000――4月、桜舞い散らない長野の春に
以前書きかけで一旦取り下げていた(異世界)長野コメのリメイクです。
息抜きに不定期更新になりますが、お読みいただければ幸いです。
春は出会いと別れの季節――――
桜の木の下に運命が待っているなんて、最初に考えたのはどこの誰なんだろう。
四月の頭、長野県は佐久市の桜はほころぶどころか、まだ枯れ枝と見まごうつぼみの固さ。満開を迎えるのは毎年ゴールデンウィークも迫る頃だ。別れの寂しさも、出会いのときめきも、その頃には平たい感じの日常へ既に落ち込んでいる。
今日も、穏やかな陽射しばかりは春の気配を感じさせたが、駅の構内を吹き抜ける風はまだ冷たくて。電車の連れてくる誰かを待つ人達も、厚手の上着に肩を縮こまらせている。俺も、ジャンパーのポケットに両手を突っ込んだまま、落ち着かない息を吐いて、電光掲示板の文字列を読み流した。
――――お待たせしました。あさま609号長野行き、到着です。
アナウンスに少し遅れて、乗客がぱらぱらと階段から姿を現す。
春休みの帰省か、小さい女の子を連れたまだ若い夫婦を出迎える、じいさんばあさん。
こっちも帰省だろうか、慣れた調子で出口へと向かっていく大学生と思しき男の人。
静かだった改札前の広場は俄にざわめき立ち――――だけど、俺は待ち人を見つけることが出来ずに、改札の奥を覗き込んだ。
短い人波は既に途切れ途切れ。スマホの画面に開いたアプリのメッセージには、ただ一言。
『13時31分着の新幹線です』
「遅い……」
もう到着時刻を5分は過ぎようとしていた。
既読付けたのに何も反応返さなかったから怒ってんのかな。
東京の方だと、既読スルーは十字架に磔にしてスクランブル交差点に晒されるぐらいの重罪だと伝え聞くし。やだ映えそうな光景。ソーシャルな罪を償うにはもってこいの刑じゃない?
免罪符としてアルクマの無料スタンプでも送っておくべきだったか……NAGANO LOVEみたいな奴。長野への愛は全てを赦す。宗教改革の時代にアルクマスタンプがあれば、ルターも怒り狂わなくて済んだのに。
「乗り遅れたんかな……」
冷たい風が首筋を撫でて、思わず肩をふるわせた。春も近い頃合いだからまだいいが、真冬だったらこの吹き抜けの寒々とした駅で待ちぼうけとか凍死もあり得る。
――――雪積もってるよ?
――――手……冷たくなっちゃったね?
――――……全身、冷たくなっちゃったね?
> 突然の死 <
長野の冬は怖いからね。
もう一度、何の変化も無い画面に目をやって、ため息をついた。近くのショッピングモールででも時間を潰すか、家に帰るのも癪だし。
そんなことを考え始めた、その瞬間に、スマホが震えた。
「うぉっ、とっとっと」
予期しないタイミングで入った電話に、手の上で危うく何度かはねさせた、その画面に表示された名前に目をこらす。
唾を飲みこもうとして、何かつっかえて失敗した……いや、俺緊張しすぎでしょ……。
「……もしもし」
『あ、やっぱりシノくんだ。良かった』
そんな、ちょっとほっとした色の滲んだ柔らかい声に、顔を上げた。
改札口真正面のエレベータの降り口で、こちらに向かって小さく手を振る、女の子。
ワンピースに春らしく淡い色のカーディガンという、こっちでは明らかに肌寒そうな恰好をして、実際若干肩をふるわせながら。
――――春は出会いと別れの季節。
いとこの女の子が、この春から俺と同じ学校に通うという連絡を受けたのは、つい先週のことだった。
……小学校何年生だったろうか、そのくらいまではこっちに住んでいてよく一緒に遊んだものだけど、そんな小さい頃のことなんて、なんのコミュニケーションの助けにもならない。むしろなんとなく気恥ずかしさが増すばかりなんですけれど。
トロリーバッグをカタカタ言わせながら近寄ってくる。首の後ろで簡素に束ねた黒い髪を揺らして、目を細めた、その仕草は確かに知っている気がした。
「久しぶり、シノくん」
「……久しぶり、はるか」
俺とは違って、向こうは気恥ずかしさなんて欠片も感じていないような微笑みを浮かべて、改札をくぐる。
ピコーン。
「あぐ」
「……乗車券と特急券重ねて入れるんだぞ、それ」
「し、知ってる知ってる、普段切符とか使わないから」
スイカだかペンギンだかPPPだか知らないけどウェルカムトゥようこそナガノパークじゃICカードなんて通用しない。これだから都会の民は。駅員さんにパチンと切って貰うと良いよ。人力改札はこっちのローカル線ではまだ現役だ。
まぁちょっと抜けたいとこのおかげで、無駄な緊張もほぐれて、俺はふぅとため息をついた。
「ごめん、お待たせ」
おっかなびっくり改札をくぐり抜けて。目の前に立つ、俺より頭半分ぐらい低い背。
そこには確かに、小さかったいとこが成長したらこうなるだろうなという面影があったけれど、それよりも何よりも。
桜井はるかは随分と可愛くなっていた。
柔らかな輪郭を描く面立ち。澄んだ瞳に、小ぶりだけど筋の通った鼻、穏やかそうに結ばれた、花のように淡い色の唇。
それこそ、一面に舞い落ちる桜の花びらが似合いそうに……。
緊張が、ぶり返す。
「……出てくるの時間かかったな、いや別に責めてるわけじゃないんだけど」
「なんだか景色とか懐かしくて……降りてからちょっとぼーっとしちゃってた」
「そうだな、昔からそんなぼーっとした感じだったよな」
「そんなことも無かったと思うんだけどな……」
眉根を顰める、少し不満そうな眼差しから、俺は目を逸らした。そんな表情さえ可愛らしくて。
「それにしても、随分急な話だったな」
「うん?」
「こっちの学校に通うって」
「ああ……それね……うんと……実はね」
それは本当に、何気無い問いかけだったのだけど。
それなのに、いとこは、にへら、と頼りなく笑ってから、何故か俯いた。
気まずげな、沈黙。
「あ、いや……別に話しにくい事情あるんなら良いんだけど」
例えば、人間関係うまくいかなくて学校に居にくくなったとか。
例えば、急な病気の療養とか。
年度初めにこんな急な転校の話。少し考えればこんななにかのっぴきならない事情があっておかしくない。
浅慮を後悔した俺に、でも、いとこは首を振って。随分と覚悟を決めたように顔を上げた。
深く息を吸ってから、桜井はるかは言ったのだ。
俺の目を真っ直ぐに見つめて。
聞き間違いようもなく、はっきり、澄んだ鈴を鳴らすような声で。
「私、異世界転生できなかったから、こっちに引っ越してきたんだ」