ、そんな顔をされると転さん(省略形)だろうと、わずかばかりながら心臓の働きが活発化しないでもないわけで。
「……こっちのこと必死で見てきてた時の顔、小さい頃そのまんまだったぜ」
「そ、そんなこと無い……無かったと思うんだけどな。あくまでクールにアイコンタクトを送ったつもりだったのに」
こいつのクールは28度ぐらいなのかな。とても生鮮食品の宅配は出来ないかな。
「それにしても、シノくん私の荷物の予定よく知ってたね。もしかしてストーカー?」
「助けてもらった癖に、人をナチュラルに犯罪者呼ばわりするのやめて貰えます?」
舌打ちをして、俺は後頭部を掻きやった。
「別にほんとかどうかなんて知らねぇよ。ただ、ちょうど引っ越してきた奴の言い訳には良いかなと思って、方便って奴?」
「なるほど。い、いいよ。そんなに荷物無いし……なんか、悪いよ」
「おいィ? 方便と言ったはずだが?」
「で、でもシノくんが手伝ってくれるって言うなら」
人の話聞けやし。サイコパスか。大丈夫? 犯罪係数測る?
よっぽど執行対象に向けるような眼差しになっていたのか、はるかはバツが悪そうに身を縮こまらせた。
「冗談だよ。そんなに図々しくないし。荷物もそんな大きなものないから大丈夫」
……そう言われてしまうと、逆に申し訳なくなってしまうのが、優しさよりも気弱さが先立つ俺という人間なんだが?
「ああもう、急を要しないものなら、週末にでも手伝ってやるけど。こっちも久々だろ? 昔とは変わったし、ついでに街でも案内してやるよ」
「ほ、ほんと? 実は週末にもう一回荷物がくることになってて」
「……武士に二言は無い」
なんか若干騙された感を感じつつ、心は鎌倉武士なので首肯してしまう。その体はきっと、御恩と奉公でできていた――――
無限の奉公。やだ、社畜っぽい……。
「シノくんが優しすぎてちょっと気持ち悪い」
「喧嘩売ってんのかこのくされ異世界転生失敗したマン」
「も、もう異世界転生から離れてよ! 学校では異世界転生禁止!」
学校としても異世界転生を敢えて認可しようとも思わないだろうよ。こういうはるかみたいな変なのがこれからも増える可能性を考えると、このあたりで校則にしといた方が良いのかも知れないな。本校生徒は異世界転生を禁止とする。クラスごと異世界に消えるような事件も防止出来て良かろうて。